天の声に造られし者たち
第一章
顔や大き目のパーカー、素足に返り血を浴びた少女は一種、凄惨なで寂し気な微笑みを浮かべていた。
チョーカーが印象的だった。
深夜、壱樹がロープウェイの駅に進入したときに、ばったりと現場をm喰激したのだ。
セミロングの後ろを縛った、小柄で華奢な少女の足元に、男の死体が倒れていた。
誰かは分かった。
この人工都市「露夢衣」の統治委員会委員、登賀宗だ。
少女は顔だけではなく、身体もゆっくりと壱樹に向き直った。
手に鉈をぶら下げながら。
壱樹は脳内で素早く相手を検索していた。
十代半ば見える相手の該当者は、無し。
こうなれば、証拠の一つも必要か。
持っていたスプレー缶にやや力を入れて、相手の動きを待った。
少女はニッコリと微笑んだかと思うと、また身体の向きを変えて、止まっていたロープウェイのゴンドラに載った。
人工都市の異常である「奇怪」が出るというので、壱樹は深夜のまだ肌寒さが残るときに、来ていたのだ。
十七歳。白い髪の毛で細い体を、ロングジャケットとサルエルパンツにヒップバックという恰好でいた。
残されたかたちとなった壱樹は、緊張を解くと、登賀の死体に近寄る。
頭を一撃でやられていた。
どうして、こんなところに統治委員という露夢衣の支配者層の人間が一人でいたのか。
疑問を持ったと同時に、視界の端で死体の指先がピクリと動いた。
そして、腕がゆっくりと持ち上げる。
生きてはいない。確実に死体だ。
証拠に脳そのものがぐちゃぐちゃにされている。
ならば、理由は一つしかない。
「異常」だ。
すぐにスプレー缶で、死体の上に、都市外に放逐する文字を描く。
絶叫するようなうめき声が上がり、登賀の身体は床にゆっくりとめり込んでいった。
だが、次の瞬間、登賀の身体の中から、人のような形をした「木偶」が現れる。
素早く、壱樹の脇をすり抜け、木偶は駅の入口に走ってゆく。
舌打ちする。
壱樹は拳銃を抜き、木偶の背中に五発を撃ち込む。
電気が放電する光が瞬き、木偶はその場に崩れ落ちた。
「くっそ、失敗かよ!」
壱樹は悪態をついてから、大きく息を吐いた。
人工都市「露夢衣」の空には蜘蛛の巣のようにロープウェイが走っている。
住人たちは、メインシステムである露夢衣中枢に意識をリンクさせることにより、様々な情報にアクセスすることが出来るようになっていた。
ここは古くの宗教から楽園の再現とうたわれていた
人々にはもう露夢衣にしかない。人工都市が人生の全てだった。
露夢衣の北東部の一画には人工都市のあらゆるところに点在する、反古魅名のコミュニティがある。
その中でも異様を誇るのは、炭燈楼という巨大に建て増しされ続けている閉鎖的な城址と言っていい建造物だった。
炭燈楼には、変わり者が多く、能力があるが完全に社会に適応できないタイプが集まっていた。
能力とは、「祇術」である。人工都市に干渉して様々な現象を起こすのだ。
ゆえに、露夢衣の奇怪や事件などの黒幕は炭燈楼の住人の仕業という噂が絶えず、人々から不気味がられている。
壱樹は、不機嫌そうに迷いなく入り、複雑な通路にバラバラに設置されているカーゴを五回乗り換えて、十二階までくる。
換気が悪く、薄暗い内部は、汚水が壁からしみ出し、騒音がそこら中から響き渡り、部屋すらない住民が通路であてもなく座ったり寝ていたりしている。
目的のドアを開けると、急に純白な空間が視界に広がった。
大き目の一戸建てにあるリビングのような広さだ。
白衣を着た小柄な少女が立っている周りに、空中に浮かぶ文字が檻と言っていいぐらいに浮かんでいる。
空中ディスプレイで、回りを囲んでいるのだ。
壱樹は、冷蔵庫から疑似ビールを取り出し、ともう一つだけの家具であるソファに座った。
少女がやっと気づいたらしく、壱樹にいやらしい笑みを浮かべる。
「失敗したらしいねぇ。あんなに余裕かましてたのにさぁ。ほら、泣き言ならきいてやるから、話してみなよ?」
陽慈璃は壱樹と同い歳。だが、背はかなり小さく、百四十センチしかない。ボブの髪の毛を紅く染め、首から腰のあたりまでの鎖で懐古時計をぶら下げ、黒いTシャツにプリーツスカート、軍靴という恰好だ。
表情はいつも相手を小ばかにするかのような冷笑を浮かべている。
見た目どうり、性格は悪い。
壱樹は疑似ビールを喉を鳴らしながら飲んで、息を吐く。
陽慈璃の半ば挑発な言い方に、上目使いで鼻を鳴らす。
無言で棒付きの飴を口に含むと、アルコール同位体と合わせて、脳がしびれるかのような感覚が来て、延髄から全身に冷たい感覚が走る。
「その飴、まだ使ってたのかい」
呆れられたようだが、壱樹は気にしない。
気にならない状態といったほうが正解か。
「いつも通りに依頼が来てな。ロープウェイそのものが最近、不思議な事ばかり起こるというので、守紀駅を調べにいったんだが」
壱樹は続けて起こったことを全て話した。
「登賀かぁ。それは良いとして、その女の子が気になるね」
「こうは考えられないか? あのガキも登賀も奇怪が俺の脳内に作り上げた寄生記憶だって。なにしろ、登賀から木偶が出てきたんだぜ?」
ヘラヘラとした笑みのまま言う。
快楽物質を出す飴の影響だ。
木偶とは、古魅名を通さずに反抗組織が作り上げた露夢衣で活動する自動人形だ。
「困ったちゃんだなぁ、君は。ごまかそうとしても、失敗は失敗だよ。クライアントのロープウェイ会社も覗いたけど、また評価さがったみたいだねぇ。報酬はでないよ。奇怪を消そうとして、登賀を殺しちゃったんだからね」
壱樹は知ったことかと、軽く頭を振る。
陽慈璃は細い指を空中で躍らせて、文字列をどんどん回りで流してゆく。
壱樹の目の前にも文字が浮かんだ。
彼女が送って来たもので、ロープウェイでの事件が記事になったものだった。
そこには、登賀委員の暗殺事件が書かれていた。
「登賀は死んだとさ。都市外に放出したと言ってたけど、木偶は残った。どこかの誰かがやっぱり、登賀には消えてもらいたかったみたいだね」
「とばっちりだ。あのガキさえいなければなぁ」
憎々し気に吐き捨てる。
「僕も今調べてるけど、引っかからないなぁ。これは、本当に寄生記憶かもよ? よかったねぇ、壱樹」
嫌味に陽慈璃は笑む。
彼女の祇術は歳の割りに一級品だ。
人間ではないという噂がたつほどに。
陽慈璃に見つけられないと言われれば、壱樹には手がない。
疑似ビールを一気にあおって飲み干し、缶をそのまま床に置く。
少女は一瞬その動作を座った目で見たが何も言わなかった。
「登賀の方はどうなんだ?」
「ああ、そっちはねぇ、ちゃんと出生時刻から統治委員としての記録に穴がない」
「だよなぁ」
「うん。君は面識があったんだよね」
「だから、すぐにわかった」
「可能性としては登賀委員の、ダミーってところかな。ただ、君が奇怪の処理に向かった時に起こった事件というのが、妙なんだよね」
「そこな」
「君はまだあのコミュニティと関係あるんだろう?」
コミュニティとは、上級市民と下級市民に断絶された社会が、それぞれの思想・嗜好などで個人的に集まる閉鎖的な集団組織ネットワークである。
露夢衣に幾百もあるコミュニティの内の一つに、アマテウというものがある。
そこでは、都市犯罪の平和をうたい、犯罪者予備軍の情報を集め、監視するという集団だ。
壱樹はそこで、確定されてまだ刑事事件化されていない殺人鬼を狩る仕事を請け負っている。
「ああ」
陽慈璃は考える風になった。
「ところで、君はあそここそが、犯罪を生んでいるのではないかとか、殺人鬼という寄生記憶を植え付けられているんじゃないかとか思わないのかい?」
「その辺が面白いんじゃないかよ」
ヘラヘラと笑う。
陽慈璃は仕方がないという風に首をひねった。壱樹は意地になる性格なので、やんわりと行っても無駄かと思ったのだ。
「そういう陽慈璃だって、ひでぇもんじゃねぇかよ」
「何がだい?」
「自覚ないならいいけどな」
「自覚? 僕は別に純粋に研究をしているだけだ。そのためには、余計な感情をさしはさまない主義だけだけど?」
陽慈璃は鏡のような瞳で見つめて来て、口だけを歪めた。
心の奥底まで読まれているような視線だった。
「今、僕が人間規定値として君を測ったけど、損傷率は29%。暗殺者のくせに、って数値だけど、標準並みだ。ただ、どこがどれだけやられているか見ると、致命傷だよ。君は人間じゃないとこまで行く寸前だ」
電子タバコの煙をもうもうと吐く壱樹は無表情だった。
「かまわんね。問題ない。頼みがあるんだけど、登賀を調べておいてくれないか?」
「クローニングが必要なぐらいなんだけどねあー、そっちは頼まれなくともやるよ。これは面白い事例だから」
さすがは、人を人とも思わない祇術師のセリフだと思った。
「じゃあ今日は行くよ」
「次回来たといは、分解するからね」
彼が立ち上がると、さらりと言って少女はすぐに文字の檻の中の作業に集中した。
壱樹は気にせずに飴を舐めながら、しっかりとした足取りのくせに、だるそうな雰囲気丸出し炭燈楼の中から外に出た。
昼間だというのに、都市は薄暗く、代わりに電飾看板の群れが明かりを照らしている。
雑多な人々が往来して、にぎやかだ。
この人々のうち、どれだけが「本物」なのだろう?
ロープウェイから空を見ると、夜空の巨大な星が見える。
司天という者たちが使う装置でもある。
星からも解放された、人々とは?
そう思いながら、ロープウェイに乗って地区を離れた。
壱樹は東区のスラムに近い自分の事務所に戻った。
駅から続く高架歩道を進み、降りるとすぐに廃墟のような小さなレンガの外観をしたビルがある。
三階建て。すべて壱樹一人が間借りしている所だ。
事務所兼私室として、全フロアをつかってる。
すでに夕方である。
三階の私室に上がるとリビングで、ソファにどさりと座った。
飴は小さくなっているが、効力は続いていた。
壱樹は光を見たことがある。
そのなかでは、人が丸まって狭い球体の中に入っていた。
そんな球が幾億も空に散りばめられ、輝いていた。
露夢衣の人々は常に、巨大な何かを感じているという。
壱樹もだ。
ただ、それらが何なのかはわからない。
アマテウには、答えがありそうなのだ。
そんなことよりも、彼は今追っている連続殺人鬼がいる。
名前をアマテウではバタフライ・シーカーと名付けていた。
壱樹は部屋に戻ると、そのことで頭がいっぱいになる。
犯行手段はばらばら。同一犯だとわかる手がかりは、人間の規定値損傷率が70%未満のものばかりを、狙っているところだ。
普通に奇怪かと思われたが、アマテウの人間管理能力から見ると、同一犯だと確定がでているそうだ。
すでに、犠牲者は十四人という数になっている。一か月でだ。
連続殺人犯のパターンから言って、異常な数字である。
ふらふらと立ち上がり、シャワーを浴びると、部屋着に着替えてそのままベッドに倒れ込む。
まどろんだ意識は、いつもの魂がパッケージ化した夢を彼に見させる。
彼らは眠っているようで、閉鎖的な空間の中で好きな情報だけを取り、成長してゆく。決して、魂以外のモノにはならないのに。
乗り気ではなかった。
同じコミュニティの仲間とは言え、考え方が違う関係なのだ。
それでもリーダーは行ってこいという。
久宮はいつものチョーカーにロングパーカーを着てロングTシャツ、プリーツスカートという恰好で、男の横を歩いていた。
人々の往来が激しい中央区と南西部の境目にある芽倉市は、あらゆる組織やコミュニティからのからの空白地帯だ。
有名な屋台街でもある。
午後八時を過ぎて、小さな店の列には客たちがにぎやかに酒を飲み、食べ物を食べている。
「人多い。午前中に来たかったなぁ」
聞いて、隣を歩いている頭一個分大きな男は嘲笑した。
不思議な模様のお面を首から下げて、ロングカーディガンにタンクトップ、手首にはブレスレットを幾つもはめて、革のズボンに軍靴という恰好だ。
電子タバコを咥えて、時折煙を吐いている。
二十五歳。典馬という名前であるぐらいにしか、この男の過去を久宮は知らない。
異様な雰囲気を持った男である。
暗くそれでいて、どこか妙な色気がある。
「多いから楽しいんじゃないか。人がいなければ意味ないだろう?」
「……あぁ、うん……うん」
久宮は何か言おうとしてやめた。
無駄なのだ。
「それよりな。おまえの逃げ道だが、ちゃんと造ったのか?」
「はぇ? 造ったよ?」
「そうか。チェックしてみたが、なんか怪しいぞ?」
典馬の言うことが分からず、久宮は小さく唸った。
それぞれに祇術で人工都市の空間をぶち抜いた逃走用空間を造ったのだが、どういうものか見られるとは思わなかった。
典馬は無言でマンホールの蓋を開けて、小さな四角いものを中に落とすと、元に戻した。
その場に立ち止まって、不気味に頬を釣り上げる。
「見ろよ。あの平和そうな顔を。楽しそうに歩いてる連中をよ。反吐が出る」
「歪んでるなぁ」
典馬は意外だとでも言いたいかのような顔をむけた。
「俺は人間が好きだよ。だが、ここの連中は人間じゃない。歪んでるのは、あいつらのほうだ」
憎々し気に言った割に、顔には嘲笑を浮かべている。
「そうなのね」
とりあえず、面倒くさいことになる前に納得して見せる。
リーダーの典馬評では、彼は誰よりも純粋だ。堕天使たち以上に、ということを思い出す。
露夢衣のどこかでひっそり暮らしている堕天使と呼ばれる連中は、人工都市の住民からは理想の存在と称えられている。
どうして、そんな連中以上なのか、久宮はわかる気がしている。
わかりたくもなかったが。
「さてと、準備はいいか?」
「何も、あたしは逃げるだけじゃん?」
軽く笑ってしまう。
「そうだな」
実質は典馬の護衛のようなものだが、ここまで来るとすでにその任は果たしたと言ってよい。
典馬は電子タバコをから煙を吐くと、ぶら下げら腕の先にある手の指を軽快に躍らせた。。
とたんに地響きが辺りで鳴る。
芽倉市の往来を行く人々が何事かと、首を振る。
次に大地が揺れた。
人々から不安の声が上がる。
典馬の背後から、金属とも言い難いものでできた、巨大な人型の頭部が地面から這い上がった。軋んだ音を立てながら、次に肩、そして手が上半身の腰まで這うような恰好で現れる。
まがまがしい瘴気を立ち上らせながら、巨大な口をゆっくりと開けるあいだに、全身から細かい破片が散るように落ちていた。
木偶、にしては巨大だ。奇怪と言っていいだろう。
人々は急に現れた家屋一つ分はあろうかという存在に唖然となった。
「ベルナ、やれ」
典馬が命じると、巨人は咆哮した。
地面に亀裂が走知ったかと思うと一気に陥没し、中から大爆発が起こった。
爆風や穴に飲み込まれる人々に、家屋や屋台が吹き飛び、炎に巻かれて、一帯は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
何とか逃げ出す人々が典馬たちの脇をすり抜けるが、その背後でも爆発と地面崩壊が起こる。 煙と炎に巻かれた中で、典馬は笑いを噛みしみていた。普通に笑うよりも、興奮の度合いが違うのだ。
逃げてきた若い男が、典馬の足元で転んだ。
「た、助けて……」
典馬は煙を吐いた。
容赦なく無言で、その顎を蹴り上げると、男は宙に浮き、そのまま道の亀裂の中に落ちていった。
彼の脇を、久宮は無言で突いた。
反応がない。
その代わり、目だけは向けてきた。
人が楽しんでいるのに、邪魔するなという非難の色を浮かべて。
「そろそろ、脱出しないと、ヤバいんじゃない?」
「ああ、俺はもう少しいる。おまえはさっさと行け」
「そうする」
遠慮なく答えた。
「気をつけろよ。おまえ、かなりドジだからな」
「うっさいな。ドジじゃないし」
珍しい優しい言葉に、つい多少むくれてやった。
久宮は腕を横に伸ばした。
指先の空間に波紋のようなものができる。
ロープウエイのワイヤーで網のように覆われた露夢衣の天上で星が一つ、輝くのが分かった。
空間が開いた。
久宮は中に飛び込んだ。
暗闇の通路は真っすぐ伸びるように造ってある。
彼女は、ゆっくりと前に進んだ。
真っすぐ?
