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第16回:新説、池田屋事件
元治元年六月五日。京都の夏は蒸し暑く、龍馬は懇意にしている志士たちが集まる池田屋へ向かっていた。その門前、懐にいるタマの首輪の鈴が触れてもいないのにチリンチリンと激しく鳴り響いた。
「……龍馬、引き返しなよ。大事な忘れ物だ」
タマの声が、いつもより低く冷たく響く。
「忘れ物? 刀も財布も持っちゅうが……」
「……煮干しだよ! 僕の夜食用の特級煮干し。あれがないなら、代わりに君を頭からバリバリかじってやろうかな」
凄まじい眼力に押され、龍馬は「分かった、すぐ戻るき!」と池田屋を素通りし宿へ引き返した。
ところが煮干しを掴んで再び戻ろうとしたその時、路地から新選組の集団が抜刀して現れ池田屋へ突入していくのが見えた。
「……!? 近藤勇に土方歳三!? 誠の旗じゃ!?」
池田屋から響く怒号を聞き、龍馬は冷や汗を流しながら物陰に身を潜めた。
「……おんしゃあ、アレが分かっとったんか?」
タマは懐の中で煮干しを静かに噛み砕きながら答えた。
「……さあね。ただ、あの中にいたら今頃は君の頭も煮干みたいにバラバラになってたよ」
龍馬は震えながら、救い主である化け猫をそっと抱きしめるのだった。




