1話 ゲームへの招待
高校の校舎,少年が職員室から出て外へ向かって歩く.少年は整った顔,細く,しかし豊富な黒髪を風になびかせ,カッターシャツの下に真っ赤なシャツを着て,華奢な腕とは対照的なごつい腕時計を左腕につけて歩く.
ほどなくして教師達は緊張の糸が解けたように話出す.
「彼には困ったものだ」
「そうですね.正直なところ,彼がただの不良なら話は簡単なのに…」
「両親も学校に従う気がないのが性質が悪い.体罰や校則に苦しめられた世代だから学校を警戒するのは分かるが…」
「そして彼自身については,試験でいつも理系10位以内の成績.私は間違いだと指摘する自信が無くなります…」
「だよね.やっぱり古いやり方じゃ駄目なんじゃ…」
「何を馬鹿なことを言っている」
「しかし…」
「彼は受験でこの高校を自らの意思で選んだのだ.この学校のやり方を選んだわけだ.従うことに異論はないはずだ」
「(受験可能な中で2番目のレベルだから選ばれただけ.滑り止めに過ぎない)」
「(A日程,B日程の制度が無ければ….いや,組み合わせが変わるだけでも選ばれない可能性もあるのに….それに何より,中学生に少ない選択肢を提示して,選んだのだから自己責任というのは気の毒だ)」
「大体,何だ.あの両親の考えは.個性を尊重しようだとか,年頃の子供には自己表現が大事だとか,減点法より加点法の方がやる気が出るだとか,怒るよりも褒める方が積極的になるとか,それ以前の基礎が重要だ.基礎ができれば後でどうとでもなる」
「(柄にもなく考えるとイラつくな….どうせ変えられる力がないのだから,周囲に合わせるのが楽だ)そうですね…」
「(一方で彼らは基礎を自己表現の際に見つけるものだと考えている.考えが合わない…)難しいですね」
少年は学校の隅の木陰のベンチに座ってぼーっと校庭を眺める.木陰は風で形を変え,明るくなったり暗くなったりを繰り返す.音が遅れて聞こえてくる.人の声よりも,物音が目立って聞こえる.
「隣東苑,おーい,聞こえてる?」
少年は声のする方を向く.4人の少年たちの1人が声をかけたようだった.
「何だ森か.どうした?」
「数3のノート出来た?」
「まだ.明後日くらいに見せる.お代は宿題で」
「分かってるって.じゃ,よろしく」
4人は通り過ぎていった.隣東苑から離れたところで4人は話し出す.
「ああ,あいつが前言ってた奴か.勉強教えて貰っているのか?」
「うん,といっても隣東苑の作ったノートを撮らせてもらっているだけ.代わりに俺がやった宿題を写している」
「リン…なんとかは頭いいのか?じゃあ何で自分でやらないんだ?」
「解答の枠狭すぎ,罫線邪魔,,紙が汚い,かさばって見直しし辛い,つまらない上に面倒だから宿題をやる気がないそうだ.彼は白紙のノートに自分の好みのサイズで…」
森は携帯を出して3人に画像を見せる.コピー用紙にバインダー用の穴を空けて書き込まれている.数式や文字は段落を作るように所々で上の段よりも1文字分ほど右に寄せてある.間隔を開けて書かれている式もあれば,まとまりを形成するように近づけて書かれている式もある.分数の使われている場所は特に,上下の間隔が大きく開き,上から下に向かうにつれて右式が緩やかな曲線を描くように見える.
「まあ,こんな風に自分好みにやっている.イライラするから宿題をしないけど,自分好みに描くのは楽しいらしい.というわけで,宿題を見せている」
「変わった奴だな.何でそんな細かいこと気にするんだ?」
「彼にとっては細かいことではないんだろう.彼にとっての不幸なことは,佐藤と同じことを教師も思っていることだな」
「かっこつけた言い回しすんな」
「ハハハ…」
隣東苑は休憩に満足して,起き上がる.直後に一瞬暗転して周囲の人や動物が消える.時計の針が停止する.
「ん?」
隣東苑の前に長いウェーブの掛かった銀髪の女性が舞い降りる.