半ばまで着た時何か、感覚が変だと思った。
次の瞬間には、見えない壁に顔面を強打していた。
しゃがんで痛みを我慢しながら、何故と疑問が頭をめぐる。
腕を伸ばし、空間を探る。
横に伸びる通路があった。
ひりひりする顔を手で抑えながら、そちらに進む。
それしか方法がないのだ。
やがて、とうとつに出口から露夢衣に出た。
そこは、凸凹な地面と崩れた家屋の廃墟と化した芽倉市中だった。
辺りには自警団の人々が防弾チョッキと軽機関銃などの完全装備でうろついている。
「……おい、いたぞ、あいつだ!!」
ウチ、一人が久宮を見て叫んだ。
一斉に、視線が集まる。
久宮は照れるような苦笑いした。
場違いである。
「あー、えと誰と間違ったのかなぁ?」
彼らは問答無用でそれぞれ遮蔽物の後ろに身を置いて、銃口を向けてきた。
「大人しく言うことを聞け! まず手を後ろに組んで、膝を付くんだ!!」
駄目なようだ。
久宮の表情がすぅっと、冷めていく。
上空の星が一つ、光った。
いきなり、久宮の姿が消えたかと思うと、一人の自警団がサブマシンガンを構える背後に立っていた。
容赦なく、引き抜いていた鉈を延髄に叩きこむ。
見ていた者たちは驚愕した。
慌てて狙いを定め直すが、その時にはすでに、別の男の背後に表れていて、鉈が横から首に振られていた。
自警団はパニックになった。
「こいつ、司天だぞ!!」
距離を超越した少女の動きに彼らは気づく。
露夢衣に祇術意外で干渉できる方法は、空に浮かぶ、巨大な五つの星を使うしかない。
人々は、彼らを司天と呼んで恐れる。
まったく、気にも留めず、久宮は次の犠牲者を出していた。
自警団は自棄になって銃を乱射するもの、逃げ出すものと、バラバラな行動を始めた。
久宮は、もういいかと思い、彼らから離れた場所に移動してから、思い切り走り出しだ。
つまり、逃げ出した。
第二章
インターフォンがうるさい。
頭を掻きながら体を起こした壱樹は、ソファで寝ていたことに気づいた。
頭痛がして、凄まじく喉が渇いている。
テーブルには、大量のカラになった疑似アルコール缶。
床に電子タバコが落ちており、とりあえず取り上げて、咥える。
いつまでもインターフォンが鳴っているの。
リモコンで、鍵を開けてやる。
「どちらさん?」
テーブルの上には、拳銃も乗っている。
それが無くても、こういう場面には無頓着な部分がないとも言えない。
「ああ、やっとだぁ。よーーーーーーーすっ!」
スーツケースを二つと巨大なリュックを背負った小柄な少女が、当然のように居間に入ってくる。
突然の事に、壱樹は逆に冷静に俯瞰した状態で、少女を見つめながら電子タバコの煙を吐いた。
あの、ロープウェイの駅で出会った少女に間違いないのだ。
荷物を置いた少女は、やれやれ疲れたと小さく呟いた。
「……で、どこの誰が何の用だよ?」
最低限の問いで、疑問の半分を詰めた。
振り返った少女は満面の笑みを浮かべて、壱樹のソファと反対側のテーブルを前にして座った。
「久しぶり。あたしは久宮というの。ロープウェイ以来ね」
壱樹は返事をせずに、疑似アルコールの残っている缶はないかと、一本一本掴んで振っていた。
やっと見つけた一本は、素早く久宮が奪い取って、目の前で一気に飲み干す。
「うっまーーーー!」
「てめぇ……」
睨みつけてくる壱樹に、不思議そうな顔を向けてくる。
無駄か。
すぐに面倒くさくなる壱樹は、細かいことで怒るのをやめた。
「まぁ、のんびりしながら、説明してもらおうか」
「うんうん。それがいい。どうせ、このビルに住むんだから」
決定事項らしい。
「あー、じゃあいいから、早くして話を聞かせろよ」
「疲れたから、荷物整理は後でいいよー」
ふーっと、久宮は息を吐く。
そして、思い出したように、 ヒップバックから封筒を取り出した。
受け取ると、中を確かめる。
カードが一枚中にあり、壱樹は訝しんだ。
市民登録用カードだ。
DNAを付着させれば、露夢衣に市民と認識される。
壱樹は、登録市民ではなかった。
露夢衣には、大量にいるだろう。主に貧困層や反体制組織の者たちだ。
「最木さんからだよ。渡せって」
アマテウ・コミュニティのリーダーだ。
「それだけ?」
「それだけ」
今更、市民権など何のつもりだろうか。
仕事上、枷になることは決まり切っているのに。
「で、おまえは何者なんだ? どうしてここに来た?」
「最木さんの紹介だよ。頼みごとがあふの」
「あー、住む以上になにかあるのかよ」
少し、機嫌が悪くなる。
「ちょとあたーしーおね……たひけ……て」
完全に呂律が回らない口調になったかと思うと久宮はそのまま派手な音を立てて後ろに倒れた。
露夢衣はいきなりのことに呆れて、しばらく見つめていたが、のんびりとテーブルをまわtって、彼女を覗き込む。
真っ赤な顔をして、ふやけた表情を浮かべていた。
ダメだ、これは。
完全に、疑似アルコールで酔ったようだ。
壱樹は寝室から毛布をもってくると、彼女の身体の上にかけた。
一階の事務所に降りて、椅子に座ると、机の引き出しから飴のを取り出す。
パッケージを剥き、口に咥えて棒をひと回しする。
自分が自分でないような。不思議な陶酔がやってくる。
やけに鋭敏な指の動きをさせると、動き空中ディスプレイを起動させる。
アマテウ・コミュニティに連絡をいれた。
すぐに切断される。
ふざけるな。
内心、ムッとしたが、見るとコミュニティから未読メールが来ている。
『当面の仕事は、久宮を守ることと、バタフライ・シーカーを始末すること。コミュニティには接触しないことの三点。費用は口座に振り込んでおく。他に用があれば、こちらから連絡する。以上』
ふざけるな。
一方的すぎる。市民権の話は説明なしだ。
壱樹は椅子の背もたれに体重をかけた。
当面、バタフライ・シーカーに掛かるしかないらしい。
多分だが、久宮を守れと言われようが、即何事か起こるとは思えなかった。
ならば、ここを選びはしないだろう。
壱樹の住む地区は、貧困層の異常な祇術により、露夢衣中枢からの接触されないよう、認識できないフィールドを張っているのだ。
……どこに帰ろう……
いきなり、ふと頭に異質な考えがよぎる。
異質である。必要ないものだから。
飴がまだ調子よく効いていないようだ。
思わず頭上を見上げると、シーリング・ファンがゆっくりと回っていた。
ロープウェイでの久宮の表情が思い浮かんだ。
あの、凄惨で寂しげな笑みだ。
突然の再会だったが、今夜はあの時の雰囲気を微塵も感じない印象だった。
心の奥底まではわからないが。
翌朝、壱樹は居間でとともに、バタフライ・シーカーの事件とともに、登賀委員のニュースを調べていた。
バタフライ・シーカーの犯行は、相変わらず共通項が見つからない。
ただ、被害者に目を引く者がいた。
ホーロ・コミュニティの前指導者である伊都という中年男性だ。
このコミュニティは、反政組織の連絡役としての役目も持っっている。
彼らを介して来た仕事が、登賀委員の殺害だった。
何故、登賀委員を?
ニュースでは、委員の本体だった木偶が逃げたとはいえ、登賀本人の殺害が発表されている。
目下、登賀の情報よりも、バタフライ・シーカーの犯行説の方に報道が偏っている。
笑える。
確かに、バタフライ・シーカーらしい事件は大量にあり、確定されたモノはそのなかでは曖昧だ。
文字列の中に、いきなり久宮のドアップの顔が現れた。
『あったまいったーーーー!!』
驚いて、壱樹の指は止まって、身体を軽くのけぞらせた。
テーブルの向こうで、ケラケラ笑う声がする。
少女は手をついて身体を起こし、苦い顔で頭を掻いた。
「ビックリしてるの、笑うわー」
ヘラヘラとして、壱樹に向き直った。
「……どうやった? これ普通簡単に侵入できるものじゃないぞ?」
「芸をみせました。凄い? ねぇ、凄いでしょ?」
「あ、ああ」
壱樹は飴の棒の先を回転させた。
「とりあえず、部屋はどこでいいの?」
寝起きから、久宮の意識ははっきりとしていた。
「三階を使っていい。二階は俺の家、一階は事務所だ」
「おっけー」
彼女は立ち上がって、リュックとアタッシュケースをもって、ドアを開けようとした。
「ああ、話があるから、早くしてこいよ」
「うぃーす」
壱樹は冷蔵庫から新しい疑似ビール缶を取り出してきた。
ディスプレイに緊急のニュースが入っているのに気が付いた。
のんびりと、ロックを流しながら缶をあおっていると、久宮が戻ってきた。
「早いな」
「汚すぎて、掃除とかはあとにしたよ。荷物だけおいて、寝床の確保してきた。
言って、テーブルの壱樹を向か側にしたところに座る。
とりあえず、ニュースを開いて見てみる。
『芽倉市で大規模テロ発生。地下水道に大量の爆弾か? 死傷者は八百人以上に上る』
芽倉市といえば露夢伊中央部と南西部を繋ぐ重要な地点だ。
案の定、南西部にある、五区は中央からの情報が遮断されて、無法地帯になることが懸念されている。
「で、どうして俺のところに? アマテウの最木が選んだ理由は?」
大規模テロなど壱樹には関係ないので、話を久宮に集中しようとした。
「今見てる事件に関係あるの」
「え?」
『当局は犯行を久宮という市民権を得ていない十六歳の少女と断定し、操作を勧めています』
「おい、なんだこれ? おまえがやったのか?」
久宮は首を振った。
「一緒にいただけだよ、典馬って奴と。そいつに嵌められたんだ。ついでにあたしも始末しようとしてる。良いんだけど、何となく最木さんのところにいったら、君に助けてもらえって」
「……へぇ。で、典馬って?」
壱樹は、飴の棒をまわす。
「あー、同じコミュニティに居た、元仲間」
「言いづらくても、言ってくれなきゃわからないんだけど」
久宮は、迷ったようにした後に、顔を上げた。
「フフカ・コミュニティというところがあって、反体制組織の一つなんだけど、典馬って急に現れていきなりコミュニティの副リーダーぐらいまでなったの。あいつ、やることが過激で、露夢衣を破壊するのが目的だって言ってた」
「別に、命狙われてるような印象はないけども。それに、参加はしてないが、俺も露夢衣なんて知ったことじゃないし」
「リーダーって、あたしだったんだよ」
「……なるほど、それは、ね」
「芽倉市の時、ついでに始末されそうになったし」
「おまえのところのコミュニティに、典馬って奴の情報は残ってるの?」
久宮は首を振った。
「だろうなぁ」
「そして、フフカ・コミュニティのあたし以外の全員が殺されてたよ」
「次はおまえ、というわけか」
「そうね」
「分かった。まぁ、典馬をどうこうするは、今すぐにはできないけどね」
「ありがとう」
久宮は満面の笑みで感謝を伝えた。
世の中を捨てたつもりだった壱樹は、思わす小さく笑った。
意外と、気持ちの良いものだ。
だが、すぐに自嘲した。
どちらを優先すべきかと多少、迷った壱樹だったが、典馬のフフカ・コミュニティを先に調べることにした。
先手必勝。
久宮には言ってないが、彼は典馬を殺す気でいた。
少女に、コミュニティの本拠を聞いたが、すでに引き払っているという。
壱樹はいつものように、炭燈楼に向かった。
久宮は無言でついてくる。
「うわ……なにここ、汚なっ!」
はじめてくる彼女は、汚水や濁った空気、狭い空間に多少驚いたようだ。
壱樹は無言で十二階に進んでいく。
少女が、本当に反政府コミュニティに居たのかというぐらい、たまにバランスを崩すのでそのたびに、腕をのばして支えてやる。
陽慈璃の部屋は、いつも通りに真っ白だった。
ただ、違うのは、半ば壊れているかのように、外殻がはがれ、中から配線などが天井から吊るされた木偶が一体、壁際に置かれていることだった。
「おやおや、今日は女の子と一緒かい。良いねぇ良いねぇ」
いやらしい笑みをむけてくる。
「この木偶は?」
壱樹は無視してきいた。
久宮は彼の後ろに立って、部屋を珍し気に眺めている。
「登賀委員の本体だ」
にっこり微笑んで答える。
いつの間に。
頼んでおいて、陽慈璃の手際に、壱樹は驚いた。
彼女は何か言おうとしたが、改めて彼の背後にいる少女を好奇心の目で見つめた。
「君、面白いね」
ゆっくりと近づき、同じぐらいの背丈の相手を顔を見つめる。
久宮は気圧されたように、身体を反らした。
「君、司天だね?」
にやりと陽慈璃は笑う。
露夢衣上空に浮かぶ五つの星にアクセスする能力を持つ者を司天という。
久宮は、黙ってうなづく。
いきなり、彼女の核心をついた点を見透かした部分を引いても、人見知りするタイプのようだ。
「ねぇ、ちょっと身体と脳を解析させてくれないか? 司天にも興味があるんだよ、あたし」
「おい、マッド・サィエンティスト、それぐらいにしておけよ」
「どうしたんだい?」
不思議そうな目を向けてくる。
「……それよりも、また調べてほしい奴がいる」
「面白い相手なら大歓迎だよ。最も君が一番面白いんだけどね」
どう面白いのかまったく理解できなかった壱樹は、その部分を無視する。
「元フフカ・コミュニティの副リーダーだった典馬という奴だ。あいつは昨日だかに、芽倉市を壊滅させている」
陽慈璃の目が心持ち大きくなる。
「ほう、ほうほうほう。ニュースや当局では、そこの嬢ちゃんが犯人と目星を付けて動いているらしいけど?」
「久宮は典馬に嵌められたらしい」
「まあ、噂には聞いたことがある人物だ。情報のサルベージついでに話しておこう。まぁ、その前に……」
陽慈璃は久宮の髪の毛を数本、いきなり抜いた。
二人が驚くのはまだ早かった。
髪の毛は、陽慈璃の手の中でくねるように蠢いてた。
「毛血蟲だよ。髪の毛に見えるけど、これが脳みそまで侵入すると、完全に意識は乗っ取られる。多分、その典馬にだろうね」
「……あいつ」
久宮は苦々しく吐き捨てた。
二人から離れて文字列の牢に入った陽慈璃は、細く長い指を踊るように動かした。
壱樹も機嫌が悪くなった久宮を連れてソファに座る。
電子タバコを取り出しつつ、新しい飴を口にした。
