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流れゆく時に花束を  作者: 南戸由華
7/11

反対と決意

更新が遅くて申し訳ありません。

 

「カイン、この人はエル。怪我が治るまでこの家で私が看病することになったの。お金持ってないみたいだから、代わりにお店や家の手伝いをしてもらうんだ。もちろん、怪我がある程度良くなったらだけど。」


 唖然とするカインが何かを言う前に、アトラはエルという男の方に顔を向けて、また話す。


「エル、この人はカイン。私の幼なじみ。私と同い歳なの。」


 エルはカインを見、ごく僅かに頭を下に動かした。


 カインはこの、目つきも愛想も悪い男を見て、反射的に「こいつは普通ではない」と思った。


 普通の人間はこんなくすんだ瞳をしていない。

 よほどひどく、不幸な経験をしていない限り。

 この男は得体が知れない。


 いや、それ以前にーー


「アトラ、ちょっと来い。」


 カインはアトラの腕をつかみ、エルから離れ、部屋の隅の方に連れて行った。


「ちょっと、何?」


 アトラが少し不満そうにカインを見上げている。


「お前、今年で何歳(いくつ)だ?」


「何、いきなり。18よ、18。あなたと同じじゃない。」


「そうだ、18だ。で、その18の年頃の女が同じくらいの見ず知らずの男を家に置くなんて、何考えてんだ。」


 エルは背もたれに背中を当てないように、浅く椅子に座って、そばを離れたカインとアトラのやり取りを見ている。


「何考えてるって…彼は街の方から来てるんだから、ろくに傷が治らないまま帰すわけにはいかないじゃない。」


 アトラは表情を変えずに冷静に言った。


「それは…その通りだけどな…お前、ちょっと隙があり過ぎるんじゃないか?それにあいつ、多分普通じゃないぞ。」


「何よ、普通じゃないって。」


「なんというか…あの男の目は良くない。そんな気がするんだ。」


「何それ。」


 アトラは不服そうだ。

 こいつ、分かってない。


 カインはため息をついた。

 仕方ない。彼女は冷静に、自身の果たすべき義務についてしか考えられないのだ。

 自身に降りかかるかもしれない不確定な危険よりも、今確実に救える患者の方が大事なのだ。


「とにかく、エルの傷が治るまでは、私は彼をこの家で世話する。あなたには迷惑かけないから。」


 アトラは迷いのない目でカインを見て言った。


 カインは心の中でまたため息をつく。

 ーーそうじゃないだろ。


「…分かった。お前の好きにするといいよ。だけどな、俺に迷惑かけるとか、そんなの気にしなくていい。困ったらいつでも呼ぶんだぞ。」


「…分かった。ありがとう、カイン。」


 アトラはカインに軽く笑みを向けると、踵を返し、エルの方に行った。


 エルの方へ向かう彼女の背中を見て、カインは心の中に薄暗い雲がかかっていくのを感じた。


 ずっと、アトラの隣にいるのは自分だけのはずだったのに。


 もやもやと浮かぶ嫉妬と同時に諦めの気持ちも広がっていく。


 もう、そういうわけにはいかなくなったのか。


 ーー自分はアトラを救えなかった。

 彼女の心には、カインとは比べ物にならないくらい、大きくて、黒い雲がかかっていて、それが彼女の中で雨を降らせていることをカインは知っていた。


 だが、救えなかった。彼には彼女の心に触れる勇気がなく、そして彼女も彼に心を見せなかった。


 ならせめて、雲を小さくしてやろうと、ずっと傍にいたのだが…


 もう、それだけでは彼女は進めなくなったのだ。

 彼女は自ら動き出した。自分を救うために、まず誰かの心を救おうと。


 そして、選ばれたのはくすんだ瞳をしたエルだったのだ。


 偶然出会ったカインとは違い、エルはアトラ自身が一緒にいることを決めたのだ。


 もしかしたらーー


 カインはエルを見た。

 彼が、何かを変えてくれるかもしれない。


 もしそうなら、自分は身を引くしかないのだろう。

 彼女の傍にいることよりも、彼女を救うことの方が、ずっと重要だ。


 カインは何も言わず、部屋を出て行った。



 *****



 分かっている。恋人でもない年頃の男の人を家に置くのが、どんなことかってくらい。


「…ろくに傷が治らないまま帰すわけにはいかないじゃない。」


 カインの問い詰めに冷静に答えているとき、アトラは自分の口が嘘を吐いているのが分かった。もちろん怪我のひどさと、彼の家がここから遠いということも理由の一つではあるが、本当の理由はそこにない。


『・・・こんな偽善を受けるぐらいなら、死んだ方がマシだ!』


 エルの言葉が脳裏によみがえる。

 態度では冷静を装いながらも、心の中でアトラは動揺していた。


 あの人も、似たことを言っていたーー


 それはかつて彼女の愛した人。そして彼女が救えなかった人。


 今度は救えるだろうか。

 彼を救えたら…私も少しは救われるだろうか。


 もう、夜に涙を流さないで済むのだろうか。


 (エル)という名のこの青年を、救えば何か変わるのだろうか。


 世界を憎み死を求めるこの青年と、かつて自分が救えなかった者とを重ね、アトラは彼を放っておけないと思ったのだった。

 できるかどうかは分からないが、彼を救いたいという気持ちが、彼をこの家にとどめる一番の理由であった。


 カインとの会話が落ち着くと、アトラはエルの方に行った。


「話は済んだのか?」


「うん。」


「それで、俺はここにいていいのか?」


 聞こえていたのかは分からないが、エルは会話の内容を分かっているようだ。


「もちろん。怪我人だもの。」


「お前の幼なじみは、それでも反対しているみたいだけどな。」


 エルはカインが出て行った部屋の扉の方を見て、嫌味っぽく言った。


 アトラは苦い笑みを浮かべた。


 分かっている。カインがこのことに反対するのも、アトラが心配だからだ。


 だから、彼にこれ以上、心配も迷惑もかけたくない。


 エルは自分が救うのだ。


 アトラは固く決意するのだった。




お読みいただきありがとうございます。

誤字脱字等、何かありましたらどうぞご意見ください。

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