月明かりが
陽が沈みつつある町を走る。
帰れるだろう〜と思っていたのに、なんだかんだこの前の鉄板作戦が上手くいった報告や、今度コック長が新しい調理器具のことで相談に行きたいと言っていた話やらで、少し遅くなってしまった。
3月の風はまだまだ寒い。
早く帰ろうと、たまに使っている路地裏に入る。
昼間でもかなり薄暗いのでミリアムさんからはあまり使うなと言われてたけど、今はそうも言ってられない。
完全にひと気どころか猫の気配すらしなかったが、不審者が出てくる気配はしない、あとはこのまま真っ直ぐに行って角を2つ曲がれば──その時。
視界の端に一瞬、左の路地にある階段下に白い大きな塊がうつった。
今のなに?と立ち止まって、もう一度よく階段下を見下ろす。
暗い路地の中でもぼんやりと見える、青い血管が浮かび上がりすぎの青白い肌。
黒く落ち窪んだ中に不気味な光が燃えている目。
うめき声をあげる、歯がほぼなくなった大きな口は耳まで避けている。
ボロ切れを纏った人型の、不気味な怪物がそこにいた。
幽霊だって虫だって平気な私でも、しばし硬直してしまうほど強烈だった。
うっかり声を出さないように口を片手で覆う。
こちらにはまだ気づいていない、少し落ち着いて見てみると、これまた真っ白なフードを被った人を壁に追い詰めている!
片腕を掴まれているせいか、フードの人物は逃げようとしていない。
どちらが悪いのかはわからないが、明らかにヤバそうな状況だ。
助けなくては。
一か八か少し助走をつけて階段から飛び蹴りをかます。
「どらっ!」
うまい具合に足がこめかみにあたり、怪物はひっくり返るようにして倒れた。
今のうちにとフードの人の手を掴んで「こっち!」と階段を駆け上がる。
このまま屋敷の方に逃げたかったが、階段を上り切った瞬間に振り返ると樽が飛んできて咄嗟に『元来た道』の方へと避けてしまう。
「あっぶねっ!!」
「…っ」
怪物が倒れた体制のまま路地にあった樽を投げつけてきた。
その上起き上がってこちらに向かって来ようとしている。
やむを得ないので掴んだ手を離さないよう握りしめて『元来た道』を走り出した。
※
めちゃくちゃに走り回ったおかげか、あの怪物がおって来る気配が途中からしなくなった。
だが夜になり、すっかりあたりが真っ暗になったこの路地を駆け抜けるのは正直つらい。
どこか建物に匿ってもらうか、助けを求めたいのに、大声や物音を出すと怪物に居場所がバレそうで心配だった。
角を曲がると、目の前に路地裏と打って変わって明るい広場が見える…坂の上にある場所だから今の位置を確認できそうだ。
息を整えるために、走るのをやめて少し早歩きになった。
そういえば随分長いこと走らせたが、フードの人は大丈夫だろうか?
振り返って様子を確認しようとすると、それよりも先に視界に飛び込んできたのは
静かに屋根の上から飛んできた 青白い怪物
駄目だと叫んでフードの人を押しのける。
入れ替わりに飛び出してきた私を、怪物は勢いのまま突き飛ばした。
「あ゛っ…ゔ゛あ…」
ガンッと音がすると同時に、いまだかつてないほど身体中に痛みが走る。
広間に突き飛ばされた私は、手すりにぶつかったおかげでなんとか坂の上から落とされずにすんだが、怪物につけられた引っかき傷からどんどん出血している状態だ。
朦朧とする意識の中であの人は、と顔を上げる。
間に割って入った怪物の背中が邪魔で姿が見えない。
早く助けないと、でもどうやって。
不意に膝元に落ちているハサミが目にはいった。
破けた制服のポケットから落ちたんだ。
痛みで震える足を押さえつけ、立ち上がる。
もうそこからは無我夢中だ。
転びそうになりながらも走って、怪物の背中に飛びつく。
勝負するなら今!
振り落とそうとする前に、怪物の喉にハサミを突き立て真横に引き裂いた。
「でぇああああああああっ!!!!」
それほど深い傷はつけられなかったけれど、ブシャブシャと噴水のような血を撒き散らしながら怪物は悶えた。
気のせいかもしれないが、どどんどん萎んでゆく巨体にあわせて、意味のないようなうめき声が甲高い人の叫び声に変わってゆくように聞こえる。
暫くそうやって悶えながらしぼんだ怪物は、やがて纏っていたボロ切れを残して完全に溶けて血溜まりへと姿を変えた。
流石にもう襲ってきそうにない。
今度こそフードの人は、と視線を移す。
急にさっきよりも雲間から月明かりが強く広場に差し込んだ。
私が押しのけたせいか、フードが脱げて顔がしっかりと見える。
月明かりを浴びて白く輝く長髪のプラチナブロンド。
新品の皿みたいにシミひとつない肌。
こちらを唖然としたように見つめる切れ長の瞳は、朝露のかかった明け方の紫陽花みたいな青紫色に透き通っている。
あまり他人の容姿に興味をもてなかった私ですら、今まで出会ってきた人の中で、一番美しい人だと思った。
あの怪物を初めて見た時以上の衝撃を感じて、反射的に「きれい」と言葉が口から出そうになる。
が、
「ごふぇっ」
「あぁっ!」
変わりに出たのは大量の血だった。
両目が瞼の裏にグルンと回るのと同時に、血溜まりへと倒れる。
そのまま全部が真っ暗になった。