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第二話:心なき人形と魂の歌

一章:沈黙のレッスン


『隷属の首輪』がルナの細い首に嵌められてから、数日が過ぎた。

サイラス奴隷館の地下牢は、以前にも増して冷たく、静まり返っていた。ルナの独房から、かつて聞こえてきた威嚇の唸り声も、悲しげなハミングも、今はもうない。彼女は、リアンの命令に従う、精巧なからくり人形と化していた。

「ルナ、立て」

「……」

無言で立ち上がる。

「お辞儀をしろ」

「……」

深々と、完璧な角度で頭を下げる。

「床を拭け」

「……」

雑巾を手に取り、感情のこもらない、機械的な動きで石の床を拭き始める。

リアンの仕事は、表面的には楽になった。何を命じても、ルナは一切抵抗しない。ギデオンは「それでいい。それが『商品』として正しい姿だ」と満足げに頷いた。

だが、リアンの心は一日ごとに重く沈んでいった。ルナの琥珀色の瞳から、光が消えた。かつて宿っていた、恐怖や怒り、そして野生の誇りといった、彼女が「彼女」であることの証明が、すっかり抜け落ちてしまったのだ。その瞳は、ただ目の前の空間を映すだけの、ガラス玉に成り果てていた。

リアンは、毎日の食事の配給や掃除のたびに、彼女に話しかけ続けた。

「今日のスープは温かいよ。ゆっくり食べるといい」

「怪我はないか?どこか痛むところは?」

返事はない。人形は喋らない。リアンは、まるで壁に向かって話しているような虚しさに襲われた。あの、彼に爪を立ててきた、生命力に溢れた彼女はどこへ行ってしまったのか。自分の手で、その魂を絞め殺してしまったのだという罪悪感が、毒のように彼を蝕んだ。

リアンは、ささやかな抵抗を続けることにした。

ある日、彼は仕事の合間に、木工用の小刀で木片を削り、一羽の小さな鳥の彫刻を作った。上手なものではなかったが、精一杯の気持ちを込めた。彼はその木彫りの鳥を、ルナの食事の器の隣に、そっと置いた。

「……贈り物だ。いらなければ、捨ててくれて構わない」

ルナは、木彫りの鳥に一瞥もくれず、黙々と麦粥を口に運んだ。

翌日、リアンが独房を訪れると、鳥は昨日置いた場所にそのまま残っていた。その次の日も、また次の日も。それはまるで、彼の優しさを拒絶する、無言の意思表示のようだった。

それでもリアンは諦めなかった。ある時は、街路に咲いていた名も知らぬ小さな野の花を摘んで持っていった。またある時は、川原で拾った丸くてすべすべした石を。

それらはすべて、ルナに触れられることなく、独房の隅に虚しく置かれ続けた。リアンは、底の見えない井戸に、意味のない石を投げ込み続けているような気分だった。

「無駄なことをするな、坊主」

ある日の夕方、そんなリアンの様子を見ていたギデオンが、呆れたように言った。

「感傷に浸って、自己満足か?そんなもんで奴隷の心がどうにかなるなら、誰も苦労はしねえ。奴らに必要なのは、感傷じゃなく、規律と恐怖だ。それで初めて、所有者の『財産』としての価値が保証される」

「ですが、彼女は…まるで生きている屍のようです。これでは、本当に心が壊れてしまう」

「それがどうした。買い手が求めるのは、従順で、問題を起こさない『ペット』だ。心が壊れていようが、むしろその方が扱いやすくて好都合だという客もいる。お前は、感傷で商品の価値を語るな。市場の需要で語れ。それが奴隷商だ」

ギデオンの言葉は、正論だった。この世界の、冷徹で、動かしがたい真実。リアンはそれに反論することができなかった。

その夜、リアンはいつものように、地下牢の見回りをしていた。魔光石のぼんやりとした光が、長い廊下を照らしている。他の奴隷たちの寝息や、時折聞こえるうめき声の中を、彼は静かに歩いた。