「初めまして.隣東苑 氷志さん」
「誰だ?」
「私はソフォラ・レア・ブレストウッド.あなたをゲームに招待しに来た,此度のゲームマスター」
「ゲーム?」
「この空間が普段とは違う場所と気付いているでしょう?ここはあなたのいた世界に似せて作ったゲームのための世界.ここで選ばれた8人が戦って勝者を決める.好きに暴れていい,ゲームに参加しない?」
「どんな戦いなんだ?」
「ここにバッジとカードがある」
ソフォラは箱を隣東苑に渡す.月や火,雷などのイラストが1つ1つに描かれている.
「イラストがあるでしょう?それから連想されるイメージを実体化させて他の参加者と戦って貰う.傷ついても元いた世界に戻ると,何とも無いから安心してね.予選は8人の総当たり戦,本選はトーナメント戦.組み合わせは予選の戦いから私が判断する」
隣東苑は無言でカードを両手の親指を左右に動かして見た後,バッジを右手ですくい上げてバラバラと落としながら箱に戻す.
「そうそう,この世界は,元の世界に戻ると時間は一秒も進んでいないから安心して.そして記憶も引継ぎ可能.これを可能にする技術が確立したのは本当にすごい,あの偉大な…」
「それはともかく,このカードとバッジは同じイラストがあるようだが,どういうことだ?」
「…バッジは戦いの時に,相手に見えるように4種つける.カードは,戦ってない時の考え事する際に,この形状の方が便利だろうということで用意した」
「なるほど」
「戦いではバッジ2つ以上を使って何かする能力を1人1つ持つ.どんなものが出るか想像するのも観客の楽しみの一つ.ああ,観客はあなたから見えないところに居るから気にしないで.プレイヤーに余計なリアクションはいらない.エンターテインメントを作るのはゲームマスターである私の役割」
「エントリー料と景品は?」
「エントリー料はいらない.私の客は観客席の人たち.景品は,接点の無い人たちと知り合いになるチャンス」
「参加賞はそうだろう.優勝景品は?」
「秘密.大丈夫,怪しいものじゃない」
「景品が魅力的じゃないゲームだな」
「ここならあなたは自由に表現できる.イメージを具現化する,あなたの描くアート.ずっと望んでいたものじゃない?」
「……」
「自分とは何か知りたいのよね?何に興味があり,何を大切にし,何が見えている?」
「何って…」
「何ができるのか,何をしたいのか,何をしなければいけないのか分からない.あなたにはできることが多いから,悩むでしょう?」
「なぜ,そう思っていると思う?」
「(なぜ,知っている?と聞かないのね.やはり,弱みを見せたがらない,プライドの高い人ね)一般論,かな?十代の悩み.とにかく言えることは,あなたがどう考えようと,それはあなたの見て,認識できる世界の範囲でしかできない.見えないところにあるものは見えない.あの木だって,マメ科だとかツツジ科だとか気にしなければ,木という認識でお終い.まあ,これは一例.その世界の中で見つけ出すことになる.…自分の世界を広げてみたくはない?」
「…1つ聞きたい」
「なあに?」
「君にとってのメリットは何だ?俺へのゲームへの魅力アピールは分かった.じゃあ,ゲームマスター様のメリットは?」
「判断に必要なの?」
「そうだ」
「…あなたたちの試合を間近で見ることができること,観客が集まれば儲けが出ること,これで説明になったかしら?」
「なるほど,わかった.(色々と気になるが,一先ずはそれでよしとしよう)」
「ゲームにエントリーする?」
「エントリーしよう」
「ようこそ,FMゲームへ.歓迎します.その箱はプレゼント.使い方の説明〜」
箱の中に異様な雰囲気のバッジとカードが1組浮かび上がる.
「それらは現実世界に持ちだせる.いや,どちらかか両方は持ち出してもらわないといけない.そして,それらがゲーム世界へのアクセスキー.ここにいられるのは最長で90分ほどで,1度出ると現実世界で1時間以上は経たないといけない.そのカードに経過時間が書かれているから参考にして」
「この数字がそれか….上が経過時間で,下が残り時間と」
「そう.現実世界では60分のみをカウントする.それ以外のカードとバッジは今は使用不可能.ゲームマスターの私が用意したこの宝石に対戦者の2人が触れることで使用可能になる」
「練習できないのか?」
「そう焦らなくてもいい.まず,バッジを1つ選ぶ.次に,手のひらを上に向けて握る.最後に気をこめる.すると,バッジを核にしたモンスターが指を押しのけて飛び出していく.そいつを倒すまでは,カードとバッジが仕様可能になる」
「先に言え!」
烏の描かれたバッジからは烏人間が飛び出した.