「典馬という男は、一部では有名だ。フフカ・コミュニティに入る前は、統治委員麾下の街道因子という私設警察隊にいた。実力は最もあったが、いつの間にかそこを抜けている。現れたと思ったら、コミュニティ作って、しかも街にテロかぁ」
陽慈璃は語りつつ文字列を流しながら、通信を入れていた。
相手の顔が空中に浮かび上がった。
「久しいね、幾都」
二十前後で、青い髪の毛を眼元まで伸ばし、白皙で耳にはこれでもかというぐらいなピアスが開けられている。
青年は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
『フン。何の用だよ、手短に頼むぜ? こっちゃ、おまえみたいのと連絡とってると思われたら、ロクな目にあわねぇからな』
美形と言っては良いが、口が悪い。
「事件知ってるでしょう? 君のところの元隊員が、テロを起こしたって」
『もうあいつとウチは関係がないんでね。お角違いだ』
「世間がそんな単純に見てくれたなら簡単なんだろうけど?」
文字列の中から、号外と書かれた部分を幾都の目の前に寄せる。
そこには、典馬が過去に街道因子に所属していた点が書かれていた。
「スキャンダルだねぇ」
『交治新聞か……あの三文記者共のところに流しただろう、おまえ?』
幾都は鋭く、陽慈璃を睨みつける。
新聞の文字列が、破裂するように四散した。
「あーあー、乱暴だなぁ、君は」
陽慈璃はただ、苦笑するだけである。
『うるせぇ、何が乱暴なんだよ、この程度!』
「どっちにしろ、もう情報は流れちゃってるよ? 君たちは、典馬をもう関係ないとそのまま放置しておくきかな?」
『……覚えてろよ?』
「それから、そっちに人やるから、軽く面倒をみてやってくれ」
『あ?』
疑問が挟まれる前に、陽慈璃は通信をきってブロックした。
「まぁ、これでいいでいいかな? あとは自分たちで何とかしてね」
しれっとしたさまで、言う。
「あー、俺は望むところだけどなあ。久宮は典馬から逃げてきたんだぜ?」
「その辺は君たちで考えるんだね」
突き放すような言い方だが、何故か冷たさは感じなかった。
「……あー、いいや。で、その木偶は?」
煙を吐いて、壱樹が壁の機械人形を電子タバコの先でさす。
「うん、これは面白いよ」
陽慈璃は子供のような明るさで、喋り出した。
「機能としては、人の五感を全て備えている。中枢、脳の部分も多分クローンだろうけども完全だ。神経系も人間そのもの。つまり、これは木偶の形をした、人間なんだよ」
「でも、登賀は死んだことになっているんだろう?」
「そうなんだ。この木偶は生きている。今、クスリで眠らせているけどね。そこで、統治委員会での登賀の役割を探ってみた。すると、彼はあるプロジェクトを推進しているコミュニティの一員だったんだ」
「へぇ……」
「コミュニティの名前はソラ・コミュニティ。天の五星はわかるだろう? あそこにアクセスして露夢衣の制御下に置こうという計画を行う所だよ。司天の機関は統治政府につらなっているけども、そこから派生した過激派といったところだね」
そして、意味ありげに久宮に目をやる。
「どう思う、司天の久宮ちゃんは?」
「……無謀もいいところ。あそこは聖域だよ。手を出すなんて、とんでもない」
「だから、君は登賀を殺したのか」
一瞬迷ったが、あきらめたように、久宮は頷いた。
「面白いねぇ。ただ、ソラ・コミュニティはまだ解散してない。どうするつもりだい?」
「それは、彼らの動き次第かな?」
「ふーん……」
ニヤリと笑った陽慈璃は、口を閉じた。
しばらく、沈黙が流れる。
ソラ・コミュニティにはいかなければならないようである。
久宮をちらりと見ると、微笑んで頷いてきた。
壱樹は飴の周りに舌を一回りさせてから、立ち上がった。
第三章
陽慈璃は、登賀の木偶体の解析と改造の同時作業に夢中になっていた。
この中年男の深層心理には面白いところがある。
露夢衣の統治委員という、最高の地位を得ているはずだが、それでいてさらには、ソラ・コミュニティに参加している。
渇望感があるが、どこまでも尽きない欲望というモノとは違う。
どちらかというと、絶望に近い。
壱樹が常に抱いているモノと一緒だ。
彼には家族がいたが、全員が事故死している。妻と一人娘だ。
特に登賀は娘に執着していた。
陽慈璃は皮肉に、この木偶にあえて人間の姿を再び取らせた。
黒いロングヘア―に十四歳にふさわしいスレンダーな身体。
服は、白いブラウスに黒く細いリボンを首から垂らし、黒いショートサロペットと皮の靴。
壱樹にマッド・サィエンティスと呼ばれた陽慈璃は歪んだ感性で、彼の実の娘の生前の姿を取らせたのだ。
あとは、意識を目覚めさせるだけである。
冷蔵庫から疑似ビールを取って、ソファに座って一息つく。
冷たい苦めの液体を喉に流し込んだ時、彼女は部屋に異様な気配を感じた。
素早く目を向けると、長身痩躯の異様な仮面をぶら下げた、目の青い、ロングカーディガンを羽織った男が立っていた。
見覚えがある。
典馬だ。
「よう、しばらく見てた。さすがといったところだな」
彼は笑みを浮かべていた。
陽慈璃は冷めた目で、鼻を鳴らす。
「いるならいるって言ってほしいかな。 君ちょっと失礼だな」
場違いなまでに、落ち着いた普段通りの口調だ。
「良い趣味してるな。父親の身体を実の娘のモノに変えるなんて」
「なんか話したいなら、飲み物でも出すかい?」
典馬は鼻で笑った。
「これ、譲ってもらえないだろうかと思ってね」
軽く手を持ち上げて、力の入っていない指で少女姿の登賀をさす。
「ダメかな。これはあたし特製のおもちゃだから」
きっぱりと拒絶する。
「そうか。できれば、あんたみたいな人とは敵対したくなかったんだが」
「あたしがどうしたって? 炭燈楼に籠るただの祇術師だけど?」
「謙遜してるのか、何なのかわからないが、笑えないな」
典馬は陽慈璃に向き直り、顎を浮かせつつも、心持ち腰を落とした。
「身を隠すのに、丁度いいからここにいるんだろう、あんた? 堕天使としては」
「……堕天使? なんのことかな?」
典馬はわざとらしい彼女のとぼけっぷりに小さく吹いたようだ。
「露夢衣を造った集団だ。今のこの都市の状態は納得できるものじゃないだろう」
「例え、堕天使でも、そんなものに興味がないのもいると思うよ」
「なるほど。はなっから俺との話合いをする機などないといった様子だな」
典馬の右手指が軽快に動く。
次の瞬間、陽慈璃が典馬の身体の脇をすり抜けかけた
青い火花が派手に散る。
「ほう……」
陽慈璃の身体を囲うような円形をした分厚い刃物が、床から現れた巨大な手によって、受け止められていた。
素早さが仇となって陽慈璃の身体が、やや痺れる。
典馬が振り返ると、彼女の隣で登賀の少女が片手で拳銃をかまえ、狙っていた。
左に一歩ずれて射線を反らし、銃撃を避ける。
そのまま、動きのゆっくりした登賀のほうに走り込み、ナイフを振るう陽慈璃の腕を蹴りあげて、小さな身体を抱え込んだ。
典馬の神経系がいきなり、一部の反応を拒絶した。
陽慈璃の祇術だ。
典馬は全体を侵される前に一気にドアから飛び出して、全力で炭燈楼の複雑な迷路の中に身を消していった。
「……やれやれ」
陽慈璃はその場に身を崩して、大きな息を吐いた。
円刀が巨大な音を立てて、床に転がる。
とてつもない威圧感だった。
彼を見た時から、内心恐怖で震えていた。
自分にこれほどの影響を与えるとは、ただものではない。
とにかく、落ち着いたら壱樹に連絡しなくては。
ソラ・コミュニティは露夢衣の南西部にあった。
中央部から断絶されたわりに、不便めいた雰囲気はない。
この人工都市は、何処に行っても似た雰囲気がある。
狭苦しく店や家屋が立ち並び、昼だろうがよるだろうが容赦ない電光掲示板、電光看板が並んで、上空にはロープウェイの蜘蛛の糸が張ってある。
陽慈璃からの接触後、壱樹に直接、幾都からの連絡が来ていた。
会合場所の指定である。
場末のバーという言い方がそのまま当てはまるような、狭い店だった。
夜の涼しい空気から中に二人の少年少女が現れる。
幾都の壱樹を見た第一印象は、暗いな、というものだった。
合法とはいえ、脳内麻薬を誘発させる飴を咥えつつ、余裕ぶった表情をしているが、明らかに内心を誤魔化している。
深く見てみれば、壱樹にあるのはあきらめきった絶望というものだ。
この少年のなにをして、ここまで堕とさせたかは興味があるところだ。
一方の少女は、司天の幾都から見ても、読み切れなかった。
多分、同じ司天だからだろう。精神を読まれないように分厚い壁を作っている。
「陽慈璃の奴の頼みだ。来てやったぜ?」
幾都は、あくまであらっぽい物腰だった。
マスターが、疑似ビールを二杯、カウンターに置いて姿を消そうとする。
「ああ、このコにはなにかジュースを」
壱樹はその背に言う。
こんなところで久宮に以前のような状態になってもらっては、困るのだ。
二人がストゥールに座ると、久宮の前にはオレンジジュースが運ばれた。
「おまえよぅ、司天だろう? だが、協会の名簿には乗っていない。ってことは、どういうことかわかってるか?」
幾都はウィスキーのロックを前に、いじわるそうに、久宮に言う。
「登賀が何をやっていたか、知りたい」
無視して壱樹が言うが、幾都の視線も態度も変わらなかった。
「言っておくが、司天というのは都市の認可制度の上にある。能力を使えるのは、認可を受けたものだけで、それ以外の者が使った場合、厳罰がまっているんだよ。わかってんのか、嬢ちゃん?」
「あたしが何時、そんな能力使ったかなぁ?」
「最近で具体的には、登賀委員の殺害行為。加えて芽倉市での自警団虐殺。記録に残ってんだよ、お星さまにはな?」
「んー……」
久宮は天井辺りに視線を這わせてから、ぽかんとした様子で幾都を見た。
「それがどうかしたん?」
「な……に?」
「だから、どうかしたん?」
「てめぇ……」
幾都が怒りに頬を引きつらせながら、無理やり笑みをつくる。
疑似ビールのグラスを傾けた壱樹は、面白そうに彼らを眺めていた。
「面白れぇタマだなぁ。ここでバラしてやってもいいんだぜ?」
「あんたが知りたいのは、典馬のことだろう? バラしても情報が得られるとは、さすが役人司天だなぁ」
壱樹が挑発的に言い放って、グラスを置いた。
ついでに遠慮なくゲップをしたため、久宮からの嫌な目を食らった。
幾都は今にも飛び掛かりそうな雰囲気で瞳をギラギラさせながら、不気味な笑みで沈黙していた。
必死で何か考えているようだ。
これでいい。主導権を渡さなければ、必ず優位に立てる。
「典馬? あのイカレたテロリストか。知らねぇなぁ」
「そ。なら別にあんたに用はないわ。重要人物かとおもったら、ホントの小役人で笑えたよ」
壱樹はストゥールから降りて、久宮の腕を取った。
「……馬鹿にしくさってんじゃねぇぞ、ガキども」
唸るような声だったが、無視を決め込んだ。
だが、気づくと店のドアが消えていた。ただの壁が、二人の前に立ちふさがるかたちになっていた。
壱樹が疑問を口にする前に、久宮は首を振る。
舌打ちして、壱樹は元のストゥールに戻った。
「飲んでくれ、幾都さん。少し頭冷やしてさ」
「言われなくても、飲んでるよ!」
「で、あんたら統治機関お抱えの司天としては、どうしたいんだ?」
「典馬の奴を、ぶち殺す」
久宮は二人が話している間、関係ないかのように、ぼんやりとオレンジジュースをストローで飲んでいた。
「で、登賀はどうして殺されなければならなかったんだ?」
頬肘をついて、壱樹はグラスに疑似ビールを注いだ。
「ウチが黒幕のようなことを言ってくれるなぁ」
「気になるのが、典馬が街道因子の元メンバーだってことなんだけどね」
壱樹は仕事がら、司天の機関と街道因子が同じ統治政府の下部組織でありながらも、敵対関係にあることを知っている。
「あんたソラ・コミュニティのメンバーだろう、下っ端の。率先して登賀を始末する役目だろう? そして、登賀の事件は今、何故か街道因子が捜査中だ。困るだろう、街道因子が『真相究明』とかしたら」
まるで見透かすかのような壱樹に、幾都は子供っぽく機嫌を悪くしてみせた。
「何が言いてぇんだよ、クソガキが」
「壱樹キモイ」
ニヤニヤとした笑みを浮かべている壱樹に、久宮はストローに入ったジュースを吹きかけてくる。
完全無視を決め込みんだ壱樹は、まったく構っていなかった。
「弱み見せたらどうだい、街道因子にね」
「……へぇ。クソガキはホント、クソみてぇなこと考えるな?」
街道因子は一個の武装警察のような存在に収まる存在ではなかった。
隊長が厳格なのはいいが、それが部下だけではなく、上司、さらには統治政府にまで及ぶほどだ。
「忘れてるみたいだけど、ウチ等が目的にするのは、典馬で共通してるんだよ?」
「まぁ、たしかにな」
「みんなで頑張ろう、うん」
「壱樹キモイ」
無事、バーからの帰りはロープ―ウェイを使った。
これだけは、南東地区と他の地区が繋がっている唯一の交通機関だった。
ゴンドラは他に客はいなかった。
夜景を足元に星々を空に思う存分堪能できる。
ただ壱樹の飴は切れていた。
離脱症状はまだだ。家までには間に合うだろう。
久宮は窓に張り付いたままだ。
シートに角にもたれた壱樹は、空中ディスプレイを開く。
そろそろ、接触し終わった頃だろう。
街道因子隊長のホットラインに介入して、連絡を入れる。
『……来ると思って待っていた、壱樹だな?』
重いが静かな声だった。
画面に、髪を後ろになでつけた鋭い容貌の若い男が現れる。
街道因子局長、仙久戯だ。
確か、若干二十四歳だったはず。
それにしては、落ち着いている。というより、まったく動じないかのような芯の強さがある。
見るものには、相当な圧迫感だろう。
「ソラ・コミュニティの方から何かあったのかい?」
一方の壱樹も物怖じしない。
『あった。が、それはそれとして、我々の方針は変わざるを得ない』
