番外編『ノイ・モント・デメルングは』
最初は夢でも見ているのかと思った。
面倒だ。という理由だけでただぼんやりとしていたボクの手を引いて逃げ、満身創痍になりながらも【グロンスキン】に致命傷を与えた目の前の少女。
返り血と自らの血で濡れたボロボロのメイド服。
これまで出会ったことのある異性には1人もいなかった、活発そうな短い黒髪。
青白い月光を写してキラキラと輝く瞳は、周囲の惨状に対してあまりにも不釣り合いで、見つめ合うだけで迫力と感動からか震えそうになってしまう。
初めてだ。こんなことは。
ひたすらに孤独で退屈なだけだったボクの世界に、隕石が降り注いだような衝撃を感じたのは。
「ごふぇっ」
「あぁっ!」
そうやってついつい彼女を夢中になって観察していると、限界がきたのか倒れてしまった。
慌てて駆け寄り治療魔術をほどこそうとすると、ふと脳内にこんな考えがよぎる。
本当にただこのまま助けてこのまま帰して良いのか?
この人間のことが欲しくないのか?
と。
そこで思い出したのが他の生物を、自分達【真祖】に従属する存在【眷属】として作り替える魔術だった。
今では何故か人間への使用を禁止され、資料すら数えるほどしか残っていない秘術…やり方自体はその残った資料から仮説を立てたことはあったが、試すのはこれが初めてだ。
もう考えている暇はない、瀕死の彼女を抱えて屋敷まで転移する。
◇
惜しまずに自分の血で描いた魔法陣に彼女を横たえ、呪文を一言一句間違えないよう慎重に唱えつつ、手のひらから流れ出る血を彼女に与える。
自らの意思で切ったとはいえ、怪我をしたのなんてもう何年ぶりだろうか。
そういえばどれだけ飲ませればいいんだろうと考えていると、急に彼女が目をカッと見開いて暴れ出した。
「ウゥッガッ!?アアアアアッ!!」
「わぁやったあ!起きた!おはようございます」
「ハァッ…グッ!イ゛ッギャァ!!」
「あれ?ひょっとして理性跳んじゃってます?おかしいな…」
因みにどれだけ暴れられてもボクにとっては赤子同然の力でしかない。
傷付けないよう拘束し、ちょっとだけ、念のため、確認のため、傷が酷い腹部周辺の服を破いて見てみると破損した内臓が驚くほどの速さで治っていっているのがわかった。
ただ治る速度が部位によってまちまちな所為で、折れた肋骨に復活した内臓が突き刺さっている。
暴れる原因はきっとこれだ。
察するに術者であるボクの魔力から再生力を得たものの、たった今眷属になりたての彼女の身体に、まだ魔力の循環が追いついていないのだろう。
とりあえず、かまっていても死ぬレベルからかまっていたら死なないレベルになるまで調整を、と心臓の位置に手を置いて魔力をゆっくり流し込んだ。
(内臓は全て回復させて…肋骨はヒビが入った程度に、右腕は折れたまま…)
もしここで全回復させてしまえば起きた時に怪しまれるかもしれない。
怖がられると困るので、なるべく自分の正体や魔術に関することは秘密にしておくのが良いだろう。
(あとすぐに帰られたら嫌だから、なるべく遅く治るようにしておかないと)
痛みが治ったのか気絶したのか、やっと落ち着いて眠る彼女の頬に触れてみる。
かわいい
涙と涎と血で汚れてはいたが、そんなこと気にならないほどかわいい
一緒に逃げた時もアレを殺した時も暴れた時もかわいかったのだ、きっと笑顔はもっとかわいいのだろう。
「早く起きてくださいね……素敵な貴女…」
◇
トゥルぺに彼女が目覚めたと聞いた時は心の底から嬉しかった。
長命種でもあるからか、これまで時間の流れに対して苦痛を感じたことは無かったはずなのに、中々起きない彼女を見ているともしかして術の手順を間違えたのかと不安で堪らず、何度も資料や他の文献を漁っていたところだ。
瞬間移動はマズいと自分に言い聞かせつつ走り、ついノックもせずに扉を開ける。
包帯を巻かれて痛々しい姿ではあるが、こちらをポカンと見つめる黒い瞳には確かに生気があった。
処置が遅かったせいで廃人になる可能性もあったけれど、無事に間に合ったんだ。
不安からくる緊張がフッと解けてゆく。
微笑んでベッドの側に近づき、折れていない方の左手を両手で包んだ。
「良かった!気がついたんデスネ!」
「…」
「あの後すぐに手当てしたのですが、間に合うかどうかは五分五分だったので…でもとにかく目を覚ましてくれて嬉しいデス!!」
「…」
「?アレ?言語、あってませんか?それともボクのこと、覚えてマセンカ?」
「だっゲホッゲホッ」
突然、吐血混じりの咳にギョッとする。
考えてみるとあれだけ吐血してあれだけ叫んだのだ、喉の調子が悪くないはずがない。
一刻も早く治癒用にハーブティーでも調合せねば!
