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Ⅵ それでもカランコエは幸せを祈っている

お読みいただきありがとうございます。

 朝の光がいつもより早くまぶたに届くようになった。

 そんな日に外を見ると決まって積もっていた雪が溶け、その下から青々とした草が姿を見せている。

 深く深く降り積もった雪が溶け、川を流れる。

 澄んだ水に淡い桃色の花弁が混じるようになった頃、二人の結婚式も近づいていた。



 エリーゼの体のこともあり、式は身内だけの簡素なものにし、その後友人たちも招いた小さなパーティーを催すこととなっている。

 

 春の陽気な風が、白いウエディングドレスを揺らした。

 ハーゲンは目を細める。


「綺麗だ」

「……っありがとうございます!」


 金の髪はいつも以上に手入れがされ、輝いている。編み込みで後ろでまとめられていて、いくつものパールが散りばめられていた。

 繊細に編まれたヴェールは、彼女の顔を儚くさせている。


「このウエディングドレス、とっても軽いですね……」


 感動したようにドレスを数度撫でる。


「タフタという生地で作ったらしい」

「なるほど……」


 冬の間、エリーゼの父と母主催で検討が重ねられたドレス。

 着心地が良いようで良かった。


 パリッとした硬さがあり、独特の光沢があるドレス。驚くほど軽く、隣国の技術だという。そこにオーガンジーも重ねられていて、動く度にふわふわ揺れている。

 美しい陰影でプリンセスラインのウエディングドレスによく映えていて、さながら妖精のようであった。

 エリーゼがうっとりとした目をハーゲンに向ける。


「ハーゲン様も、とっても素敵です……」

「そうか?」


 白い婚礼衣装に、ハーゲンもまた身を包んでいた。普段暗い色の服ばかり着ているせいか、どうにも落ち着かない。


「こ、こんなに素敵な方がわたしの旦那様だなんて、本当によろしいのでしょうか……幸せです」


 何度も「幸せ者です」と呟くエリーゼ。


「分かったから君は少し落ち着きなさい。ほら、疲れるから椅子に座った方が良い」


 手を繋ぎ、腰を深くかけないように椅子に座らせる。


「えへへ、ありがとうございますハーゲン様」

「まったく……」

 

 呆れ返った所で、エリーゼの両親が入ってきた。

 ヨハナは瞳を潤ませ、既にぐしょぐしょに濡れているハンカチで目元を拭った。べモートはなんのブレもなく今日も微笑んでいるが、目尻が赤いのは隠せていない。


「綺麗、とっても綺麗よエリーゼ」

「あぁ……本当に綺麗だよ」

「ありがとうございます、お父様お母様」


 はにかむ彼女だったが、ふと顔を曇らせた。


「その、お兄様はまだ来れませんか?」

「……エリーゼの病気を報せてから、『すぐに仕事を終わらせて帰って来る』と言っていたけど、船が氷塊で進めなかったりして大変みたいね。今日、来れると良いのだけど……」


