婚約破棄を手続きで処理した男の事務官室は、今日も(周りが)騒がしい
「……は?」
俺は素で声が出た。
目の前の書類を、もう一度見る。
いや、三度目だ。
「いやいやいやいや待て待て待て」
紙を叩く。
「これ、何?」
向かいに座る男――アルトは、ペンを走らせたまま答えた。
「処分案だが」
「見れば分かるわ!!」
机を叩く音が、やけに響く。
「いや分からん!!分かりたくない!!」
指で項目をなぞる。
「婚約破棄、正式承認……うん、まあ分かる」
「新規婚姻、成立……ギリ分かる」
「王族権威、維持……分かるかボケ」
アルトは顔も上げない。
「維持されるだろう」
「どの口が言ってんだ」
俺は書類を持ち上げる。
「問題はここからだ!!」
ばしん、と机に叩きつける。
「王子、婿入り」
「妥当だな」
「どこがだよ!!」
即答すんな。
「だってお前」
俺は頭を抱える。
「王太子だぞ?」
「元だ」
「うるせぇ!!」
訂正が早い。
「いやいやいや、王子だぞ?王族だぞ?なんで婿入り?」
アルトはさらっと言う。
「王宮に入れられないだろう」
「……あー」
一瞬、納得しかける。
「いや納得するな俺!!」
危ない。
流されるところだった。
「じゃあ次!!」
指を滑らせる。
「賠償、王子個人資産より」
「当然だろう」
「いやそれは分かる!!」
ここは分かる!!
「むしろここだけまとも!!」
アルトは軽く頷いた。
「そうだな」
「認めるな!!」
そして。
問題の行に、指が止まる。
「……で」
ゆっくりと顔を上げる。
「これ」
アルトはペンを置いた。
「どれだ」
「全部だよ!!」
いや違う。
一番やばいやつだ。
指先が、震える。
「血統管理措置」
沈黙。
「いや待て」
俺は一度目を閉じる。
深呼吸。
もう一回見る。
「血統管理措置」
書いてある。
しっかり書いてある。
「……言い換えてくれ」
アルトは首を傾げた。
「言い換え?」
「やんわりとだ!!」
「去勢だが」
「直球!!」
やめろ!!
頭を抱える。
「お前なぁ……」
ちらっと周囲を見る。
誰もいない。よし。
小声で言う。
「これ通ると思ってんのか」
アルトは少しだけ考えてから言った。
「通る」
「なんでだよ!!」
「必要だからだ」
即答だった。
「いやいやいやいや」
俺は手を振る。
「必要って何だよ必要って!!」
「王家の血をばらまくわけにはいかない」
「それはそうだが!!」
理解できるのが悔しい。
「だからってそれ!!」
アルトは淡々と続ける。
「婿入りさせる以上、別家の血になる」
「うん」
「だが王家の血は残る」
「うん?」
「管理しなければ、将来の火種になる」
「……あー」
一瞬、納得する。
「いや納得するな俺!!」
二回目だぞ。
「ちょっと待て」
机に手をつく。
「つまり何だ」
整理する。
「婚約破棄は認める」
「認める」
「結婚も認める」
「認める」
「でも王宮には入れない」
「入れない」
「だから婿入り」
「そうだ」
「で、賠償させる」
「当然だ」
「で、血は管理する」
「必要だ」
沈黙。
「……全部やってるな?」
アルトは頷いた。
「全部やっている」
「だよなぁ!!」
そうなるよなぁ!!
俺は椅子に沈み込む。
「お前さ」
天井を見る。
「これ、一晩でやったのか」
「まだ途中だ」
「まだあるの!?」
やめろ。
これ以上増やすな。
アルトはさらっと言う。
「細部の調整が残っている」
「細部とは」
「貴族院への根回し」
「細部じゃねぇよ!!」
メインだよ!!
