仇討ち
「ほんとだ」
逆さ吊りの死体だ。
と言っても、死体を逆さ吊りにしたのとは違う。
生きたまま逆さ吊りで放置され、長い時間をかけて死亡。
更にそのまま逆さま状態。
弾力をなくした皮膚は下へ垂れ、内臓も下降していき、穴から出てくる。
この絵のようになる。
「凄いよ、さすがだよ。全然気がつかなかった」
喜々とする聖。
マユは悲しげな顔をする。
「酷い死に方で可哀想。首つりより苦しそう」
「化け物じゃなかった。俺が見たのは元人間の亡霊だ。けど、これだけ面変わりしてたらAかどうか判らない」
といいながらも、気になってAの画像を見ずにはいられなかった。
入学式の集合写真は画像が荒すぎる。
玄関で映した写真のほうが、まだ鮮明だ。
上がり框にランドセルを背負った男の子が二人並んで座っている。
左の子供の顔はボカシが掛かってる。
右の子が、Aの息子、憲司だ。
Aは後ろに座っている。
両手は二人の肩に伸びている。
「左手、綺麗過ぎない?」
マユに言われて、
聖は新世界で見た化け物の手に、指が無かったのを思い出した。
画像を拡大する。
すんなりと指の長い、綺麗な手。
絵のように、ピンクがかった肌色一色。
「……これは、義手だ。手袋型の義手だ。アレの手には指が無かった」
聖は自分が見た者はAなのだと、確信した。
「手袋型の義手? 欠損した指を隠すために、かな……」
マユが、自分の左手を見ている気配を感じた。
マユは片手にだけ手袋をしているのを、先刻承知だった。
事情があると考えた。
隠す理由を推理したに違いない。
人目にさらけ出せない手。
目立つ赤痣か白斑、そして指の欠損か。
聖は内心、安堵した。
他人が思いつく、片手だけの手袋の理由は、せいぜい、その程度だと。
自分が殺した母の手を、隠すためだと誰も連想しない。
少女のように華奢で小柄な母の体内で宿った、平均値よりデカい胎児が、
(聖の出生時の身長は五十四センチ、体重は四千を上回っていた)
産まれ遅れ、育ちすぎ(髪は肩まで伸びていた)ていた。
早く出たいと、子宮を壊すほど暴れた。
しっかりした筋肉が形成されていた脚で、母の生命を維持する重要な器官にダメージを与えてしまった。
聖が父から聞いた話だ。
実質、自分が母を殺した。
左手が母の手に見えるのは人殺しの徴。
亡き父が、大きな左手を怖がる幼い息子の問いに、
真っ正直に答えた真実だ。
でも、誰も、
幽霊のマユでさえ推測できないらしい。
「ねえ、Aはもう死んでるのね。どこかで、逆さ吊りで」
マユも、もう死んでいる。
神流剥製工房から南東に八百メートルの地点で、
白骨状態。
見たのは今年の春だった。
あの時には骨はだいたい、人の形をしていたが、今は形を保っては居ないだろう。
でも、マユは生きていた時点の姿で、居る。
比べてAの亡霊が、死後の形態なのは、なぜなのかと
疑問に思う。
マユには聞けない。
マユは消えていた。
対話が途切れると居なくなる。
自分がマユに返事をするのが遅いと消える。
マユが消えると、必ず、シロが寄ってくる。
居ないね、寂しいか?
とでも言いたげに。
Aは重要参考人として指名手配された。
南野晴子と名を明かされた。
容疑は連続幼児殺害事件の主犯、だった。
南野晴子が主犯だという老婆達の証言を裏付ける証拠が、出てきた。
<指示書き>が押収されたのだ。
11月10日、奈良公園
午後一時から三時。
男三十七才、身長百六十五センチ、小太り。鼻の左に黒子。
女三十五才。身長百五十五センチ。やせ形。黒髪。笑うと歯茎が見える。
子供、男三才。
ターゲットについて記され、写真が数枚添えられていた。
写真はフェイスブックに被害者の母親が載せたものだった。
「無差別殺人じゃないなんて、考えもしなかったわ」
マユは推理が及ばなかったと悔しがる。
老婆達は南野晴子の指示に従い、ターゲットが人混みのなかに居る時を狙って、幼子の口に、飴をつっこんだ。
飴を用意したのも南野晴子だという。
「指示された場所で、よく見つけられたよな」
聖は新世界で老婆達を探せる筈はないと思った。
探せないのが普通じゃ無いのか?
「被害者のフェイスブックを見ていたのなら、ツイッターも見てたんじゃ無いのかな」
「あの、婆ーさん達が、そんなの出来るかなあ」
老婆達はスマホを持っていなかった。
もし、三人のうち誰かがスマホを触ってたら、驚いただろうから、きっと覚えている。
「お年寄りだから? それは偏見だよ。餅飯殿商店街のうどん屋で見なかったから、持ってないと言えないでしょ? 」
理屈では、マユが正しい。
「被害者のパパかママが、奈良駅ナウ、とか、カレーうどん食べます、とかツイートしたのよ」
「はあ? なんでカレーうどんが出てくるわけ? 」
「うどん屋で、すでに尾行中だった。三才の男の子を連れた家族連れ、居なかった?」
「そんなの、」
覚えてないと言いかけて、聖はうどん屋の前の行列の中に、確か、若夫婦と赤ちゃんが居たのを思い出した。
「赤ちゃん連れは居たよ。ベビーカーに乗せてた」
「赤ちゃんだったのね。首が据わってないくらいかな、それとも一才くらい?」
見てない。
後ろから見たから、ベビーカーしか見てない。
「それなら、被害者家族だった可能性はあるね。遠出をするときは三才でもベビーカー、使うらしいよ」
聖は、美味しそうにカレーうどんを食べていた老婆達の、顔を思い出した。
マユの推理が当たっていたら、あの時点で、人殺しは始まっていたのか。
手に人殺しの徴を見ながらも、善良そうな雰囲気が記憶に残っている。
寸借詐欺みたいに、うどん代を盗られたのに、なぜか悪人の印象がない。
「屈託無く、笑ってたんだけどなあ」
「捕まっても、笑ってるわ。『仇討ちの助太刀』をしたと、笑みを浮かべて答えている、って、出てたでしょ」
三人は、
南野晴子の仇討ちを手伝ったと、供述している。
「仇討ち、は復讐の間違いだよな。殺された幼児は仇じゃないから」
仇は、親の方だった。
「二十五年前に行方不明になった憲司君が、実は殺されてた、って本当かしら?」
息子は集団下校中に殺された。
老婆達は南野晴子から、聞いた。
子供を殺して同じ地獄を味あわせてやる、とも。
「俺は、憲司君を、殺したのが子供達というのが、信じられない」
老婆達に殺された幼児の父か母が、行方不明の南野憲司と、
同じ登校班だった。