 不安そうに顔を曇らせる。

 べモートが片目をつむった。


「なに、ブレンなら必ず来るさ。あいつもエリーが大好きだからね」

「それもそうね。ふふっ、昔からエリーゼが体調崩すと『俺も部屋で看病するー!』って叫んでいたもの」


 二人に釣られてエリーゼも笑う。

 その笑顔を見届けてから、二人は式場に行くと言って去っていった。


 むん、と気合いを入れる。


「そうですね。心配ばかりしていてもどうにもなりません。わたしにできることは、今日を目一杯頑張ることです」

「そうだな。……だが、無理のしすぎはよくない。今日の参加者は君が元々体が強くないことを知っている者だけだ。心配せず、休めば良い」


 さすがにアルドやエルドウィンに、病気のことは話せていないが。


 エリーゼにあれこれと言えば、くすくす笑われる。


「ちゃんと聞いているのか?」

「聞いていますよ。……幸せだなぁ、と思って」


 不意を突かれ、言葉が止まる。


「……それなら、良かった」


 ――この結婚生活は、長く続かない。だけど、その分彼女には笑っていてほしい。


 そこで、誰かが扉を開けた。

 紫色の髪が乱れている、二十になったくらいの歳の男だった。


「エリー!」

「お兄様!」


 顔を輝かせたエリーゼが立ち上がり、兄を出迎える。 

 二十一歳と聞いているエリーゼの兄――ブレンは目元を綻ばせる。にこにこ笑う妹に、肩の力が抜けたのかしゃがみ込んだ。


「――それで、これがハーゲン・アリアシネ侯爵卿……」


 急に部屋の気温が下がった。

 冷気の出処であろうブレンは、座り込んだまま暗い声を出す。

 顔を覆った指の隙間から見える瞳は、きつく吊り上がっている。


「はじめまして。アリアシネ侯爵家の当主、ハーゲンと申します。……お義兄様?」

「十以上も年上の義弟ができてたまるか!」


 立ち上がったブレンが吠える。お兄様? エリーゼが瞠目した。

 ブレンはそのまま彼女の肩を掴んだ。


「エリー! 今日の結婚式は取りやめにしよう!」

「……はい? 何を仰っているのですか、お兄様。わたしはそんなことする気は全くありません」


 彼の顔が歪む。


「どうしてだ。そんなにアリアシネ侯爵卿と結婚したいのか? エリーと二十くらいも歳が離れているというのに……。っ、まさか弱みでも握られているのか?」

「もうっ、歳なんて関係ありませんし、わたしはなにも弱みなんて握られていません!」


 エリーゼも必死になって言い募るが、聞く耳を持たない。

 ため息をつき、彼女の背に手を回した。

 

「……エリーゼ。体に障る。あまり大声を出さない方が良い」

「ハーゲン様……」


 彼女の体を支える。


 ブレンからギリギリと怨念が飛んでくる。

 彼は、どうしてだ……くしゃりと顔を歪めた。


「言ったじゃないか、()()()()エリーに見合う男を連れてくると! 自分を重荷に思う必要はない。俺がエリーの婚約者を選ぶ。だから帰ろう」

「……お兄様。どうしてわたしの話を聞いてくださらないのですか」


 エリーゼの顔が泣きたそうに萎れた。


「お兄様なんて、お兄様なんて……き、きら…………いではなくて大好きですけど、でもハーゲン様に嫌なことを言うのは許しません」

「……なんで」


 そこで慌ててヨハナとべモートが入ってくる。


「ブレン! こういうことは絶対にするなと再三電話で伝えたのに、お前というやつは……」

「ごめんなさい、エリーゼ、アリアシネ侯爵卿。この子はわたくしたちが連れていきますので」

「……だが、父上、母上……」


 両親の前では強く出れないのか大人しく引きずられていく。


 扉が完全に閉まって、ようやく静寂が訪れた。


「お兄様……」

「パーティーの時に、また話しかければ良い」

「……でも」


 少し気が滅入ってしまったのか、彼女の返事は自信なさげで。

 少しでも話を変えようと試みる。


「彼とは、昔からあまり話さないのか?」

「いいえ。わたしの部屋に来て色んな話をしてくれる、大好きなお兄様です」


 強張った頬が緩んだ。


「そうか、良き兄なんだな」

「はい、自慢のお兄様です!」


 でも……。また表情が曇る。


「お兄様には、沢山の我慢をさせてきたと思います。家族揃ってお出かけする時、熱を出すことも少なくありませんでした。……お兄様が楽しみにしていた所にも、行けなかったことも沢山あって。けどお兄様、わたしを一度も責めないんです」


 薄い水の膜が張った瞳には、憧憬の光があった。


「いつだって、わたしを気遣う言葉ばかりで……」

 