「焦るなって言ったのに….折角だからマルファスさんで試してみたら?絵をベースとして想像したものを現実にできる」
キヨシは丸い球体の描かれたバッジを取り,右手を前に出す.球状のエネルギー弾が烏人間に当たる.烏人間は地面に落ち,飛び上がってから爪を構える.キヨシは斧の描かれたバッジを取り,斧を出現させ,烏人間に投げる.烏人間はまた地面に落ち,飛び上がって爪を構える.烏人間は雷を受けて消滅し,烏のバッジが地面に落ちて転がる.
「3つ目のバッジは…,なるほど…雷に見えるね」
「雷じゃないのか?」
キヨシはソフォラにバッジを見せる.
「好きに解釈していい.このゲームでは,社会のように,出口はこのマークとか,一方通行はこの標識とかとは離れて好きなように考えていい.ある意味では,子供の方が有利かもね」
「もしかして,同じバッジで別の技は使えない?」
「その試合ではね」
「そうか.…もう少し練習したいな」
「それは良かった.一通り覚えた後で,教えたいことがあったから」
「教えたいこと?」
「参加者8人全員バッジ2つ以上の組み合わせでできる固有の力がある.あなたには『昇華』の力がある」
「昇華?飛躍的に強化されるのか?」
「『強化』を持つのは別のプレイヤーにいる.このゲームにおける昇華は,2つ以上のバッジから,元とは全く異なる物を作り出すこと.元の絵柄の再解釈という特徴を持つ.一度作り出すとその試合では元のバッジは使えなくなるから注意ね」
「よく分からない.というか,それは昇華か?」
「いいのよ,細かいことは.実際にやってみると分かる.私が対戦相手になるから,バッジを選んで」
キヨシは炎,鎖,木,鎌のバッジを選んだ.ソフォラは首から提げている宝石を取り外して宙に浮かべる.
「それに触れたらスタート」
キヨシとソフォラは宝石に触れる.
「どこからでもどうぞ」
キヨシはソフォラに炎の弾を飛ばす.ソフォラの周囲の空気の渦で炎の弾は横へ弾き飛ばされた.キヨシは手を振り,ソフォラの足元から鎖を出す.ソフォラは足元に渦を出現させ,鎖を吸い込んだ.キヨシは丸太を呼び出して叩きつける.ソフォラは丸太をデコピンで弾いて粉砕する.キヨシは大鎌を作り出してスイングするが,ソフォラは透明になってすり抜けたため,バランスを崩してよろける.
「攻撃が一切通らない…」
「対人戦ではありえること.だって,想像したものを現実にできるから.とはいえ,ここまで防御専用で完全にメタるとは限らないけどね.説明のために,動いていないだけで,実際の試合では動き回って貰うよ」
「それを聞いて安心した.こんな静かなゲームじゃ嫌だ」
「昇華の力の出番ね」
「鎖と鎌で鎖鎌だ…あれ…?」
「昇華の力は同じ解釈での組み合わせは発生できない.つまり,その2つであれば,鎖と鎌ではないもので解釈しなければならない.それと,自分が本当にそうだと思ってないものでイメージを具現化すると,出力が大きく下がるか具現化できない」
「(こいつは丸太が思い浮かんだが,木で他には,菌…かな?共生とか堆肥とか.ならこっちの鎌は死神.これでどうだ!)」
キヨシの後ろの地面から巨大な骸骨が上半身だけ地上に出現する.骨の上を透明な膜で覆われており,胸の中にどす黒い気が溜まっている.瘴気を口から吐き出す.ソフォラは胸にぶら下げたもう1つの宝石に瘴気を吸い込ませる.
「やり方は分かったようね.この試合はこれでお終い」
宝石が光り,キヨシの後ろの骸骨が消える.
