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夏の扉を開けるとき  作者: 萩尾雅縁
第四章
136/219

取り替え子 6.

「幻覚――」


 コウじゃない。こんなもの、コウではないのだ。


 膝からくずおれた僕を、ショーンが掴み支えてくれていた。


「アル、何が見えたんだ?」

「コウ――」

「やっぱりコウは捕まってるのか?」

「捕まる?」


 地の底までも堕ちていきそうに重たい頭を、ようやくもたげてショーンに視線を向けた。彼は僕をちらっと見るとすぐに視線をずらして、何も言わないまま、一瞬コウの見えた地面を指差す。


 急速に薄闇に呑まれつつある苔むした地面に、丸くて白い滑らかな輝きが円環を作っている。


「なに? キノコ?」

「だと思う。妖精の環(フェアリーリング)なんだろうな、でも――」


 それがどうだというのだ? 


 歯切れの悪い言い様に意味が取れない。彼に視線を戻して「妖精の環って?」と小首を傾げる。


「妖精の踊った跡だとか、異界への入り口だともいわれてる、円環状のキノコの群生だよ。気づかずにあの中へ踏みこむと、向こう側に行っちまうとか、妖精に捕まって帰ってこれなくなるとか、いろんな伝承があるんだよ」

「僕はそれでもよかったのに」

「馬鹿言うなよ」


 ショーンは僕の腕を引っ張って、立ちあがるようにと促した。そして「とりあえず戻ろう。日が落ち切ったら本当に迷っちまいそうだよ」と、腕を掴んだまま足早に歩きだす。


 コウの幻覚に後ろ髪を引かれる思いでもう一度振り返った。闇に溶けるように黒く染まった樹々に見下ろされる白い円環(リング)が、ぼうと儚く浮かびあがる。


 コウは、あの環のなかから僕に腕を伸ばして、助けを求めていたのだ――。




 これも、僕の願望の見せた夢なのだろうか。


 僕は間違いなく疲労している。常に儚く浅い夢を見ているか、あるいは繰り返し繰り返し打ち寄せる波のような過去の記憶の海原に自ら飛びこんで、その深みに潜りヘドロのようにぬめった襞の一枚一枚をめくる。確かめている。僕の犯した間違いを探し、コウに投影した罪を贖うために。僕がコウに刻みつけた罪の断片を探して、探して、探して――。脳は一刻も休むことなく働き続けている。二度と同じ過ちを犯さないために。コウが眠り続けている日数と同じだけ、僕は眠りから遠ざかっている。


 僕は本当に、疲れてるのだ。あんな幻覚を見てしまうほどに。




 ショーンに腕を引かれるまま後に続き、門扉をくぐり、館に戻った。

 いつも変わらぬ静寂に包まれた食堂で、遅い夕食を採る。スミス夫人は憔悴して食欲の落ちている僕を見て、「しっかり食べて下さいよ、坊ちゃん!」と眉をしかめていた。何くれと世話を焼いてくれるスミス夫人を気にしたのか、ショーンは食事中はほとんど肝心の話には触れなかった。彼は僕とではなく、彼女とばかり雑談していた。おかげで僕は、この間たっぷりとコウの余韻に浸っていた。黒い影の檻に囚われていたコウの――。



 とはいえもう少しショーンと話を進めなくては。いつまでもこんな感傷に浸っていたところで、コウの意識が戻ってくれるわけではないのだから。けれど陰鬱な書斎に行く気にもならなくて、用意してもらったお茶をトレーごと譲り受けて、僕はショーンを居間に誘った。




 ドアを閉めるなり、彼はそこにもたれてため息をついた。


「悔しいな――。俺にはなにも見えなかったんだ」


 なんのことだ、と少し考えてから、「コウ?」と訊ねた。彼は皮肉げに笑い、頷く。


「解っちゃいるんだが、きみは特別なんだな」

「幻覚を見てしまうほど求めてしまう、ってところがかい?」


 言葉にしてしまうと、胸が熱くなった。自分の要求(ニード)に溺れてしまう。


「幻覚か――。あの場所で、っていうのがすごいよな」

「場所は関係ないだろ。いつだってコウのことばかり考えているからだよ」

「あれな、偽物なんだよ、ほら」


 ショーンは唐突に話題を変えてカーゴパンツのポケットに手をいれると、何かを握りしめた拳を僕の方へと突きだした。先に持ってきたお茶のトレイをローテーブルに置き、継いでそれに目を向ける。彼はおもむろに拳を開いた。


 キノコだ。さっき見た白いキノコ。僕は怪訝な思いでショーンを見、継いでそのキノコを手に取ってみた。

 キノコじゃない。――石だ。表面はツルツルしているのにひどく軽く、かすかすしたスポンジのような石だった。


「スコレサイトっていう、パワーストーンだよ。あの妖精の環そのものが、偽物(フェイク)だってことだよ。あそこに誰かが作って魔術の仕掛けとして用いたんだよ」

「仕掛けって?」

「異界への扉を開きたかったのか、妖精が来るのを期待したのか、あるいは――、魔術的に取り込みやすい人間を捕まえたかったのか」

「つまりそれは、彼が、ってことだよね。そんなことをするのはここには一人しかいない」

「まぁ、その線が妥当だとは思うんだけどさ。本当に、彼しかいないのかな?」


 自分でも自信をもって言っているわけではないのか、ショーンは口をへの字に曲げて、伺うように僕を見ていた。






 

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