 入場の合図がかかる。

 ハーゲンは先に式場にいなければならない。


「仲が悪くないのであれば、まだやり直せる。あまり心配しなくて大丈夫だ」

「……はい、はいっ」


 頷く彼女に手を振る。


 外に出れば、彼女をエスコートする父親、べモートが側に立っていた。


「息子が失礼な物言いをしたようで、申し訳ありません。ですが、決して悪い子ではないのです」

「……そんな気がしましたよ」


 あの目。

 怒りとすり替えているようだが、彼は別にハーゲンを心底嫌っているわけではないのだろう。


 どちらかと言えば――……


◇◇◇


 祝福を告げる鐘の音。

 共に、式場に続く白い扉が開かれた。


 新婦は緊張の面持ちで、父親にエスコートされながら一歩踏み出す。

 下を向いていたが、顔を上げて顔が緩んだ。


 先に立つ、これから夫となる新郎の顔を見たからだろう。

 一歩一歩進み、新郎の隣に立つ。


「娘を、どうかよろしくお願いします」

「勿論です」


 言葉を合図に、新婦の手が渡される。神父がまず言った。


「新郎ハーゲン・アリアシネ。あなたはエリーゼ・フェンテッドを妻とし、健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しい時も、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

「誓います」


 次に言った。


「新婦エリーゼ・フェンテッド。あなたはハーゲン・アリアシネを夫とし、健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しい時も、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

「はい、誓います」


 国に提出する紙に署名する。


「では、誓いのきすを」


 向かい合い、エリーゼの顔を隠すヴェールを上げる。

 緊張した面持ちの彼女は、腹を決めたのか目を閉じた。ん、と唇を窄める。


「……………………」


 長く熟考した。


 本当に長く熟考した。

 観客席から飛んでくるブレンの憎しみの視線が痛い。別に心底嫌われては――と思っていたが、前言撤回したいくらいに睨まれている。


 エリーゼは今か今かと、健気に待ち続けている。頬が段々赤くなり始めた。


「………………」


 額にそっと唇を落とした。

 彼女は目を見開いて、真っ赤になりながら額を押さえる。


「なんだ、その反応は……」

「絶対、してくれるわけないと思っていたので……」


 ぽぽぽ、と周りに花が飛ぶ。


 式場は割れんばかりの拍手で埋め尽くされた。


 遂に殺意まで飛んできたが、嬉しそうなエリーゼに免じて許してくれ、と祈った。



 式が終わったのは昼頃で、パーティーは夕方から始まった。

 エリーゼの父と母は、こんな時くらい親を気にせず楽しんで、と言い残し去っていった。……ハーゲンにくれぐれも! と念押しを何度もしてから。

 ブレンは残ると言い張ったため夫妻は困り返っていたが、気にしなくても大丈夫と帰宅を促せば頭を下げ帰っていった。


 ハーゲンの瞳の色のドレスにお色直しをしたエリーゼと共に会場に入れば、沢山の拍手に迎え入れられる。


 最初にハーゲンたちの元に来たのは、アルドとその妻、ミラだった。

 赤ワインを二つ持ったアルドは、片方をハーゲンに渡す。


「二人の幸せを願ってるよ。俺の言った通りだったな! 絶対お前はフェンテ……じゃないアリアシネ侯爵夫人を好きになると思っていたよ」


 ウインクをおまけでつける。ハーゲンの歪んだ顔を肴に、アルドは喉を潤した。


 ミラはエリーゼに顔を向ける。


「大変なことも多々あると思いますが、思い詰めず、誰かに相談してくださいね。アリアシネ侯爵卿は勿論、言いづらいことでしたらわたくしでも構いません」

「ありがとうございます、とても嬉しいです」


 ほわほわと暖かい空気が二人を包む。


「うちの奥さんがやっぱり一番だ……俺はあの包容力にコロッといったんだよ……」


 アルドがしれっと惚けた。


 げんなりとしワインを飲んだ所で、エルドウィンとラウラも来る。


「結婚おめでとう、二人とも。ハーゲンとアリアシネ侯爵夫人はまるで片翼の鳥同士が一対になって飛ぶように運命的な――」

「おめでとうございます。後でお祝いの品をお贈りいたしますねぇ」


 変わらずのんびりとした様子のラウラだが、夫の扱いは心得ているらしい。強制的に終わりにされた彼はちょっぴり涙目だ。


 新婚であるハーゲンとエリーゼを囲み、笑いながら話す。

 

