神隠し事件
「ねえ、どんな顔だったの? 口で巧く言えないなら絵に描いて。いつも描いてる剥製の完成予想図みたいに、描いて見せてよ」
マユが、さっきよりリアルになってる。
<怖い顔>を知りたいという、その思いが、存在を濃くしているのか?
だとしたら、簡単に教えたくない。
気が済んだら、消えてしまうかも知れない。
「婆さん達の事、報道されてるかも知れない」
と、話題を変える。
天王寺動物園内で、乳児に大きな飴、無差別殺人の疑いで任意同行。
ニュース速報にあった。
「コレだ」
動物園内で、ベビーカーに乗っている六ヶ月の乳児に、女性三人のグループが、大きな飴を与えようとしたところを、職員が発見。
女性三人はいずれも八十代。
神戸、大阪、京都、奈良で起こった幼児の飴による窒息死にも関与か?
「同じ飴だと書いてある。目撃証言や事故現場近くの監視カメラの映像から、婆さん達は、捜査線上に上がってたんだ」
「やっぱり、そうだったのね」
マユの声が大きく聞こえる。
自分の推理が、的外れでなかったと、喜んでいる。
「今のところ、これ以上詳しい情報は出てない」
マユは「そうなんだ」と、呟く。
その声は小さい。
姿も、急に、ぼやける。
「今日捕まったばっかりだからね。すぐに色々分かってくるよ。マスコミが飛び付きそうな事件だし、ワイドショーでも取り上げると、思うよ」
……だから、明日も明後日も、おいでよ。
聖は、言いたい言葉を飲み込んだ。
マユには居場所があって、時々尋ねてくれる。
生きている人間のように考えたいけど、実際どうだか、わからない。
「そうね。殺意があったのか、無かったのか、肝心な事は、今取り調べの最中なんだ。段々真実が明かされていくのね。そうしたら四人目のお婆さんが何者なのか、わかるかも」
マユの声に張りが戻る。
良かった、と聖は安心する。
明日も、マユに会えそうだ。
「それはそうと、セイ、今日は、人殺しを見なかったのね?」
見ていれば、怖かったと喋ってる、と知っている。
「うん、」
シロに気を取られて、周りの人に目を留める余裕は無かった。
「良かったじゃない。シロと一緒なら何処へ行くのも平気かも」
……そうなのか?
シロにじゃれつかれて、シロの顔だけ見て歩くのと、
<人殺し>の徴を見てしまうのと、どっちがマシかと、聖は考えてみる。
ワン、と短くシロが吠える。
「ほら、シロは、これからも、お供をするって言ってる。良かったね。事件現場を見に行ったり出来るんだよ、シロと一緒なら。容疑者の家も直接見にいけるんだ」
マユは、すごく嬉しそうに話す。
どうして俺が、事件現場に行くわけ?
驚いたけど、相手がマユだから、強くは言い返せない。
「勘弁してよ。犯人の自宅前からの中継に、映ったら恥ずかしいよ。只の野次馬だろ?」
マユは納得しない。
「シロを連れていたら、偶然、散歩の途中で足を留めた人に見えるかも」
「普通に散歩出来る犬なら、いいアイデアかも知れない。だけど、シロは俺の横におとなしく座ってないよ。飛び付いて、じゃれつくよ。だから無理」
返事は無い。
マユは、消えていた。
シロが悲しげにクウンとなく。
「今、消えたよな」
とシロに確認する。
マユは聖の隣に座っていて、消えた。
移動したのではなく、消えたのだ。
三日後には、老婆達の顔が、ニュースやワイドショーに頻繁に出た。
幼児連続殺人事件の容疑者になっていた。
写真は警察で逮捕後に撮ったモノらしい。
カズちゃん、
シズちゃん、
カオルちゃん、
三人とも殺人犯らしくない。
微笑みかけているような、いい顔をしている。
何かの間違いではないのかと、聖は疑った。
あの三人が人殺しと思えない。
三人の手に、人殺しの徴を見た。
それでも、気の良いお婆ちゃん達に見えてしまう。
しかし、三人は、殺人目的で幼児に飴を与えたことを認めていた。
ただし、京都、神戸、奈良の三件で、大阪の事件には関与していないと話している。
高齢者による、無差別殺人に日本中が注目した。
「三人の供述によりますと、犯行には今回逮捕された三人の他に、もう一人の女性が関わっているということです。その人物、仮にAさん、とします。容疑者三人は、平野区のショッピングモールでAさんと知り合ったという事です」
三人は、半年前まで、大阪市生野区の同じアパートに住んでいたという。
「そのAさんですが、現在のところ所在が確認できていないという事です」
「Aが四人目のお婆さんかしら?」
いつの間にか、マユは聖の隣に座ってる。
