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第十三話 ターヤ王国王都の広場にて、愛を響かせて

 フランツにがっつりと指導を受けた私たちは、ふらふら、よれよれとしながら、城へ向かって歩いていた。ふたりともバイオリンケースを持っているので、いかにもレッスン帰りと、街を歩く人々には分かるだろう。

「ここは『音楽の都』と呼ばれるほどの街だが、結婚式の前にこんなに必死に楽器を練習している男女は俺たちぐらいだぞ」

 フィリックスがぼやく。私は笑った。

「でも、私たちらしいかもね」

 彼は同意してほほ笑んだ。ターヤ王国の王都は、のどかな街でもある。王子のフィリックスが婚約者の私と連れだって歩いても、何の問題も起きない。子どものころは、私とフィリックスは王都で、商人や音楽家や楽器職人の子どもたちと一緒に遊んだ。

 王都では、私たちと同じく、楽器を持って歩いている人が多い。さらに外国人も多い。彼らは、劇場で音楽を聴くために、または楽器を買うためにこの街に来ている。音楽を学ぶために数年間、滞在する人もいる。

 広場の近くまで来ると、軽やかなフルートの音が聴こえてきた。誰かが広場で吹いているのだろう。広場では、いつも誰かが何かを演奏している。街かどでも、ギターをかき鳴らしたり歌ったりする人たちがいる。

「俺、実は音楽が好きじゃなかったんだ」

 ぽつりとフィリックスが話した。私は驚いて、彼の横顔を見上げる。

「嫌いではなかったけれど、好きでもなかった」

 音楽が身近にたくさんあって、その価値が分からなかったのだ。だからバイオリンもピアノも、いやいや習っていた。フィリックスは苦笑する。

「弾くのが嫌なら、やめればよかったのに。だがそのころの俺にとって、楽器を弾くことは当たり前のことすぎて、弾かないという選択肢が思い浮かばなかった」

 私と彼は広場に着いた。街の中央に位置する、大きな噴水のある円形広場だ。レストランや菓子屋や楽器店が、広場に面して並ぶ。城は広場より、少しだけ北にある。

 広場の一角では、ひとりの青年がフルートを吹いていた。七、八人ほどの街の人が、フルートを聴いている。カフェのテラス席から聴いている人たちもいる。私たちは、ちょっと離れた場所で聴いた。小さな声で、フィリックスが続きを話す。

「そんなとき、君がターヤ王国にやってきた。俺は母から、年が近いことだし、君と仲よくするように命じられた」

 お兄ちゃんが妹の面倒を見るように、一緒に遊んであげなさいとのことだった。しかしフィリックスにとって、ターヤ王国語をしゃべれない女の子と友だちになるのは困難なことだった。そしてフィリックスも、当時はロワール王国語を話せなかった。

「君はおとなしそうに見えたし、言葉も通じない。少しでも扱いをまちがえると、君は泣いてしまいそうだった。俺は困った。でも君はバイオリンが弾けた。俺と同じ曲を演奏していた」

 フィリックスと私は、すぐに打ち解けた。言葉はあまり必要なかった。楽譜と楽器があれば、「一緒に弾こう」と伝えることができた。私たちはともにフランツの家へ、レッスンを受けに行くようになった。

「そのとき初めて、音楽はすごい! と感じた」

 フィリックスは懐かしそうにほほ笑む。声が、かすかに興奮していた。

「音楽には大きな力がある。不安そうな女の子を笑顔にするし、言葉が分からなくても仲よくなれる」

 さらに街を見回せば、同国人も外国人もみんな、音楽で通じあっている。音楽を間にはさんで、つながりあっている。目が覚めるような思いだった。フィリックスは今まで、自分の暮らす街を、――自分の国を何も見ていなかったのだ。

「俺は、自分が恵まれた環境にいることを知った。音楽と愛に囲まれている。こんな場所はめったにない。なのに俺はそれに感謝せず、気づくことさえせず、文句ばかり言っていた」