「……エリー」


 硬い声が一つ混じった。皆が一斉にそちらを見れば、暗い顔をしたブレンがいる。


「お兄様……どうなさりましたか?」

「エリーゼ、無理をしているんじゃないのか?」

「無理、ですか?」


 目を瞬く。


「好きでもない相手を選ばなくたって良いんだ。やっぱりこの結婚は取りやめにしよう。大丈夫だ、父上たちへの説得なら俺がする。なにも心配要らない」

「……お兄様。何度も申し上げますが、この結婚は他の誰でもない、わたし自身が望んだことです」

「っ素直に言っていい、また無理をしているんだろう!」


 顔が真っ赤になり、今にもエリーゼに掴みかからん勢いのブレンをハーゲンが制す。


「いささか、冷静さを失っているようだ」


 アルドとエルドウィンも眉根を寄せた。


「祝いの場で軽々とそういうことを言う貴方を、俺は無礼だと思いますよ」

「ハーゲンは僕たちの親友です。失礼な物言いは、彼が許しても僕たちは許しません」


 ミラとラウラは、エリーゼを守るように前に立つ。

 

 囲まれたブレンは顔をギリリと歪ませる。

 口を開き何かを喋りかけたが、エリーゼによってそれは遮られた。


「……お兄様は、わたしのことが、その……お嫌いなのですか?」

「え」

「ずっとずっと、わたしが迷惑をかけ続けたから……嫌い、でしたか?」


 目に見えて顔が蒼くなる。


「だから、ハーゲン様との結婚も、認めてはくださらないのですか?」

「ち、違、俺は……!」


 何も言えなくなったのか、言葉に詰まってしまったのか。


「失礼いたしました」


 力なく礼をして、ブレンはヨタヨタと頼りない足元で去っていく。


 なんとも言えない空気の中、アルドがうんうん頷いた。


「あれは何も反論できないな……」

「そうですわね」


 ミラも頷く。

 他も同じような意見で、ただ一人エリーゼだけが不思議そうだった。


 ハーゲンがワインを置く。


「私が様子を見に行こう」

「ですが、」

「良い。このままで終わるわけにはいかないからな。君は疲れているだろう。椅子にでも座って待っていなさい」


 ちょっぴり頬を染めたエリーゼに手を振られ、ブレンが行った方向に歩き出した。


◇◇◇


 バルコニーで、給仕から貰ったワインを飲む。


「エリー……」


 ため息が出てしまった。


 自分はなにを間違えてしまったのだろう。自責の念に駆られ体が重くなる。


 もう一度ワインを飲もうとしたが、後ろからぬっと伸びた手に取られてしまった。

 苛立ちと共に振り返れば、ハーゲンが立っていた。水を差し出される。


「急になんですか」


 ブレンの硬い声に、ふと視線を彷徨わせた。 

 青い髪の青年を思い起こす。


「君が体を壊せば、エリーゼが悲しむ」


 この言葉はブレンを苛立たせるだけだった。

 唇を噛み締め目尻を吊り上げる。


 だがエリーゼとの先ほどの会話が相当堪えていたのか、表情が萎れた。

 

