妹の友達に告白される百合
高校を卒業してからというもの、日常は目まぐるしく変化して、この半年間、安らげる時間というものは、ほとんどなかったように思う。
四月といえば、どこか暖かなイメージのある、希望や出会いの季節であるが、入学したての時期は常に新しい環境で、落ち着くことはけしてないし、妹も高校入学でヒリついていたのを私は感じていた。
少し疲れる時期なのだ。あらゆる人がそこから関係性を作り出して、ゆっくりと慣れていくための、一年の起点のような。
『梨子さんっておっぱい大きいですよね』
春、妹の友達に、氷川神楽さんに言われた日のことを思い出す。
あれはそういう、一年の疲れとかが生み出した気の迷いとか混乱とかが混ざってできた奇妙な感情だったのだろう、と思う。
神楽さんは、私から見てもよく分からない子だし、妹の梨音もよくわからんけど仲良くなった、と言うくらいにはよくわからない子だった。たまに梨音の部屋を覗くとベッドの上で食玩のフィギュアをぼーっと眺めていて、私と目が合うと気まずそうに挨拶をする。
人間関係とかが煩わしくて苦手な子だと思っていた。だから、適度な距離感を保てる、一人に慣れている梨音と仲が良いと思っていたのだけれど。
私は、そんな妹の友達と仲良くなって、その人と過ごす時間が、めまぐるしい日常の中で、最もめまぐるしくも楽しい時間になっていた。
「今日は、私と遊ぶ、んだよね」
「はい。もう梨音公認の中なので」
ということで神楽さんを私の部屋に招き入れる。こんな風に梨音ではなく私の部屋に呼ぶことも、二人きりで遊ぶこともすっかり慣れてしまっていた。
まるで私が梨音から友達を取ったみたいな後ろめたさがある。年上として、梨音の数少ない友達として優しく接していたつもりだけれど、純粋にぶつけられる尊敬と好意に私が気持ちよくなっていたのかもしれない。
「どうしたの、梨子」
「う、ううん、なんでも」
初めて敬語をやめさせた時のことを思い出す。あの時が一番、罪悪感を強く覚えた。
『大学だと、留年とか浪人とかで同学年でもため口とかって多いし、だから、神楽さんもいいよ。神楽さんがよければ、だけど』
『……梨子って呼んでいい、ってことですよね』
『……うん』
『じゃ、遠慮せずに。梨子、これからどこ行く?』
その時はそのまま、いつもみたいに本屋に行ったり、ご飯を食べたり、変わらない時間を過ごした。神楽を部屋に呼んで、一緒に遊ぶようになって半年が経っていた。
神楽さんは妹の友達だったし、今でも妹の友達だ。
でも、ずっとずっと私の方が多く一緒にいるようになってきたと思う。そのことで梨音は私に小言を言うようになったくらいだ。
今じゃそんな小言を聞いていると安心するようになった。少ない友達を取られたことの文句を言って然るべきで、私と神楽さんが一緒にいることが間違っているような気がしてならないからだ。
私は大学生で、神楽さんはまだ高校生だし、ため口で呼び捨てで呼んでいるのだって、怒れば終わるだろうに、私は率先してそう呼ばせてしまったのだから。
それなのに、それなのに私は。
梨音の部屋の、梨音のベッドの上に寝転がる神楽さんを見る日があると、言いようのない気持ちが溢れてくる。
私はきっと神楽さんと、梨音以上に仲良くなっているのに、それでも梨音の部屋で気の置けない仲であるように安心した風な神楽さんを見ると……。
そんなことを考えて、私が想像以上に神楽さんに執着しているということに気付いた。
「結構前から思っていたんだけどさ、神楽さんって、どうして私と遊んだりするようになったの?」
「なんでだと思う?」
「えっ……、わからない。胸が大きいから?」
「半分正解」
彼女が初めて部屋に来た時に言ったのは、そのことだった。大きな胸に憧れがあるのか、憧れというよりもっと単純な不思議や興味といった感情であるらしかったが、どうもそれが私の興味へと直結しているらしい。
けど、それが半分って言うことは、もう半分理由があって、私にはそれが見当もつかない。
「降参、答え教えて?」
「好き。梨子のことが好きだから」
「……えっ、えっ?」
「これ告白です。梨子さん、私の彼女になってください」
「えええっ!? 」
あまりに唐突な、フィクションで見るような恋愛とは違うロマンの欠片もない愛の言葉に、確かに私は驚きながらも、緊張で言葉を失った。
告白って、好きって、言うよりも、彼女になってくださいというのは直接的だ。恋人になってほしいと、妹の友達に言われている。今は、私の友達でもあるのだけれど。
そんな急に、女の子同士でなんて。もしかして私のことを最初からそういう風に思っていたのだろうか。好きで、いつか告白しようと思って、ずっと仲良くなろうとしていた。だとしたらなんていうことだろう、いつか告白しようと思いながら友達として過ごす。
