相席
聖は、反射的に目を背け、立ち止まっていた。
四人の婆さんは声高に喋りながら行き過ぎていく。
「あった」
「どこ?」
「右や、人が並んでる」
「カレーうどんが美味しいんや」
「カレーうどん、か」
聖の腹が鳴った。
そういえば、もう午後一時。腹ペコだった。
四人の婆さんに関わりあう気は全く無かったが、
カレーうどんを、イメージしてしまい、食べたくなった。
振り返れば、うどん屋の看板が見えた。
二十人ほど並んでる。
聖が立っているのは骨董品屋の前で、その三軒隣だ。
外食など滅多にしない。
今日もコンビニで買って車の中で食べる予定だった。
人殺しの手を見たくないからだ。
でも、注意していても、人殺しに出会ってしまった。
それも四人まとめて。
だから今日はないだろう。
何の根拠も無く思った。
婆さんだから、既に罪を償っている人たち、ではないか?
山田鈴子のアパートで見た、婆さんのことを思い出した。
遠い過去の罪に違いない。
そうだとしても
殺人の前科が或る老婆が四人一緒に居て
しかも被害者は皆子供。
ものすごく怖いことだと、気がつかない。
行列の出来る店で旨いカレーうどんを食べる。
聖にとってはささやかな冒険だから
ちょっとワクワクしていたのだ。
スマホを見ながら列の最後尾に付く。
婆さん達が前にいる。
四人顔を寄せ合って喋ってる。
「いい臭いやなあ」
「案外安いね」
喜々とした様子だ。
並んでいる他の人たちが静かだから、よく聞こえる。
前に並んでる学生っぽい女子二人も、
その前の赤ちゃん連れの若夫婦も、
黙ってスマホを触っていた。
20分ほど待って、店に入れた。
「相席お願いします」
清潔感のある若い男の店員が愛想良く言って、店の奥に誘導する。
相席とは予想外だった。
けど、自分が世間知らずなのだと理解し、若干の不快感を押さえた。
案内されたのは一番奥の四人がけの席。
三人腰掛けていて、一席空いている。
カレーうどんをすすっている三人は、さっきの婆さん達だった。
(うわあ、勘弁してよ)
と驚き
(こういうシチュエーションになる可能性を予測できなかった俺がドジなだけか)
と諦め、座った。
さっき、すれ違った時には四人だった。
店の前に並んで居たのも四人だった。
それが今は三人。
妙だとか、一人は何処に行ったのかとか、この時は全く考えなかった。
「ご注文は?」
と聞かれ、カレーうどんと決めていたのが、揺らいだ。
婆さん達と一緒に座って、その上同じモノを食べていいのだろうか?
しかし、余りに旨そうな臭いに負けた。
「カレーうどん」
と言った。
なのに、店員は
「済みません。何うどんですか」
と遠慮がちに聞き返す。
婆さん達が「おいしいな」「あつあつや」と喋り、勢いよくズルズル音を立てて食ってるので、声が届かなかったようだ。
聖が注文を繰り返すより先に、
「同じモン、したって。この子も、うちらと一緒でいいんや」
隣に座っている婆さんが店員に言う。
「あ、どうも済みません」
一声かけるしか無い。
はっきり顔を、目を合わす事にもなってしまった。
丸い輪郭。細い目。
白髪を後ろで1つに束ねている。
洗いざらしで、ところどころ綻びた茶色いジャケット。
首に赤い花柄のスカーフ。にやりと笑って、半分開いた口の中はカレー色。
前歯が欠けていた。
「カズちゃんが男前の兄ちゃんに、ちょっかい出してるわ」
しわがれた声が正面から来た。
面長で、高い鷲鼻が目立つ顔がある。
ピンク色のニット帽を被り、黒い男物のようなジャンバーに、帽子とお揃いの手編みっぽいマフラーを首に巻き付けている。
「シズちゃんこそ、箸が止まってるよ」
今度はシズちゃん、の隣が喋る。白髪のおかっぱ頭。フリルの付いた白いブラウスに紫のブレザー。一見上品な雰囲気だが、ジャケットは大きな肩パットが入っていて、モノの古さが露見している。言葉のイントネーションから関西人では無い。
「なあ、カオルちゃん、海鮮丼と串カツとどっちにするか、この子にまだ聞いてないやンか」
隣のカズちゃんが、ぽんと聖の腕を叩く。
左手だ。人殺しの徴、子供の手で今触れられた。
(この子)呼ばわりされて身体に触れられて……この馴れ馴れしさは一体何なんだ?
「ほんまや、決めて貰おう。あんた、次はどっち食べたい。海鮮丼と、串カツと」
正面のシズちゃんが顔を近づけてくる。
「はあ? 意味不明なんですけど」
聖は思ったままを口に出した。
と、カレーうどんが運ばれてきた。
「アンタ、話、聞いて無かったんか? 次は何食べるか決めてたやろ。どっちか言いや」
訳がわからない。
が、今は早く目の前のカレーうどんを食べたい。
自分が、何を求められているか推測してみる。
次(いつか知らないが)の集まりで海鮮丼と串カツと、どっちを食べるか相談しても決まらない。
偶然居合わせた俺に決めて貰おう、ということか。
面倒くさい。けど、一言で終わるんだ。
「俺、串カツかな」
求められている答えを返して、カレーうどんを口に入れた。
旨い。
カレーが初めて食べる味だった。
尤もレトルト以外のカレーを食べたのは久しぶりだけど。
麺がまた味があって舌触りもいい。
婆さん達が、
「次は串カツ、と決まりやな」
「動物園も公園も家族連れで一杯だよ」
「ほんまに? 寒いから誰もおらんのちゃう?」
「大丈夫。連休の最後の日。入場料の安いとこは子連れで一杯だって」
嬉しそうに喋り会う声や、
椅子を引いて立ち上がった気配を、
雑音程度に、意識から遮断できた。
「兄ちゃん」
不意に、頭の上から大きな声で呼ばれた。
顔を上げればカズちゃんが笑ってる。
「コレは、お礼や、手だしや」
何のお礼か?
串カツと決めた事だろうと理解し、言われた通りにした。
何を頂けるのか知らないが
もう、さっさと立ち去ってほしい。
まだカレーうどんは半分残ってる。一人でゆっくり味わいたい。
「はよ、手、出しいや」
ちゃんと出してるのに、見えてないのか?
自分の手を見る。
差し出したのは左手。
今日は黒革の手袋をはめている。
「手袋してたら、あかんやろ」
カズちゃんの右手に飴玉があった。
聖は箸を置いて手袋無しの右手を出した。
飴は聖の手に落ちた。
大きな水色の飴玉だ。
それが合図のように
「ご馳走さん」
三人の婆さんは声を揃えて言った。
店中に聞こえるような、大きな声だった。
婆さん達が去り、店員が3つの丼他を下げに来た。
片付いたスペースに、伝票が残っている。
聖と店員は同時に見つけた。
店員は無造作にソレを聖の伝票に重ねた