「……エリーには、もっと良い男がいるんです」


 力なく発せられたのは、そんな言葉だった。


「なぜそこまで固執するのですか」

「それは……俺が、俺が――エリーの婚約者にオーディスが良いと言ったからです」


 剣術の大会でよく話した、妹と同い年の彼。

 剣の腕も立つし、明るい。何よりも、彼は昔応援に来ていたエリーゼに一目惚れしていた。


 だからオーディスに婚約を勧めたし、求婚状が届いた際には両親と妹にオーディスの良さを熱弁した。


 その甲斐あって二人は婚約を結んだ。仲は良好そのものだった。


「……その日、俺は学園に行っていました。入れ違うように、オーディスの馬車が我が家を出ていった。不思議で……堪らなくて」


 屋敷に入った途端、ドッと汗が噴き出たのを覚えている。


 ぐったりと蒼い顔をしたエリーゼが、騎士によって運ばれていた。

 ヨハナは指示を飛ばしている。


 慌ただしくメイドやらが駆けている姿を、ぼんやり眺めることしかできなかった。



 事の顛末は、エリーゼの容体が落ち着いた夜に聞かせられた。

 視察に出ていた父は、険しい顔をしている。


「そんな、ことが……っ」


 息ができなくなって、目の前が真っ白になる。

 空気を上手く吸えない。


「あちらがどうでるのかまだ分からないが、婚約解消をしたいと僕は思っている。彼に、エリーゼを任せることはできない。……ブレン、異論はないな?」

「はい、異論ありません」


 罪悪感で胸が押しつぶされそうになった。


「すみませんでした、父上」

「ブレン。お前が気に病む必要はない。酷い顔をしている、部屋で休みなさい」

「そうね。ゆっくり休みなさい」


 優しい父と母の言葉が、今は透明なナイフのようで。

 

 震える体を抱き締め、エリーゼの部屋に行く。

 扉を叩けば、細い声が「はい」と返事をした。


「エリー、体調はどうだ」

「大分良くなりました。もう元気いっぱいです」


 責める言葉も視線も一欠片もなかった。


「そうか、良かったよ……」


 気もそぞろで、すぐに部屋から外に出る。扉に寄りかかって座り込んでしまった。


 涙がいくつも頬を伝う。


「――……っ、う、ぁっ。あぁ!」


 体がバラバラに千切れてしまいそうだった。


◇◇◇


 オーディスには何度も手紙を送った。執事に頼み込んで早馬で駆けてもらった。

 だが返事は一通も来ず。


 二日後に、婚約解消は成された。


「……エリー、婚約は、解消されたよ……」

「はい。先程お父様にも言われました」


 顔を上げられない。


「ごめんなさい」

「……え」


 弾かれたようにエリーゼを見れば、眉尻を下げた彼女がこちらを見ていた。

 涙がポロリと零れている。


「ご、めんなさい……お兄様と、オーディス様、あんなに、あんなに仲良しだったのに……、わたしのせいで……っ」

「エリーのせいなわけあるか! 悪いのは俺とオーディスだ! 気に病む必要なんかない!」


 眉尻を下げた顔を見るたびに、いつも胸が痛くなった。


 いつだってエリーゼは謝る。申し訳ないと言う。

 何を謝る必要があると言うのだ。家族で出かける時だって、熱を出したエリーゼは三人で行ってきてと言う。

 違う。四人が良いんだ。謝らなくて良いんだ。


 いつまでこんな顔を、妹にさせることになるのだろう。

 一番辛いのは妹なのに。ずっと気を遣わせて。


「エリー、俺が、婚約者を絶対に見つける。エリーを一番に考えて行動してくれるような、そんな相手を……だから何も心配しなくて良い。兄様に任せてくれ」

「お兄様……」


 それから、剣を置いて代わりにペンを握った。

 貴族たちと話すための知識や教養、話術を身に着けた。だけど誰もがエリーゼには釣り合わなくて、外交官になって世界を見に行くことにした。



「……だから俺がエリーの婚約者を見つけるはずだったのに、どうして……っ」

「ちなみに見つかったのか?」

「全く。エリーに釣り合う男がいませんでしたので。嘆かわしい」


 ……願うことは一つだけ。誰か、エリーを――


「……この間、エリーゼは会ったよ。シャフス伯爵令息に」

「オーディスに? なぜ……」

「向き合ったんだ、自分の過去を。その上で彼女は前に進んでいる」

「…………」


 ハーゲンは手を振り去る。


「今度は、貴方の番だ」


 妙にその言葉が耳に残った。


 深く春の息を吸う。

 バルコニーから会場を伺えば、椅子に座ったエリーゼにハーゲンが何かを言っている。


 音楽がかかり、ハーゲンが一人で踊り始めた。


 可愛い妹を置いて何をやってるんだと怒りが湧いたが、エリーゼの笑顔ですぐに離散してしまった。


「笑ってる……」


 自らも手を動かしながら、妹は朗らかに微笑んでいた。

 ずっと体の向きを変えないハーゲンも、優しく笑っている。


「どういうことだ……?」


 何がどうなっているのか分からず首を傾げ続ける。


「二人は踊っているんだよ」


 そこで声をかけられた。

 アルドとミラもまた、二人を見守っている。


「アリアシネ侯爵夫人が一緒に踊れるように、ハーゲンがああしたんだ」

「素敵ですわよね」

「……はい、本当に」


 二人の距離は離れているのに、ぴったり寄り添っているようで。

 一対の絵みたいだった。


 昔、エリーゼと共に踊ったことを思い出した。

 すぐに息が続かなくなった彼女はずっと謝っていて。


 どうすることもできない自分が情けなかった。

 