 フィリックスは私の方を向いて、手をにぎる。

「ありがとう、マデリーン。君のおかげで、俺は音楽のすばらしさに気づくことができた。自分が無自覚に享受しているものにも、目を向けることができた。そして自分がこの国の王子として、それらを守らなければならないことも自覚できた」

 ちょうどフルートの演奏が終わった。ささやかな拍手が起こる。聴いていた人たちは、フルートの青年の前に置かれている楽器ケースに硬貨を投げ入れた。フィリックスは小走りで、青年のもとへ向かう。

「素敵な演奏だったよ。素直で澄んだ音色だった。ありがとう」

 フィリックスは、一枚の硬貨を楽器ケースに落とした。フルートの青年がぎょっとする。高額な硬貨だったのだろう。それからフィリックスの顔を見て、青年はまた驚いた。硬貨を入れた男が王子と気づいたのかもしれない。

「ダンケ・シェーン!」

 青年はびっくり顔のままで、礼を述べた。フィリックスは私のもとへ戻ってくる。彼は、あのフルートの音色のおかげで、私に昔話ができたのかもしれない。今度は私の方から、彼の手をつかんだ。

「私の方こそ、ありがとうと言いたいわ」

 私はほほ笑む。

「この夏にあなたがロワール王国に来なければ、私は本当の恋について知らないままだった。子どもなままだった」

 フィリックスも、笑みを浮かべる。

「あなたのおかげで、私も見える世界が変わった。出せる音も変わった」

 ふと目をやると、もうフルートの青年はいなかった。彼は移動して、噴水のふちに腰かけている。友人らしい人たちと、楽しそうにおしゃべりをしていた。

 彼が演奏していた場所には今、十五才くらいの少年がいる。私より、ひとつかふたつほど年下な感じだ。少年はバイオリンケースを地面に置いて、ケースの前に木の板を立てかける。

『もっといいバイオリンを買いたいので、チップは弾んでください!』

 板に書かれている正直なお願いに、周囲の人たちが笑った。けっして失笑ではない。欲深で向上心のある少年に対する、好意的な笑いだ。私も、ほほ笑ましい気持ちになる。

 少年はバイオリンを弾き始めた。負けん気の強い瞳で、難しい曲を弾く。バイオリンの定番曲だ。この曲ならば知っている人は多いし、聴衆からの受けもいいだろう。私もこの曲が好きだし、弾ける。伴奏もつけられる。

「フィリックス、いいかしら?」

 私は、うずうずして問いかける。フィリックスは青の瞳を丸くする。私は彼の返事を待たず、ケースからバイオリンを取りだし始めた。彼は、あきれたのか、あきらめたのか、はたまた感心したのか、ため息をついた。

「俺たちがチップをもらうわけではないから、別にいいか」

 彼もケースからバイオリンを取りだす。少年のバイオリンに、私とフィリックスはそろって伴奏をつけた。少年がびっくりして、こちらを見る。私は彼に、ウインクを投げた。

「うまい!」

「あのふたりは誰だ?」

 広場にいる人たちも驚いている。フィリックスは両足を踏ん張って、堂々と弾きこなす。私は、彼のそばで歌う小鳥。三本のバイオリンの旋律が、広場に響き渡る。

 少年は瞳をきらきらと輝かせている。彼の弾く主旋律を、私とフィリックスが支え飾り立てる。出会ったばかりの名前も知らない少年との、気持ちのいい合奏だ。

 噴水の方から、フルートの音も加わってきた。おそらく、さきほどの青年だろう。手拍子する人も現れる、歌う人や踊る人も出てくる。音楽が広がる。笑顔が広がる。愛は際限なく広がっていく。

 ここは音楽の都。誰もが音楽を愛し、音楽でつながる場所。私はこの街で、愛を響かせながら生きていく。

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