入学
茜色の空。
ゆらゆらと揺らめきながら西の地平に陽が沈む。
鐘の音が厳かに鳴り響くと、アイゼン王国王都ソーシャに夜の帳が降りていく。
家々の窓から明かりがもれ始め、平和な一日に感謝しつつ安らかな晩餐が始まる。
ソーシャの、ごく一般的な夕暮れの風景。
だが、今回の鐘の音には特別な意味が込められていたのだった。
鐘がつり下げられている塔、王立魔術学校「アイゼン第二学園」のシンボルタワー。
鐘の音はそのアイゼン第二学園の入学試験が終了した事を表しているのだ。
アイゼン第二学園とは、魔術や錬金術といった新しい学問を教えるための学校である。
数十年前に作られ、今ではソーシャの名所の一つにもなっている。
アイゼン第二学園には、初めは入学試験というものはなかった。
アイゼン第二学園としても魔術や錬金術を世に広めたいという名分があったから来るものは拒まずといった精神で受け入れていた。
また、人々もそれほど関心をしなかった。
それほど文化が発達していなかったのだ。
だが、魔術の便利さが理解されるようになると年々入学希望者が増加するようになった。
そしてついにはアイゼン第二学園のあらゆるキャパシティを脅かすほどになってしまった。
そこでやむなく数年前から入学試験を導入したのだった。
そのアイゼン第二学園の入口で、一人の少女が腰を下ろしてうずくまっていた。
少々野暮ったい服装から、ソーシャの住人ではないことが伺えた。
むろん、制服のあるアイゼン第二学園の生徒ではない。
「あ~ぁ……」
少女は顔を伏せたまま傍らに転がっていた石を投げた。
石は不規則なバウンドをしながら転々とし、アイゼン第二学園の入り口から出てきた女性の足元で止まった。
女性は立ち止まると石を見、そして少女を見た。
「どうしよう。みんな期待してたのにな……。」
誰に語るのでもなく、力無くつぶやく。
彼女の脳裏に今日あった出来事が次々と浮かんだ。
と、そのとき、
「あなた、どうしたの?」
不意に呼び止められ、少女は顔を上げた。
見れば少女の頬は涙でぬれていた。
少女は夕日の中、目の前にいる聡明そうな女性を見上げた。
「あの……」
「もう日が暮れてきたわよ。いくら街の中が安全でも若い子が夜遅くまでふらふらしてるのは感心しないわね」
女性は緑色の髪をかきあげた。
「……あたしこの街の人間じゃないんです、だからどこにも行くところがないんです。アイゼン第二学園の試験を受けに来たんだけど落っこちちゃって……明日、日が昇ったら故郷の村に帰ろうと思っています」
彼女は悲しそうにそっと答えた。普通に喋ろうとすると、また涙があふれてきそうになるのだった。
「そう……それは残念だったわね……。あなたお名前は?」
「ルーチェ。ルーチェと言います」
「ルーチェ……ね」
そう言いつつ、彼女は手に持っていたファイルを開き、紙をめくりはじめた。
「私はエドワード。……アイゼン第二学園で教師をしているの。あなたの点数は……あら、あなた試験に受かっているわよ」
「えっ…?」
エドワードの思わぬ言葉にルーチェは思わず耳を疑った。
「あなた、多分入り口の掲示板しか見ていなかったでしょ? あなたは条件付の合格だから掲示板じゃなくて、フロアの隅に張ってある紙に名前があったはずよ」
エドワードはファイルを閉じ苦笑した。
ルーチェは、予想だにしなかった展開にどうしていいのか、瞳が虚空をさまよっている。
「え、え、条件付きって?」
「アイゼン第二学園が全寮制なのは知っているわね? でも毎年生徒が増えてきたものだから、部屋とか、いろいろなものが全員分確保出来なくなっているのよ。だから、合格ラインギリギリの生徒は条件付きで、合格にしているの。条件は、一人で生活する事よ」
「???」
ルーチェはエドワードの言ってることが即座に理解できなかったが、
「寮生は、アイゼン第二学園からいろいろ生活に必要なものが支給されるのだけれど、条件付きの生徒は勉強する傍らで、生活するために働いてお金をかせいだりするのよ」
という台詞で合点がいった。
「でも、生活出来なくなるようでしたら……残念だけどアイゼン第二学園をやめてもらうしかないわね。アイゼン第二学園は何の手助けもしてあげられないから」
エドワードはルーチェの顔色を見ながら言葉を続けた。
「一人で生きる事は、大変な事よ。どうやってお金を稼ぐのかもそうだけど、何か問題があったときに助けてくれる人や手伝ってくれる仲間を早く見つけないと。
あなたやっていける自信はある?」
「自信は無いです……でもやらなきゃならないんです」
エドワードの問いに、ルーチェは少々小声で、しかし強く言い切った。
静かに秘めたる闘志のようなものを、エドワードは彼女に感じた。
そして脳裏に一つの疑問が浮かんだ。
「……ねぇ。あなた、どうしてアイゼン第二学園を受けようと思ったの?」
◆
「これは一体どういうことじゃ……。おぉ、悪魔の仕業しか思えぬ……」
故郷の長老であるベラルドは己の村の惨状を見て思わず天を仰いだ。
死屍累々。
街の至るところでうめき、苦しみ、横たわる人々がいた。
ベラルドは何がどうなっているのか全く理解できなかった。
魔物、あるいは野党が街を襲ったというのか。
いや、それにしては外傷らしいものは受けていない。
ソーシャの議会へ書類を提出しに村を空けた二十日間の間に何があったというのだ。