「あと」
アルトが紙をめくる。
嫌な予感しかしない。
「関連法令の解釈調整」
「待て」
止める。
「それどういう意味だ」
「法律的に通る形にする」
「今通ってないの!?」
「解釈次第だな」
「怖ぇよ!!」
俺は顔を覆う。
「お前さぁ……」
指の隙間からアルトを見る。
「何と戦ってんの?」
アルトは首を傾げた。
「戦ってはいないが」
「戦ってるだろこれ」
国家レベルで。
アルトは淡々と答える。
「破綻しない形にしているだけだ」
「その“だけ”が重いんだよ!!」
沈黙。
しばらくして、俺は小さく聞いた。
「……で」
アルトを見る。
「これ、通るのか?」
アルトはペンを持ち直した。
「通す」
「通すの!?」
未来形じゃねぇか。
「いや待て」
手を上げる。
「誰が通すんだよこれ」
アルトは一瞬だけ考えて、
「皆が納得する形にする」
と答えた。
「ふわっとしてんな!!」
具体性!!
「納得するわけねぇだろ!!」
俺は叫ぶ。
「王子だぞ!?王族だぞ!?」
アルトは静かに言った。
「だから納得させる」
「どうやって!?」
一瞬の間。
アルトが、さらっと言う。
「納得せざるを得ない形にする」
沈黙。
「……怖ぇよ」
本音が漏れる。
俺は椅子から立ち上がる。
「帰る」
「まだ仕事があるだろう」
「知らん!!」
限界だ。
扉に手をかける。
そのまま振り返る。
「……お前」
アルトを見る。
「今日帰れると思ってんのか」
アルトは少しだけ考えて、
「難しいな」
「だろうな!!」
俺はため息をつく。
「……飯、いるか」
アルトは手を止めずに言う。
「助かる」
「だろうな!!」
扉を開ける。
外の空気がうまい。
「……あーあ」
ぼやく。
「また徹夜かよ」
振り返ると、あいつはもう次の書類に取りかかっていた。
迷いがない。
止まらない。
「……ほんとに何なんだよあいつ」
小さく笑う。
呆れ半分、感心半分。
「国一つ、紙で回しやがって」
その夜。
王宮の灯りは、なかなか消えなかった。
たぶん。
一番遅くまで残っていたのは、あいつだ。
そしてきっと――
明日もだ。
「……嫁さんに怒られろ」
ぽつりと呟いて、俺は歩き出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
翌日。
俺は確信していた。
「今日は荒れる」
理由は簡単だ。
昨日のあれだ。
あ れ だ。
執務室の扉を開ける。
「おは――」
言いかけて、止まる。
静かだ。
妙に静かだ。
嫌な予感しかしない。
席に着く。
机の上に書類が置いてある。
見覚えのあるフォーマット。
見覚えのある文字。
見覚えしかない内容。
「……え?」
一枚めくる。
「……え?」
もう一枚。
「……え?」
全部読む。
「……終わってる?」
声に出た。
「何がだ」
背後から声。
振り返ると、アルトがいた。
普通にいるな。
なんで普通にいるんだ。
俺は書類を持ち上げる。
「貴族院議会調整済み」
読む。
「各派閥合意形成完了」
読む。
「反対意見、軽微」
読む。
「……終わってる?」
二回目。
アルトは椅子に座る。
「終わった」
「終わるな!!」
即ツッコミ。
「いやいやいやいや待て待て」
机を叩く。
「昨日だぞ!?」
「昨日だ」
「一晩だぞ!?」
「一晩だな」
「なんで終わってんだよ!!」
アルトは淡々と答える。
「必要だったからだ」
「それ昨日も聞いたわ!!」
万能ワードやめろ。
「いや無理だろ!!」
指を突きつける。
「貴族院だぞ!?」
「そうだな」
「合意形成だぞ!?」
「そうだな」
「なんで一晩で終わるんだよ!!」
アルトは少しだけ考えて、
「論点を整理した」
「雑!!」
もっとあるだろ!!
「いやいやいや」
俺は頭を抱える。
「反対は?」
「あった」
「だろうな!!」
安心した。
「どうした」
アルトはさらっと言う。
「潰した」
「言い方!!」
せめて丸めたとか!!
「いや待て」
指を震わせる。
「どうやってだよ」
アルトは書類を指差す。
「全員が得をする形にした」
「そんな都合いいか!!」
「いや無理だろ!!」
「可能だ」
「可能にするな!!」
俺は椅子に沈む。
「……で」
嫌な予感しかしないが聞く。
「王への報告は」
アルトは答えた。
「済んでいる」
「は?」
理解が追いつかない。
「いつ?」
「今朝」
「今朝!?」
早ぇよ!!
