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夏の扉を開けるとき  作者: 萩尾雅縁
第四章
129/219

書斎 7.

 書斎にいるショーンにお茶を運び、軽く雑談する。昼にアーノルドと面談できそうだと告げると、彼はなんとも複雑な色を含んだ表情をみせた。


「あー、それじゃあ、俺は遠慮しなきゃな」

「そうだね、そうしてもらえるかな。普通の食事というわけにはいかないと思うからね」


 彼だけならともかく、彼の妻(アビー)を伴った彼を目の当たりにすることが、健常者にどれほどの衝撃を与えるか、僕は知っている。


 コウにしても――。

 僕は、彼になんの説明もせずに引きあわせたのだ。


 かつてスティーブが、幼かった僕に対してしたように。

 スティーブは、僕が初めて逢うことになる父親に対して、先入観でもって恐怖や嫌悪感を持つことを怖れた。けれど彼は、何も知らされなかった僕が、()()父親に対してどう感じることになるかは想像が及ばなかったのだ。あるいは僕と対面すれば、アーノルドは一足飛びにこちら側へ戻ってくると期待していたのだろうか。ともあれスティーブは、僕の父(アーノルド)の姿がどんなものであろうと、彼自身が僕に植えつけた愛と憧れを僕は変わらず抱き続けるものだ、と信じて疑うことはなかったのだろう。彼自身、親友がどんなに変わろうとも揺らぐことなく、そうであったように――。


 今にして思えば、僕はコウに対して言葉で(アーノルド)を説明することができなかったというよりも、ただ彼に知ってほしかったのだと思う。僕自身を。真実を知らされたときの、僕というものを。そして、僕とは違う反応を示すコウを見たかったのだと思う。僕には判らなかった、正しい答えを導きだしてほしかったのかもしれない。


 けれど同じことを、ショーンに対してしようとは思わない。彼に必要以上に立ち入ってほしくないし、僕に関する余計な想いを抱えてほしくはなかった。




「向こうからもそう言われてるんだ」


 間をおいて、ショーンはどこか淋しげにぽつりと呟いた。このことで、自分だけが阻害されているような感覚を持ったのだろうか。

 じっと彼を見つめた僕を、ショーンは手にしたカップに口をつけながら、ちらりと目だけを動かして見あげる。


「前の面談からさ、奥さんの様子が落ち着かなくなっている、って言ってたよ。見知らぬ相手に逢うのは彼女には刺激が強すぎるから、見かけても声をかけたりしないでくれって言われた」

「申し訳ないけど、彼に合わせてくれると、僕としては助かるよ」

「――辛いよな。これがきみの専門分野だってのは解ってるんだけどさ。きみは強いな。コウが惚れるわけだよ。まぁ、俺は俺にできることをやるよ。それしかできないしな――」


 ショーンはまた膝をカタカタと小刻みに揺すっていた。どこか適当に視線を漂わせながら――。


 驚いた。彼が、こういった気の使い方ができるヤツだとは思わなかった。家の事情や彼の症状に関して、僕は隠すことなく話している。とはいえ実際のアーノルドに対してショーンがどんな反応を示し、どう応対するかに関しては、僕は内心覚悟を決めていたのだ。ショーンの存在が彼を刺激して症状悪化に繋がったとしても、コウを取り戻すためには仕方のないことなのだ、と。

 けれどショーンはアーノルドを尊重してくれているのだ。それだけでなく僕に共感を示したうえで、それ以上僕の領域を侵犯することもない。僕の事情が彼の許容量を超えていて、彼自身、なにが正しい選択なのか迷っているにもかかわらずだ。


 僕の方こそ、コウが彼と友人でいられる理由が解ったような気がした。






 お茶を終えてコウの待つ部屋へ戻ると、ベッド脇に腰かけ、ショーンとの会話を彼に話した。僕の彼への認識がかなり変わってきていること、彼がきみの友人だということに、とても感謝していること。――コウが、何か返事をくれるわけではなかったけれど。


「嫉妬と独占欲でがんじがらめだった僕だけど、少しづつでも、きみの世界を受け入れていけたら、と思っているんだ」 


 それでも、目を覚ましたきみが、彼と僕には判らない話をしていたら、僕はまた拗ねてきみを困らせてしまうのかもしれないけれど。どう動くか判らないショーンの感情を本当に信じているのかも、自分ではまだ確信をもてないけれど――。



 コウの髪を撫で、コウの頬を擦り、コウの唇を指で開く。


 キスしたい。キスを返してほしい。

 僕に応えてほしい。人形のように動かないコウではなく――。

 反射的な反応が欲しいんじゃない。コウ自身の気持ちを返してほしいんだ。


 僕に、きみを見せて――。


 僕のそばに帰ってきて。



 ふと、またショーンとの会話を思いだしていた。


 ――前の面談からさ、奥さんの様子が落ち着かなくなっている、って言ってたよ。


 彼の不調の始まりは、やはりコウに触発されたためなのだ。




「きみはアーノルドに何を言ったの? どうやって彼の心を現実に結びつけて、彼の内的世界に綻びを作ったの?」



 答えてはくれない唇に、僕は、そっと指を滑らせていた。





 

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