慌てて「アアー!!ちょっと!ちょっと待ててクダサイ!!」と叫んでドアを壊す勢いで部屋から飛び出した。
◇
「へぇ〜じゃあこのお屋敷って、ノイさんと使用人の方達除いたら他に誰もいないんですか?」
「そうですね。だからこそ、こうしてテスさんと一緒に過ごしていると、毎日とっても賑やかで楽しく感じマス」
「マジ?オッホホホホッホありがとうございます」
そう言って、ニヨニヨマゴマゴと照れ笑いを浮かべる。
話してみてわかったが、彼女は想像していた以上に愉快な人のようだ。
表情豊かなのもそうだけれど、基本的にマイナスな言葉や弱音をそうそう吐かない。
まだ中途半端に回復した身体が痛むはずなのに、それを悲観することもなくリハビリに打ち込む姿は見ているとつい応援したくなってきて…魔力をこっそり多めに与えて治りを早める、なんてことは多々あった。
(とはいえ人間のメイドとしての暮らしよりも、今のこの屋敷での暮らしの方が絶対に気にいるはず。焦らず確実に「ここで暮らしたい」と思わせるられるようもてなさないと)
一応彼女が眠っている間、使い魔に簡単な素性は調べさせていた。
名前はテスタ・オール、9歳でガルボン邸のメイドとして雇われ、今年で13歳。
名前を知れた時のトキメキから、何度もベッドの上で転がりながら唱えていた所為で、うっかり名乗る前に名前を知っていることがバレそうになった時は非常に焦った。
しかしトゥルぺの事や名前の事といい、一度こちらが隠そうとしている事を察したらそれから深くは追求してはこない。
これはこれでちょっとだけ、もし彼女が問いただしてきたり逃げだそうとすれば『秘密を知られたからには結婚してもらう』と迫るプランもあったから、本当にちょっとだけ残念ではあるが。
◇
失敗した。
結構、だいぶ、失敗した。
「帰ろうと思うんだけど」と言う彼女に対し、動揺から周囲を凍らせかけたのもそうだが、眷属の力をいまいち把握せずに【現世】に返したのも今思えば軽率だった。
現世に行く際には『有事を除いて人間を殺してはならない』という掟がある所為で、盗人連中に囲まれているテスさんを見つけた時に、さてどうしようかと思案していたのだが、まさかその一瞬で全員を蹴散らすとは全く予想していなかった。
ただ、淡々と敵を葬る姿は見ていて気持ちが良かったけれど、その所為で彼女が自分自身を責めているのは胸が痛んで、ついプロポーズしてしまったのは正解だったかもしれない。
耳まで真っ赤になって、未来に対して不安がって、最終的にはほぼ騙し討ちのような勢いで婚約を受け入れさせたが、これでようやくテスさんとの生活が始まるんだと考えたらもうそれだけで口角が緩んでしまう。
「ぃけま……なこと……なんて!!」
「ん?」
何やら、テスさんが入っていった部屋の方が騒がしい。
屋上で待機しているのも退屈なので、こっそり耳をすませて中の会話を聞いてみる。
確か、どうしても出て行く前に挨拶したい人がいると言っていたような。
「記憶を消したのならば、出て行かずともまだここにいればいいでしょう!?」
「ダメなんです。これからは人間じゃないことがバレないように、向こうの方達の世界で暮らさないといけないって」
「そんな!だったら、一緒にどこか遠くの、人気のない静かなところで暮らしましょうよ。勝手な話ですがもう貴方がいない日々なんて私…考えられません」
必死に彼女を引き止めようとするその声を、聞いているだけで呼吸が荒くなり始めた。
どうしよう、これでもしテスさんがこの人間を選び、ボクを置いて逃げようとしたら。
捕まえること自体は簡単だ。ただもしその過程で人間に傷一つでもつけてしまえば、彼女は永遠にボクを許さなくなるだろう。
(お願いだ…断ってくれ…こっちを選んでくれお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願い)
「駄目ですよ、お屋敷はどうするんですか。メイド長が今いなくなったら総崩れですよ、皆んなミリアムさんのこと頼りにしてるんだから」
「やっったっ!シャアアア良し良し!!」
嬉しさのあまり、思わず兄がよくやっていたような喜びの声が飛び出る。
ついでにガッツポーズまでした所為で、隣に泊まって羽を休めていた梟が飛び去っていった。
「どうか、お元気で。私の強くて賢い娘」
「ずっと、元気でね。私の最強で最高のお母さん」
そのやり取りでハッと我に帰る。
話の雰囲気から察するに、この人間はテスさんにとっては親代わりのような存在なのだろう……そんな2人を、自分は勝手な都合で引き裂いた。
『お前はアレらとは違う、選ばれた存在なのだ』
『だからこそ、俗物に染まるようなことが無いようにせねば』
これではまるであの男と一緒だ。
自分と家族を引き裂いた…あの────
頭を振って意識を戻す。
今考えてもしょうがないし、今後攻撃してくるようなら始末してしまえば良い話だ。
(ボクとテスさんとの未来は絶対誰にも邪魔させない)
視線を落とせば、屋敷から荷物を抱えて出てくる彼女が見える。
こういう時、確か夫なら代わりに荷物を持つのが正解だったっけと思案しながら、先回りするために飛び降りた。