「変わる?」
『ああ。ソラの連中は後回しだ。一刻も早く、典馬を斬る』
静かだが、確固たる意志に固められた声だった。
「どうしたんだよ。ついでにソラ・コミュニティの連中もとっ捕まえればいいのに」
『モノには順番がある』
仙久戯は長々とした言葉を吐かない。その代わり、断定口調だ。
「どうしたんだ?」
『ちょっとした事件だ。だが、我々街道因子の矜持にかかわる』
「あー、そうかい。典馬殺るなら、俺も手伝うよ」
冷ややかな沈黙が返ってきた。
仙久戯のプライドなら断られるだろうと思ったが、一応、壱樹は伝えておこうと思ったのだ。後々、揉めると面倒くさい相手だったからだ。
『そうか。助かる』
意外な答えに、壱樹自身が驚いてしまい、思わず軽く頬を掻いた。
『どうせ、おまえのところに居る司天の件をどうにかしたかったのだろう』
久宮は無心に窓の外を眺めている。
「よくわかったねぇ」
『本来なら我々のターゲットだ。だが、典馬の件が終わるまでは据え置いてやろう」
「ありがたい言葉だね。その時はこちらも容赦しないので、よろしく」
『死に体に何を言われても、説得力はないな』
「久宮に頼まれた仕事を終えるまでは、こっちゃ全力出す気だよ」
『ほぉ。面白い。それなら背中に気をつけることだ』
仙久戯から出た言葉だ。
冗談のつもりではないだろうことに、壱樹はうんざりとする。
『こちらも今忙しい。今後の事はその都度お互い連絡する。これでいいな?』
「構わない」
挨拶もなしに通信は切られた。
気が付くと、久宮が隣に立っている。
「壱樹、飴は?」
「あ? ああ、もう家に行くか買わないとない」
「ありゃー……。途中で買ってこうよ。家まで持たなかったらどーすんの」
「あー、持つんじゃね?」
久宮が見え上げて、壱樹の瞳を覗き込む」
「どした?」
「さっきの死に体って何?」
「別に。何でもないさ」
「そう」
久宮はすぐに窓のそばに戻った。
夜空を眺めながら口を開く。
「ねぇ。あの空の星の中にね、もう一人の自分がいるって知ってた?」
「あー? なんだそれ?」
壱樹はワザととぼけた。
魂の星。
有名な話だ。
パッケージ化された人の魂が、露夢衣上空には星として散りばめられているというものだ。
どこの誰の何のためのものかは、それこそ祇術師の数だけ理由がある。
「別に。それだけ」
「そうかよ」
久宮は一度振り返って壱樹を見た。
「あたし、壱樹の魂も見つけてあげるよ」
「あ?」
少女は笑いながら、また窓に向き直る。
あとは駅に着くまで二人とも無言だった。
駅から街に降り立つと、久宮が率先して飴屋に彼を連れて行った。
壱樹は好みのダウナー仕様の飴を五つほど買って、一つをその場で口に入れる。
思わず、笑みが漏れる。
何もかもクソだ。
人生に意味なんかあるものか。
壱樹はヘラヘラとしながら考えつつ、久宮とともに家路に向かった。
仙久戯は通信を切ったとき、鼻を鳴らした。
薄暗い、街道因子の多目的ホールの中央に、立って。
多目的ホールには、血だまりができている。
あちらこちらに、倒れたまま動かない隊員が多数、床に寝転んでいた。
すでに数えていた。
全員だ。
街道因子の全員の死体が、このホールには転がっていた。
仙久戯は無言でその様子をみて、何も言わずそのまま壱樹からの連絡を受けたのだった。
黙ったまま、彼はホールを出る。
ゆっくりとだが、乱れない歩調で執務室に入った。
酒も煙草もクスリもやらない彼は、そのまま机についた。
目は相変わらず、冷たくすわっている。
彼は恐ろしく冷静に、ひたすら典馬殺害の計画を考えていた。
今の彼の頭にあるのは、ただそれだけだった。
彼は、あらゆる反政府コミュニティに連絡を取った。
敵対していた者たちだけに、下手な隣人や上司などよりも、良く熟知している。
内容は、天馬への協力をやめること、情報を常に入れること、出来れば生きて捕らえること、だ。
見返りに、組織の存続を保障する。
街道因子壊滅の報は、すでに彼らに届いていた。嘲笑するだけで返事する相手もいた。
「私がなにか可笑しなことを言ったか?」
仙久戯が一言、そんなセリフを吐くと、決まって相手は戦慄を感じずにいられなかった。
非情にして冷徹な街道因子隊長の実力は、恐ろしいほどに身に染みてわかっているのだ。
その仙久戯が極端な要請をしてきたのだ。ただ事ではないことが、彼らにはわかった。
次々と各組織に要求を突き出しては、次に違う組織に連絡を入れる作業を終えた彼は、椅子にもたれた。
「ロクな死に方をさせないぞ、典馬」
声は冷え冷えとして、憎悪すら感じさせないものだった。
第四章
壱樹のところに、珍しく陽慈璃から連絡が入っていた。
典馬に登賀の木偶を奪われたという。
しかも陽慈璃はこともあろうに、木偶を登賀の娘の身体に改造していた。
「なんでそんなことしたんだ?」
半ば呆れつつ疑問を投げつける。
『ちょっとした好奇心かな』
こいつの頭は、本当に沸いているのではないか?
半ばではない。完全に呆れた。
悪ぶれていない陽慈璃は、あまり豊かではない表情を困らせたようにしている。
『壱樹、典馬をどうにかしてくれ。登賀の木偶を取り戻してほしい』
「あー、典馬は狙おうと思ってたところだよ」
『そうか。安心したよ。何か入用な物があれば、言ってほしいな』
「とりあえず、アマテウの件を調べておいてくれ。登賀をいじってたなら、どっかから手繰れるだろう?」
『わかった』
通信を切り、壱樹はソファの隣に座っていた久宮に尋ねる。
「正直ねぇ、典馬については余りよく知らないんだよ」
リビングのソファで、正面のペーパーディスプレイにバラエティののんきな笑いを垂れ流しながら、壱樹は相変わらず棒の付いた飴を舐め、疑似ビール缶に口をつけていた。
「知らないかぁ」
彼は久宮を無理に追及したりはしなかった。
ただ、喋りたい部分だけを聞くだけの姿勢を保っている。
久宮は久宮で、壱樹の態度がもどかしそうでもあった。
「んー、えっと、えっとねぇ……」
難しい表情で、必死になって記憶を手繰りする。
壱樹はぼんやりと、飴を舐めながら待っていた。
急に久宮が輝くような笑みを浮かべる。
「そう、そうだ! すごぃ強い!!」
「は?」
「え?」
「……あー、ね」
「なんだ、その残念そうな顔は?」
久宮がむくれる。
「いや……そういうコなんだなって。ほら、あまり喋らないし、たまに変だし」
「ざけんな! 壱樹こそ、全然かまってくれないじゃないか!」
「あー、はいはい、バブ~」
「うっせっ! キモい!!」
壱樹が腹を抱えて笑うと、久宮はつられて笑った。
「あー、まぁ安心しな。役割は果たすよ。絶対にね」
飴を口の中で回し、天井を眺めて壱樹は呟くように言った。
「思い出したよー。典馬は、露夢衣でしきりに奇怪を出現させてたんだよ。目的はわからないけど」
「奇怪……か」
露夢衣での「異常」を奇怪と呼ぶ。
様々な「異常」があり、まさに、人工都市に異常があれば、それは奇怪と呼ばれる。
「どんなのだ?」
「んとねぇ……」
久宮が上げていったものは、壱樹の事件データの中のもの8割に符号した。
脳に刻み込まれたモノたちだ。
しかも、その半分はバタフライ・シーカーの犯行と同じ重要人物関係の殺害事件だった。
「マジかよ、これ……」
唖然としかけて、思わず笑んでしまった。
腹の底に喜びが蠢きだす。
明るく飛び出してくるようなものではない。
ひたすら闇の中からドロリと沸いてくる類だ。
壱樹は、飴を床に吐き飛ばし、疑似ビールを一気飲みした。
「……うっわ、汚なっ! その笑い、キモッ」
「うせぇな」
そんな反応も、喜びに満ちた声になっていた。
久宮は思わず、小さく笑った。
壱樹が虚無感から抜け出したのだ。
「あー、何見てんだよ?」
「んー? べっつに―?」
「何笑ってんだよ?」
「ふふっ、別に?」
「気持ち悪い奴」
「良いですよー、それでー」
久宮は壱樹を見つめながら、拗ねもせずに言った。
「なんだ、ここ?」
気が付くと、埃まみれの崩れかけた廃墟の一画だった。
目に映る手が小さい。服も少女のものだ。
近くにあった雲ったガラス窓に自分の姿を映すと、見覚えのある少女の姿がそこにあった。 那緒。
十二歳で死んだ娘のものだ。
彼女の好みとは違う少々ゴシック風な服装だが、確かに本人の姿だった。
「どういうことなの!? なんであたしが那緒の恰好を!?」
頭の中のセリフと出る言葉が変換されている。
背後に長身の男が立った。
「どうだ、気に入ったか? その身体は」
典馬は皮肉に笑んでいた。
とっさに振り返った登賀那緒は、見上げて彼を睨んだ。
「あなたね、これをやったのは!!」
登賀には相手が誰か分かったし、典馬ならばやりかねないと確信していた。
統治委員としては、「重要」な犯行分子として。
ソラ・コミュニティでは、これも「重要」なアドバイザーとして、だ。
「残念ながら違う。その恰好を造りあげたのは、陽慈璃という堕天使の祇術師だ」
「堕天使?」
次から次に情報が入ってきて、登賀の頭は高速回転する。
堕天使といえば、この露夢衣を造ったといわれている存在だ。
今の実質、人間のものとなっている露夢衣を快く思っていない。
彼らはどこかにコミュニティを作り、露夢衣奪還を練り続けているという。
そもそも、彼は殺されたはずだ。
登賀は、自己が何のためにこのような姿になったのか、理解した。
怒りが沸く。
堕天使は、死んだ娘まで利用しようとしているのだ。
「クソが!」
登賀は靴が硬いのをいいことに、壁を蹴った。
素直に悪態はでた。
「随分と荒れてる子供だな、登賀」
「あー? ざけたこと言わないでよ!! 知ったことじゃないよ、クソ野郎が!」
少女の高い声が響く。
言っておいて、登賀は複雑だった。
那緒にはこんな言葉使いをしてほしくないというエゴがでたのだ。
辺りを見回して、座れそうなコンクリの欠片を見つけると、登賀は細い脚を組んで腰を下ろした。
怒りを押し殺して、深い息を吐く。
「……で、その堕天使はどうして、あたしにこの姿を?」
「それが、単に趣味って部分が多いらしいな」
「ふざけ……」
少女は言いかけて、途中で黙った。
「都合がいいじゃないか。ソラ・コミュニティでの計画が、やりやすいというものだ。違うか?」
典馬の声は皮肉に満ちていた。
「那緒はあれとは関係がないんだよ?」
「何を都合のいいことを。おまえの家族がただの事故死だったとでも思っているのか?」
「え!?」
思わず見上げた登賀に、典馬は相変わらずニヤニヤとした笑みを浮かべている。
「アマテウ・コミュニティというところを知っているか?」
「んー、確か凄い小さな生活補助系の組織だったような……」
「存在は小さいが、やってることはでかい。表向きは援助組織だが、一方で人を使って政府の重要人物を暗殺させている」
「そこが、あたしの家族を殺したの?」
「そういうことだ」
登賀の顔が怒りで赤くなるのが分かる。
「なんで……ひどい……」
小さな手を思い切り握り、同時に涙が瞳からあふれ出す。
登賀の反応は少女のそれ、そのものだった。
「おまえに残された道は、ソラ・コミュニティの計画を推進して実行するしかない。ここまで来たら、もうどうにもできないぞ?」
「仇を討ちたいよ」
「ああ、それなら俺に任せておけばいい。おまえは、ソラの方に集中するんだ」
実際、この体になった登賀には行動の限界がある。
何もかも一からだ。
仇を自分の手でどうにかしたくても、無理だろう。
典馬がどうにかしてくれるというなら、頼るしかない。
「典馬、あたし、どうなっちゃうの……?」
嗚咽混じりだった。那緒の目からは涙が止まらない。
登賀は、どうすればいい?と聞きたかったのだが。感情まで、那緒のモノになりつつあるのを、自覚した。
恐怖が登賀を捉えた。
自分は那緒になるのか。このままでは、身体だけではなく、心まで。
自分の娘を思い出す。
やがて恐怖はどこか暗い背徳めいた悦楽に変わって行った。
「どうなるのかは、正直わからん。俺が造ったわけではないからな。ただ、指示には従えばいい」
典馬は身をひるがえして歩き出した。
「……どこに?」
「寝床に帰る。ついてこい」
かく乱か。いや、確実に罠だろう。
仙久戯はわかっていた。
典馬が堂々と自己の名前でホテル・儀楓館のスイートルームに予約を入れていたのだ。
中央区にある、露夢衣で最も高級で、統治委員や上級市民の御用達のホテルだった。
当然、客についての情報は徹底して秘匿されている。
だが、街道因子は統治委員議長直属の機関である。いくらでも秘密の情報には接触できるのだ。
典馬もそれがわかっているはずだ。
あえて予約したのがかく乱か罠でなくてなんだろうか。
仙久戯は儀楓館の地下にあるカジノのバーにいた。
直接の襲撃を窺いながら、典馬がどう出るのか様子を見るために詰めていたのだ。
儀楓館には彼が滞在しているのを知らせていない。
わざわざ承認を得る必要など、街道因子の考えとして元から無いのだ。
典馬が身分を明かしているというのに黙って泊めた儀楓館を問い詰める考えもなかった。
スイート・ルームには過去に街道因子が仕掛けていた大量の監視カメラと隠しマイクが生き残っていた。
それらは全て仙久儀の携帯端末につながっている。
ギムレットを飲みながら、彼は監視していた。
典馬は驚くほどの美少女を連れて、午後八時半にチェックインした。
そのまま、エレベーターで六十二階の最上階まで向かう。
典馬が、シャンパンを開けてソファでくつろぎ、少女はテレビを眺めていると、客人らしき人物が数人、あらわれる。
見覚えがあった。
統治委員の男と、財界の大御所で壮年の男だ。
典馬は彼らに少女を紹介し、いたって親し気に世間話をする。
『ほう、登賀委員の娘さんですか。整然のお父さんにはお世話になりましたよ』
壮年の男が少女に話かける。
いたって不愛想に、そうですかという反応が返ってきて、男は笑った。
典馬が奥のソファに座り、リラックスしだすと、どんどん来客が増えてきた。
