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甲論乙駁

 ※本作に登場する小説投稿サイトやユーザーはすべて架空のものです。特定のサイト(もちろん当サイトのことではありません!)や、実在する人物・団体等とは一切関係ありません。安心して沼の底を覗いてみてください。

 -----------------------


「山田」というユーザーネームを、私は以前から知っていた。


 この小説投稿サイトの片隅で、彼が細々と連載していた小説は、お世辞にも面白いとは言えなかった。不器用な心理描写、どこかで見たような退屈な展開。正直なところ、「才能がない人間が書く典型」だと思っていた。


 ところが、その日彼が投稿したものは、小説ではなかった。


「なんだこれ……」

 急にジャンル違いで放り込まれた挑戦的な文学論。私は暇つぶし半分の冷やかしでページを開き――気づけば、画面に釘付けになっていた。


 * * *


 ■ 投稿者:山田

 2026/06/17 21:05

 <執筆の狙い>

 文学なんて意味がないと思い、エッセイを書き上げた。

 理解してもらいたい、推敲してほしい、というよりも、皆さんの感想が聞きたくて投稿した。


『私の文学論』


 これは物語ではありません。物語なんて糞食らえだって思っていますね。いったい何のために物語が必要なんですか? 巧妙な設定、スリルのある描写、人間観察、心理分析、プロット、美しい風景に情景描写、名文!

 そんなものは、実のところみんな小汚いんですよ! そういう汚物を、私たちはまあ、せっせと洗練させてきたというわけですよ。

 創作的な営みなんて無意味で野蛮です。創作に意味や役割なんてあるんでしょうか? まず、諷刺小説というものがあります。遠回しな諷刺を通じて社会を撃つ。嫌味なもんです。それに、だいたい諷刺小説なんてものを有難がるのは、端からその思想に賛同してる人間だけですよ。諷刺された当人たちは見向きもしませんからね。そういう目的なら、主張の骨子だけをまとめたパンフレットでも配り歩いていたほうがよっぽど効率がいい。ええ、そういう目的ならね。「医療における倫理的問題の極点を丹念に見つめた小説」なんて書いている暇があれば、医療における倫理的問題の極点を、もっとご自身で丹念に見つめてやればいいんですよ。そう。それならあなたは活動家だの運動家だのにおなりになったほうがよろしい。

 次に、小説の意義はその芸術性だ、なんて嘯く輩がいますよね。しかし……たとえば、ある女が、ひとつの美しい感情を抱いていたとします。それなら、その感情はもう芸術的なんですよ。いいですか、もうその時点でですよ!……でも、その先、もし彼女がそれを三年とか五年とかかけて、ひとつの「作品」として形象化しようとしたら?……その三年や五年は、対照的にひどく醜悪な年月だと思いますね! その心境を作品なんかに仕立て上げてどうする? 共感してもらいたい?

 とりわけ「『孤独』をテーマにした作品」なんていうのは、私には、もはや「球の形をした直方体」みたいに聞こえてしまいますね。

 ご存じでしょうか? 誠実さ、孤独、悲哀、愛、不幸……などといった感情が、「誠実さ」、「孤独」、「悲哀」、「愛」、「不幸」……のことではないということを? もしあなたが誠実で、孤独で、悲哀やら愛やら不幸やらを軽視することがないというのなら、あなたはもうその三年とか五年を、ほんとうに無駄にすることなく、誠実に、孤独に、悲哀や愛や不幸という問題を決して薄めることなく、費やすべきなんですよ!

 それから、創作における、名誉欲や虚栄心の満足よりもさらにタチの悪いものを、ご存じですか? それは共感を求めるという姿勢です。共感よりも、反感や違和感を求めるべきです。共感してもらいたいという人間はいつでも小賢しい技巧に走ろうとします。愛されようと「差別化」を図ったり、あるいは伝統芸能的な「様式美」を求めたりして。そのどちらも、本来のあなたとはかけ離れたものではありませんか!