ルナの独房の前で、足を止める。

彼女は、眠ってはいなかった。独房の隅で膝を抱え、鉄格子の隙間から差し込む、わずかな月光をじっと見つめていた。その姿は、あまりにも孤独で、儚げだった。

ふと、リアンは気づいた。

彼がこれまで持ってきた、木彫りの鳥や、花や、石が、彼女の足元に、まるで宝物を囲うように、きちんと並べられていることに。

彼女は、捨ててはいなかったのだ。リアンが見ていない場所で、触れていたのかもしれない。あるいは、ただそこにあることを、認識していただけなのかもしれない。

だが、リアンにとって、それは大きな意味を持っていた。

完全な無関心ではなかった。彼の行いは、ゼロではなかった。彼女の心の、固く閉ざされた扉の、そのほんのわずかな隙間に、彼の想いは届いていたのかもしれない。

(ルナ……)

リアンは、鉄格子越しに彼女を見つめた。彼女が、彼の存在に気づくことはない。だが、それでよかった。

彼は、彼女の心の奥底に、まだ消えずに残っている小さな火種を、信じることにした。そして、その火を絶やさぬよう、自分にできることを続けようと、改めて誓った。たとえそれが、どれほど無駄で、愚かな行いに見えたとしても。


二章:値踏みする視線


転機は、唐突に訪れた。

リアンが奴隷館に来てから、一月ほどが過ぎた日のことだ。支配人のヴァルガスが、珍しく地下に下りてきて、リアンを呼びつけた。

「リアン、例の猫獣人の娘、買い手候補が現れた。明日の午後、下見に来る。準備を整えておけ」

「か、買い手、ですか…」

リアンは心臓が凍るのを感じた。ついに、この日が来てしまった。ルナが、誰かの手に渡ってしまう。

「相手は、リヒター準男爵様だ。若い亜人の娘を収集するのがご趣味でな。特に、猫獣人はお好みらしい。いいか、絶対に粗相のないように。もしこの商談がまとまれば、お前にとっても初の大仕事になる。しくじるなよ」

ヴァルガスは冷たく言い放ち、去っていった。

リアンの頭は混乱した。リヒター準男爵。その名は、リアンも聞き覚えがあった。裕福な貴族だが、素行の悪さで有名だった。彼の屋敷に買われていった奴隷たちが、長持ちしないという黒い噂も耳にしたことがある。

(そんな男の元に、ルナを行かせるわけにはいかない…!)

だが、彼に何ができる?一介の見習い奴隷商に、貴族相手の商談を拒否する権限などない。むしろ、商品を魅力的に見せ、高く売ることが彼の仕事なのだ。

「浮かない顔だな、坊主」

背後から、ギデオンの声がした。

「どうせ、ロクでもない貴族に売られるのが可哀想だ、とか考えてるんだろう。甘ったれるな。俺たちは、商品を誰に売るかなんて選べねえ。金を払う奴が客だ。たとえ相手が悪魔だろうとな」

「ですが…!」

「いいか、これが奴隷商の現実だ。俺たちにできるのは、商品を高く売ることだけ。高く売れれば、奴隷館の利益になる。俺たちの給金になる。お前が毎日食ってるパンになる。それだけのことだ。変な気を起こすなよ」

ギデオンは釘を刺すように言うと、リアンの肩を叩いた。「明日に備えて、あの娘を綺麗に磨き上げておけ。毛並みには艶出しの油を塗って、爪も整えておけよ」

その日の午後、リアンはルナの世話に没頭した。それは、買い手のためというよりも、彼女と過ごす最後の時間になるかもしれないという、悲痛な想いからだった。

彼は丁寧にルナの体を洗い、銀色の髪を何度も櫛で梳かした。彼女は相変わらず人形のようだったが、リアンが髪に触れる時、ほんの少しだけ、体をこわばらせるのが分かった。それは、拒絶というよりも、もっと複雑な感情のように思えた。