まさに老若男女だ。明らかに下級市民の人間もいる。
見覚えがある。
ソラ・コミュニティの連中だ。
仙久戯は決めた。
代金を払い、バーカウンターから離れてエレベータ―に向かう。
左手に、鞘に収まった刀をブラさてて。
六十二階にでると、真っすぐスイートルームのドアまで来る。
仙久戯はいきなりフラッシュ・グレネードと、煙幕を部屋内に放り込んだ。
爆発音がした瞬間に、ドアを開けて中に入る。
人々はパニックをおこして、動けないでいた。
仙久戯は彼らを無視して、真っすぐ典馬の所に走り込んだ。同時に刀を抜く。
煙幕で人影にしか見えなかったが。
もうもうたる煙の中に、ソファでカクテルグラスを持った長身の男が目に入った。
典馬だ。
仙久戯は問答無用で、一気に袈裟懸けに刀を振るう。
だが、刀は典馬に届く前に、硬い岩のようなものに跳ね返された。
巨大な腕が床から生えて、手のひらで受け止めたのだ。
仙久戯は構わず、腕の脇をすり抜け、横薙ぎに典馬を斬ろうとするが、もう一本現れた手に阻まれた。
典馬は余裕の笑みで座ったまま、電子タバコを吸っている。
仙久戯は、すぐに考えを変えた。
身をひるがえし、煙の中に飛び込む。
目前に突然、少女が現れた。
手に、大口径を超える大きさ程あるバレルカットのショットガンを持っている。
仙久戯は舌打ちした。
間に合わない。
ショットガンが火を吹いた。
凄まじい衝撃に、身体が跳ね返された。
深夜、久宮は自室に戻り、壱樹は疑似ビールを飲みながら、酔いに頭を朦朧とするのを楽しんでいた。
リビングの光はワザと間接照明にして、ペーパーディスプレイで、音楽番組を流したままにしている。
戸口で物音がした。
目だけ素早くやる。
薄暗い部屋の床に、何か塊のようなものが蠢いている。
「……壱樹、見ろ。俺を……」
「仙久戯?」
苦し気な声は聞いたことのあるものだった。
テーブルのリモコンで、照明をつける。
蛍光灯に照らされた仙久戯の姿は、床に這いつくばり、両手で必死にこちらに身体を引きずっていた。
見ると、その下半身が無い。
「どうした、それ……?」
驚いた壱樹は、気付けに電子タバコを咥えつつ、おぼつかない脚で彼の元に近づく。
仙久戯は自嘲しているようだった。
「これで生きてるのが驚きだ。凄いぞ、痛みが全くない」
いつもより饒舌だ。
「大丈夫なのか?」
「問題ない」
笑いを引っ込めた、仙久戯はソファに身体を置けと、目と指をさす。
華奢な壱樹は、それでもかなり重い彼の身体を持ち上げ、どうにか運んだ。
仙久戯はやれやれといった風に息を吐いた。
テーブルを挟んで、壱樹は座る。
「……これは一体どういうことか? という話だ、壱樹」
いたって冷静に素っ気なく、仙久戯は言った。
彼のズタボロになった腹部からはチューブや金属片などが覗いており、肉体が機械で出来ているのを物語っている。
「……俺はいわゆる『造られた』覚えもないし『改造』された覚えもない。いたって普通の家庭に生まれ育って来た。上級市民としてだがな」
ふと、手元にある壱樹が飲んでいた疑似ビールを一気に煽り、続ける。 「だが、デカいショットガンを撃ち込まれたら、このざまだ。壱樹、おまえは普通の人間か?」
問われ、壱樹は困惑した。
「いや、俺は……」
テーブルの上に、折り畳みナイフが放り出される。
それで腕を軽く切って見れば、すぐにわかると言いたいのだろう。
だが、壱樹も大怪我をしたことぐらい何度もある。
確かに、自分は人間だと思っている。
「ああ、今昔のことを考えてるな? 怪我の記憶だろう? 俺にもある。その時は、こんな中身じゃなかった。いつの間にか、こうなったんだ。わかるか?」
試してみろと言いたげな表情だ。
「なにか、きっかけかとか、覚えはないのか?」
壱樹はあえて折り畳みナイフを無視した。
「無いこともない。おまえのところに司天がいるだろう。呼べ」
黙って従い、携帯端末で久宮に『起きろ、ちょっと来い』とだけ連絡を入れた。
「なんなのもー?」
やがて、白地にピンクの模様が入ったパジャマ姿の久宮が三階から降りてきた。
仙久戯の姿を見て、一瞬、彼女は固まった。
人見知りではあるが、それ以前にショックを受けているようだった。
「この姿に、覚えがあるかどうか、だそうだ」
壱樹は簡単に説明した。
簡単すぎたのか、久宮は少し考える。
「久宮といったな。俺はいつの間にか、木偶にされていた。きっかけについて、何か知ってるだろう?」
仙久戯が少しだけ、事情を付け加える。
少しだけ間を置いて、久宮は頷いた。
壱樹の隣に座り、二人に向かって口を開く。
「……かなり前なんだけどね。登賀統治委員が暗殺された、数日まえかな。堕天使のこにゅにティで会議があったみたいなの」
通常、一つづつしか露夢衣に接近しない天の五星が、丁度全て揃う夜のことだ。
しばらく沈黙が続いた。
「それで?」
促すように聞いたのは、壱樹だ。
「それだけ」
「は?」
「あとは知らない」
「知らないって……何かあるだろう? 五星が集まったとかでどうしたんだよ?」
「星一つの能力だけでも、凄いのよ。で、集まったんだけど、それを堕天使がどう使ったかなんて、わかんないよ」
「こりゃダメだわ。とりあえず、仙久戯、その身体直せる人いるから、そこに行こう」
提案すると、複雑な表情を浮かべていた彼は頷いた。
「……不本意なんだが?」
「しょうがないだろう?」
運ぶ手段がなかったので、壱樹は仙久戯をベビーカーに載せて、バスタオルで開いているところを隠してロープウェイに乗っていた。
提案したのは久宮だが、実際にやっているところを見ると、時折、必死に笑いを押し殺している。
すっかり、仙久戯に慣れていた。
多分、彼の朴訥な感じが逆に受け入れやすかったのだろう。
「……まったく、何をしていると思いきや、ママゴトかよ、おまえら」
唯一の同じ搭乗者だと思ってた男が振り向き、二人に声をかける。
「あれ、幾都?」
「さんをつけろ、クソガキがよ」
幾都は別に怒るでもなしに鼻を鳴らした。
ゴンドラが違う線に曲がり、停止する。
「こんなところでなにしてんだよ?」
壱樹はソラ・コミュニティのメンバーである彼に聞いた。
「おまえらを待ってたんだよ」
「丁度いい、聞きたいことがある」
「あ? 俺の話が先だろう、ガキがよ」
「以前、天の五星が集まった時、何が起こった?」
「知らねぇよ」
幾都は取り付く島もなく断言した。
「役に立たないな」
「んだと、こら? いいか、確かにな五星が集まればこの露夢衣にとんでもない影響を与えることが出来る。だがやったのは堕天使だ。ウチじゃねぇ。奴らの閉鎖性はトンでもねぇんだよ。幾ら探ろうとしても、まったく手に負えん」
「威張られてもな」
「うっせーガキだなぁ」
煽られて口調はいつものように悪いが、気分を害した様子はない。
彼は改めて、咳を一つすると、喋りだす。
「典馬が動き出した。というか、街道因子かな? ついさっき、ホテルで典馬が招いたうちらソラ・コミュニティのメンバーが、街道因子に皆殺しにされた。生き残ったのは、俺だけってことだ」
「……ほぅ」
ベビーカーから地の底から響くような低い声がした。
幾都は怪訝な顔で、中身の覗けないそれに目をやる。
バスタオルをよけて、仙久戯が顔を出した。
「俺がその街道因子だが、覚えがないな。襲ったことは確かだが、すぐに返り討ちにされた」
「おまえ、仙久戯か……」
二人はお互いを知っているようだった。
仙久戯は頷く。
「その身体は……」
さすがに幾都は上半身だけの恰好になった相手に驚いたようだ。
「見ての通りだよ。ソラ・コミュニティがやられたというのは、多分、典馬にとって邪魔な相手だったということだな。おまえらは五星を使って露夢衣を支配しようとしてたんじゃないのか?」
いきなり本質を突かれた幾都は鼻を鳴らした。
壱樹も陽慈璃から聞いていた。
五星は露夢衣とは違う存在であると。唯一、露夢衣に干渉できる存在だ。
「俺は使いっぱだから、詳しくはわからねぇが、そんなところだ。邪魔というよりは、コミュニティを乗っ取られたといった方がいいな」
「あいつは、木偶を使う。それも並みのものじゃない。加えて、妙な少女が味方に付いている」
「へぇ……」
別のゴンドラが、近づいてきた。
全員が、警戒する。
「幾都、あれは?」
「わかんねぇ。どこのどいつだ!?」
「参るな。撤収しよう」
冷静に仙久戯が提案する。
「間に合わなねぇよ。あの線、何か知らねぇが早いぞ?」
幾都は一応、ゴンドラを移動させた。
だが、相手はそのまま追って平行線に入ってくる。
「いざとなったら俺は捨てて置いていい。幾都も知らん。壱樹と久宮だけでもどうにか脱出できるようにしろ」
「ちょ、それはないよ! ダメだよ、そんなっこと言ったら!!」
久宮が抗議の声を上げる。珍しく本気らしい。
壱樹は新しい飴を取り出してパッケージを剥き、口に入れると、ついている棒先をひと回転させる。
いつものダウナーではない。アッパー系で、神経が全身過敏に張り詰めて出す。
「……どっちにしろ、ぶっ殺せばいいんだろう?」
興奮で、多少震えがある口調だった。
深く考えてはいないが、ここのところもやもやが溜まっていた分、吐き出したい気分だった。
『警告する。ロープウェイは先日、我々コキラ・コミュニティが買収し、専用となった。次の駅でおりよ。さもなくば、ゴンドラごと破壊する』
「コキラ・コミュニティ? 聞いたことがない」
仙久戯は考えるように言った。
「まぁ、良んじゃね?」
壱樹は一歩両開きのドアに近づいた。
左右の袖の奥から、両手持ちの剣のようなものの柄だけを落として、手に握る。
目は爛々と輝き、平行するゴンドラを睨みつけていた。
その後ろでは、久宮がジャラリと、先に刃を付けた鎖を数本垂らした。
第五章
幾都が手動でドアを開けた。
無言の圧力が、壱樹から来たからだった。
思わず自然な流れで従ってしまう空気だった。
平行するゴンドラもドアは解放されている。
そこには、人ひとりが中に入れるほどの巨大な円型の刃物を抱えた、張りぼてそのものと言っていい、木偶が立っていた。
後ろに一人、男が立っている。
「……おまえ、典馬のところにいたどこぞの坊ちゃんだろう? まぁ、以前から知っているが」
仙久戯は冷静だった。
「へへ、言い方が気になりますねぇ。いやあ、確かに彼のところに居ましたよ、アナタがそんな姿になるところを見てましたから、お互い確かってものです。へっへっへ……」
二十前後か。金髪で黒ずくめの服装はところどころ破れて、チェーンが幾本も垂らされている。指にもリングを大量に嵌めて、爪は一本一本違うネイルをしていた。その手には、強化グラスナックルが嵌められていた。
タレ目で、下唇にピアスをした口は、皮肉に笑んでいる。
「斉侘商事の御曹司、稀烏爾だったな。たしか、可哀そうなコだったはずだ。なあ?」
「かわい……そう?」
「そう、おまえは可哀そうな奴だ。常人なら耐えきれないような酷い目にあってきた。それを耐え続けている、可哀そうな奴だ」
「う、うるさい、うるさいぞ!!」
あくまで淡々とした仙久戯に、稀烏爾は突然金切り声を上げた。
「へぇ。おまえは、あの稀烏爾か。ウチのファイルにも乗ってるな。下手で幼稚な手口の殺人を三件起こしてるだろう。丁度いいなぁ」
壱樹の笑みには凄みがあった。
青年は鼻で笑う。
「クソガキが何人来ようと、そこの街道因子が動けないなら意味がねぇんだよ、バカがよおおお!!!」
内ポケットからリヴォルバーを抜き、壱樹に狙いをつける。
構わずに壱樹はゴンドラから向う側へ跳び込んだ。
真正面には円刀をかまえた木偶が稀烏爾の射線を邪魔する。
木偶が振るう円刀に、壱樹は右の柄の底を振るう。
風圧で輝く刃が現れ、円刀を受け止めた。
すぐに壱樹はそこを支点として、身体を木偶近くに移動させる。同時に、左手の柄から伸びた刃を木偶に横から叩きつけるようにする。
これは、木偶が円刀を横にずらして、弾くように防いだ。
同時に、鎖が矢のように伸びてきて、稀烏爾のリヴォルバーを握る手に絡まり、二本目が彼の顔を真っすぐ狙い撃ちされる。
稀烏爾は、とっさに左によけて、鎖の先に着いた刃物を避けるが、拳銃は衝撃に落としてしまった。
壱樹は円刀を一瞬で消える刃でもう一度、右手で交差させて固定すると、そのまま空いた左の柄から伸びる風の刃で、木偶を横薙ぎにしようとする。
木偶は器用に円刀から身を離して、底を上げると横向きにし、両方の刃を受け止める。
そのまま、円刀は回転するように滑り、壱樹の側面から襲い掛かった。
壱樹は身体をひねってよけると、三歩程身を離した。
次の瞬間、鎖が三本、円刀に伸びてきて絡まった。
ピンと張られた鎖に、木偶は円刀を動かなくなる。
さらに一本が伸びて、稀烏爾の手から拳銃を叩き落した。
壱樹は円刀を片足で踏み輪から覗き出た木偶の頭部に、左右の腕を交差させるように、風の刃を振るった。
木偶の首は跳ね跳んで行く。
だが、まだ身体は動いているんで、柄の反対側の刃も使い、胴体もみじん切りにする。
下半身だけになった木偶に、蹴りを入れて円刀のそばに転がした。
「あとはおまえだけだな、稀烏爾」
柄の左右から刃を見せて、壱樹は、まだヘラヘラしている彼に言った。
「はははは、そう簡単にいくかよ。俺にはまだやることがあるんでね」
窓を強化ブラスナックルで叩き割り、身を躍らせた。
舌打ちして駆け寄り、空洞になった窓から覗くと、稀烏爾は他のゴンドラの屋根に着地し、また別のゴンドラに移って、姿を消した。
驚くべき跳力である。
「……へっ、まあいい」
壱樹は飴を外に吐き出した。
そして、いつものダウナーの物を口に入れる。
「仙久戯、良かったな。代用の下半身が手に入ったぞ」
言われた男は何も言わずに、深く息を吐いた。
未だに自分の身体に納得がいっていないのだ。
鎖を納めた久宮は、木偶の下半身を抱くようにして、彼らが乗っているゴンドラに運んだ。
「これから色々、大変だね、仙久戯ちゃん」