「ちょっと待て」
立ち上がる。
「俺今来たとこだぞ!?」
「そうだな」
「なんでお前終わってんだよ!!」
アルトはさらっと言う。
「朝が早いだけだ」
「早すぎるだろ!!」
夜だろもうそれ!!
「で」
俺は恐る恐る聞く。
「陛下は何て?」
アルトは一言。
「承認された」
「軽っ!!」
もっとこう、あるだろ!!
「いやいやいや」
机を叩く。
「内容分かってるよな!?」
「分かっているだろう」
「だよなぁ!!」
怖ぇよ!!
俺は天井を仰ぐ。
「……終わったのか」
ぼそりと呟く。
「終わったな」
アルトが言う。
沈黙。
三秒。
五秒。
「じゃあ帰れよ!!」
全力ツッコミ。
アルトは首を傾げる。
「まだ仕事がある」
「何がだよ!!」
机を指差す。
「全部終わってんだろ!!」
アルトは一枚の紙を取り出した。
「これがある」
受け取る。
読む。
「……は?」
もう一度読む。
「定時退庁権 付与」
沈黙。
「何これ」
アルトが答える。
「許可だ」
「見れば分かるわ!!」
「いや待て」
整理する。
「定時で帰っていいってことか」
「そうだ」
「誰が出した」
「陛下だ」
「なんで!?」
そこだろ!!
アルトは少し考えてから言う。
「帰れと言われた」
「帰れよ!!」
なんでいるんだ!!
「いやいやいや」
紙を振る。
「これもらってるやつがなんでここにいる!?」
アルトは普通に言う。
「終わっていないからだ」
「何が!!」
もうないだろ!!
アルトは机を指差す。
「次の案件だ」
見る。
山。
書類の山。
さっきまでなかった山。
「増えてる!!」
誰だよ置いたの!!
アルトはペンを取る。
「対応する」
「するな!!」
帰れ!!
「いやいやいや」
頭を抱える。
「お前さぁ……」
呆れる。
本気で呆れる。
「定時退庁権って知ってる?」
アルトは答える。
「定時で退庁してもよい権利だ」
「そうだよ!!」
完璧だよ!!
「なんで使わないの!?」
核心。
アルトは少し考えて、
「まだ必要だからだ」
と答えた。
沈黙。
「……あー」
理解してしまう。
してしまった。
「お前」
指を向ける。
「それ“権利”じゃなくて“飾り”にしてるだろ」
アルトは首を傾げた。
「そうか?」
「そうだよ!!」
俺はため息をつく。
深く。
長く。
「……飯、いるか」
アルトは即答した。
「助かる」
「だろうな!!」
踵を返す。
扉に向かう。
「……あのさ」
振り返る。
アルトを見る。
「今日こそ帰れよ」
アルトは一瞬だけ考えて、
「努力する」
と答えた。
「信用できねぇ!!」
即答。
扉を開ける。
外に出る。
「……なんであいつ、あれで家庭あるんだよ」
ぽつりと呟く。
少しだけ考えて、
首を振る。
「いや、嫁さんも大概か」
王宮の灯りは、今日も消えない。
◇◆◇◆◇◆◇◆
昼。
珍しく、事務官連中が揃っていた。
理由は一つ。
「……で、結局さ」
俺が口火を切る。
「アルトの嫁、何者なんだ?」
沈黙。
全員、手が止まる。
そして――
「「「「「知らん」」」」」
全員一致。
「おかしいだろ!!」
机を叩く。
「なんで誰も知らねぇんだよ!!」
「いやだって」
隣のやつが言う。
「あいつ、全然話さないし」
「話しても“帰りが遅いと怒られる”しか言わない」
「情報量ゼロなんだよな」
「でもさ」
別のやつが口を挟む。
「普通じゃないよな?」
全員、頷く。
「だってあいつだぞ?」
「一晩で国家案件まとめるやつだぞ?」
「貴族院潰すやつだぞ?」
「陛下に“承認した”って言われるやつだぞ?」
「それが帰り遅いと怒られるって」
一拍。
「嫁、何者だよ」
沈黙。
そして――
「……恐妻家」
誰かが言った。
■① 鬼のような恐妻説
「間違いない」
すぐ同意が飛ぶ。
「帰るの遅いと正座させられるやつ」