男女の関係との違いを僅かに感じながら、けれど妙に神楽さんが私に告白するのは腑に落ちることのような気がした。
私に懐いて、私にくっついて、なんとかして会おうとするくらいの純粋な好意は、他の友達や梨音とも違うほどストレートなものだった。好きなんて言葉は決して言っていないはずだけど、この子は私のことが好きなんだなぁと微笑ましく思うほどわかりやすかったから。
でも、今それをぶつけられて私は戸惑っている。わかりやすいと思っていたそれを私は何一つ理解していなかったらしい。
「どうして私なの? その……梨音は」
「梨音は友達だし。今は他の人の話をしない。私が、梨子に、告白した。オーケー?」
「だっ、だけど妹の友達だから……」
「そういうのも関係なしで。私と付き合えるかどうか、です。別に恋人になっても、今までと大して変わらないけど」
「そうなの?」
「キスはしたい」
「……」
キス、と聞いてまた言葉が詰まった。友達同士でするようなことで、テレビじゃお笑い芸人なんかだってしてるようなことで、恋愛ドラマでも何度か見たことのあるようなもので、だけど。
それが小説では情熱的で決定的な何かであることは知っていて、私と神楽さんにとってのキスはきっとそんな決定的な何かになるような気がしたから、言葉が出てこなくて。
「……恋人にならなかったら、キスはしない今まで通りの関係になるの?」
「今まで通りはないでしょ。……本当に好きなので一度断られたくらいでは諦めないけど」
「……そんな」
「じゃ諦めて付き合ってください」
「い、いや、そういうのはちょっと違うと思う」
「だねぇ。梨子にも私のこと好きって言ってほしいし。……リピートアフタミー、好き」
「言わないよそんなので」
どうも相変わらずの神楽さんのようだった。掴みどころがなくて、どこか無気力な印象のある、よく分からない人。
だけどはっきりわかるのは、普段無気力そうな彼女が私と付き合うために彼女らしからぬ積極性を見せて、私への好意をはっきりと示しているということ。
「梨子のことが好き。クラスの誰より、梨音より、家族より、きっと愛してる。……今はおっぱいを触るよりキスしたい」
「……や、やめて」
「困ってる困ってる、ふふ」
「な、何がおかしいの?」
「梨子嬉しそうだから、たぶんキスしてくれるなって」
うれしそう、なんて言われて自分の頬が緩んでいることにやっと気付く。
でもだって、そんな風に人に好意をぶつけられないから。これはずっと神楽さんと一緒にいて感じていた居心地の良さだ。
私は、神楽さんと一緒にいることが嬉しい。だからきっと、無意識のうちに恋人という関係性も悪くないと思っている。
それでも、私は不安が残る。
「神楽さん、私、分からない。不安だから……、信用できるかどうかも、この関係が続くかどうかも、梨音にもなんて言ったらいいか……」
「大丈夫です。初めて見た時から三年経って、梨子と一緒に過ごすようになって半年経って、でもずっと気持ち変わってないので。……梨子が嫌になった時に断ってくれればいいし」
「そんなの、神楽さんは耐えられるの? いつ断られるかもって、そんなの」
「どうせ梨子は断らないし。私の方が梨子のこと分かってるので。今が不安なだけでいざイチャイチャしたら全然平気になるって」
「軽い……」
「知ってるから、知ったから。ほんとほんと。トラストミー」
真剣なのか、冗談なのかもわからない普段の調子に戻った神楽さんは、にこにこと口角を上げてもう恋人になったぞ、と言わんばかりに幸せそうな顔をしている。
釈然としなさ、そもそも関係が変わったという自覚は言葉だけで芽生えるものでもなく、なのに幸せそうな神楽さんとの間に感情の乖離があるらしかった。
彼女だけが、恋人になったという風に感じられればそれでいいのだろうか。
それなら……私はむしろ、安心だけど。
「じゃあキスしますね」
「……!?!?!?」
言葉を返す暇もなく。
短く一度、二度と触れて。
三度目、神楽さんの柔らかな唇がむにゅうと潰れるように押し付けられた途端に、爆発するみたいに鼓動が響いた。
特別な快楽もない皮膚と皮膚の接触、時間にして十秒もない短い時間は、確かに私に決定的な何かを感じさせた。
関係を一瞬で変えさせるような、今までの神楽さんと同じ目で見ることもできないような圧倒的な変化。
「じゃ、今日から恋人ということで。キスより上のことはまだしないつもりなのでキスはいっぱいしたいです!」
「…………」
そんな年下の我侭も、普段無欲そうな神楽さんが本当に嬉しそうに笑っているのを見ると、許せるような気がした。
私は、妹の友達と恋人になったのだった。
こんなに続くと思ってなかったけどもう少し続くかもしれない。わからない。