いやらしい笑みを浮かべる。
木偶の下半身は生殖機能の部品が男女どちらの物もついていなかったのだ。
「うるさい」
珍しく不快そうな口調の仙久戯だった。
「俺は、ソラの連中がどうして殺されたかを調べる。ついでにコキラとかいう奴らも」
結局、幾都とは別れ、三人で炭燈楼に向かった。
内部の雑多な空間はベビーカーを押すのに難儀したが、なんとか、陽慈璃の部屋までたどりつく。
「おやまぁ、仙久戯か。見ないあいだに随分と可愛い恰好しているね、君」
陽慈璃は笑いを押し殺していたが、頬がぴくぴくと痙攣していた。
「なんだ、知り合いか」
壱樹がヘラヘラとしながら、様子を見ようとしていた。
「まぁ、籠っているけど、人脈は広いんからね。これでも」
「しかし、俺の身体を直せるって、おまえか。せっかくだが、遠慮させてもらうぞ。炭燈楼になら、祇術師はいっぱいいるだろうからな」
仙久戯はきっぱりと言った。
「あー、他の連中よりもマシ……だとおもよ?」
登賀の例を思い出し、壱樹の語調は弱くなった。
「なんだ、下半身くっつけるぐらいまかせておきなよ。条件次第で完璧にしてあげるよ」
いまだ、文字の檻の中にいる陽慈璃に、久宮が赤ん坊用のガラガラを渡そうとしているところだった。
仙久戯の頭に幼児化されるイメージがわいたが、すぐに払拭した。
「で、ついでに陽慈璃に聞きたかったんだけどさあ」
ソファに、どすりと壱樹が座る。
ガラガラを振りながら、陽慈璃が顔を向けてくる。
「陽慈璃、あんたワザと登賀を娘に造り変えただろう?」
玩具を鳴らしつつ、彼女は二コリと笑った。
「よくわかったね」
「理由は?」
「最初は登賀の無力化が目的だったんだ」
「無力化? 木偶を破壊すれば済むことじゃないのか?」
陽慈璃は首を振った。
「少なくとも、特にソラ・コミュニティの連中には、それだけじゃ消えない。天の五星の役割の一つを知っているかい?」
「なにさ?」
「天の星々を我々から守ることだよ」
「天の星々って……」
「そうさ、魂のパッケージに決まってるじゃないか。五星は、天に浮かび散っている魂を守っている」
「ならさぁ、守るだけじゃなくて、干渉することもできるんじゃね?」
陽慈璃はニッコリと微笑んだ。
「さすがだね、君は。その通りだよ。五星をつかえば、可能だ」
壱樹には、五星が集まった時、堕天使たちが何をしようとしていたかぼんやりとわかった。
「五星を使ったやつらは、木偶に命を入れたんだな?」
「おおむね正解かな」
「だからと言って、我々が木偶になるというのとは少し違うだろう」
黙っていた仙久戯が口を開いた。
「こうは考えられないだろうか。つまり、人々に実体が与えられたと。それも、五星による影響下として」
まるで人間には実体が無いかのような言い方だった。
壱樹が皮肉に思いを寄せていると、二人は当然のように話を進める。
「どれぐらいの規模でだ?」
「露夢衣主要の人物達だよ」
「実体を持ったってのはいいとして、だ。登賀の無力化ってことは、そんなに強力なものだったのか?」
一応、壱樹は疑問だけを投じる。
「木偶を本体とした人間は、意外な能力を発揮する。露夢衣から解放されたと言っていいかな。しかも見ての通り、しぶとい」
彼女は、仙久戯を一度だけ軽く指さした。
確かに仙久戯は少なくとも表面上、痛みや苦しみを訴えることもなく平然としている。
「堕天使たちの目的は?」
「最初は、露夢衣の支配層である主要人物たちを都市から切り離すことだった。だが、そのために五星に乗っ取らせたが、余りに強力過ぎた。というのが流れだね」
「五星に乗っ取られた木偶たちは、どうしているんだ? 自覚有って行動しているのか、まだ気づいていないのか?」
「儀楓館で天馬がソラ・コミュニティの連中を集めていた。多分、あれは気づいているからの集会だろう」
陽慈璃の代わりに、仙久戯が答えた。
彼は何か言いたげだった。
鬱陶しそうな眼を一瞬送り、陽慈璃は文字の檻から出てきた。
「ちゃんと立派に元に戻してあげるよ。安心しな、仙久戯」
「ありがたいな」
久宮はいつの間にか壱樹の隣のソファで寝息を立てていた。
陽慈璃自ら、拾ってきた木偶の下半身と、ベビーカーを壁際の作業場所に運ぶ。
「ついでに言うとだね、壱樹。ソラの連中が動いたのが、アマテウに関係している」
「……ん? どういうことだ?」
「連中は、要人殺害を生業としてたからね。ソラが力をつけた時点で危険を感じたんだろう」
「だから、存在を隠した?」
うなづき、陽慈璃は続ける。。
「危険なんだよ。ソラがアマテウを知らない訳がない。いずれ引きずり出されたとしたら、君の話が丸々と漏れることになる」
「俺がソラの典馬を狙ってるんだから、どっちもどっちじゃね?」
「あたしのこともバレるんだよ?」
口だけ二コリと笑って見せてきた。
「あー、ね」
「だから、ちょっと考えてほしいんだ」
「あー、何が言いたいかは、わかる」
アマテウをソラに見つかる前に潰してほしいのだ。陽慈璃は。
思わず、息を吐く。
「いいよ、やるけどさ。色々と回り道に手間暇かかるな、今回のは」
言ったあとに、視線を感じて横をみると、ジト目をした久宮の顔があった。
「……壱樹」
「何だよ?」
飴で濁った眼で、反応を待つ。
久宮は、しばらく睨むように見つめていたが、急にニッコリとした。
「アマテウなら任せてよ」
「ん? ああ」
最木の紹介で、久宮は壱樹を尋ねてきたのを、やっと思い出した。
「でっさぁ、陽慈璃~?」
「なんだい?」
ニタニタとした久宮に、小さな祇術師は応じるような笑顔になる。
「仙久爾をどっちにする? てか、どっちもかなぁ?」
「そうだね、せっかくだものね」
「おい、ちょっと待てよ、おまえら! 壱樹、何黙ってる!?」
ベビーカーの中から、かつてない程に感情的な声が響いた。
壱樹はその様子をヘラヘラと眺めながら、飴を堪能していた。
久宮は起きているときは元気だが、その分、睡眠時間は長い。
朝も苦手で、起きてからもしばらくぼんやりとしていることが多い。
午前八時。まだまだぐっすりと寝ている。
壱樹は、一人で家から外にでた。
通勤も含めて、どちらかというと遊びに行く人々の方が多い、道とロープウェイを使い、中央区に向かう。
オフィス街は、個性的なビルが並んでいる。
斉侘商事本社は、その中でも普通の長方形のビルだった。
露夢衣統治に置けるデータ処理の一部をになっている、半官半民の会社だった。
アッパーの飴を咥えた壱樹は左手に風刀の柄を握り、正面から中に入る。
受付に向かい、堂々と社長室の場所を聞いた。
「失礼ですが、アポはお取りでしょうか?」
受付嬢がにこやかに尋ねてくる。
「案内して。稀烏爾の友達だよ。コキラ・コミュニティって知らない?」
いかにも身内に近いかのような、堂々とした態度だった。
受付嬢は真に受けて社長に連絡を入れるからと、コンソールパネルを操作した。
「お会いするそうです。案内しますので、こちらへ」
彼女はカウンターから出てきて、エレベーターに先導する。
「……社長はまたお怒りのご様子ですよ」
「まー、だろうねぇ。また稀烏爾がちょっとねぇ」
「ええ、その話でです」
壱樹はまったく事情を知らないが、まったく気にもしない。
エレベーターが最上階まで昇り、大きな扉の一つ前までくると、受付嬢はノックした。
「入れ」
焼けた年配の声が外に響いた。
どこかにマイクがあるらしい。
受付嬢がきびつを返し、壱樹はドアを開けた。
中は広く、執務室として使っている空間だけでも、通常の家のリビングより広かった。
巨大な観葉植物が床に直接植えており、天井からも蔓が垂れている。
藤の椅子が並び、低いテーブルが置かれ、民族調の絨毯が敷かれていた。
その椅子に一人、着物を来た痩身の白髪の老人が座っていた。
杖の先に両手を置き、厳しい表情でいかにも精悍そうである。
「稀烏爾の友達だとは、ふざけた理由で来たな」
社長兼会長の解莉はジロリと壱樹を睨んだ。
「どうでもいいよ。時間がないんだ、爺さん。典馬はどこにいるんだ?」
「ガキめ。本当に礼儀も何も知らないもんだ。こっちはおまえらのおかげでどれだけ迷惑しているか……」
壱稀は、藤の椅子の一つを蹴った。
それは見事に解莉に向かって飛んで行く。
だが、解莉は歳に似合わない動きで杖を振り、横に弾き返した。
「典馬だよ、爺さんなんかどうでもいいんだ」
いつの間にか、テーブルの上にしゃがんで解莉の眼前に座った壱樹が、繰り返す。
「……おい、コイツをどうする?」
まったく動じないで、解莉は振り返った。
壱樹は気づいて目を細める。
奥の部屋に続く廊下の脇にあるソファに、少女が一人、つまらなそうに座っていたのだ。
黒いロングヘアーに、白磁の肌。白いブラウスにチョーカーをして、黒いホットパンツを履き、白いソックスに革の黒い靴。
「鬱陶しいのが来たら始末しておけって話だけど、個人的に殺したいな」
少女の声だが、口調はかなり渋い。
「へぇ……あんた、登賀だな?」
壱樹はヘラヘラとした表情になる。
「わかってくれて、うれしいね」
可愛らしい顔に残忍な笑みを浮かべた。
目には憎悪が宿り、爛々と輝いている。
「ただ殺すだけじゃ足りないんだよ。ただ、どう料理しても満足しないのがわかってるんだ。だから、単純に殺す。ありがたく思えよ?」
「面白いね。俺は登賀の次に、その娘も始末することになるんだな」
瞬間、少女の笑みが消えた。
「黙れクソガキ!」
素早く向けられた手に、巨大なショットガンが現れる。
が、それはすぐに幾つものパーツに解体されて、床にバラバラに落ちた。
壱樹が風刀を持つ腕を振ったあとだった。
あっけにとられた登賀は、舌打ちして睨みつけてくる。
「ベルナ!」
部屋が小刻みに揺れた。
床が水面下のように、巨大な張りぼてのような人型のモノが、ゆっくりと浮かびあがってくる。
「……木偶か」
壱樹はベルナがまだ頭を出し切らないうちに、その上に跳んだ。
脚が着くと同時に、柄を握った手を頭頂部に当てて、刃を発現させる。
高い金属音が響いただけで、何も変化はなかった。
ベルナは、叫ぶかのように口を開いて、手で壱樹を払おうとする。
壱樹はそのまま木偶の後ろに駆け下りて、真っすぐに登賀に向かう。
いつもの、本体を狙う手だった。
幾ら強力でも脅威でも、敵の戦力は核を叩けばいいという、暗殺用個人戦の考えだった。
登賀は立ち上がって、再び新たなショットガンを握っていた。
射線と指の動きを見切り、撃たれるより早く、風刀の刃をぶつける。
だが、素早く横を向いたベルナが出した手によって、弾き返された。
進む壱樹はすり抜けるよりも、またその上に足をついて、飛び越えようとする。
ベルナは彼が乗ったと同時に、一気に腕まで出して天井を殴った。
予想外だったために、バランスを崩したまま、床に背中から落ちる。
すぐに転がって、身体を起こすと、後方の床が爆発を起こしていた。
登賀のショットガンだ。
目前の登賀に風刀を持った両腕を振るおうとした。
左手首から上が、吹き飛んだ。
よろけたところを、さらに、ショットガンが、右腿を砕き散らす。
壱樹は舌打ちとともに仰向けに倒れた。
飴のおかげで痛みはまったくなかった。
代わり、意思からの身体の反応が一気に鈍る。
すぐにでも床にいる位置を変えたいと思ったが、言うことを聞かない。
意外と反抗的だ。
冷静に思った時、ベルナの巨大な手のひらが視界を覆った。
終わった。
ただそう考えただけだった。
手のひらに大量の鎖が巻かれて、壱樹に触れる寸前で止まる。
「はい、久宮ちゃん参上!」
意外な声が聴こえた。
手どころか、ベルナは蜘蛛の巣に掛かったかのように全身に鎖が絡まっていた。
「壱樹、こんなところでなにしてんの!! しかも勝手に!!」
明らかに怒りを込めて、久宮が叫んでいた。
「あー、ああ、ごめん」
言い訳すらできないざまだった。
「出来損ないの司天か」
にやけた登賀の黒髪の一部が、銃弾で裂かれた。
「だれが、出来損ないだって?」
鎖とともに拳銃を手にした久宮は、鼻を鳴らした。
「クソガキ、なにこの身体に傷付けてんのよ……」
登賀は低い声で唸る。
「騒がしいもの……」
解莉の額に、銃声とともに小さな穴が開く。
頭を後ろに弾くようにして、老人は椅子ごと倒れた。
「うるさい、ジジィ」
久宮はかなりイラついているらしい。
壱樹は場に合わないように、殺っちまったのかよ、と呆れた。
素早く彼に駆け寄った久宮は、腕を肩を担いでいきなり、社長室から姿を消した。
次に壱樹が見たのは、陽慈璃の部屋だった。
「……おやまぁ。珍しい」
いつものように文字列の檻に入っていた彼女は、壱樹の姿を見て淡々と言った。
「いや、たまにはこういうこともある」
壱樹は苦笑いした。
「そうか。でも君、わかっているかい?」
「ん?」
「血がまったく出てないよ?」
壱樹は絶句しかけた。
彼をソファに横たえさせると、久宮は大きく息を吐いた。
「陽慈璃、このバカをお願い」
「良いけど。随分と機嫌が悪いね、久宮」
「たまにはそういうこともあるの」
壱樹を真似てみせて、久宮は鼻を鳴らした。
第六章
どういうことだろうか。
陽慈璃による手術は三十分で手早く終わった。
ぐちゃぐちゃに潰れ、壊れた手首と足をそれぞれ肘と膝から切断して、別に用意されたモノと接続する。
本来なら何十時間もかかるだろう。
だが、木偶の部品は切り口に当てると生き物のように、自ら互いを求めて付着していた。
「君がここまで考えなしだとは思わなかったよ」
「俺がこんな状態だとは、思わなかった」
陽慈璃に反抗するように、壱樹は答えた。。
やれやれと、陽慈璃は苦笑しながら息を吐く。
手足は見た目、すっかり人間のそれも、壱樹のモノだった
上着とズボンを脱がされた姿で造られたベッドに座った。
「ほら」
目の前に久宮が、畳んだ衣類とその上に棒付きの飴を四つ載せて差し出してきた。
無言で受けとる。
真新しいパーカーと七丈のズボンだ。それも強化繊維製。
