此岸 8.
――お前のせいだぞ。お前のトリスケルが渦巻いて、こいつを巻きこんだんだ。
赤毛の金属的な声は、冷ややかな口調でそう告げていた。震えるコウの横で笑いながら。
まるで意味が解らなかった。奴の特殊な思考回路は僕の理解の範疇を越えている。もちろん、僕は夢中で言い返したさ。
そんな子供だましの魔術的思考が現実で通るわけがないだろ、と。
通り一遍の常識的論理をふりかざして、コウの信じる世界を全否定してしまったのだ。
すっかり赤毛の術中にはまっていたわけだ。
赤毛が操るまでもなく、これでコウは、僕に心を閉ざしてしまったのかもしれない。口では良いようなことを言いながら、心では自分を馬鹿にして嗤っていたのか、とそう解釈されても仕方ないほど、理詰めに赤毛の魔術的理屈づけを論破しようとしたのだから。
けれど本心を言うならば――、僕は奴の言うことを否定することができなかったのだ。だからこそ反証を並べ立てていたのだ。防衛として――。
もうかなり長い間、僕は僕の内側に獰猛な獣を飼っている。
それはおそらく、彼から受け継いだもの。三か月に一度、それは僕の内側から溢れだして暴れまわる。彼に触発されるのだ。彼のように、自分のそれを解き放ってなにが悪いと。それは僕から溢れだし、僕を占領し、僕を操る。
僕はその獣から僕の大切な人たちを守らなければならなかった。誰に向かうとも判らない、対象を持たない僕自身の攻撃性。見境のない暴力性。どんな理由も意味も持たない、ただ僕をこじ開け、怒涛となって溢れでるだけのもの。
僕はそれを飼い慣らせているはずだったのだ。誰にも知られることのないように、そっと――。
それなのに、きみは当たり前にそれに気づいた。そして恐れた。
それでも、きみは目を背けたりしなかった。逃げなかった。泣きながら、恐れながら、僕を抱きしめてくれた。
僕はほかの誰よりも、きみを、傷つけたくはなかったのに――。
――僕を喰べ尽くしてもいいよ、アルビー。
「僕の獰猛な気まぐれがきみの生命力を奪い、僕の貪欲さがきみを喰い尽くしてしまったの?」
横たわるコウの髪を梳きながら、声にだして尋ねた。
精気のない蒼白い頬をしたコウ。唇だけが花びらのように色づいている。僕が触れて、擦ってしまうからだろうか。
この愛しさは、どんなきみだって変わらない。
彼の剥きだしの腕につながれた、痛々しい管に視線を流す。
これを処置した医者も看護師も、赤い焔の蛇が絡みついているこの肌に驚いた様子はみせなかった。田舎とはいえ、礼儀はわきまえてくれていたということか。
こんな気休めでしかない点滴でも、コウが少しでも元気になればいいなと思う。予想していた通り、医者はコウの呼吸や脈拍には取り立てて問題はないようだと言っていた。そして、素人催眠術の練習で失敗して、指導教官がバカンスから戻ってくるのを待っているのだという、僕のとってつけたような説明を、とくに突っ込むこともなく笑ってやりすごしてくれた。おそらく、彼はこういった症例にあったことがなく、何とかしてくれと言われたところでどうしようもないのだろう。
とはいえ、こんなことは今をしのぐだけの応急処置でしかない。いつまでもこのままでいられるはずがないのだ。
トリスケル――。
こんな渦巻模様なんて描かれていなくても、僕はいつだって誰かを巻きこみ、混乱させ、溺れさせてきた。それが、僕という人間だ。
僕が僕であるほど、きみを傷つけることになる。
僕は決断しなければならない。
ロンドンに戻って、赤毛に頭を下げてコウの意識を戻してもらうのだ――。
それがバニーの助言だった。
開口一番に、帰ってこいと言われた。さすがに人手不足のこの時期に、彼にだって急な休みは取れない。こっちに出向くことはできない、本人を見ないことには半端なことは言えない、と、どこまでももっともなことを言われた。
それに赤毛本人が捉まらないというのならともかく、無意識下にどんな影響を与えるかも判らない状態で下手に第三者に触らせるよりも、暗示をかけた当人に対応させるのが最も危険を回避できる方法だろう、と。
だがそんなことをすれば、コウが自分を取り戻せても、僕が彼を失うことになる。仮にコウが僕を望んでくれても、赤毛が僕を許すはずがない。
それ以上に、目を覚ましたコウが、僕を望んでくれるかどうかも、もう、僕には確信がもてない。
僕はコウを失うことには耐えられない。
彼が、彼女を失うことに耐えられなかったように――。
いや、それ以上に――。
魔術だろうとなんだろうと、コウを失わずにすむのなら、僕はなんだってする。赤毛に頭を下げることになってもかまわない。奴が、僕からコウを奪わないでさえいてくれるのなら――。
――誓うか?
金属を打ち鳴らすような、赤毛の声を聴いたような気がした。