 お分かりいただけましたか? どんなに美しい文学も、それが書かれたというその一点において、すでにひどく醜いんですよ。

 文学は愛されるべきものではなく、むしろ愛すべきものなんですよ。自己の人生にどこまでも誠実たらんとしたジッド、沈黙の力学を極めたヘミングウェイ、「洒脱」の虚無を逆説で暴いた村上春樹、信仰という病に愚直なまでに殉じた遠藤周作、そして、もはや理屈を超絶した狂気的な明るさを放つ中原中也……。

 なぜ、彼らがそんなものを書き遺したのか? そんな事情、知る必要など微塵もないのですよ。少なくとも、我々がもっぱら読者であるかぎりはね。


 ――以上が私の読書論です。私は作家ではないので、ずいぶん慎みのない語り口になってしまいましたね。


 * * *


 あの退屈な小説を書いていた山田が、こんなむき出しの牙を隠し持っていたとは。

乱暴だが、妙な熱量と説得力がある。私は思わず、ブラウザの更新ボタンを押した。


 すると、信じられないことに、投稿からわずかな時間で長文の「批評コメント」がついているではないか。しかも、コメント主の名前を見て、私の胸の奥がちくりと疼いた。


「森川洋一……?」

 このサイトでやたらと人気のある、そこそこ名の知れたセミプロ作家だ。私自身は彼の書く、万人受けを狙ったお行儀の良い小説には全く関心が湧かない。ただ熱狂的なファンを抱えて、いつもランキングの上位に居座っているのが、正直面白くないだけだ。そんなすました彼が、なぜ山田のこんな喧嘩腰のエッセイに?


 ■ 返信者:森川洋一

 2026/06/17 22:30

『私の創作論』

 大変興味深く拝読しました。私にも、文学というものに対して、あなたのように潔癖で、それゆえに青渋い怒りを抱いていた時期がありましたから、かつての自分を見るようで、微笑ましく思いながら読ませていただきました。


 ですが、あえて厳しいことを言わせていただきます。あなたの論理は、あまりにも「人間」という生き物の弱さと複雑さを無視した、安全圏からの潔癖症にすぎません。

 あなたは「美しい感情は抱いたその瞬間に芸術だ」「作品化するのは醜悪だ」と仰る。それはその通りでしょう。しかし、その純度を保ったまま、誰とも分かち合わずに一人で抱え込み、生きていける人間などどれほどいるでしょうか。


 人は正しい主張や骨子だけでは救われませんし、形のない美しい感情は、時間とともに自分の中で必ず色褪せ、零れ落ちていきます。それに耐えられないからこそ、私たちは物語という「遠回りな嘘」を必要とし、不自由な言葉の型に感情を流し込もうと足掻くのです。


 その三年や五年を、あなたは「醜悪で無駄なもの」と切り捨てましたね。外から評論するだけのあなたにはそう見えるのでしょう。けれど、泥をすすってでも不完全な形にする覚悟を決めた『創る側』の人間からすれば、それは感情を薄めているのではなく、「どうか消えないでくれ」と祈りながら、必死に防腐処理を施しているようなものなのです。


「共感」を求める姿勢を小賢しいと断じるのも同じです。自分の内側にある名状しがたい孤独や悲哀を他者に伝えようとするのは、「私はここでこんなに苦しい、あなたはどうですか?」という切実なSOSです。技巧や差別化は、そのボトルメールが波間に沈まないように遠くへ飛ばすための、ひどく人間臭い工夫に他なりません。


 波風の立つ海に自ら飛び込もうとせず、岸辺で腕を組んでいる方には、単なる虚栄心のお遊戯にしか見えないのでしょうね。それは仕方のないことです。


 どんな美しい文学も、書かれた時点で不格好な「汚物」の寄せ集めになる。それは事実でしょう。ですが、自らの純粋さと醜悪さの狭間でもがき苦しんだ傷跡こそが、あなたが愛すべきだと仰った文学の正体なのだと、私は信じています。