「大丈夫だよ、ルナ…」

リアンは、自分に言い聞かせるように呟いた。何が大丈夫なのか、彼自身にも分からなかったが。

そして翌日、約束の時間に、リヒター準男爵が奴隷館を訪れた。

年の頃は三十代半ばだろうか。贅沢な絹の服に身を包み、指にはこれみよがしに宝石の指輪をいくつも嵌めている。爬虫類を思わせる冷たい瞳が、ねっとりと品定めするように店内を見回した。その体からは、甘ったるい香水の匂いが漂っていた。

「支配人、話の品はどこかな?」

横柄な口調で、リヒターがヴァルガスに尋ねる。

「はっ、こちらへどうぞ、準男爵様。最高の逸品をご用意しております」

ヴァルガスは卑屈な笑みを浮かべ、彼らを特別応接室へと案内した。リアンは、ギデオンに促され、ルナを連れてその後ろに従った。ルナの首には、見栄えの良い革製の飾り首輪がつけられていたが、その下には、もちろん『隷属の首輪』が隠されている。

応接室で、リアンはルナをリヒターの前に立たせた。

「ほう…」

リヒターは、ルナの体を頭のてっぺんからつま先まで、舐めるように見た。その視線は、生き物に対するものではなく、完全に「物」を見る目だった。

「なるほど、噂に違わぬ美しい銀髪だな。瞳の色も良い。歳は?」

「はっ、推定13歳。最も愛らしい盛りかと」

リアンは、ギデオンに教えられた通りの口上を述べた。声が震えないようにするのが精一杯だった。

リヒターは席を立つと、ルナに近づき、無遠慮に彼女の顎に手をかけた。顔を左右に向けさせ、品定めする。そして、その指が、彼女の猫の耳に触れた。

その瞬間、ルナの体が、ピクリと大きく震えた。

瞳の奥に、ほんの一瞬、恐怖と嫌悪の光が宿ったのを、リアンは見逃さなかった。

「ふむ。躾は行き届いておるようだな」

リヒターは満足げに頷いたが、すぐに退屈そうに言った。

「だが、ただ従順なだけの人形ではつまらん。何か芸はできるのか?例えば、歌を歌うとか。わしは、物憂げな亜人の娘が、故郷を思って悲しい歌を歌うのを聞くのが好きなのだ」

歌。

リアンは、息をのんだ。あの夜、彼女が独房で口ずさんでいた、あのメロディを思い出した。

「いかがかな?もし、わしを満足させるような歌を歌えるのなら、言い値で買おう。だが、できぬのなら…この話はなかったことにする」

リヒターは、試すような目でリアンを見た。

絶好の機会であり、最大の試練だった。もし歌わせることができれば、商談は成立し、リアンは奴隷商としての手腕を認められる。だが、それは、ルナの魂の最も柔らかな部分を、この卑劣な男のために売り渡すことに他ならない。

リアンの沈黙を、同意と受け取ったのか、ヴァルガスが助け舟を出した。

「もちろんでございます、準男爵様!この娘は、類稀なる美しい声を持っております。ただ、少々内気なもので。…三日ほど、お時間をいただけないでしょうか?必ずや、準男爵様のお気に召す歌を披露させてみせます」

「よかろう。三日後、また来る。期待しているぞ」

リヒターはそう言い残し、尊大な態度で部屋を後にした。

部屋には、リアンとギデオン、そして立ち尽くすルナだけが残された。

「…聞いたな、坊主」

ギデオンが、厳しい顔で言った。

「三日だ。三日で、あの娘に歌を仕込め。これは、支配人からの直接命令だ。もし失敗すれば、どうなるか分かってるな?お前はこの仕事をクビになり、あの娘は『欠陥商品』として、もっと悲惨な場所に売り飛ばされることになる。例えば、ゴブリンの巣の慰み者に、とかな」

その言葉は、リアンの心を抉った。

成功すれば、ルナはリヒターの手に渡る。失敗すれば、もっと酷い運命が待っている。

どちらに転んでも、地獄。

リアンは、自分の無力さに、唇を噛みしめることしかできなかった。


三章:魂の旋律


残された時間は、三日。

リアンは、絶望的な気持ちでルナの「歌のレッスン」を始めた。

場所は、地下の独房ではなく、防音処置が施された小さな訓練室だった。

「ルナ、歌ってくれ」

リアンは言った。『隷属の首輪』は、単純な行動は強制できるが、歌のような、感情や記憶を伴う複雑な行為を無理強いすることは難しい。命令しても、ルナはただ口を開閉させるだけで、声は出なかった。

「お願いだ、ルナ。歌ってくれないと、君はもっと酷い場所に売られてしまうんだ」

リアンは必死に訴えた。だが、虚ろな瞳は、何も映さない。

どうすればいい?どうすれば、彼女の心の扉を、もう一度開くことができる?

