夕食
前の更新からまた間が空いてしまいました。申し訳ありません。
カインは思わずエルを睨みつけていた。
くすんだ、暗い瞳。
ーーなんで、
「なんでこいつがここにいるんだ?」
「あれ、お兄ちゃん知り合い?」
「あぁ、アトラの店にいたんだ。傷が完治するまでアトラの家にいると聞いた。…もう治ったのか?」
エルは自分の背中に手を当てた。
「傷は大体ふさがって、痛みもそれほどない。ただ、まだ完治まではいかないから、もう少し世話になるとは思う。」
淡々と答える声にまた腹が立つ。
こいつの目は、気に食わない。
常に人を疑うような、冷たい瞳。
「そうか。自分で歩けるほど回復してるなら、もう帰ってもいいと思うけどな。」
「…アトラの意思だ。あいつがまだ帰せないと言って譲らない。」
エルはカインの嫌味に顔色ひとつ変えず切り返すと、ふいっとそっぽを向いた。そしてぽつりと言った。
「…それに、俺には帰るところがないから。」
「え、今何て…」
カインが聞き返そうとした時、また部屋の外から足音がして、扉が開いた。
40手前くらいの女性が現れた。
「あ、母さん。おかえり。」
「ただいま。奥から声がすると思ったら、みんなここにいたのね。カインも早かったのね。それとそこにいらっしゃるのは…?」
エルの方を少し不審そうに見ている。
エルもその視線に気づいたのか、軽く頭を下げて自己紹介した。
「少し前から、アトラさんの家でお世話になっている者です。薬の配達のついでに挨拶をと思いまして、上がらせていただきました。」
「あ、お母さん!私が挨拶して欲しいって上がってもらったの!」
カインの妹のベルが慌てて付け足す。
アトラの名前を聞いて、不信感が拭われたのだろう。カインの母はにっこりとエルに笑いかけた。
「あら、あなたが…話は少し聞いてるわ。それなら、これからアトラちゃんの所に帰るのかしら。」
「はい、今日はこの家が最後なので、もう帰りますが…」
「そうか、もう夜になるしね。じゃあ、夕飯ご一緒しない?どうせ今夜ウチの旦那はいないし、アトラちゃんも呼んで。」
彼女の唐突な提案に、エルもカインもきょとんとした。
「そんな、悪いです。そこまでお世話になれません。」
エルが慌てて断るが、カインの母はにこにこと笑って譲らない。
「あら、そんなことないわよ。アトラちゃんはもともと家族みたいなもんだし、それに夕食は多めに仕込んであるわよね?ベル。」
「うん!アトラお姉ちゃんとエルさんが一緒に食べても足りるよ。」
「でも、母さん…」
カインがなんとかやめさせようと口を開くと、カインの母がくるっとカインの方に顔を向けた。
「あら、なにか問題があるかしら?」
全く反論を許さない強い瞳と口調に、カインは逆らえなかった。
この家では母が1番強いのだ。
「いや…何でもないです…。」
母から視線をそらして小さく舌打ちする。
くそ、こんなやつと。
「でも、俺、夕食を頂いても、何も…返せません。」
エルが再び断ったのを聞いて、カインは微かに違和感を感じた。
何も返せない…変わった断り文句を使うな、と。
払うお金を持っていないということだろうか。
「若い子が何言ってるの!そんなの気にしなくていいから!」
予想通り、母に一蹴されている。
エルもまた何度か断っていたが、もうどうしようもないと思ったのだろう。何回目かのやりとりでしぶしぶ了承した。
「…では、アトラを呼んできます。」
家を出ていくエルの背中を見ながら、カインは複雑な気持ちになっていた。
あいつのことは気に食わない。
ずっとアトラのそばにいたのは自分だ。
自分以外の男が彼女のそばにいると考えると嫌悪感を感じた。
しかしカインは、なんだか無視できない何かをエルに感じた。
それはきっと彼の瞳の奥にある闇。
放っておけない僅かな光。
アトラも何か感じるものがあったから、あいつを家に置いているんだろう。あいつが自分を変えてくれる何かを持っていると。
そしてカイン自身もエルのことが気になって仕方が無いことを自覚していた。
それに、アトラが見知らぬ年頃の男を家に置いていることに対して、普通であれば周りの人は彼女の身の危険を危惧するのだろうが、カインも含め、本気でそれを心配する人はいなかった。
