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夏の扉を開けるとき  作者: 萩尾雅縁
第四章
119/219

魔術師 5.

 横たわるコウの頬をそっと擦る。ひやりとした頬。しっとりとした手触りは変わりなくコウのものなのに。動かない唇、小さな鼻が、ちゃんと息をしているか確かめる。長い睫毛はときどきかすかに痙攣する。


「コウ、きみを見つけられるかもしれないよ」



 ――アーノルドの目の前で、この人形を壊すんだ。そうすれば、施された魔術は打ち破られ、この中に閉じ込められたアビゲイルの魂は解放される。


 そう、きみが教えてくれた。


 赤毛の家の天井に描かれた魔法陣を壊すことはできなくても、まったく同じ図面の描かれた、同じ「異界の扉」である人形をコウの前で砕けば、コウも意識を取り戻すことができるかもしれない。


 だけど、本当にそれでいいのかわからない。理屈は合っているように思うのだが、いかんせん僕はこの方面には本当に疎いのだ。アーノルドへの嫌悪と反発もあったのだと思う。僕は子どものころから、彼と繋がる精霊だの、御伽噺だのが大嫌いだ。


 アーノルドの命を縮めることになりかねない人形の破壊が、本当にコウの心を僕のもとへ連れ戻してくれるのか。これ以外に方法はないのか、思考は止まることなく記憶の海を探っている。コウの言葉を繰り返し、繰り返し思い返している。


 魔法陣。人形(ビスクドール)。四大精霊の人形のモデルになった四人の魔術師。記憶のなかの写真を、そのなかで見た彼の創った精霊の人形を思い返す。


 赤毛、金の瞳の火の精霊(サラマンダー)

 緑の髪に、水色の瞳の水の精霊(ウンディーネ)

 銀髪、銀色の瞳の風の精霊(シルフ)

 そして、黒髪、緑の瞳の地の精霊(グノーム)


 そのとき、一階の居間で思い描いた妄想の男の顔が鮮烈に浮かびあがってきた。僕があの男を知っているはずがない。まだ1歳にも満たないころの話なのだ。だけど、あの顔は僕の記憶のなかに確かにある。信じられないことに、こうも鮮烈なイメージとして焼きついている。それもそのはずだ。僕は何度もこの顔を眺めていたのだ。古い写真のなかで。


 地の精霊(グノーム)の人形として。


 こうは考えられないだろうか。精霊のモデルになった魔術師たちが、アビーの葬式に来ていたのだ、と。

 アーノルドは彼らに喰ってかかっただろう。儀式を行ったのにもかかわらず、なぜ彼女は死んだのか? 彼が儀式を行ったのは、アビーの死よりももっと早い時期だったはずだ。おそらく冬至のころだろうと、コウは言っていた。


 ――冬至は太陽の死からの再生を意味するんだ。病に侵された彼女の古い身体を棄て、新しく健康に再生されることをアーノルドは望んだんだと思う。まさかそれが、本当に身体を棄て、異界へ再生されることになるなんて、彼だって思わなかったんじゃないかな。


 アーノルドが望んだのは、その肉体の再生期間中の避難所として、「虹のたもと」にアビーの魂が匿われること。魂が損なわれなければ、肉体もまた死から逃れられると思ったのだ。だが精霊たちの叶えた彼の願いは、彼らの分かたれることのない永遠だ。


 ――彼らは滅びるものとしての肉体に、はなから関心がないんだよ。


 コウの説明は、僕にはとても難解だった。




 ――不思議だろ? 彼は、コウは、本当に信じてるみたいな見方をするんだ。


 ふっと思考が途切れ、ショーンがそんなことを言っていたのを思いだしていた。


 ――コウはさ、まるで見えているかのように語るんだよ。だから皆、圧倒されるんだ、彼のあの豊かな想像力に!


 

 そう、人形のモデルになった魔術師たちが、まるで精霊そのものででもあるかのように、コウは語っていた。


 彼は、ショーンにもこの話をしているのだろうか。いや、コウは僕のプライバシーを簡単に口にするような子じゃない。そう、ショーンが知っているのは、コウのトラウマになった火を用いた儀式に関してだ。いったいなんの儀式だった? 精霊召喚の儀式、と言っていただろうか。


 ああ、すぐそばまできていると思うのに、僕はコウの世界に対してあまりにも無知すぎる。



 ――アルビー、もし精霊の人形が見つかっても、もうどんな儀式もしちゃいけない。あの魔法陣の図面も削除して欲しいんだ。あれは安易に扱っていいものじゃないんだよ。


 困惑する頭を支えるように膝に肘をつき、助けを求めてコウを眺める僕の脳裏に、僕を戒める彼の言葉がふいに浮かんでいた。


 アーノルドは再びなんらかの儀式を望んでいる。スティーブもまた、儀式のためにずっと精霊の人形を探してきた。


 判らないんだ。それがどうつながるのか。


 妻と子どもと、両方望めば良かった、といったところで、彼の内的世界では、子どもは生まれなかったことになっている。それを今さら儀式を行ったところでどうなるというのだ? 彼の内的世界に、子どもが生まれるとでもいうのだろうか? そんな都合よく――。

 妄想の子どもならすでにアビーが……。


 コウ。


 アビーが男子を望むことは、彼女の外的世界での死を意味する。だが彼の内的世界には、すでにコウが取り込まれている。けれど、そのコウは彼には見えない。それはコウが彼のなかで、いまだ外的世界に属する存在だからだ。


 けれど、彼の無意識は知っている。

 どうすれば、コウがアーノルドの内的世界の住人になれるか。


 彼は、コウを彼の外的世界から消すことで、内的世界に移行させるのではないだろうか? 

 おそらく、儀式を用いて、彼の内側にコウを産み落とすのだ。



 僕はこの狂気じみた自分の着眼に怖気を震った。けれど、否定することができなかった。


 彼ならば、アビーの望むことはどんなことだって叶えようとするだろう、そう思わずにはいられなかったのだ。


 それは僕自身のコウへの想いと、こんなにも、同じだから――。

 


 



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