プロローグが終わらない
生前の俺は40歳ニートだったが、実家の2階から転がり落ちた拍子に頭を打って死んでしまったらしい。
気が付くと俺は赤ん坊の姿で見知らぬ天井を眺めていた。
「元気な男の子ですよ~」
産婆らしき格好のババアが俺を抱えて母親らしき女の人に渡した。
母親は生前の母親ではないらしい。見知らぬ人だった。そもそも俺の母親はバリバリの日本人だったが、新しい母親らしき人物は金髪の美人だった。
首が据わっていないので周囲の様子はよくわからないが、見慣れぬ木造の家にレンガ作りの暖炉が視界に入った。いかにも中世といった様子の室内だ。
確信した。これはいわゆる転生というやつだろう。
昨今のライトノベルで腐るほど見た展開だ。
それならば頭上の2人の会話がすぐに理解できるのも納得がいく。いわゆる『チート能力』というやつではないだろうか。
俺は新しい人生でようやく主人公になれるのだ。
この時の俺は希望で胸がいっぱいだった。
生まれてから数日。
俺はベッドの上であおむけになって寝ていた。というより他にすることがない。
今は母親も休んでいるようだ。無理もない。この体は自分の意志とは関係なく何かあるとすぐに泣きだすようになっている。
前世から数えたらいい年のおじさんなので人前で泣くのは気が引ける。極力泣くのは我慢しているのだが、少しでもお腹がすいたとか、粗相をしてしまったと思ったら次の瞬間には泣き出している。
そのたびに母親はすぐに俺に駆け寄ってきて乳を吸わせてくれたり、おむつを替えてくれる。
美人な母親が甲斐甲斐しく世話をしてくれることにドキドキしていたのも最初だけで、俺が泣き出す2~3時間おきに世話をしてくれるのが申し訳なく思えてきた。
それにこの姿では立つ死ぬほどうらやましいシチュエーションだっただろうが、今はそんなことよりも自由に動かせる体がほしい。
それにしても暇だ。この世界にはスマホやテレビはおろかラジオすらない。
俺自身もうまく言葉が話せないので誰ともコミュニケーションを取れない。
話す言葉はすべて「ああ」とか「うう」とかいう感じの鳴き声となる。
外部からの刺激はせいぜい窓から差し込む太陽の光と鳥の鳴き声、室内を飛び回る小さな虫くらいのものだ。
ニートの頃も毎日暇だったがこんなに苦しくはなかった。ネットさえあればいくらでも時間は潰せた。
しかし今は本当にすることもできることもない。
せめてあともう少し成長できれば。そうすれば俺の輝かしい人生の物語が始まるのだ。
そう思いながらさらに数日の時が過ぎた。
その間も俺にできることといえば寝ることと泣くことだけだった。
退屈過ぎて涙が出そうだ。そう思ったら体は本当にオギャアと泣き出す。
また母親があやしてくれる。疲れた顔をしている。
前世では親に対して申し訳ないという気持ちなど感じたこともないが、俺にとっては他人である美人の女に苦労をかけるのは忍びない。泣き止んだ俺を優しくベッドに戻して母親は去っていった。
また、いつ泣いても父親は俺に碌に構うことはなかった。この世界では育児は母親の仕事なのだろう。
俺の世界はこの部屋の天井と母親だけで完結している。なんて狭い世界だ。
早く成長したい。一刻も早くこの退屈な日々を終わらせてくれ。
あの後何日が過ぎたかわからない。本当に何も変わらない日々を過ごしていた。
退屈がつらいという感情はとうに消え去った。
何か考えてもむなしいだけだ。どうせ何もできないのだから。
思えば俺が前世で読んだ転生物の物語では赤ん坊の日々はあっという間に過ぎて、5歳や10歳から物語は始まることがほとんどだった。赤ん坊の時代の暇つぶしについてなぞ誰も言及していないのでどうすればいいかわかるはずもない。
ニートの一日は光の速さで過ぎるのに赤ん坊の一日は体感3日くらいの遅さだ。
これではいつになったら大人になれるのかわからない。
あとどのくらいこの地獄のような日々が続くのか。うっすらとそのようなことを思った矢先、思わぬところからその答えが与えられた。
ある日いつものように母親が俺を抱きかかえた時に俺に語り掛けてくれた。
「あなたももう1歳ね。早いものだわ」
俺はその言葉がにわかには信じられなかった。1歳? まだたったの1歳!?
もう転生してから5年くらいは経っているはずだぞ!?
それならばいったい俺はあと何日赤ん坊の退屈な日々を過ごさなければならないんだ。
動けるようになるには少なくともあと2、3年はかかるだろう。
この虚無な時間をあと2年も過ごさなければならないのか。俺は前世でも感じたことがないような絶望を感じた。
そして俺は生まれて初めて泣いた。もちろん生理現象では毎日泣いていたが、つらくて泣いたのは初めてだ。
「まあまあ。またこの子はこんなに泣いて。よしよし、ママはここですよ」
金髪美人の母親の胸で俺はしばらく泣き続けた。
誰でもいい。とにかく俺を今すぐこの退屈から救い出してほしい。
この終わりのないプロローグを今すぐ終わらせてほしい。
ただそれだけを願っていた。