パーカーだけ羽織り、飴を一つ、口に入れる。
木偶が本体の身体にも、ダウナーの効果はあるようだった。
落ち着いたような深い息を吐く。
久宮は凹んだように、ソファに一人座っていた。
「どしたー、久宮?」
返事がない。
陽慈璃に視線をやると、肩をすくめられた。
「わかんないのかい?」
「どこまでかが、わからない」
「全部だよ」
「あー、そうかぁ……」
壱樹は参ったという風に空に視線を漂わせた。
「それでも、君から説明しなよ。自覚があるのかどうか」
陽慈璃は冷静に、促した。
要するに、遠回しに謝罪しろということだ。
「いや、アマテウの話がでたしな。久宮の古巣でもあるんだろう? どうせなら、典馬を殺っちまおうと思ってね。久宮は狙われてるけど、まだ手が伸びてないじゃん? なら今のうちにと思って解莉のところに行った。あいつなら知ってるだろうってね」
「いきなり本丸を潰そうとしたか」
「無謀もいいとこだよ」
陽慈璃と久宮は口々に、呆れた言葉を口にした。
「手っ取り早いじゃないか」
「わかったよ。あたしのこと気にかけてくれたのは嬉しいけど、二度と一人で行動しないでね 凹んでいた久宮は今は逆に不機嫌だった。
「ああ、わかったよ。てか、あのデカい木偶はなんだったんだ?」
「あれは、ベルナという典馬の木偶兵器だよ。自家製だそうよ。てか、ズボンはいて」
「あー、はいはい。じゃあ、典馬も祇術できるのか?」
七丈のズボンに足を通して、壱樹は聞く。
「少しなら、扱えるね」
「てか典馬のやつ、久宮を狙いに来ないのはどうしてだ?」
「見つかってないから」
簡潔に、久宮は答えた。
「そうなの?」
「今ばれてるのは、この陽慈璃のラボだけだよ」
「しかも奴は、あたしには興味がないらしい」
笑いながら陽慈璃は言う。
「あいつが露夢衣をぶっ壊すまで、どれぐらいかかると思う?」
壱樹は二人に尋ねた。
「破壊するはずなのに、ソラの連中を集めてたというのが、気になる。あそこは露夢衣に干渉して支配しようとする連中の集まりだ」
陽慈璃は考えながら口を動かした。
「今は多分、準備期間なんじゃないかな。今までのように、単なるテロじゃらちが明かないと思ったんでしょ」
久宮が結論をだす。
「……思ったんだが、典馬の奴はどうして露夢衣を破壊しようとしているんだ、久宮?」
「ナチュラル・ボーン・破壊王の考えることなんか、わかんないよ」
「動機がつかめれば、揺さぶりをかけることもできるはず」
「それはいいんだけどね。アマテウの件、忘れないでいてよ」
陽慈璃が口をはさむ。
「あくまでやらせる気かよ」
「だから、任せるから忘れないでねっていっているの」
「あー、ああ」
立ち上がり、壱樹は軽く頭を掻くと、ドアに向かった。
「久宮、行くぞ」
「はいな」
機嫌の悪かった彼女だが、もうすっかりと気分を変えたらしい
壱樹が今度行くのは、交治新聞社と決めていた。
交治新聞社は中央区のはずれにあった。
統治機関関連やオフィス街がある中心地からかなり離れて、電飾の看板も少ないさびれたところだ。
もっとも、他の場所と違って半壊したり老築化した下級市民が住んでいるわけではないので、閑静な場所ともいえる。
壱樹と久宮は、典馬について知りたいと正直に言うと、一人の記者が喫茶店に連れて行ってくれた。
小汚い中年が出てくるかと思っていたが、爽やかな身なりで礼儀正しい青年だった。
「はじめまして。私は砂規。典馬担当の一人です。お二人はどういった理由で、典馬の事を?」
小さな喫茶店の席で、彼は二人に名刺を出すとともに名乗った。
「色々ありまして、今はお話しづらいです」
壱樹は迷うことなく、適当に流した。
信じたのか、砂規は一つうなづく。
「最近の事件は知っているかな。芽倉市での大規模テロだ」
「詳しいことはわかりませんが、そのせいで、南西部が今、孤立していると聞いてます」
「そうなんだ。芽倉市で起こったのは、今間までの反統治コミュニティのおこした事件を比べると、何十倍もの規模だよ」
目を輝かせて語る。
一見、まともそうだったが、やはりどこか感性がおかしいらしい。
「典馬の過去とか知りたいです」
「育成史だね。ある程度は掴んでる」
壱樹の質問に、喜んで砂規は喋り出した。
「生まれはフフカ・コミュニティだ。本拠は今孤立中の南西部にある。フフカ・コミュニティは、露夢衣で異端視されている祇術師にすら白眼視されるような異常な祇術を使う人たちが集まっていたコミュニティだよ」
久宮もいたというコミュニティだ。
もっとも、彼女は名ばかりの状態になったときに入っていたらしいが。
「どんな祇術です?」
陽慈璃を知っているだけに、壱樹は異常な祇術というものに興味が出た。
マスターがコーヒーを三人分置いて、カウンターから奥に引っ込む。
「それが、堕天使が使うものとそっくりらしい。典馬はその祇術で生まれたんだ。
「堕天使の祇術……?」
「ああ、フフカ・コミュニティは、堕天使のコミュニティと一部繋がりがあった。そこで学んだのだろう。少なくとも、彼らは堕天使たちを崇拝していた」
露夢衣に落ちた、天からの堕天使。彼らは、当然、露夢衣の住人たちとは別存在だ。
パッケージ化された魂にも関わりがあると言われている。
少なくとも、彼らは露夢衣を本来自分たちの物であると信じていた。
「典馬は、堕天使たちから露夢衣を代表する新しい人間と認知された。典馬は彼らにとって、希望の星なんだよ」
「典馬は木偶なんですか? 人間なのですか? 最近、人間が木偶だったという話が多いので」「人間だよ。人間よりも人間だ。確かに、最近は木偶が多いがね。典馬は正真正銘、人間。どうしてかというと、魂を持った存在とされているね」
「魂も? まさか、天から?」
露夢衣の空の上には、幾億万の魂がパッケージ化されて浮かんでいる。
誰が、どうしてそうしたのかはわかっていない。
この人工都市に住む人々には、魂が無いとされていた。そんなものは必要ないという。
余りに非科学的だと。
「天からのモノかはわからないが、多分そうだろう」
「まぁ、そうだとして。典馬が露夢衣の破壊を企てているということは、堕天使の意思だと考えていいのですか?」
「良いだろうね。典馬は彼らの意思の元にある。というか、彼らの意思から逃れられないんだ。可哀そうなことにね」
最後の事に、壱樹は複雑になった。
久宮も晴れない顔をしている。
「今、都市の南西部は、無法状態なんだ。露夢衣もこれを放っておくわけには行かないでいる。近々実力行使が始まるよ」
「けど、南西部の人たちも黙っていないんじゃないですか?」
「そうだね。やれやれだよ。僕らもまた忙しくなる」
そう言うと、砂規は立ち上がった。
「君たちも典馬に興味があるというなら、何かあったら連絡してくれると嬉しいね。それじゃあ、また」
彼はテーブルに硬貨四枚とと札一枚置いて、店から出て行った。
帰りのロープウェイは相変わらず人が乗っていなかった。
露夢衣上空は大量に張り巡らされているために、混む路線と空いている路線の差が激しい。
壱樹は当然のように、人の多い線には乗らない。
二人だけのゴンドラ内は、意識した沈黙が下りていた。
壁に背を持たれてしゃがんで飴を舐めている壱樹は、うつむいていた。
彼は人前から去ると、そんな姿勢をよく取っていた。
反対側で久宮は窓の外を眺めている。
相変わらず暗いひとだと、壱樹を思いながら。
「……でなぁ、久宮?」
先に口を開いたのは、壱樹だった。
「ん? どーしたの?」
振り向いた久宮は、出来るだけ自然な優しい笑みを浮かべる。
壱樹は見透かすように目だけで見上げる。
「アマテウには、手を出さない」
ポツリと言った。
「どして?」
久宮は少し考えが、結局、何か言うよりは、聞いていた。
「……別に」
「……ねーねー、どうしてー?」
ワザと壱樹の正面にしゃがみ、顔を覗き込んでくる。
ニヤニヤと笑ってやがる。
「典馬を殺ればいいことだろう? アマテウは俺も世話なってたし」
「ふーん」
笑みを止めずに、久宮は横に立ち上がった。
「じゃあ、いいところに連れて行ってあげるね」
「あ?」
「次の駅で降りて、別のに乗るから」
楽し気な久宮に、何か言おうという気は起こらなかった。
ただ少し、ダウナーな飴の効果が鬱陶しい。
那緒の姿は飲み物の自動販売機の前に立っていた。
無糖のコーヒーのボタンに行きかけた指が止まる。
ここはオレンジ・ジュースか?
隣でしゃがんだ青年が俯いたまま、肩を揺らしていた。
激しい呼吸を無理やり包み込むかのような姿だ。
ちらりと目をやった登賀の膝近くにある取り出し口に、ミネラル・ウォーターのボトルっが落ちてくる。
「ほら」
差し出してやると、振るえる手が伸びてきた。
明かりの乏しい路地では何かに汚れて真っ黒に見えるが、滴るものは鮮血だった。
「生身の身体というのも、不自由なものだと思わない?」
登賀はもう顔もやらずに、加えて買ったオレンジ・ジュースを腰に手を当てて飲む。
「……ああ、思うね。どこかの奴がいつも咥えてる飴が欲しいところだよ」
「あれは、生身用じゃないし、外付けの部品みたいなもんだもんねぇ」
「まったく……奇怪殺しも楽じゃない」
彼らを自警団の半ば壊れかけた四輪が通りすぎる。
続いた、まだ、まともそうなもう一台が目の前に止まる。
「君たち、ここらで騒ぎが起きたらしいが、何か見なかったか?」
中年のいかつい男が中に乗ったまま、声をかけてきた。
中には彼と、もう一人の運転手が乗ってるだけだ。
「何があったんです?」
振り向いて、登賀は知らぬ顔を見せる。
典馬は身体を隠すように一層、縮めた。
「うん、説明はちょっと難しい。それよりも、ここから逃げたほうが良いだろう。どうだ、隣街まで載せて行くぞ?」
冷たい夜の空気は、辺りは四輪のエンジン音と軋み以外、不思議と澄んで静かだった。
「……しらないおじさんについて行かないように言われてるので……」
登賀は少女らしく、せいぜい怯えた表情を作った。
「いいから乗れよ?」
男は軽い調子で繰り返す。
顔を上げた典馬は、同時にのっそりと立ち上がって、無言で後部座席に座った。
仕方がないので登賀も隣に乗る。
「よし、行くか」
車内は異様なほどに無臭だった。
エンジンが一度、がなって路地をライトで照らしながら進みだす。
「……そっちのにぃちゃんは随分と怖がってるようだが、どうかしたのかい?」
助手席からバックミラー越しに声をかけてくる。
「うん、ちょっと具合が悪いみたいなの」
登賀が代わりに返事をした。
無言の典馬が片腕を垂らすと、指先から落ちた赤い雫が床を点々と染めだした。
「なぁ、なんか変だと思わないか?」
ニヤニヤとしながらまた男が言う。
運転手は黙ったままだ。
「どう変なの?」
「いやぁ、殺人事件が起こったって聞いたんだけどなぁ。無いんだよ、死体が」
「街まで送ってくれるんじゃないの?」
「探さなきゃならないんだ。死体をね」
男はまだいやらしい笑みを浮かべていた。
その顔がだんだんとのっぺらいモノに変わって行く。
「丁度、男が一人必要なんだけど、この際だから、女の子も加えようか」
出来損ないの人間もどきと言った容姿の木偶が、助手席に座っていた。
運転手も同じ姿だ。
「……へぇ。それなら、丁度いいんじゃないか?」
典馬が言うと、彼から薄い姿の血まみれな姿をした男が剥がれるように、シートに抱きついた。
助手席の木偶にしがみついた男は、そのままシートをすり抜けて木偶の中に入ろうとする。「なんだ!?」
汗を拭いた典馬は、柄から二股に別れた刃を持つ小刀を手に逆さに握って腕を回し、助手席の木偶の首を隙間に埋めるようにしてシートに打ち付けた。
小刀の中央のネジが回転し、そのまま首を挟み砕いた。
ごとりと足元に頭部が落ちると、それは薄かった姿の男と同じものに変わっていた。
典馬は引き抜いた小刀をそのまま運転席の木偶の側頭部に突き刺す。
今度は刃が開き、木偶の頭の中を破壊する。
四輪は制御を失い、塀に寄りかかるように車体を引きずり、やがて失速していって、電柱にぶつかったところで止まった。
「……あっぶないなぁ」
登賀は小さな身体を運転席のシートにしがみついたまま、息を吐いた。
「やることは終わった。さっさと帰る」
「今ので、奇怪は死んだの?」
「死んだ。木偶に本体が入って同化したからな。普通に人間として首がもげれば死ぬ」
登賀には、いまいち典馬が奇怪狩りをするのが理解できなかった。
一緒にいて一通り見ればわかるだろうと踏んでいたが、無理だった。
「今の奇怪はどこの何かなぁ?」
車から降りるのに、身振りで典馬を促す。
彼は四輪から路地に足を下ろして、電子タバコを咥えた。
「と、あるところの少年だなぁ。木偶そのものも、ついでに奇怪だ」
登賀は考える風だった。
元統治委員としては、確かに認めがたい存在なのだ、奇怪というものは。
露夢衣を管理・維持する統治委員は、発生しないはずの異常が、奇怪だという認識である。
だが、ソラ・コミュニティの者である登賀は知っていた。
奇怪の原因が、天に散らばる魂のパッケージに関係していることに。
南西部が孤立して、二週間は経った。
この間、幾つもの街を管理していたのは、登賀である。
少女の姿を取った元統治委員は、典馬から借りたベルナをモデルに、地域を構築・改造していた。
天上のロープウェイに届くかどうかとという高さで、一つのものとして見える複雑な形をした建造物が、南西部に建てられつつあった。
人々の不満があるはずだったが、何をしたのか、典馬が全て押さえてしまった。
登賀も典馬も独立地域に仕立て上げた南西部を、それだけにしておく気はなかった。
いずれ中央部を破壊し、統治機関を潰すつもりなのだ。
「統治委員会の実力行使って、いつになるんだ?」
陽慈璃の部屋で、話を聞いていた壱樹は疑問を口にした。
説明を途中遮られた彼女は不快がることなく、彼に目をやって首を傾げた。
「多分、もうすぐだと思うよ」
「そんなモノ、連中は持っていたっけ?」