 ――以上が、未熟ながらも「創る側」に立つ者としての私の創作論です。あなたのその研ぎ澄まされた、しかし頭でっかちなルサンチマンに触れ、私はすっかり忘れていた初心を思い出し、少しだけ、また明日も文字を書いてみようと思えました。ありがとうございます。


 これからもどうか、その安全で清潔な特等席から、私たちの泥臭く醜い営みを高尚な理屈で監視し続けてくださいね。


 * * *


 森川の返信は、表面上こそ彼の書く小説のように丁寧だった。だが、その実態は「若者の青臭い怒りなどすべてお見通しだ」と言わんばかりの、一段高いところから説教を垂れるような強烈なマウントだった。普段の「お行儀の良い」作風の裏に隠し持っていた、この嫌らしいまでの傲慢さが、私にはどうにも鼻につく。


 しかし、相手はあの山田だ。

あんな頭ごなしに否定されて、黙って引き下がるはずがない。


 一時間ほどして、再びページを開いた私は、山田から森川へ叩きつけられた返信を見て、思わず息を呑んだ。山田は人気作家からの容赦ない否定に怯むどころか、むしろ嬉々として噛みついていたのだ。しかも、森川が直接口にしていない「お前の理屈もブーメランだ」という批判まで勝手に想定し、一人で勝手にキレて打ち返すという、凄まじい独り相撲を展開している。


 だが、その狂犬じみた熱量から目が離せない。理路整然と上から殴りつけてきた森川に対し、山田は真っ向から泥を投げ返す気らしい。


 ■ 返信者:山田

 2026/06/17 23:45

『私の文学論・補遺』

 おや、驚きましたよ。まさかこんな長文の返信が来るとは思っていませんでした。しかもご丁寧に、セミプロの作家先生からとはね。私の論を「安全圏からの潔癖症」だの「頭でっかちなルサンチマン」だのと、いかにも物書きが好みそうな、綺麗なリボンで包装された自己弁護ですね! 実に「感動的」だ!

「お前のその長々とした理屈だって十分に小賢しいじゃないか。立派なブーメランだ」って?……ええ、分かっていますよ。ですがね、私のこの文章は断じて「文学作品」なんかじゃありませんからね!

 これはただの排泄物、むき出しの論理の暴力です。私は自分の言葉を、お洒落なガラス瓶になんて詰めるつもりは毛頭ありませんから!

 ……なんですって? そんなことは一言も仰っていない? ああ、そうですか。まあ、そんなことはどうでもいいんですよ。いいですか、もう少しだけ書かせてください!

 あなたは「人間という生き物の弱さ」だの「SOSのボトルメール」だのと言いましたね。実にもっともらしい。でもね、よく考えてもみてください。本当に暗い海で溺れて死にかけている人間が、波間で必死にもがきながら、「いつか拾ってくれる人が読みやすいように」だなんて、便箋の端をきれいに揃えたり、洒落たフォントを選んだりしますか?

 ボトルの表面をキュッキュと磨いて、美しい装飾を施してから海に投げ入れますか? 絶対にしないでしょう!

 本当に孤独で息も絶え絶えなら、その辺の流木に血文字でも殴り書いて投げるはずなんですよ!

 それを三年も五年もかけて「防腐処理」を施している時点で、あなたはもうとっくに溺れてなんかいないんですよ。安全な陸地に上がって、ストーブに当たりながら、「いやあ、あの時の私の溺れ方はなかなか悲劇的で美しかったな」と思い返して、偽物の海水をせっせと瓶に詰めているだけじゃありませんか!

 あなたが愛おしいと呼んだ「もがき苦しんだ傷跡」というやつ。それすらも、読者に見せるために綿密に計算して彫られた、タトゥーみたいなものですよ。

 本当の感情というものはね、蝶の羽ばたきのようなものです。生きて、不規則に動いているからこそ美しい。それを網で捕まえて、毒薬で殺して、ピンでコルクボードに真っ直ぐ突き刺して、「ほら、この羽の模様が美しいでしょう。永遠に色褪せませんよ」と展示するのが、あなたの言う「作品化」です。

 なるほど、標本にされた蝶はたしかに綺麗かもしれない。防腐処理も完璧でしょう。でもね、それはもう断じて「生きた感情」ではないんですよ! ただの精巧な死骸です!