カインは単純にアトラを奪われることへの嫉妬心からアトラの説得にああ言ったが、本心では、エルはそのようなことはしないだろうという確信があった。
彼にはそんな、”不純”な空気を感じないのだ。
カインはそれがまた気に食わなかった。
しばらくすると、エルが1人で戻ってきた。
どうやらアトラは仕事が残っているらしく、エルに1人でカインの家で夕食をとるように言ったようだ。
結局、エルとカインの家族で夕食を食べることになった。
ベルと祖母が仕込んで、母が仕上げた料理がテーブルに並び、5人は夕食を食べ始めた。
「アトラちゃんは忙しくて残念ね…また誘いましょう。エル君は怪我してるって聞いたけど、もう大丈夫なの?」
カインの母が尋ねる。
「はい、もうだいぶ良くなりました。」
「そうなの、じゃあもうすぐここを出ちゃうのかしら。またアトラちゃんを1人にしちゃうのね…」
「あ、いえ…実は俺、東の隣国から亡命してきた身で…帰る家がないんです…」
カインを含め、皆が驚いた。
東の隣国は、ここ数年、内戦で大変荒れていると聞いた。
じゃあ、あの怪我は…
「…それは、大変だったな。」
思わず、同情の言葉が出た。
こんな事情なら、怪我が治ったからと言って、アトラもすぐに家を追い出すわけにはいかない。
「いや、大丈夫だ。無事、逃げてこられたから…」
エルの表情に影がさす。悲惨な光景でも思い出したのだろうか。
今までただ気に食わないやつだと思っていたが、少し、哀れなやつに思えてきた。
さっきは嫌味を言ってしまって、悪いことをした。
「そうなのね…じゃあ、アトラちゃんだけじゃなく、私達にも遠慮なく頼ってちょうだい。元々アトラちゃんは家族みたいなもんだし、エル君も家族と思ってくれていいから。」
カインの母が微笑みながらエルに言う。
そして隣のカインの背中をバンッと叩く。
「あんたも兄弟ができたと思って仲良くするのよ!」
「…痛いよ母さん。」
カインはエルの顔を見る。無表情で、暗い顔。
相変わらず、くすんだ暗い瞳。
やっぱり気に食わない目だ。
でも、この瞳にはきっと訳があるのだろう。
「…よろしく。」
とりあえず言っておく。
彼の持つ不思議な空気をカインは知りたかった。曾祖母は「天使様」と言っていたか。本当に天使じゃないにしても、今となってはそんなに悪いやつにも見えなかった。
「あぁ、よろしく。」
エルも相変わらず無表情で、とりあえず言ったという感じだった。
「では、ご馳走様でした。」
「いえいえ、大したおもてなしもできなくて。またおいでね。」
カインの家の玄関で皆がエルを見送る。
「…ありがとうございます。では、また。」
さっと背を向けてゆっくりと扉を開けたエルを見て、カインはふとあることに気づいた。
「あ、俺も一緒に出ていいかな。」
「え。」
エルが少し驚いた様子で振り返る。
他の者も怪訝な顔でカインを見た。
「いや、師匠にちょっと用事を思い出してさ。ちょっくら行ってくるよ。」
「ああ、そういう事ね。じゃあさっさと帰ってくるのよ。もう遅いから。」
「ああ。」
そしてカインとエルは2人で外に出た。
エルは何も言わずに歩いていく。
そのすぐ後をカインがついていく。
10歩ほど歩いたところで、エルは振り返った。
「…どういうつもりだ。」
不機嫌そうな顔でカインを見る。
「こっちの方向にはアトラの家しかないぞ。お前の師匠とやらの家はこっちじゃないんじゃないのか。」
ばれたか。
カインはまっすぐエルの目を見た。
「お前…傷が痛むんだろ。」
エルはぎょっとした顔をしている。
なぜ分かった?とでも言うように。
「玄関のドアを開けた時だ。おかしな手のつき方をしていた。久々に長時間行動したんだろ?」
カインがエルの横に来る。
「歩くの辛かったら、肩貸すから。…その、きつく言ってしまって悪かったな。」
申し訳なさそうなカインの声が静かな夜に響く。
さっきカインが帰ってきた時の話だとエルも理解したようだ。
「大丈夫だ。そんなに痛くはないし、もう慣れた。痛いのも…冷たくされるのも。」