聖は……マユの長い髪が一部、自分の肩に重なっているのを見た。
フード付きのダウンコートは間近でみるとベージュに白い小さなドットの柄だった。
その発見が嬉しい。
マユが確かに存在している証拠のように思える。
初めて会った時、マユは幽霊だった。
その後、会いたいという思いに応じるように工房に現れてくれた。
望めば、現れる。
願望がこしらえた幻覚かも知れないと、どこかで疑っていたのだ。
「セイ、ちゃんと、見てよ。大阪市平野区だって。周りをよく見て。場所が特定できるかも」
「な、何で場所を特定するの?」
慌てて、画面に目を移す。
「セイが、行くからよ」
「待ってよ、それは無理だって。……この家、誰の家?」
「見てなかったの? Aの家よ。お婆さん達、半年前から、ここに住んでたの。Aはね、所在不明なんだって」
黒い板塀に囲まれた、古い純日本家屋が映る。
空からの映像で、庭に池があり、離れもあるお屋敷だとわかる。
「お年寄りが出入りしてるのは知ってました。グループホームにでもなったのかと、思ってました」
隣の主婦がインタビューに答えている。
左隣の門構えの立派な家だ。
声を変え、胸から下、ブルー系の花模様のエプロンと、しっかりハンカチを握った手だけが映っている。
四十代後半から五十代前半だ。
「セイ、この人震えてる」
何かに、酷く怯えているのが、
顔も見えない、声も変えているのにひしひしと伝わる。
「隣のAさんとは、親しくされていたんですか?」
隣人は大きく頷き、ハンカチで涙をぬぐう。
「子供が同級生でしたからね。以前は、家族ぐるみの、おつきあいでした」
「Aさんは、どんな方なんでしょうか」
「……綺麗で、上品な方です」
「今回の連続殺人事件にAさんが関わっていると、容疑者の三人は供述していますが、それについては、どう思われますか?」
「デタラメだと思います。Aさんは犯罪を犯すような方ではありません。悲しい想像ですが、Aさんは被害者だと思っています。どうか無事で居て欲しいと祈って、いるん、です」
語尾が涙でくぐもる。
「では、Aさんのことを心配されてるんですね」
隣人は、黙り込んだ。
レポーターは、ハンカチで涙を拭いている隣人の顎に、マイクを近づける。
他にも話す事がある筈だと責めるように。
「大事な一人息子のケンジ君がね、どこかへ行ってしまったでしょう。……見つからないままですからね。活発な方だったのに人が変わったように、ふさぎ込まれて。ご近所づきあいも無くなったんですよ。ご両親が亡くなって、ご主人が出ていって、20年前から、お一人だった、らしいですよ。ずっと辛い思いをされてるのにね。今度はAさん自身がまた事件に巻き込まれて、いなくなるなんて。とても気の毒で……」
「ケンジ君が、どこかへ行ってしまった、って、行方不明ってことかしら?」
マユが画面に身を乗り出す。
マユの疑問に答えるように、画面はスタジオに移り、解説が始まった。
「実はですね、幼児連続殺人事件の核心を握るAさんなんですが、その長男がですね、学校の帰宅途中にいなくなって、現在まで見つかっていないのです。当時小学一年生でした。平成二年、今から二十五年前の未解決事件です……」
「こんなの公表したら、Aさんが誰か、すぐ分かってしまうわね」
その通りだ。
過去の事件をまとめたサイトは沢山ある。
行方不明者リストもあって……山本マユが載っている。
マズイ、と聖は思った。
平成二年、小学一年生、行方不明、と、その事件だけを検索できるワードを打ち込む。
<南野憲司君神隠し事件>とあった。
「平成二年五月七日だって。集団下校から離れて、家までは、たった二百メートル、その間にいなくなったのか……これは連れ去り事件だな」
ワイドーショーの動画では、Aの屋敷がある通りは、敷地の広い家が並ぶ閑静な路だった。
不審な人物や、車の目撃情報が得られなかったのも、仕方なさそうだ。
「お金持ちそうだし、身代金目当てとかありそう。犯人は子供が一人になる僅かな隙を狙って、車で連れ去ったのかな」
聖は思いついたままを話す。
マユは、
「これって、家族が疑われるパターンじゃないかしら」
と言う。
「なんで?」
「誘拐事件って書いてない。身代金目的の誘拐事件が報道規制されるのは最初だけよ。何らかの結果があれば発表する。つまり、犯人からの接触は無かった。犯人が存在するのかもわからない。それで神隠し事件、なんだと思う」
成る程と、聖は納得する。
ふと、マユの両親の事を思ってしまった。
娘が誘拐されたかもしれないと思っているのだろうか?