 防腐処理という名の、残酷な殺戮行為なんですよ!

 だから私は、創作という営みを野蛮だと言っているんです。あなたはご自分の手を汚して、生きた感情を殺して剥製を作っているという事実に、あまりにも無自覚すぎる。

 ……まあ、いいでしょう。それでも明日も文字を書くというのなら、せいぜい立派な剥製をこしらえてください。私はそれを、せいぜい安全なガラス張りの外から、冷笑しながら見物させてもらうことにしますよ。


 * * *


 私は思わず画面の前で吹き出してしまった。文学的な技巧や美辞麗句をこれでもかとこき下ろしておきながら、いざ反論となると、絶妙にテンプレ的で「カッコいい」比喩表現をドヤ顔で繰り出してくる山田の矛盾が、たまらなく滑稽だったからだ。

 しかし同時に、私の中にあった森川へのうだつの上がらないひがみ根性が、その青臭くも暴虐な言葉によって痛快に代弁されているのも事実で、私は野次馬としての危うい興奮を覚え始めていた。

 翌日、森川から寄せられた返信は、私の予想を少しだけ裏切るものだった。彼はあくまで紳士的な態度を崩さないまま、しかし山田の矛盾をチクリと刺し、あろうことか「優しき理解者」の顔をして彼の「内面」へと踏み込んでいったのだ。


 * * *


 ■ 返信者:森川洋一

 2026/06/18 09:15

『私の創作論・再答』

 ふふ、まさかこれほど熱烈な――言葉を選ばずに言えば、これほど感情的で取り乱したご返信をいただけるとは。

 ただ、ご自身の「文学嫌い」を熱弁されるその論拠が、よもやこれほどまでに美しく、見事な文学的レトリックによって装飾されるとは思いませんでした。不謹慎ながら、あなたのそのひどく人間臭い――ご自身では気づいておられないのでしょうが、滑稽なほどに愛らしい矛盾に、思わず声を上げて笑ってしまったことをお許しくださいね。決して馬鹿にしているわけではありません。むしろ、その不器用な純粋さを微笑ましく思っているのですよ。

 では、せっかくですので、あえてあなたのその秀抜な比喩表現に相乗りする形で、もう少しだけお付き合いさせていただきましょう。

 なるほど、溺れる人間の切実さと、蝶の標本の例えですね。おっしゃる通り、本当に海で溺れている最中の人間は、手紙を推敲したりはしません。創作に数年の歳月をかける書き手が、すでに陸に上がって安全を確保した人間であるというご指摘は、論理的な事実です。

 しかし、陸に上がった人間がその記憶を語ることは、本当に「偽物の海水を配るような詐欺行為」でしょうか。溺れた者がその恐怖や海の深さを、いまだ海を知らない人々、あるいは今まさにどこかで溺れかけている人々に正確に伝えるためには、客観的な推敲という「加工」がどうしても必要になります。血文字の殴り書きは、その瞬間の切実さこそ伝わっても、なぜ溺れたのか、海の底はどうなっていたのかという構造までは伝えられないからです。

 また、感情を言語化する行為が、生きた蝶を殺して標本にするようなものだというご指摘も、ある意味で的を射ています。言葉という型に押し込めた瞬間、生の感情の躍動は固定され、ある側面では確実に死を迎えます。

 ですが、私たちは他者の心の中を直接覗き込むことができない生き物です。言葉という固定された「標本」の形に変換しなければ、複雑な感情を他者の心へ届けることはできません。けれど、書き手が身を削って遺した精巧な標本を見つめるとき、読者は自分の胸の中で、自分だけの蝶をもう一度羽ばたかせることができる。それこそが、言葉という不自由な器が起こせる、唯一の奇跡なのだと私は信じています。

