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夏の扉を開けるとき  作者: 萩尾雅縁
第四章
126/219

書斎 4.

 鳥のさえずりに起こされた。一瞬、ここがどこだか判らなかった。


 もう、朝なのだ。軽い仮眠のつもりが寝入ってしまったらしい。昨夜はコウのそばへ戻らなかったのか――。きっと、コウが淋しがっている。


 まだ上手く働かない頭でそんなことを考えながら、ゆるりと辺りを見渡した。僕からかなり距離を置いた机の前で、ショーンが僕を見つめていた。なんとも居た堪れないような、苛立たしいような、そんな顔をしている。

 何か不味いことでもあったのだろうか、と僕は吐息をついて起きあがる。


「おはよう、ショーン。今、何時だろう? 僕はよく寝ていたのかな?」

「あー、うん。そうだな、もう朝だな」


 歯切れの悪い調子で彼は応える。


「アル、朝飯にするかい?」

「ん」


 昨日とは打って変わって、彼はどうもぎこちない。僕は首を捻って背中越しの壁時計を確認する。早朝といっていい時間だ。スミス夫人は起きているだろうか――。ともあれ、コーヒーくらい飲めるか、と立ちあがって伸びをする。


「先に食堂に下りてて。僕はコウの様子をみてくる」


 ショーンは僕に背を向けていて、机の上を片づけながら「ああ」と返事しただけだった。



 

「コウ――。ごめん、昨夜は僕がいなくて心配していた?」


 ――大丈夫だよ。きみが僕のために一所懸命でいてくれているって、知ってるから。


 コウならきっとそう言ってくれる。それから、僕の首に腕を回して――、


 ――無理しないで。僕は待てるから。きみが僕を見つけてくれるまで、ずっと待ってるよ。


 きゅっと抱きしめてくれる。


「うん。絶対にきみを取り戻すから。僕を信じて。待っていて、コウ」


 そんなきみに、僕は約束のキスをあげる。この可愛い唇に、そっと柔らかなキスを――。


 けれど現実は御伽噺のようにはいかない。キスでは目覚めない僕の眠り姫。きみが起きあがらないのは、僕が約束された王子じゃなくて、醜い獣だからだろうか。






 食堂のテーブルには、ベーコンエッグとトーストのごく普通の朝食が並んでいた。ショーンは僕を待っていてくれたらしい。


「スミス夫人、いたんだ?」

「いなかったよ。だから勝手に使わせてもらった」


 コーヒーを注ぎながら喋っているショーンは、いつもの彼だ。さっきの不機嫌はもういいらしい。

 だが一頻り昨夜の成果を話し終えると、彼はまた不貞腐れた表情をみせ、わざとらしく嘆息して僕から目を逸らすと、歯切れの悪い調子で言った。


「きみはとんでもない奴だな」

「なんのことを言われてるのか判らないよ」

「目の前であんな無防備な恰好で寝てるなんてさ、まさか一晩中、理性と格闘させられるはめになるなんて! どう考えても酷いだろ」

「それって、僕は危うくきみに襲われるところだった、ってこと? それはまた大変だったね。うん、きみの理性の存在証明ができてよかったじゃないか。表彰ものだな」


 彼には悪いが吹きだしてしまった。ショーンもばつが悪そうにニヤニヤ笑っている。どうやら僕は、彼の苦労そっちのけで爆睡して、彼はその間必死で作業を進めてくれていた、ということらしい。


「それで眠る間もなかったの? 部屋に戻って少し休む?」


 笑い話で済ませたことで、彼は苦笑いを浮かべたあとは「あー、いいよ。戻って続きをする。きみは?」と、すっかり真顔に戻っている。


「そうだね、今朝は、もう少しコウのそばにいたいかな」


 シャワーを浴びて、それからコウの身体も拭いてあげたい。パジャマを替えてあげて、それから――。


 ああ、コウに触れたい。


 きっと、昨夜いろいろ思いだしていたからだ。コウに出逢うまでの愚かな僕のことを。




 コウ、きみとの出逢いがどれほど僕の世界を変えたのか、きみは知ってくれているのかな。

 初めは本当に、どうして僕はこんなにもきみに惹かれるのか、どうしてきみなのか、不思議で堪らなかったんだ。


 くったくのない笑顔を向けてくれたから。

 瞼が腫れるほど、僕のために涙を流してくれたから。

 僕を愛してくれたから――。


 そんなのじゃない。


 きみが――、僕を見つけてくれた。


 きっと、初めから本当の僕を見つけてくれていたからだ。

 見つけてほしいという、僕自身にさえ見つけらなかった願いを抱える僕を、(あやま)たずに。

 


 ――きみは貪欲に広がりつづける闇のようだよ。


 そう言って、きみは僕を抱きしめてくれた。


 ――そんなきみに食べ尽くされて、僕は空っぽになるんだと思っていた。


 泣きながら、僕を抱きしめてくれた。


 ――でも見つけたんだ。僕はきみを愛しているよ、アルビー。その想いが僕に残りつづけていた。きみに全部あげるよ。この想いだけは尽きることがないから。


 泣きながら、恐れながら、きみはずっと貪欲な僕を抱えてくれていたんだね。

 きみを喰い尽くして、僕の空漠できみを占領したはずなのに、僕は愛で満たされていた。尽きることなく涌きでる澄みきった愛で――。


 きみの愛に占領されたのは僕の方だったんだ。そしてこれは、きみを満たす僕の愛でもあったんだね。だから僕はきみのなかにいて、きみは僕のなかにいる。僕たちは互いに支えあいながら、くるくると回り続ける。近づいたり、離れたり、互いの引力で引きあう星々のように。



 コウ、今度は、僕がきみを見つける。

 待っていて。必ず、きみを見つけるから――。


 


「コウのことを考えてるんだろ。そんな顔してるよ」


 ふっと視線を返すと、ショーンが何とも言えない顔で笑っていた。僕はふわりと微笑み返す。


「俺はな、きみのそんな顔を見るとほっとするんだ。コウは大丈夫だよ。あいつは、こんな顔して待ってるきみを残して、どこかへ行ったりしない。そうだろ、アル?」


 ショーンはどこか照れくさそうな顔で言い、カップを持ちあげそっぽを向いた。僕はただ「ありがとう」とだけ。




 ――アルビー。きみは僕の還る大地なんだ。


 そんなコウの声が、どこか遠くで聴こえたような気がした。






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