一生愛してると言った翌日、彼女は僕を忘れた
初の恋愛ものです
この世界において、あまりに純粋で強すぎる想いは「呪い」に変質する。
誰かを本気で想えば想うほど、その感情は不可視の鎖となり、相手の魂を締めつける。守りたいと切実に願うほど、祈りは皮肉にも相手の命を削る毒へと変わる。
だから人々は、愛を語る時に無意識のブレーキを踏む。
「好き」という言葉で足を止め、「ずっと一緒」という曖昧な表現で茶を濁す。「一生」や「永遠」といった、魂を縛る言霊は決して口にしない。それが、この過酷な世界で愛する者と長く寄り添うための、唯一の知恵だった。
そのはずだった。
夕暮れの帰り道、川沿いの風は秋の気配を孕んで柔らかく、世界は驚くほど穏やかだった。彼女は隣を歩きながら、なんてことのない日常の断片を拾い集めて笑っている。重なりそうで重ならない指先。その数センチの距離を、僕はもどかしく、そして愛おしく測っていた。
ああ、幸せだ。そう思った。
胸の奥から熱い塊がせり上がり、言葉にしなければ自分が内側から弾けてしまいそうだった。
「ねえ」
立ち止まると、彼女が不思議そうに振り返る。
夕日が彼女の横顔を鮮やかな橙に染め上げ、瞳の中に小さな火を灯していた。その煌めきを見た瞬間、もう自分を繋ぎ止めていた理性の糸が切れた。
危険だとは知っていた。
この世界の非情なルールも、口にした瞬間に支払わされる代償も。
それでも、僕は抗えなかった。
「一生、愛してる」
言い切った。
逃げ道も、照れ隠しの冗談も、一切の余地を排して。
彼女は一瞬、弾かれたように目を丸くした。それから、困ったような、ひどく幸せそうな顔で笑う。
「……なにそれ。プロポーズのつもり?」
「本気だよ。世界中の誰よりも」
返すと、彼女は少しだけ頬を染め、所在なげに視線を落とした。
「ばか。……重すぎるよ」
そう言いながら、彼女は自分から僕の指を絡め取った。
その瞬間、心臓を直接握られたような激痛と、それ以上の愛おしさが胸を支配した。
世界は静かだった。
ただ、足元の影が一瞬だけ濃く揺らいだことに、僕は気づかなかった。
翌日。
「……あの、すみません。どちら様でしょうか?」
病室のベッドの上で、彼女は僕を忘れていた。
昨日までの積み重ねも、繋いだ指の温度も、あの夕日の美しさも。すべてが真っ白な灰になって消えていた。
駆けつけた医師は、カルテも見ずに淡々と言った。
「魂への過負荷による記憶の融解。強い感情の反動だよ。珍しくない」
呪いは、すでに完遂されていた。
だが、僕は後から知ることになる。彼女が「忘れさせられた」のではなく、自ら「忘れること」を選んだのだと。
呪いによる魂の摩耗を止める唯一の方法。それは、想いの起点――すなわち、愛する人に関する全ての記憶を、自ら差し出し、削り取ること。
彼女は僕を守るために、僕を捨てた。
それなのに、残酷な運命は円環を描く。
彼女はまた、僕を好きになった。
理由も根拠もなく、まるで重力に引かれるように、最初から。
出会い直し、言葉を交わし、再び距離を測り直す。記憶は欠落しているはずなのに、彼女は以前と同じタイミングで笑い、同じ癖で髪を弄り、同じ仕草で拗ねる。
そして、積み重なった時間が一定の質量を超えた時。
「好きです。あなたのことが、どうしても」
その声は、以前よりも深く、切実な響きを帯びていた。
次の瞬間、僕の胸が焼かれた。
内側から肺を締め上げられるような、鋭い激痛。呼吸が止まり、視界が歪み、膝から崩れ落ちる。
ああ、まただ。
彼女の想いが純化されるほど、僕の魂は削り取られていく。
彼女は何も悪くない。ただ、抗いようもなく僕を愛してしまっただけだ。
だから今度は、僕が選ぶ番だった。
忘れることを。
彼女への募る想いも、共に歩いた季節も、命をかけて守りたかった理由も。そのすべてを、無に帰すことを。
――目を覚ますと、視界は真っ白な天井に覆われていた。
胸が軽い。あの、魂を焼くような痛みはどこにもない。
ただ、心にぽっかりと穴が空いたような、妙な空虚さだけが居座っている。
「……目、覚めたんですね」
隣に、一人の女性が座っていた。
泣き腫らしたのだろう、瞳の縁を赤くしている。知らない顔だ。僕の記憶のどこを読み返しても、彼女の名前は見つからない。
それなのに。
視線がぶつかった瞬間、胸の奥がひどくざわついた。
意識が「他人だ」と告げているのに、魂が「懐かしい」と叫んでいる。
「あなたは……?」
本心からの問いに、彼女は一瞬だけ言葉を失い、喉の奥で何かを飲み込んだ。それから、消え入りそうな声で囁く。
「……ごめんなさい」
何に対しての謝罪なのか、僕にはわからない。
彼女は深く、深く息を吸い込んだ。まるでこれから、断崖絶壁から飛び降りる覚悟を決めるかのように。
「初めまして」
胸の奥が軋んだ。
失ってしまったはずのパズルの欠片が、そこにあるのだと身体だけが知っている。
僕は、何も覚えていない。
ただ――。
(ああ、僕はまた、この人を好きになってしまう)
確信に近い予感だけが、空っぽの胸を満たしていく。
「変ですね」
彼女が、涙の跡を残したまま小さく笑った。
「あなたを見ていると、どうしようもなく安心するんです」
その言葉は、今はまだ呪いにはならない。
僕が彼女を覚えていないから。想いの回路が、まだ繋がっていないから。
けれどきっと、遠くない未来。
僕らはまた、命を削るほど本気で想い合うだろう。
そしてまた、どちらかが何かを削り、別れの「初めまして」を告げるのだ。
それでも。
彼女が震える指先で差し出した手を、僕は迷わず握り返した。
初めて触れるはずなのに、泣きたくなるほどその温もりを知っていた。
「……これから、よろしくお願いします」
彼女は一瞬だけ、幸せそうに目を閉じる。
そして、呪いの成就を祝福するように微笑んだ。
「はい。何度でも」
お読みいただきありがとうございました。
異世界ものより難産でしたが挑戦してみてよかったです。
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