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流れゆく時に花束を  作者: 南戸由華
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翼のない天使

エルはひねくれていますね。

 

 ーー背中が、焼けるように痛い。


 痛みと渇きでエルは目覚めた。

 痛みに耐えながら、ごくゆっくりとうつ伏せになっている体を起こし、体の向きを変えてベットの上で足を伸ばして座る。

 窓の外を見ると、夕暮れの景色が見える。


 ふと横を見ると、すぐそばに小さなテーブルがあり、水差しとコップが置いてある。

 エルは水差しに手を伸ばし、コップに水をつぐと、一気に飲み干した。


 渇いた喉と、痛みで火照った体に冷たい水が染みていく。


 もう一杯飲むと、ほっと一息ついた。


「ここは…どこだ?」


 周りを見ようと上半身を少しひねると、背中に激痛が走った。


 そうだ、自分は翼を切られたのだった。

 そして、人間界に…


「じゃあ、ここは人間界のどこかか。」


 エルは自身の体に包帯が巻いてあるのに気づいた。


 それにしても、天界王め。翼を切ったのならせめてその傷を治してから人間界に送れば良いものを。

 誰かが治療してくれたから良かったものの、死んでしまったら追放ではなく死刑じゃないか。


 まぁ、どちらにせよ死ぬつもりだが。


 天界にしろ、人間界にしろ、偽善を振りまくヤツしかいないのだな。

 この傷を治療した誰かさんのように。


 ーー俺は、何も返せないというのに。


 この時、自分に向けられた親切に対して、エルは胸の奥に、天界にいたときとは違う疼きを覚えた。

 しかし、その疼きが何かを真剣に考える前に、やはり「偽善」という言葉で片付けたのだった。


 ーー見返りを求めていたのなら、残念だな。俺は、何も…


 どこにいってもこんな偽善に振り回されるのなら、死んだ方がいい。

  その前に、痛みでろくに動けないこの体をどうにかしなければ。


 エルは自分の背中に右手をかざして、その手に力を込めた。


 しかし、背中の痛みは変わらない。


「…やっぱり、『天使の癒し(ヒール)』は使えないか…」


 『天使の癒し(ヒール)』とは、天界の天使が生まれつき持つ能力で、痛みを和らげる能力である。

 翼とともに、天使であることの証であり、これが使えないという事は、もうエルは天使ではなくなったことを示していた。


「くそ。今まで持っていても使うことなんてなかったのに、肝心な時に使えないなんて…」


 思い通りにならない現実に悪態をついていると、部屋の扉が開いた。


「あ、起きてたんですね。」


 ブロンドのショートヘアの若い女だ。

 彼女の顔を見て、エルは先ほど少しだけ目を覚ましたことを思い出した。

 痛みで気を失ってしまったからか、どんなやり取りをしたか、はっきりとは思い出せないが、自分の今の気分からおおよそ想像はつく。


 彼女は新しい水差しとタオルを持っていた。そして、ちらりとテーブルに置いてあった水差しに目を向けた。先ほどエルが水を飲んだため、中の水が減っている。


「良かった。飲んでくれたんですね。すごく汗をかいていたから、水分をとらないとって思って。」


 彼女がほっとしたように言った。

 その顔に、また少しだけ胸が疼く。


「なぜ、俺を助けた。」


 エルは静かに聞いた。

 彼女は特に表情を変えずにエルの目を見た。

 透き通った水色の瞳だ。


「あなた、結構若いんだ。もしかして、同い歳くらい?じゃあ敬語はいいよね。」


 彼女は置いてあった水差しに手を伸ばし、残った水をコップにつぐと、エルに差し出した。


「あなた、この村の人間じゃないよね。街から来たの?」


 なかなか質問に答えない彼女にエルはイライラした。

 差し出されたコップを無視して、少し強く言う。


「おい、質問に答えろ。」


 彼女は少し困ったような顔をすると、コップをテーブルに置く。


「ただ、怪我をしてたから助けただけって言っても、あなたは偽善と言って怒るんでしょ?」


「当たり前だ。それは理由にならない。どうせ金をもらおうとか、自分の印象を上げようとか考えたんだろう?結局、自分のためにする優しさなんて、偽善でしかない。」


 自分の親切を否定されたにも関わらず、彼女は表情を変えなかった。

 怒りもせず、傷つきもせず。

 ーー呆れたような顔もせず。