「う、」
今まで、マユの家族の心情を一度も考えなかった自分に、呆れかえって、呻いた。
マユの死を、マユの家族は知らないのだ。
娘が、事件に巻き込まれ、殺されたかもしれないと、心配と悲しみで、地獄の日々を送っているのでは無いか。
「どうしたの?」
心配そうなマユの顔が近い。
長い睫に縁取られた黒目がちの瞳。
白目が赤ちゃんの目のように、ちょっと青みがかっている。
段々姿が薄くなり透けていって、声だけになっていたのに、最近では会う度に精気が濃くなっている。
嬉しいけれど、どこか不安だ。
「いや、何でも無い。今はこの事件に集中しよう」
と自分に言い聞かせる。
「憲司君はちゃんと家に帰ったと思うの。根拠はね、一人で歩いた距離は二百メートルより、もっと短いからよ」
マユの推理が始まった。
でも聖には理解出来ない。
「なんで? ここに地図もあるよ。集団下校の道を、南に二百メートル入ったところに家がある」
「そして手前か隣の、さっき喋ってた人の家ね。同級生の子供がいると言ってた。当然、その子も一緒に歩いてた筈よね?」
同級生と確かに言ってた。
しかし、ソレだけで失踪直前まで一緒にいたと言えるのか?
例えば、隣の子は私学に通っていたかも。大阪市内に私立の小学校は多い。
「学校が別で、同級生と言うかしら?」
「隣の子は、その日学校を休んでたかもしれない」
「その可能性はある。だけど、もしそうなら、この日に限って一人だったとか、大切な事だから書いてる筈よ。書いてないでしょ。第一、一人だったとは、書いてないじゃない」
確かに書いてない、勝手に一人だと読み取っただけだ。
集団下校中に失踪としか書いてない。
他のサイトも当たってみる。
子供一人消えた割には大きな事件として取り上げられていない。
どれも同じ、<集団下校中に失踪>とある。
「憲司君は、家の前に来るまで一人じゃ無かった。だから誘拐事件として扱われていないんだわ。夜になっても家に帰って来ないので、母親が警察に届けたって書いてある。……この状況なら母親が一番疑わしい。警察だって、そう考えるんじゃないの? 取り調べを受けて、家の中も捜索されたでしょうね。でも見つからなかった。憲司君も、母親の犯行の証拠も」
マユは、憲司君は母親のAに殺され、遠くに遺棄されたと、推理した。
聖は動物園の前であった、<怖い顔>の四人目の老婆を思い出した。
アレの、化け物の正体がAなんだろうか?
生きた人間ではなかった。
生きてるときに人間だったかも怪しい。
「Aの画像が出てるかもしれない。探してみようよ。セイが見た四人目の怖いお婆さんがAなのか、判る」
マユも同じ事を考えていた。
画像は簡単に見つかった。
入学式の集合写真、
玄関でランドセルを背負った子供二人と撮った写真。
二枚とも近年に撮られた写真ではない。
綺麗、上品、活発。隣人が並べた言葉通りの、若い母親だ。
長身でスタイルが良い。
ウエーブのかかったセミロング。綺麗な肌のすっきりした顔立ち。
華のある笑顔。集団の中で目立つタイプだと想像される。
「神隠し事件当時の写真ね。凄く若い。二十代後半ね。と、いうことは今五十代、よね。セイが見たのは、お婆さん、だったんでしょう?」
五十代でも、あんなに、老けて見えるのか?
餅飯殿商店街で四人連れの老婆を見た時の記憶を辿る。
それぞれの顔はざっとしかみていない。
四つの顔は、目鼻より、皺が目立つ八十代の顔だった。
動物園の前で、間近に見た顔は……年などわからない。
「で、どんな顔だったの? 描いたんでしょ。見せてよ」
聖は言いつけ通り、<怖い顔>の絵を描いていた。
鉛筆書きで、見たままを、嫌々描いた。(怖いから)
事件の謎は深まっている。
コレを見せても、マユの好奇心は失われない。
「こ、怖いよ。どうして、こんなに怖い絵を描くの?」
と、言われても困る。
「誇張してない? これが顔? 肉の襞がバラの花びらみたいに重なってるの?
目がおでこにあるの? 鼻は何処よ……ないじゃない。
真ん中の、コレが、もし かして口なの?
上の歯茎がむき出しで舌が出てる。
……舌は、この絵の通りだ と、随分太くてグシャグシャね」
「舌じゃない、胃だったよ。色を付けてないからわかりにくいけど」
キャッツ、マユが悲鳴を上げる。
声に驚いて、聖は指で摘まんでいたスケッチを、落とした。
「……ねえ、」
とマユは逆さまになった怖い絵をゆっくり指さす。
「逆さ吊りの死体、に……見えない?」