リアンは、あの夜に聞いたハミングを思い出した。あれが、唯一の手がかりだった。

彼は、おそるおそる、そのメロディを口ずさんでみた。うろ覚えで、音程も定からない、ひどい鼻歌だった。

リアンが歌い始めると、ルナの体が、ほんのわずかに反応した。垂れ下がっていた猫の耳が、ピクリと動いたのだ。

(いけるかもしれない…!)

リアンは、何度も、何度も、そのメロディを繰り返した。声がかすれるまで、歌い続けた。

ルナは、ただ黙ってそれを聞いていた。その表情は変わらない。だが、リアンには、彼女の心の奥深くで、何かが揺れ動いているのが感じられた。

二日目。リアンは、作戦を変えた。

彼は訓練室の魔光石の光を、できる限り絞った。部屋を、あの夜の独房と同じような、薄暗い空間にしたのだ。そして、彼は歌うのをやめ、ただ静かにルナのそばに座った。

彼は、自分のことを語り始めた。

「僕の父さんは、学者なんだ。子供の頃、よく古い物語を読んでくれた。英雄や、魔法使いや…心優しい竜の話も。僕は、そういう物語が大好きだった」

「神託で『奴隷商』になった時、本当に絶望した。君たちを『商品』として扱うなんて、僕にはできないって…今でもそう思ってる」

「でも、逃げるわけにはいかないんだ。僕が逃げたら、君はもっと酷い目に遭う。だから…僕はここにいる」

それは、独り言のようだった。ルナに聞かせるためというより、自分自身の心を整理するための言葉だった。

彼が話し疲れて黙り込むと、重い沈黙が部屋を支配した。

リアンが諦めかけて、立ち上がろうとした、その時だった。

「……ふぅ、ふぅ……」

か細い、息のような声。

リアンが振り返ると、ルナが、あのメロディをハミングしていた。

それは、まだ歌とは呼べない、途切れ途切れの音の連なりだった。だが、間違いなく、彼女自身の意思で発した音だった。

リアンは、息をのんだ。彼は何も言わず、ただ静かに彼女の隣に再び座った。

ルナのハミングに合わせるように、リアンも優しく、小さな声でメロディを口ずさむ。

二人の声が、薄暗い部屋の中で、か細く重なり合った。それは、奴隷とその看守という関係を超えた、魂と魂の、短い時間の共鳴だった。

涙が、リアンの頬を伝わった。嬉しくて、そして、あまりにも悲しくて。

最終日。リアンとルナは、ほとんどの時間を訓練室で過ごした。

ルナは、少しずつ、歌詞のある言葉を口にするようになった。それは、リアンの知らない、古い獣人族の言葉だった。故郷の言葉なのだろう。

意味は分からなかったが、その旋律は、月の美しい夜のこと、緑豊かな森のこと、そして大切な誰かを失った悲しみを歌っているように聞こえた。

彼女は、歌っている間だけ、ほんの少しだけ、昔の彼女に戻るようだった。瞳に、微かな光が宿る。

リアンは、その光を見るたびに、胸が締め付けられる思いだった。この光を、あのリヒターという男に捧げなければならないのだ。

約束の日が来た。

リアンは、ルナに一番良い服を着せ、銀色の髪を丁寧に結い上げた。

「ルナ。大丈夫。僕がそばにいる」

訓練室へ向かう廊下で、彼は囁いた。ルナは、こくりと、小さく頷いた。首輪の力ではなく、彼女自身の意思で。リアンには、そう思えた。


四章:売られた歌声


特別応接室には、昨日と同じように、リヒター準男爵がふんぞり返って座っていた。その隣には、ヴァルガスとギデオンが、緊張した面持ちで控えている。

「さて、約束の歌、聞かせてもらおうか」

リヒターが、爬虫類の舌なめずりのように言った。

リアンは、ルナを部屋の中央に進ませた。彼の心臓は、張り裂けそうだった。

彼は、ルナの目を見た。琥珀色の瞳が、まっすぐに彼を見つめ返してくる。その瞳には、諦めと、ほんの少しの信頼、そして、リアンには読み解けない、深い悲しみの色が浮かんでいた。