ベラルドが街の中央にある教会の方へ歩みを進めたとき、教会の裏口から神父が現れた。
彼もまたよろよろとした足取りである。
「神父、これは一体どういうことじゃ」
ベラルドは今にも倒れそうな神父をベンチに座らせつつ尋ねた。
「私にも分かりませぬ。数日前から村中で体調の不良を訴えるものが増えました。どうやら流行り病ではないかと……。かくいう私も昨日、病に冒されたようでご覧の通り……」
「むぅ。どうしたらよいものか……」
「幸い、今のところ死に至ったものはございませぬ。なかには病にかからない丈夫なものもおります。彼らには隣町に救援を求めに行かせましたが……」
「賢明な判断じゃ。……じゃがこのまま病を治す方法が分からないのであればまずいことになるのう。今が良くとも、明日には悪化するものも現れるやも知れぬ」
「……ルーチェが。実はルーチェの体調がかなり深刻な状態なのです」
「ルーチェ……。おお、あの娘か。元気な娘だと思っておったのじゃが」
「はい。村でも一、二を争う活発な少女だったのですがどういうわけか……今はただ女神アルテナ様に祈るしかございませぬ」
「そうじゃな」
それから数日が経過すると、ベラルドのいやな予感が的中した。
一転、症状が悪化したのだ。
元々症状が軽かった者たちは自然治癒したが、重かったものは完全に床から出られなくなった。
ルーチェの容態は刻々と最悪な方向――すなわち「死」――へと向っていた。
村人たちは何とかしようといろいろな解決策を考えたがどうにもならず、ただ手をこまねくだけであった。
ベラルドや神父は何も出来ぬ己の力の小ささを呪うのだった。
そんなとき故郷に一人の女性が現れた。
見慣れぬ出で立ち、長いブロンドの髪、手には不思議なデザインの杖を持っていた。
彼女は村の雰囲気がどこかおかしいことを察知し何か助けられることがあれば、と協力を申し出た。
長老が事情を説明する。
「分かったわ、任せて!」
彼女はにっこりと笑うと、懐から小さな瓶をとりだした。
中には透き通る液体が入っている。
彼女は静かに液体をルーチェに飲ませた。
「薬を飲ませたわ。二三日すれば彼女はきっと治るはずよ。……それまでは静かに寝かせる事ね」
周囲で様子を伺っていた村人たちにほっと安堵の表情が浮かぶ。
そして実際、二日たった朝、ルーチェは何事もなかったように目覚めたのだった。
数十人がとこの小さな村である。
ルーチェの両親だけでなく、村中の者全員が、彼女が助かった事を喜んだ。
みな、家族のようなものだ。
だが喜ぶ村人たちの傍らでベラルドと神父は、まずルーチェを救ったあの女性に礼を言わなければならないことを知っていた。
彼女は二日教会に宿泊していた。
二人が教会に行くと、まさに彼女は身支度を整え、去ろうとしていたところだった。
「ああ、間に合った! 是非あなたにお礼を言わねばならぬと思いましてな……!」
爆弾作りが好きで、その爆弾で街のそばに現れた魔神をも倒し、結果、街では暴れん坊と呼ばれた彼女。
でも、一番前向きで一番成長したのもまた彼女。
その問題児だった自分の教え子が今、どこか見知らぬ土地でがんばっている。
そしてその教え子に助けられた少女が今こうして自分の目の前にいる。
運命の巡り合わせのようなものを感じた。
そしてこの少女にいろいろ教えたいとも思った。
「……決めたわ。あなたは私が面倒見ます。いいわね?」
「ええっ……そ、そんな事勝手に決めちゃっていいんですか?」
「いいのよ。実際、毎年誰がどの生徒を教えるのかは私とあと数人の先生で決めているのよ。条件付きの生徒を教えるのは今回が初めてですけどね」
「……条件つき、かぁ」
ルーチェはため息混じりに呟いた。
一度は失格だと思っていたから条件付きでも合格したことはうれしかった。
でも、エドワードの話を聞いているうちに果たして自分に出来るかどうか、だんだん不安になっていくのが分かった。
エドワードはルーチェのそんな心況を察したのか、にこやかに笑った。
「元気を出しなさい。錬金術師になりたいんでしょう? ちょうど私が個人的に管理している空き家があるから、そこに住むといいわ。必要最低限の道具は揃っているから、あとはあなたの頑張り次第よ。これから挽回する機会はいくらでもあるのですから」
「……あたし、自分が錬金術師になりたいのかどうか実はよく分かってないんです。たまたまあたしを助けてくれた人が錬金術師だっただけで…。ただ、誰かが私を頼りにしてくれる。そんな人になりたいんです」
「それでいいのよ」
とだけ言った。
エドワードの断定的な口調に、ルーチェは少しだけ元気が出た。
「あたしやってみます。やるつもりでここまで来たんだもん。このまま引き下がりたくないです」
その台詞を聞いて、エドワードはにっこりと微笑んだ。
「いいわ。それじゃ家に案内するわ。一年近く放置してあったから掃除しないといけないでしょうけど……掃除くらいは自分でやるのよ」
エドワードは自分の後ろをぴったりとついて歩くルーチェが、誰かに似ているような気がしてならなかった。
が、
「掃除は、あまり得意じゃないです……」
というルーチェの台詞を聞いてはっと思い立った。
――そうか…あの子に似ているのね…。
前の住人だったあの子、マルローネに……。
いつしかあたりはすっかり夕闇に閉ざされた。
その中をいく石畳に長く伸びる影二つ。
明日になれば今日とは違う何かが始まる。