王家を真似て婚約者が「真実の愛」を語り出したんですけど
わが国の王太子が婚約を破棄してまで今の王太子妃を選んだのは、もう数年前のことだ。
それ以来、王太子殿下は見違えるように落ち着き、国もさらに安定した。
そのため、いつしか「真実の愛は正しい」と国中で語られるようになっていた。
◆
フォルクナー家は新興貴族であるゆえに、家の立場を固めるためにも福祉に力を入れていた。
私が孤児院へ通っているのも、その慈善活動の一環だった。
もっとも今では、私自身も子どもたちの成長を見るのを楽しみにしている。
けれど婚約者のエドガー・ヴァレントンは、旧貴族であることを鼻にかけ、そうした私をどこか見下していた。
その日も孤児院の帰り、屋敷へ戻る途中だった。
庭園で人目も憚らず寄り添っていたのは、エドガーと、男爵令嬢ミレイユ・デュノワだった。
「今度の夜会のドレスは、あの淡い青にしようかしら。それとも薄桃色のほうがいいかしら」
「薄桃色かな。でも、君ならどれを着ても似合うよ」
「もう、エドガー様ったら――」
楽しげな会話に、私は小さく息を吐いた。
「少しは憚ったらいかがですか」
ぴたり、と二人の動きが止まる。
先に口を開いたのは、エドガーだった。
「君か……。愛し合っているのだから、仕方ないだろう」
「ずいぶん便利な理屈ですね」
「君はすぐそうやって正論を振りかざす。ヴァレントン家の夫人になるのなら、もう少し物の言い方を考えたらどうだ」
ミレイユが、エドガーの腕に手を添えたまま、こちらを見て小さく笑う。
「今は、そういう時代ですわ。王太子殿下だって、真実の愛をお選びになったでしょう?」
「それは、王太子妃殿下が別格だからです」
「……別格?」
「ええ。王家の婚姻と、あなた方のような真似事を一緒になさらないでください」
私がそう言うと、ミレイユはふっと唇を吊り上げた。
「アメリア様にそう言われましても、負け惜しみにしか聞こえませんわ」
「どういう意味ですか?」
「だって、エドガー様のお心は、もうわたくしにありますのよ。そろそろ認めてくださらない?」
私は小さく息を吐いた。
「そうおっしゃるのでしたら、婚約に伴う支援をすべてお返しいただいてからお話しください」
「……そういうところだよ、アメリア」
エドガーは呆れたようにため息をついた。
「君はすぐに支援だの契約だの、そういう話にする。私が言っているのは気持ちのことだ」
「そんな打算を持ち出すから、選ばれないのではなくて?」
二人は向かい合って笑い合う。
――本当に、どうしようもない。
ため息を一つついた、その時だった。
「ああ、そうだ、アメリア」
「……なんでしょう」
「今週末の王太子主催の夜会には、必ず参加するように」
向こうの意図は、だいたい察しがついていた。
けれど私は、あえてその意図に乗ることにした。
「ええ。では、失礼いたします」
一礼して、その場を立ち去った。
◆
王太子主催の春の夜会は、若い貴族同士の親交を深めるために開かれていた。
会場へ足を踏み入れると、エドガーはすでにミレイユの手を取り、堂々と広間に立っていた。
周囲の視線は二人に集まっていた。
「まあ……」
「王太子殿下の夜会で?」
ひそやかなざわめきが広がる中、私は一人で会場を進んだ。
そのまま王太子殿下と王太子妃殿下へご挨拶に伺おうとした、その時だった。
エドガーが一歩前へ出て、よく通る声を張り上げた。
「皆の前で申し上げたいことがあります!」
視線が一斉に集まる。
私は立ち止まり、彼を見た。
「私は、アメリア・フォルクナーとの婚約を破棄します!」
どっと広間が揺れた。
――本当にやるとは。
ただの私宴ではない。王家の目の前で。
それでもエドガーは気分よく続けた。
「私には、真に愛する相手がいます。
家の都合ではなく、自分の心に従いたい」
そこで、ちらりと上座へ視線をやる。
王太子殿下と王太子妃殿下を意識しているのが見え見えだった。
私は小さく息を吐いてから、口を開いた。
「理由は、それだけですか?」