 ……もっとも、自ら筆を執って他者の無理解という暴力に向き合うことを放棄し、絶対的な正解に閉じこもっている方には、ただの「精巧な死骸」にしか見えないのでしょうね。それもまた、一つの悲しい真実です。

 それにしても、一つ不思議でならないことがあります。論理の応酬から外れて、こうして個人的な質問に向かうことはあなたの意図するところではないかもしれませんが、どうしてあなたは、それほどまでに文学を嫌っておいでなのでしょうか。

 あなたの論理は精緻で、誰よりも文学の限界と残酷さを正確に把握されています。そして、「言葉にされる前の生きた感情」の美しさを誰よりも尊ばれている。

 私には、あなたが文学を心底軽蔑しているというよりも、かつて文学に対してあまりにも純粋な期待を抱き、その理想の高さゆえに深く傷ついた、ひどく繊細な方のように思えてなりません。あるいは、ご自身の内に、どうしても標本になどしたくない、ピンで刺すことなど到底許されないほど美しい「生きた蝶」を、今も大事に、誰にも見せないようにひっそりと飼っておられるのではないですか?

 私なら、その蝶がいかに尊くとも、己の手を汚して言葉というピンで留め、愚かだと石を投げられてでも世界に問う覚悟を選びます。ですが……あなたのように、他者の評価という波風に晒されてご自身の脆い自我が傷つくことを極端に恐れ、安全な無意識の籠の中でただ「私だけの美しい蝶」を誰にも見せずに愛でて一生を終えるのも、確かに賢明で、自己防衛に徹した優しい生き方だと思います。人は皆、戦えるほど強くはないのですから。

 ……おっと、少し推察が過ぎましたね。図星を突いて、またあなたを不必要に刺激してしまったなら謝罪します。ただ、そうやって傷つきまいと必死に牙を剥き、放たれるむき出しの論理の暴力は、私にはどんな着飾った小説よりも、よほど「文学的」で、そして痛々しいほど愛おしいものに思えるのですよ。どうか、そのままの純粋なあなたでいてください。

 * * *


 賢い返しだ。論理的に反駁しつつ、平易な言葉遣いで相手の根本的な動機に先回りしてメスを入れる。森川の「かつて文学に純粋な期待を抱き、絶望したのではないか」という推察は、私の目から見ても完璧な分析に思えた。

 だが同時に、この「傷ついた君を理解してあげる優しい僕」「君とは違って矢面に立つ覚悟がある僕」という、どこまでも上から目線のスタンスこそが、森川の小説から常に漂ってくる鼻持ちならなさの正体でもあった。


 これにはさすがの山田も、図星を突かれてぐうの音も出ないのではないか? いや、違った。私は山田という男をまだ甘く見ていたのだ。


 それから二時間ほど経った昼前。山田が叩きつけた返信を読んだ瞬間、私は思わず「よく言った!」と声に出して笑ってしまった。彼は森川の的を射た分析に対し、わざと支離滅裂にキレ散らかし、最大限の皮肉と個人的な嘲笑をもって対話を終わらせるという暴挙に出たのだ。


 しかもそれは、私が森川に対して日頃から抱きつつも、惨めすぎて口に出せずにいた黒い本音を、一字一句違わず(しかも何倍も下品に)ブチまけてくれたかのようだった。

 * * *


 ■ 返信者:山田

 2026/06/18 11:30

『私の文学論・終局』

 ハッ! 推察が過ぎますって? ええ、まったくもってその通り! 的外れすぎて反吐が出ますね!

 純粋な期待? 絶望? 私自身が心の中に美しい蝶を飼っている? ……あははは!

 いやはや、三流のフロイト気取りですか! どうして物書きという人種は、すぐにそうやって相手の裏側に「泣いているインナーチャイルド」みたいな安っぽい物語を捏造したがるんでしょうね!

 自分が「傷ついた心を理解できる優しい観察者」だとでも言いたげなその態度、鼻持ちならないにも程がある!