「…今更言うのは何だが,平気なのか?」
「え?ああ,ゲームマスターはプレイヤーの固有能力を完全に無力化できるから大丈夫」
「そうか,ならよかった」
「言い忘れてた.ゲーム世界で死ぬか意識を失うと,現実世界に引き戻される.怪我をした場合に,現実世界に戻ろうとすれば,戻れるよ」
「分かった」
「じゃ,次は予選ね.楽しみにしているよ.バイバイ」
ソフォラは光に包まれて消えた.
キヨシは引き続き,他のイメージで色々と試した.
「抵抗が無くなって,慣れてきた気がする.一旦帰るか」
キヨシは箱にカードとバッジを思い出しながら仕舞う.
「んー」
仕舞っている途中で自分を見上げている少女に気付く.
「…誰?」
「えへへっ,私はサラダ・バーネット.本選で解説役を務めるの.今日は下見に来たんだよ.よろしく〜」
少女は右手を差し出す.キヨシも右手を差し出して握手する.
「よ,よろしく」
「解説といっても観客への解説で,お兄ちゃんたちプレイヤーには関係ないから気にしないで,のびのびとやってね.パフォーマンスも要らないよ.ソフォラお姉ちゃんがやってって言うなら別だけど」
「ああ,分かった」
「じゃ,またね〜」
少女は姿を消した.
「(何だったんだ…?解説役ということは実況もいるのか?…….名乗り忘れた.いや,知ってるような様子だから良しとするか)」
キヨシは現実世界に持ち越すカードとバッジをポケットに入れて,それ以外を箱に入れて現実世界に戻る.
ソフォラは上司に報告に行く.
「これで8人揃いました.参加者は葦茂布 異蔵,編織 勇時,笠野 仁汰,黒千重 詩折,澄洲 悲狩,辺端 香捕,松来 魔夜,隣東苑 氷志.ご期待ください」
「ソフォラ,ご苦労様です.まずは第一段階が終わりましたね.しかしこれからが本番です.なに,あなたなら大丈夫です.任せましたよ」
「はっ,お任せを」
その後,ソフォラは屋上から景色を眺めているところを女性に声をかけられる.
「何の用かしら?リリー・メラ・スピアスロー」
「メラさんとレアさんはライバルだけど,そんな釘を刺すような真似をしなくてもいいじゃない?何も弱みを聞き出そうって訳じゃないんだからさ」
「あの人のやり方は好きになれない」
「知ってるよ.私はちょっとお話に来ただけ.私は雑談がしたいだけのただのリリー」
「……」
「次のゲーム,どうしてあの8人を選んだの?」
「そりゃ,面白そうだから」
「どういう風に?」
「彼らは『絶対』というものが欠けている.その不完全がゲームを盛り上げるに違いない.あわよくば,ゲームを終えて見つけ出して欲しい」
「絶対?具体的には?」
「推理するのも面白いんじゃない?必要なピースは彼らの観察で分かる.ゲームを見ているといいわ」
「そうさせてもらうわ.ところで『絶対』はあった方がいいように聞こえるけど?」
「私はそう思う」
「どうして?」
「それが社会において有用だから.社会というのは,子供の世界のように,どっちが正しいのかはっきりしない.科学的な方法だって,人間の知覚できる範囲で仮定を立てて,データを集め,分析して結論を出す.知覚できないもの,概念として存在しないもの,単語が存在しないものは,存在する単語と同一視される」
「要するに観察の理論負荷性ね」
「それに加えて,あくまで仮定を検討する実験であって,別の要因が影に隠れていたとしてもその実験では分からない.本当の理由ではなく勘違いしたまま進むこともある.その時点ではね.あと,定めた優位水準での話であって,誤りが生じることもある」
「深い話になると,本筋から外れて喋りたくのはあなたの悪い癖ね.はっきしりないことと絶対の関係は?」
「…はっきりしないのは人を不安にする.そして安心を求めて,思考停止によって絶対を作り上げる.大なり小なり誰だってやっていることだろうけど,低次元で終わってしまえば,それ以上の発展はありえない.絶対を揺るがすことはできないと思考に大きな制約がかかるから.より高度の思考をするためには,自分にとっての絶対が必要だと私は考える」
「それを彼らが見つけられるかもしれないというゲームと言う訳ね.見届けさせて貰うわ.また,時間があったらお話しようね,バーイ」
リリーは建物の中に戻った.
「さあ,ゲームが始まる」
ソフォラは自分に言い聞かせるように呟き,姿を消した.