「飯抜き」
「無言の圧がやばい」
「視線で殺すタイプ」
「いやでも」
俺が言う。
「それならあいつ、もっと帰ろうとするだろ」
沈黙。
「……たしかに」
一斉に頷く。
「じゃあ違うな」
即否定。
■② 聖女系・シスター説
別のやつが言う。
「むしろ逆じゃないか?」
「逆?」
「めちゃくちゃ優しいタイプ」
「教会のシスターみたいな」
「静かで穏やかで、怒らないけど」
「“待ってますね”って言われるやつ」
全員、固まる。
「……それ一番きついやつだ」
誰かが呟く。
「帰らなきゃってなるやつだ」
「罪悪感で死ぬやつだ」
「だからあいつ帰らないのか?」
「いやそれ逆だろ!!」
俺がツッコむ。
■③ 元貴族令嬢・超常識人説
「いや、元貴族じゃないか?」
別のやつ。
「ほう」
「完璧な礼儀」
「完璧な家事」
「完璧な理解力」
「“あなたの仕事は大事ですから”って言うけど」
「全部分かってるやつ」
「怖ぇな」
「怖ぇな」
「でもそれなら」
俺が言う。
「もっと管理されてるだろ」
「たしかに」
■④ 裏社会の女ボス説
「いやいや」
奥から声。
「逆だ」
「裏社会だ」
「は?」
「情報屋とか、元諜報とか」
「全部裏で回してるやつ」
「アルトがああなのは、嫁がやばいから」
「実は全部指示されてる」
沈黙。
「……それありそうなのやめろ」
誰かが言う。
■⑤ 魔術師・占い師説
「いや、もういっそ」
別のやつが手を上げる。
「未来見えてる」
「は?」
「占い師とか魔術師」
「“今日これ起きるからこうして”って」
「だからあいつ迷わないのか?」
「説明つくな」
「つくな」
「つくなじゃねぇよ!!」
俺が叩く。
■⑥ 普通に優しい人説(最弱)
「いや普通にさ」
小さい声。
「普通の人なんじゃないか?」
沈黙。
全員がそいつを見る。
「……お前、それ本気で言ってる?」
「え?」
「アルトの嫁だぞ?」
一斉に言う。
「普通なわけねぇだろ」
満場一致。
「ですよねー」
沈黙。
「……で、どれだ」
誰かが言う。
「「「「分からん」」」」
その時。
「何の話だ」
背後から声。
全員、固まる。
ゆっくり振り返る。
いた。
アルトだ。
「いやその」
俺が代表して答える。
「お前の嫁の話」
「そうか」
あっさり。
「何者なんだ?」
直球。
アルトは少し考えて、
「妻だが」
と答えた。
「「「「知ってるわ!!」」」」
全員ツッコミ。
「いやそうじゃなくて!!」
俺が詰める。
「どんな人なんだよ!!」
アルトは普通に言う。
「普通だと思うが」
沈黙。
「信用できるか!!」
全員一致。
「いやほんとに」
俺は指を突きつける。
「帰り遅いと怒られるんだろ?」
アルトは頷く。
「怒られるな」
「どんな風に!?」
アルトは少し考えて、
「ご飯を作って待っているのに遅い、と」
沈黙。
三秒。
五秒。
「「「「帰れ!!!!!」」」」
全員で叫んだ。
「今すぐ帰れ!!」
「定時退庁権使え!!」
「何のためにあるんだそれ!!」
アルトは少し考えて、
「まだ仕事が「帰れ!!」
被せる。
「いやでも「帰れ!!」
「……分かった」
渋々。
立ち上がる。
全員が見送る。
扉の前で止まるアルト。
少し振り返る。
「……普通だと思うが」
「信用できるか!!」
最後のツッコミ。
扉が閉まる。
沈黙。
「……で」
誰かが言う。
「どれだと思う?」
全員、少し考えて。
「……シスター」
「シスターだな」
「間違いない」
「優しくて逃げられないやつ」
「罪悪感で縛るタイプ」
満場一致。
「……シスターだな」
誰も確かめる気はない。
だが全員、納得していた。
その夜。
アルトが帰れたかどうかは――
誰も知らない。
ただ一つ分かっているのは。
「シスターは強い」
それだけだった。
――了。