 実はね、あまりにもあなたがご立派な口を利くものだから、あなたのアカウントページに飛んで、その高尚な「作品」とやらをいくつか、反吐をこらえる用意をしてから拝見しましたよ。いやはや、最初の数ページを読んだだけで腰を抜かしました!

 取るに足らない、そこらのゴミ溜めにだって転がっていないような、見事なまでの三文小説じゃないですか!

 あれがあなたの仰る『防腐処理』ですか? だとしたら防腐剤の代わりに安い人工甘味料でもぶち撒けたんでしょうね! 甘ったるいお涙頂戴の腐臭が漂っていて、思わず吐き気を催しましたよ!あんなもの、そもそも防腐処理にも値するものじゃない。

 あなたにヘミングウェイやジッドを語る資格など一ミリもないということ、今、非常に深く腑に落ちましたね! 彼らが文字の裏に隠した偉大なる寡黙さの欠片もなく、ただただ自己愛にまみれた醜い剥製を薄笑いで陳列しているだけじゃないですか!

「唯一の奇跡」? 「賢明で自己防衛に徹した優しい生き方」? 笑わせないでいただきたい!

 あなた自身の空っぽな内面と、安全地帯から他者を分析して悦に入る醜悪な自己愛を正当化するために、そんなもっともらしい言葉を並べ立てるのはやめてください!

 そもそも、標本にするほどの「生きた蝶」すら捕まえたことがないくせに!

 もう結構です! あなたのようなペラペラの三流標本職人とこれ以上言葉を交わすなんて、私の人生に対する甚だしい冒涜です! ええ、私は逃げますよ! 対話の放棄です! あなたのその浅薄で偽善的な優しさに当てられて、私の大切な「野蛮」がこれ以上穢される前にね!

 せいぜい、これからも安全な波打ち際で、誰にも届かない綺麗なお手紙を瓶に詰めるお遊戯を続けていなさい。あ、返信は一切無用です!

 どうせまた「それもまた一つの真理ですね」なんてしたり顔で返すんでしょうから。ほんとうに、糞食らえだ! さようなら!


 * * *


 それっきり、山田の更新は途絶えた。

 森川からの返信も、もうない。


「対話の放棄」を高らかに宣言し、相手の作品を三文小説だとこき下ろして逃亡した山田。端から見れば、図星を突かれて発狂した敗北者にしか見えないだろう。


 しかし、このやり取りをきっかけに、サイト内は一気に騒然となった。山田の無礼を叩く森川の盲目的なファンと、日頃から人気作家の座に燻っていた匿名ユーザーたちの嫉妬が入り乱れ、コメント欄の枠を超えて醜い炎上の火の手が広がっていく。


 私はブラウザを閉じ、暗くなった画面に映る自分の顔を見つめた。


 森川の、あのお行儀の良い人気が鼻について、ただひがんでいただけの私だ。山田の容赦ない言葉によって、森川のメッキが剥がれるのをどこかで期待していたはずだった。なのに、今、私の胸を占めているのは、すっきりとしたカタルシスなどではなく、じっとりとした薄寒い悪寒だった。


 画面の向こうで繰り広げられた、あの醜悪で剥き出しの言葉の刺し合い。あれは高みの見物で済ませられる娯楽などではない。森川を妬む私自身も、狂犬のように噛みついた山田も、そしてこの炎上に群がって言葉の暴力を消費している有象無象も、全員が同じ薄暗い沼の底で互いの首を絞め合っているのだ。


 吐き気を覚えながらも、私はまた、淀んだタイムラインを更新する指を止められずにいた。


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 <後記>

「山田」の最初の投稿のみ、2017年ごろの私の当時の小説論を転用しています。

 私(@Yamada_555)は現在でも本作内の「山田」派ですが、

 単に創作が好きなので、自身のポリシーには悖りながら、作品を作っています。

 創作にAIも利用できるようになり、

 「山田」のいう創作コストも下がってきていますしね。


 短編ぐらい書くことは見逃して欲しいところです。

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