「そうか…でも無理はするなよ。怪我が悪化したら、結局余計に周りに迷惑をかけることになる。」
「そうだな。気をつける。」
夜の暗さでエルの表情はよく見えない。
「…もともと、そんなに世話になるつもりもない。傷が完全に治って、アトラから許可が出たら…さっさと出ていくさ。」
感情を込めず、淡々と話す口調は冷たいようで、どこか不思議な優しさを感じさせた。
カインはずっと考えていたことをエルに言おうと決意した。
立ち止まって、唾を飲み込み、口を開く。
「それでもいい。少しの間だけでも…よかったらアトラの友達になってくれないか。」
「友達?」
エルも立ち止まり、怪訝な顔で振り返った。
内心ではまだエルに心を許せていないため、迷いながらも、やはり伝えなければとカインは言葉をつなぐ。
「ああ。その…アトラは1人なんだ。俺も…友達として長く付き合ってきた。でも、あいつは多分、俺に本音を明かしたことは一度もない。」
孤独なアトラのそばにいて、彼女に昔の笑顔を取り戻させてくれる人。
それは村にいた誰でもなく、カインでもなかった。
アトラは誰にも決して本心を見せなかったのだ。
エルが本当に天使のような心と不思議な力を持っているのなら、その心を開くことができるかもしれない。
会ったばかりの男にここまで期待するのは大げさであったが、そんなことを思ってしまうほど、エルの雰囲気は皆にとって特異なものに感じられたのだった。
「もしかしたら、お前ならアトラのいい話し相手になるんじゃないかって思ったんだ。しばらくは同じ家に住んでるわけだし。」
「いや、話すだけなら普通にできるが…長く付き合ってきたお前が無理なら、俺も無理なんじゃないのか?なんで俺があいつの心を開けるって思うんだ?」
唐突な話を不審に思っているのだろう。エルの声は少し不機嫌そうだ。
カインは慎重に言葉を探す。
この感覚を、何と伝えたら良いだろう。
「…似てるんだ。」
自分の知る言葉の中で、この感覚に1番近いものが呟きとなってこぼれ落ちた。
「お前とアトラは、なんだか少し、似てるんだよ。」
「…どこが。」
エルが聞き返す。その声には少し驚きが混じっているように聞こえた。
「…なんとなくだよ。いい、細かいことは気にするな。できるだけでいい。あいつを…」
次に言う言葉は決まっていた。
「あいつをまた笑わせてくれ。嘘偽りのない笑顔で。」
カインの真摯な願いにエルも少しは察したようだ。
もう何日も同じ家に住んでいたのだ。アトラが心から笑顔になることがないと知っているだろう。
エルは少し考えて、返事をした。
「…分かった。できるだけのことをするよ。」
特に感情のこもってない、静かな声。
カインは思わず笑顔になる。
「ありがとな。無理して笑わせる必要はない。あくまで自然に接してくれ。こっちが思ってることをアトラに気づかれて、また気を遣わせるわけにはいかない。俺も手伝うから。」
「…ああ。俺に出来るかは分からないが。話し相手になるくらいならなんとか…」
エルが了承してくれたことに、カインは嬉しくなってエルの肩に腕を回した。
「お前、いいやつだな。」
「おい、やめろ。背中痛いんだよ。」
エルは眉間にシワを寄せた。
「あ、ごめんごめん。ほら、歩くのきついなら肩貸そうか?」
「必要ない。」
カインの腕を振り払ってエルはふらふらと歩いていく。
「無理すんなって。」
「やめろ。馴れ馴れしい。」
相変わらずひどく無愛想な様子だが、それでも彼はカインの願いを受け入れてくれた。
アトラもカインも見ず知らずの他人であるのに。
ーー多分、悪いやつじゃないんだよな。
不器用で、無愛想で、少しひねくれているだけの優しいやつだ。
彼はそれを優しさと呼ぶことを知らないようだが。
カインは出会ったばかりのーーついさっきまで嫌っていたーー友人をちゃんと家まで送り届けて、家路についた。
お読みいただきありがとうございます。
あまり大きな展開がなく、つまらないと思われるかもしれませんが、どうしても欠かせないエピソードだと思い削れませんでした。
次回はまた違った視点で展開させる予定です。