「そうか、ようやく、エリーは出会ったのか……」


 自分を卑下する必要のない人に。


 眉尻を下げることなく、屈託なく笑う姿に涙が誘われた。


「そうか……」


 良かった。

 兄様はいつだって、エリーの幸せを祈っている。どうか沢山の幸せがいつもでもエリーの側にありますように。

 傍らに誰よりもエリーを大切にしてくれる人がいますように。


 ほろほろ泣いてしまえば、アルドがハンカチを差し出した。

 受け取り、目元を拭う。


 自然と笑みが溢れた。


「結婚おめでとう、エリーゼ」


◇◇◇


 踊り終わった時に、ブレンはエリーゼたちの前に現れた。


「お兄様」

「さっきはごめん、エリー」

「い、いえ。わたしは全然です。それよりお兄様の方が……」


 心配そうな視線に首を横に振る。


「エリー。昔の話をしても良いか? 座ったままで大丈夫だから」

「私は席を外した方が?」

「いえ、貴方にも聞いて欲しいです」


 ふっと遠くを見たブレンは、心が決まったのか跪きエリーゼの手を取った。


「俺たちを生んでくれた人は、エリーを産んだ後産後の肥立ちが悪くてね……幼い俺でも分かるくらいに、段々弱っていった」


 母の手に骨が浮いてくる度に思った。

 妹なんて要らないから、母を連れて行かないでくれと。


 顔を真っ赤にして泣いている時の方が多い妹を可愛いとは思えなくて、恨みだけが増えていく毎日だった。


「兄妹、仲良くね……エリーゼは、ブレンが守って、あげて」


 母の口癖はこうだった。

 だけど一つの確信があった。母が死んだら、もう自分が妹と話すことはないと。


 鬱屈とした気持ちが心を支配する。


 とある日。

 家庭教師が帰った後廊下を歩いていた時。

 おぎゃあ、か細い泣き声が聞こえてきた。


 エリーゼの部屋を覗けば、乳母はいなかった。

 新しく雇われた乳母は、自身の職務を怠る人だった。今回も適当な理由をつけサボっているのだろう。

 父は何をしているのだろう。そう憤ってから、父は母を愛していて今は母に精一杯なことを思い出す。


 妹に憐れみを覚えた。

 か細い泣き声は、誰も来ないことを幼ながらに感じ取っているのだろうか。


「……帰るか」


 わざと声に出す。だが足は頑として動かない。


「…………少しだけ、だからな」


 部屋に入れば、壊れてしまうのではと心配する程にエリーゼは泣いていた。


 困った。来たは良いものの、子どものあやし方なんて知らない。知っているのは王国の歴史くらいだ。


「な、泣き止むんだ……泣き止め〜」


 手をわさわさする。

 どうしたら良いのか分からなくなってこっちが泣きそうになった。


「ほぉら、早く泣き止むんだ〜」


 できるだけ優しい声をだす。

 そして、母にしてもらったように撫でた。


「……きゃぁ、きゃっきゃっ」


 繰り返して何分経ったか。

 すっかりエリーゼは泣き止んでいた。


 恐る恐る指を差し出せば、きゅぅと握りしめられる。存外強い力で、涙がせり上がった。


 ――この子を、俺が守ろう。

 そう決意した。



 乳母はすぐに解雇してもらい、勉強のすがら妹と共にいた。

 父も反省したのか妹にちゃんと構うようになり、エリーゼがあんよができた時には家族みんなで泣いて喜んだ。


 エリーゼが一歳の時だった。


「ままぁ?」


 妹が舌っ足らずな声で、母の名を呼ぶ。

 死に瀕した母は薄っすらと目を開けた。


「……っ。母上、エリーは俺がちゃんと守り通します。約束します、俺の全てをかけると」

「ありが……とう。だぁいすき、よ……」


 そうして母は、二度と瞼を上げなかった。

 豪雨みたいな父の泣き声が部屋を満たす。

 エリーゼだけが、きょとんとしていた。


 小さな手を握る。

 