リアンは、ゆっくりと頷いた。

そして、首輪の権能を使い、命令した。それは、彼が彼女に与える、最も優しく、そして最も残酷な命令だった。

「ルナ…僕たちの歌を、歌ってくれ」

ルナは、静かに目を閉じた。

そして、か細く、しかし澄み切った声が、部屋に響き渡った。

それは、リアンが今まで聞いた、どんな音楽よりも美しい歌だった。

故郷の森を渡る風の音、月明かりにきらめく夜露の輝き、そして、もう二度と会えない家族への思慕。古い獣人の言葉は分からなくとも、その歌に込められた感情は、痛いほど伝わってきた。

それは、一人の少女の魂の叫びそのものだった。

歌声が、部屋の空気を震わせる。リヒターの卑しい欲望も、ヴァルガスの金銭勘定も、ギデオンの冷徹な現実主義も、その清らかな旋律の前では、一瞬だけ色を失うかのようだった。

リアンは、ただ立ち尽くしていた。自分が、何ということをしてしまったのか。彼は、ルナの魂の一番美しい部分を、白日の下に晒し、値段をつけさせているのだ。

歌が終わると、部屋には深い静寂が訪れた。

やがて、パチパチ、とリヒターがわざとらしく手を叩いた。

「素晴らしい!実に素晴らしい!この物悲しい旋律…ああ、これこそわしが求めていたものだ!完璧だ!」

リヒターは恍惚とした表情で立ち上がると、ヴァルガスに向き直った。

「決めた!この娘、わしが買おう。言い値でいいと言ったな?金貨五十枚でどうだ」

金貨五十枚。

新人の奴隷としては、破格の値段だった。ヴァルガスの目が、欲にぎらついた。

「は、ははっ!ありがとうございます、準男爵様!お目が高い!商談成立でございます!」

成立、という言葉が、ハンマーのようにリアンの頭を殴りつけた。

成功してしまった。最悪の形で。

ギデオンが、リアンの背中を強く叩いた。

「やったな、坊主!大金星だ!お前、奴隷商の才能あるぞ!」

その賞賛の言葉は、呪いのようにリアンの耳に響いた。

リアンは、ルナを見た。

彼女は、歌い終えたまま、力なくうつむいていた。その瞳からは、再び光が消え、元の虚ろな人形に戻ってしまっていた。魂を振り絞って歌った代償か、あるいは、自分の運命を悟った絶望からか。

リヒターの護衛たちが、ルナの腕を掴み、連れて行こうとする。

その時、ルナは、最後に一度だけ、リアンの方を振り返った。

その瞳には、もう何の感情も浮かんでいなかった。

ただ、彼女の白い頬を、一筋の涙が静かに伝っていくのを、リアンは見た。

それは、初めて会った日に、彼の優しさに対して流した涙ではなかった。自分の魂が、完全に売り払われたことに対する、最後の別れの涙だった。

リアンは、その場に釘付けになったまま、何もできなかった。ルナが部屋から連れ出され、その姿が見えなくなるまで、ただ、呆然と見送ることしか。

彼は、初仕事で、大成功を収めた。

そして、守ると誓ったはずの、たった一人の少女の魂を、その手で売り飛ばしたのだ。

彼の心に残ったのは、空っぽの達成感と、魂が抉られるような、深い、深い後悔だけだった。

(これから、どうすればいい…?)

奴隷商リアンの前には、金貨五十枚の成功と、無限に広がる地獄のような道が、横たわっていた。


三話に続く⋯

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