5-2.「甘くてほろ苦い」
私は魔王様の召使である。
いわれる前から気持ちを察して「ツー」ときたら「カー」、「阿」ときたら「吽」と返せるくらいの呼吸を身につけなくてはならない。
それでこそ、魔王様の「唯一の直属」召使の立場として相応しいのではなかろうか。
しかし、今回の件で少し魔王様のお心に近づけた気がする。
更なる精進しよう。
ぐっと拳を握って、心の中で決意表明していると、魔王様が息を深く吸い込む様子が目に入った。
ん?何か魔王様は私に仰りたい事があるらしい。これは、魔王様が朝の発声練習をする予兆。
どうやら、魔王様は私相手に声を張り上げて、気合を入れているようなのだ。
毎日鍛え上げられた喉が発する声は、城内が揺れかねないほど大きく響き渡るのだ。
ああ、素晴らしいとしかいいようがない。
「ドーアーホーーーーーーーーー!! ど低能ーーーーーーーーーーーー!!!」
朝から目が覚める一言を耳元に叩き込まれた。
これでこそ魔王様。
素晴らしい怒声だった。思わず聞きほれそうになる。
こうやって、他の魔族の皆様も叱り飛ばしていらっしゃるのだろう。
朝からご苦労なことだなと思う。
魔王様業もなかなか大変に違いない。
「もういっぺんといわず、百万回ほど考え直して来い!!」
魔王様は私の首根っこを掴みあげた。
私が勝手に制服と決めているメイド服は襟元が高く詰まっている為、つまみあげられると苦しい。
「ま゛お゛う゛ざま゛、じ・・・じに゛ま゛ず・・・」
苦しさの余り、全部が濁音になってしまった。
私は「魔王様、死にます」といいたかった。
そうだ、私は只の一般人。特殊能力もない只人だ。その調子で猫のように首根っこを掴まれていたら、呼吸困難で窒息死しかねない。
ギブアップを主張する為に、右手を床に向けてばんばん叩くジェスチャーをしたら、ぺいっと捨てられた。
ぜーはー。
おお、正常な呼吸の仕方を忘れる所だった。
荒い息を整えるのに私は必死になった。
金魚のようにぱくぱくと口を開閉する私を冷たい目で見下しながら、魔王様は私を踏んづける。
魔王様なのに女王様ちっくとはこれいかに。
これでヒールを履いていたら完璧だ。
でも、痛い。
毎日こんな風にされたら、新しい夜明けを見ることになりそうだ。
痛みに快感を覚えちゃう境地にはまだ行きたくないのだが、魔王様はそれをお望みなのだろうか。
「寧ろ、いっぺん死ぬ目にあってこい。そうしたら、お前も生まれ変わったように明晰な人間になるかもしれんな。何、安心しろ。楽に死なせてはやらん」
「安心できません、勘弁してください!殺すなら、一思いに!というか、魔王様が本気出したら、私、ほんとにしんじゃうんで!」
「たまに、本気で殺したくなるが、5%の情けで許してやる」
「なるほど、殺したいほど愛しているという告白ですね!」
そんな、照れてしまう。私は召使だから、即ち部下。
魔王様は雇い主だから上司。上司と部下の職場恋愛だなんて!
「・・・本気で死んで見るか?」
目が真剣だった。
全く、冗談を解してくれる上司がほしいものだ。
(ユーモアは大事ですよ?)
私はスカートの裾を軽く持ち上げて、足を一歩引き、頭を下げた。
「いえ、私、まだ人生を謳歌したいので遠慮いたします」
「そうか、言動には気をつけろ。お前にいっても無駄かもしれないが。5%の情けで今回も許してやる。ちなみに、5%は今の人間界の一部地域の消費税率だ」
「税金が上がれば、情けも増すんですね!なんて酷い方なんですか、その冷酷さにびりびりと痺れます、うっとり」
税金が上がれば、貧乏人には死活問題に直轄するというのに、私への情けを増して欲しければ税金があがることを祈れだなんて。
なんて冷徹な方なのだろう。
私には考えも付かないことを考えるものだ。
「いいか、本当によく考えろ?お前のことは、割と気に入っているから今のところ殺すのは勘弁してやりたいが、うっかり手が滑るおそれがある」
「やっぱり告白ですか?」
「とりあえず、お前は後で"私は虫けらです。私はどあほです。私はど低能です。社会の底辺です"と1000回書き取りして来い。話はそれからだ」
「今日の仕事はそれですね。わかりました。腕が疲れますけど、その疲れもまた魔王様の下した命令のせいだと思うと、もしかすると喜びに変わるかもしれません」
「かえれ」
わかりました、早く仕事に戻れということですね。
今日はいつもの仕事以外にかきとりが増えたから、少しだけ面倒だが、私は魔王様の召使。言われるままにするだけである。
首をたれて了承の意を示し、
「わかりました。承ります。では、魔王様もお仕事がんばってくださいませ」
何かものをいいたげに魔王様は口を開いたが、結局諦めたように一度口を閉じて、それから
「いってくる。今日は枕が3cmほどずれていて寝にくかったから、直しておけ」と私に言いつけた。
そんな、窓の桟に埃がついてましてよ、と指でなぞってこれ見よがしに主張する姑じゃないんだから。
細かいにも程がある、と内心突っ込みを入れつつも私がこくりと大人しく頷くと、魔王様は執務室へと向かうと告げた。
魔王様はこの部屋の扉を抜ける前に、一瞬だけ足を止め振り返った。
「俺はノーパンではない」
最後に、ぎろりと私を睨みつけるのを忘れなかった。
どうやら不本意だったらしい。
魔王様は気さくなようでいて、なかなかに気難しい方であらせられるようだ。