「大丈夫だからな、エリー。必ず、兄様が守るから――」



「そう思っていた。だけど結局のところ俺は、ずっと空回りをしていたな。……でも、兄様は、いつでもエリーの幸せを願っているんだ。それだけは分かって欲しい」

「お兄様は、いつもわたしを助けてくれました。空回りだなんて……そんな悲しいこと……」


 優しく微笑んだ。

 慈しみの目をエリーゼに手向ける。


「エリー、結婚おめでとう」

「はい……っ」


 立ち上がったブレンは、ハーゲンに深く礼をする。


「数々のご無礼、誠に申し訳ございませんでし

た」

「気にしなくて良い」


 ハーゲンは目を細める。

 

 春の風が吹く。

 ブレンの紫色の髪が揺れ、笑顔を浮かべた顔をそっとくすぐった。


◇◇◇


 パーティーは終わり、エリーゼとハーゲンは同じ馬車に乗っている。

 隣に座る彼女は、鼻歌を歌い楽しそうだ。


「病院ではなく、ハーゲン様と一緒の屋敷で暮らしたい」――これがエリーゼの望みだった。

 ハーゲンの侯爵領は北に近い位置にあるが自然が美しく空気が澄んでいる。確かに病院で狭苦しく過ごすよりよっぽど体に良い気がした。


「ハーゲン様のお屋敷ってどういう所でしょうか。とっても楽しみです」

「特別なことは何もないが」

「えへへ、楽しみです」


 とっぷりと夜は更けている。

 自身の上着を膝にかけた。


「落ち着きなさい。……エリーゼの家でもあるのだから」

「〜〜っ……」


 エリーゼが足をバタバタさせる。

 急なことで驚けば、エリーゼは頬に手を当てた。


「今わたし、すごく幸せです」

「知っている」



 使用人にも温かく出迎えられたエリーゼは、終始嬉しそうだった。

 夜寝る前。彼女の部屋に呼ばれる。


「この部屋はどうだ? 不便な所はないか」

「全くありません。素敵な部屋をありがとうございます」

「隣は私の部屋だ。何かあったらすぐ叩いてくれ」


 お隣に……ハーゲン様が……。ぽわわわと夢見心地に呟く彼女をちらと見る。

 白いネグリジェに身を包むエリーゼは眠たそうに目を擦っていた。


「今日は疲れただろう。早く眠ると良い」

「はい。……あ」


 唐突に声を上げたエリーゼは、爆発したみたいに顔を真っ赤にする。


「あ、あの!」

「なんだ」

「えっと、そのぉ」


 顔を可哀想な程に真っ赤に染め上げた彼女は、ようやく絞り出した。


「今日、そのっ、初夜ですよね……」


 思いっきり苦い顔をしてしまう。


「本に、結婚した夫婦の最初の夜を『初夜』と書いてあって、一緒のベッドで眠ると……そして翌日ピチチと鳥が鳴くと……」

「……それだけか?」

「……? はい、そうですが……わたし、なにか変なことを言ってしまいましたか?」


 ふるふると首を横に振る。


「いや、なんでもない」

「あの、その……」


 もじもじと上目遣いでこちらを見上げる彼女には、隠しきれない期待があった。


「…………今日だけだ」

「っ良いのですか?」

「ああ」


 広いベッドの上で並んで横になる。

 うとうとしてきた所で、手を差し出された。


「手、握って欲しいです……」

「勿論だ」


 温かい手に、意識は解けていく。

 隣から寝息が聞こえてきたのを皮切りに、ハーゲンもまた夢の世界へと身を投じた。


カランコエ あなたを守る たくさんの小さな思い出

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