 そんな彼女の反応はエルにとって初めてのものだった。

 予想外の反応にまた胸が疼く。


「そう…じゃあ仮に、私がしたことが偽善だとして、あなたは偽善と、ほんとの優しさの見分けがつくの?」


 エルは言葉に詰まった。

 彼女は淡々と続ける。


「まさか、区別がつかないくせに、人の行う優しさを全部、偽善って片付けてるんじゃないでしょうね?」


 彼女の冷ややかな水色の瞳がエルを逃さない。


 エルが相手の優しさを否定すると、いつも相手は怒るか傷つくか、または呆れて、みんなエルの前から去っていった。

 そして、彼のことを”心の無い天使”と呼ぶのだった。


 しかし、彼女はなお彼の前に立っている。いや、立ちふさがっているのか。

 彼女はエルが考えることを放棄するのを許さない。


 人を否定するエルを、否定する。


 こんなことを言われたのは初めてで、なんと答えたらいいのかエルには分からなかった。


「俺は…」


 ふと、エルは自分が下を向いているのに気づいた。彼女の冷ややかで強い瞳に耐えきれなかった。


 エルが黙っていると、彼女はふっと小さく息を吐き出して、先ほどとは違い、優しい声で言った。


「あなたがお金を持ってないことは知ってる。荷物も財布も持ってないみたいだったし。それと、私は薬剤師。仕事として人を助けたところで今更株なんて上がらない。」


 彼女はしゃがんでエルの顔を覗き込んだ。


「それに、その様子だとまだまだ安静にしてもらわないと困るな。家も遠いんでしょ?生活の面倒もしばらくは見てあげるから。もし、あなたがそれをまだ偽善って言うなら…」


 エルが彼女の顔を見ると、ぱちっと目が合って彼女が少しほほえむ。


「これは優しさだと思わなくていい。これは取引。だから、あなたにはちゃんと対価をもらうから。いい?」


 この言葉からは逃げられそうになかった。

 エルは彼女を睨んで嫌味っぽく聞いた。


「金がないなら働け…ってことか?」


「そういうこと。」


 彼女もあっさりと言葉の裏に隠した見返りの要求を肯定した。

 エルははーっと息を吐く。


「お前みたいに、親切の後に見返りをはっきり要求してきたやつは初めてだ。」


「だから言ったじゃない。これは取引だって。まず、あなたは傷を治すことが仕事ね。」


 彼女はやはり淡々と答える。感情があまり顔に出ないやつだ、とエルは思った。


「傷が治るまではちゃんと私が面倒見るから。私はアトラ。あなたの名前は?」


「…エル。」


 アトラの目が少し大きくなり、先程まであまり感情が感じられなかった瞳が、少しだけ寂しさを映した。

 そして彼女はつぶやくように言った。


「へぇ、(エル)ね。素敵な名前じゃない。」


 言われて、そういえば人間の言葉でそういう意味だったかと思い出した。

 皮肉にも程がある。これほど愛のない天使もいないだろうに。


「うるさい。せっかく忘れていたのに、また自分の名前が嫌になったじゃないか。俺の性格に合ってないなんて重々承知だ。」


「あ、違うの!」


 エルが不機嫌そうに言うと、アトラが慌てて否定する。


「気に触ったならごめん。でも、嫌味なんかじゃなくて、ほんとに素敵な名前だと思ったの。なんというか…その、あなたにとてもよく合ってて。」


「は?どこが?」


 思わず聞き返すと、アトラが考えながら言葉を繋ぎ始める。


「え、だって、偽善じゃない、ほんとの優しさを求めてるってことは、ほんとの愛を求めてるってことだよね。あなたは、ほんとの愛を大切に思ってるからこそ、そう思うんじゃないかなって…」


 胸に何かが刺さった。

 本当の愛?そんなもの、俺は知らない。

 頭の中で天界王の声が蘇る。


『ーーお前は、愛されなかったのだな。』


 嫌な記憶を振り払い、アトラに顔を向けた。


「お前がなんと言おうと、俺はやっぱりこの名前は好きになれないがな。」


「そう…まぁ、それは人それぞれね。」


 アトラは少しだけ残念そうな顔をしたが、さっと立ち上がり、また微笑みを作る。


「じゃあ、これからよろしくね、エル。」


「あぁ、お前のお望み通り、ちゃんと対価は払うよ。アトラ。」



 こうして、エルとアトラはしばらく生活を共にすることになったのだった。





お読みいただきありがとうございます。

これからの構想が微妙に固まっていないので、頑張ろうと思っております。

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