「それだけ、とは何だ」
「真実の愛です。十分な理由でしょう」
その隣で、ミレイユがエドガーへ身を寄せる。
「わたくしたちは、心に嘘をつけなかっただけなのです」
「それはまた、随分と思い切ったことを」
声のした方を見ると、王太子殿下がわずかに眉をひそめていた。
何か言葉を続けようとした、その時だった。
「まあ、素晴らしいですわ」
柔らかな声が、すっと割って入る。
王太子妃殿下だった。
王太子妃殿下は、ゆるやかに視線を私へ向けて微笑む。
「アメリア嬢。あなたはどうなさるの?」
私はスカートの裾をつまみ、一礼した。
「……お受けいたします」
広間がしんと静まる。
次の瞬間、エドガーとミレイユの顔が見る見るうちに明るくなった。
だが、その直後だった。
「では、慰謝料と賠償については、滞りなく用意するように」
そう告げたのは、王太子殿下だった。
「……えっ」
エドガーとミレイユが固まる。
「有責はそちらだ。ならば、支払うべきものを支払うのは当然だろう」
「いや……ですが、これは真実の愛で……」
「だからこそ、ではないか」
王太子殿下は淡々と言う。
「それほど尊いものだと主張するのなら、相応の代償を惜しむべきではあるまい。
金で済むのなら、むしろ安いものだ」
「ええ、本当に」
王太子妃殿下も、にっこりと微笑んだまま頷いた。
「婚約者を捨てて別の方を選ぶというのなら、なおのこと筋は通さなければいけませんわ」
エドガーが顔を強張らせたまま叫ぶ。
「ですが、王太子殿下だって婚約者を退けて今の妃殿下をお選びになったではありませんか!」
ミレイユも、悲痛そうな声を絞り出した。
「そうですわ……! どうしてわたくしたちだけ責められるのです!?
同じように愛を選んだだけでしょう!?」
広間の空気が凍りつく。
しかし王太子妃殿下は、少しも表情を崩さなかった。
「わたくしが殿下に選ばれたのは、王家に迎えられるだけの責任と役割を果たせると判断されたからです」
王太子殿下も、静かに口を開いた。
「何か勘違いしているようだが、あの時も婚約解消は王家と公爵家の間で正式に取り決められたのだ」
ミレイユは言葉を失い、エドガーも青ざめたまま立ち尽くしていた。
「あなた方の気持ちを否定するつもりはありません。ですが、婚約は家同士の契約。何の負担もなく解消できるものではないのです」
王太子妃殿下が軽く視線を送ると、控えていた書記官と侍従がするりと前へ出た。
「記録を」
「はっ」
エドガーがぎょっとする。
「き、記録とは……」
「婚約破棄の宣言と、その理由ですわ。
後で言った言わないになっては困るでしょう?」
エドガーもミレイユも、さっきまでの晴れやかな顔はどこへやら、二人とも蒼白になっていた。
ざわめいていた広間には、今や好奇と失笑が混じっている。
やがて侍従に促され、二人が半ば引き立てられるように下がっていくと、広間はようやく落ち着きを取り戻した。
私はあらためて上座へ進み、深く礼を取る。
「ありがとうございました、王太子殿下、王太子妃殿下」
王太子妃殿下は、扇の陰でふっと笑った。
「わたくしは当然のことを申し上げただけですわ」
王太子殿下は肩をすくめる。
「まさか、本気で真似する者が出るとはな」
「婚約を解いた理由は、あえて伏せておりましたの」
王太子妃殿下は私へと目を向けた。
「相手の名誉に関わりますもの。
……時効ですし、そろそろ公開いたしましょうか?」
「そうだな。ところで、君はアメリア嬢のことを知っていたのか?」
「孤児院で何度かお会いしまして」
「なるほど。だからあの場でも落ち着いていたのか」
王太子妃殿下はグラスを取り、私へ微笑みかけた。
「では、アメリア嬢」
先ほどまでとは違う、あたたかな笑みだった。
「次の門出に向けて、乾杯いたしましょう」
差し出されたグラスを受け取り、私も静かに掲げる。
「――乾杯」
澄んだ音が、小さく重なった。
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