「言っちゃった以上は、どっかかからか持ってくるでしょう」
壱樹はふーんと鼻を鳴らして返事をすると、ダウナーの飴を口の中で舌をつかって回す。
その時に紛れてしまえば機会があるかもしれない。
久宮からの目が痛い。
ちらりと顔を向けると、ソファの横で、ジト目で見つめ続けている。
「変なこと考えてたでしょ?」
「……ああ、ロープウェイの時、パンツ見えてた」
「そっちじゃないよ! てか言ってよ!」
「言ったら蹴られそうとか思って」
「当たり前!」
「久宮、壱樹はもっと変なこと考えるかもしれないぞ」
陽慈璃がにやけて言う。
「うっわー……」
久宮が身を引いた。
「いきなり、なに酷いこと言い出すんだよ、陽慈璃よ」
壱樹は呆れたようだった。
「バタフライ・シーカーがまた現れたけど、興味ない?」
「……へぉ、面白そう」
つい、口だけの笑みを浮かべてしまう。
アマテウがこだわって依頼してきたバタフライ・シーカーだ。
気にならない訳がない。
冷蔵庫から、疑似ビールを取って来ると、陽慈璃の檻の傍に立った。
彼女は、文字列と映像を目の前に移動させてくれた。
久宮が背中に乗るように持たれてきて、首の枠から覗き込む。
場所は南西部と書かれていた。
犠牲者は統治委員関連ではない、少年だった。
年齢から住所、所属するところ、全てのデータが無かった。
ただ少年とわかるのは、首を落とされてセットで映った画像のおかげだ。
壱樹は背筋に冷たいものが走った。
自分の反応に驚く暇もなく、冷汗が噴き出すとともに、胃が持ちあがってくるかのような吐き気に襲われ、口を手で塞いだ。
「あらら。壱樹が珍しいね」
陽慈璃は軽く驚いたようだ。
「……南西部で殺られたのか」
どうにか落ち着かせようと飴を舌でまさぐりつつ、壱樹はやっと言った。
「そうだね。バタフライ・シーカーがあそこで現れるというのは、珍しいと思わないかい?」
「確かにな。何が目的なんだか、またわからなくなってきた。まぁ、どっちにしろ、奴が南西部にいるのと、アマテウが関係してるとしたら、行ってみないとなぁ……ああぁ!?」
いきなり久宮に後ろから首を腕で締められる。
「ちょ……なんだよ……!?」
必死に声をしぼりだして抗議した。
「いや、何か急に衝動が」
久宮は涼しい声で言いつつ、力を緩めようとはしない。
「ちょ……待て……」
視界がぼやけ、意識がすぅっと落ちていった。
第七章
身体が動かない。
だが、ぼやけた意識があるだけだった。
「本当に殺ったのか?」
「言ったじゃない? 約束は守るよ」
「まぁ、記事にも出てた。死体を確認する」
「その前に、お返しは?」
「ああ、ちゃんと最木を呼んでいる」
「証拠がないよ? 今ここで通信機にだしてよ」
「わかった」
しばらく沈黙が続いた。
思考がようやく戻ってくる。
身体も重いが、動くらしい。
壱樹は何とか手を床につけて上半身を起こした。
埃と散りだらけの薄暗い廃墟の中だった。
倒れた男を見下ろして、チョーカーに広い袖のパーカー、プリーツスカートという少女が立っていた。
久宮だ。
「ああ、起きたー? 最木さんが来るよ?」
振り向いた彼女は明るく報告してきた。
さっきまでの男の声に覚えがある。
幾都だ。
「おい、そいつ倒れてるぞ?」
ようやく立ち上がると、首を回しながら自分の恰好を確認する。
ロングジャケットと、サルエルパンツといういつもの恰好で、ヒップバックも中身も異常はない。
飴を取り出してパッケージを剥きながら、久宮に近寄る。
「あー、まぁねぇ」
久宮は苦笑いした。
「幾都と約束してたのか?」
「んーと、話を持ちかけて来られたから、反撃するしかなかったんだよねぇ」
言いにくそうに、答える。
壱樹は飴を口に入れて棒を咥え、ピコピコ上下に動かす。
「どこから持ちかけられたんだ?」
詰問調でもなく、いたって平静な声だ。
飴のおかげで一気に身体が軽くなった。
幾都の傍にしゃがんで仰向けに倒れた彼を覗き込む。
眼球が片方潰れて、ぽっかりと穴が開いていた。
死んでいる。
確かめただけで、壱樹はすぐに立ち上がり、息を吐いた。
久宮は答えないまま、雲った窓に目をやっている。
「まぁいい。で、ここはどこだよ、久宮?」
「……南西部にある廃墟だよ。今、南西部はベルナ・コミュニティって言うらしい」
ベルナは、典馬が使う木偶の名前だ。
エンジン音が遠くから大量に近づいてくるのがわかる。
露夢衣で道路を使うのは、上流市民か支配的なコミュニティに属している者が主だ。
ここでも同じなのだろうか?
エンジン音は廃墟の近くに集まって止まった。
壱樹は窓まで近づいて、外を覗く。
高さは三階ぐらいからか。
汚れでよく見えなかったが、四輪が何台も眼下に停まり、人の姿が駆け込んでくるのがわかる。
「あー、何事だってんだよ」
面倒くさそうに、呟く。
派手な足音が幾つも響いてきて、半壊したドアの前までくる。
サブマシンガンを手にした男を五名程を引きつれている代わりか、現れた女性は手ぶらだった。、セミロングの髪で茶色い革の上着を着てスキニーに軍靴を履いていた。
「最木さん」
壱樹は相手を見ると、思わず声をだした。懐かしさと不審感を混ぜて。
彼女は壱樹を見つめると、鼻を鳴らした。
「アナタはどうして生きてるの?」
「……どういうことだ?」
「死んだはずなんだよ、壱樹は」
そう言って、最木は文字と画像を壱樹の前に流してきた。
そこに映っていたのは、陽慈璃のラボで見た死体と同じものだった。
「……俺が死んだ? コイツが、俺?」
混乱する。
何かのカバーの話か?
それにしては、後ろの武装した人々と(壁の向う側にはさらにひそんでいるようだ)本人の不愛想ぶりから、単純に壱樹自身が死んだはずだという認識らしい。
「残念ながら、生きてるんだよね、壱樹は」
久宮が涼しい顔で答えた。
「久宮、あんたには壱樹を管理しろって言って置いたはずよ?」
冷たい刃のような言葉だ。
「もう、知らないよ、そんなの」
「どういうこと? 幾都も死んでるようだし。裏切ったというわけね」
「十分、堕天使の情報は得られたでしょ。仙久戯も彼らのところに合流したから十分んじゃないの?」
終始置いてきぼりの壱樹は、軽く苛立ちを覚えたが、飴が自制させている。
「仙久戯はどこかに消えたわよ」
「消えた、のね」
久宮が珍しくバカにするような失笑をする。
パーカーの袖から鎖が束になってジャラリと床に落ち、垂れ下がった。
「それ、単に裏切られただけだよ? それに堕天使ならもうすぐここに来るだろうし」
久宮の言葉に、最木は舌打ちする。
「それに対抗するために、情報を得ようとしてたのよ!!」
怒りに沸いた最木が大声で怒鳴る。
手を伸ばして、久宮を指でさす。
「撃て!」
久宮と壱樹は同時に跳んだ。
サブマシンガンの銃声が響き渡り、辺りに薬莢が散らばる。
壱樹は風刀の柄を両手に握り、部屋の壁を破って駆けだした。
追った久宮は穴の裏側に立って、右腕の袖から垂れた鎖が十本、踊るように男たちに撃ちだされた。
部屋中に火花が瞬く。
鎖は銃弾をはじいて、男たちの胸や腹を貫通する。
廊下に出た壱樹は、まだ待機していた男たちの中に踊り込み、風刀を両サイドから吹き出させて腕を振るう。
突然現れた壱樹に驚いた彼らは、一瞬にして身体が細切れにされる。
最木の周りの男たちは、久宮の鎖で貫かれて縛られ、次々と倒れていく。
壱樹はドアを挟んだ向うの男たちに、風刀の刃を投げつけ、部屋に戻ってきた。
「久宮、最木を殺すな!」
叫びは、最木の首と額に伸びた鎖を寸前で止めた。
彼女は驚きで完全に動けなくなっており、簡単に鎖で身体の自由を奪うことが出来た。
壱樹は、久宮に目をやると、風刀で窓を砕いた。
彼の腰に鎖が巻きつく。
次に久宮が部屋に楔のように一本、左うでから天井に突き刺すと、二人同時に窓から飛び降りた。
引きずられて最木も、窓の外に飛び出した。
落下速度がゆっくりだったため、壱樹は腹部に体重が掛かったが、不思議と痛みはなかった。
彼は地上に降り立つと、迷わず目についた四輪に乗り込んだ。
エンジンをかけた時、久宮が最木を引っ張って後部座席に入ってきた。
アクセルを踏み込み、四輪を発進させた。
「久宮、案内してくれ」
「おーいぇい!!」
テンション高い声が返ってきた。
ベルナ・コミュニティは、ところどころの穴から覗けるようになっているだけで、空すら塞いでいた。
その代わり、どこにでも見られる電飾看板や街灯、空中文字が路地から大通りまでを照らし出して、薄暗さと眩い明るさのコントラストを造っている。
久宮の指示で到着したのは、一見、廃棄されたビルのようだった。
中に入ってみると、ロープウェイの駅だということに気づく。
真新しいままほとんど使われていない、無人駅だ。
改札口を通り抜けて、ホームまで上がると、いきなり露夢衣の夜景が足元に浮かび上がってきていた。頭の上には星々が瞬いている。
ほとんどない夜風が涼しい。
少年と少女に引っ張られて、最木はよろよろとコンクリートの上に膝をついた。
壱樹は彼女の傍にしゃがみ込む。
「さてと。お世話になった間柄とはいえ、ちょっと色々吐いてもらわないと困るなぁ」
久宮が待ってといって、ホームに止まっている一つのゴンドラを軽く指さした。
「あの中で話そ」
鎖は最木から解かれて、消耗した彼女を久宮が腕を取って中に入れる。
ゴンドラ内部は、丸いテーブルが真ん中にあり、酒瓶の並んだ棚に冷蔵庫とクーラーが置かれた、落ち着いた内装をしていた。
通常のモノとはまるで違う。
最木をテーブルの椅子に座らせると、久宮は手慣れた様子でウィスキーのロックを造り、テーブルに置いた。そして、壱樹用に疑似ビールを冷蔵後からだして、自分にはオレンジジュースを持って来た。
何も言わず、最木はウィスキーを一口、喉を鳴らして飲み込んだ。
グラスを置き、正面にいる壱樹を睨む。
「吐くも何も、壱樹。どうして我々を裏切った?」
「裏切る?」
突然の話に、壱樹は眉を少ししかめる。
「芽倉市を破壊し、ここベルナ・コミュニティのようなものを造る。挙句に、自分の本体を消してしまった。久宮を守ってくれているのは良い。だが、このざまはなんだ?」
「まてよ、話の意味が全く分からない」
壱樹の頭に鈍痛が起こった。
急に、陽慈璃の所で見せられた少年の映像が浮かんでくる。
異様な既視感と、嫌悪感。
「その話は全て、典馬じゃないか?」
「どう違う?」
壱樹は絶句した。
一体、最木は何の話をしている?
「どう、違うとは……?」
最木は、ウィスキーのグラスを握ったまま、上目づかいに睨んできた。
「おまえは、典馬の木偶だろう。隠しても無駄だ。大体、壱樹本人はもう死んでるじゃないか」
典馬の木偶、だと?
死んでいる?
「最初は違ったし、ずっと壱樹は壱樹としての意識で行動してたよ」
久宮が冷静で静かな声を出した。
思わず彼女を見るが、表情はいたって真面目だ。
「典馬は壱樹の魂を奪った。生まれた時にね。それは堕天使がしたこと。気づいた典馬は、魂を殺した。だから、典馬と壱樹は一時期は同じ人物としてバラバラに行動していたけど、今は二人とも別な存在として、ここにいるんだよ」
「……おまえは見てきたのか、久宮?」
少女はうなづいた。
「典馬は肉体を捨てたんだ。壱樹の魂を殺すことで。壱樹はずっと木偶だったけど、典馬とは関係ないよ」
「バタフライ・シーカーは?」
「犯人は典馬だよ」
最木と久宮の会話に、壱樹は眩暈がしてきた。
急いで今舐めている飴を吐き出して、アッパーのものををバッグから取り出す。
口に入れるまで、無意識に舌打ちをしていた。
飴のおかげで、身体が急に軽くなる。
頭も回る。
「……典馬が、統治委員関連の人物も殺してきたということか」
やっと言うと、久宮はうなづいた。
「あたしは司天の一人として、今言ったことにウソも推測もないよ」
「どうして、典馬は俺の魂を殺した? 堕天使から授かった、唯一人間としての物じゃないか。あいつは人間として、露夢衣を破壊したいわけじゃないのか?」
壱樹はもう落ち着いていた。氷のように醒めて自分を見ることができる。
「それもあるけど、堕天使達の支配からも脱するためだと思う。だって、現に堕天使たちは動いてるんだもの」
「そう、堕天使が来るんだ。このベルナ・コミュニティを口実に、奴らが露夢衣に直接干渉してくる」
苦々しそうに、最木は言った。
「どっちもクソってわけか」
壱樹に、二人ともがうなづいた。
「あと、あたしたちにはやらなきゃならないことがあるの。登賀を改めて殺さなきゃいけない」
「登賀? あの娘になった木偶をか?」
久宮はうなづく。
少女は背後を一度振り返って窓の外を見た。
釣られて、二人も同じところに視線をやる。
薄ぼんやりした夜空に、煌々と照らされた光の塊が宙に浮かんでいた。
「あれは?」
壱樹は聞きつつ、疑似ビールに口をつける。
「ロープウェイは全て堕天使の支配下にあるの」
久宮が短く説明した。
大量のゴンドラが、ベルナ・コミュニティに向かって近づいてくる。
「奴らか!?」
最木は苦々しい声を出す。
「うん。来たよ。堕天使達が」
外壁と言うべきか外殻というべきか。凸凹な表面で外に立ち、夜風に吹かれている登賀は明かりの塊を認めた。
「来たよ、典馬……」
足元が、返事をするようにかすかに振動する。
これは、ベルナそのものだ。
あの木偶はさらに巨大化し、都市の一部を内包するほどになっていた。
かたまっていた明かりがゆっくりと別れて行く。
まるで翼を広げるように。ベルナを包み込むかのように。
外殻の振動が大きくなり、各所から大砲の銃身が伸びた。
爆音が響き、一斉に射撃が始まった。
光の一つ一つの傍で爆発が起こったが空気を切って、ゴンドラ群からも弾丸が飛来した。
ベルナの外殻の各所に無弾頭弾と思われるものが鈍い響きとともに撃ち込まれる。
貫通せず外殻に埋まった形の砲弾の周りが、変色して瓦礫のように崩れていった。
「……神経弾ね」
登賀はさもあらんといった風だ。
弾丸が数十発さらに撃ち込まれて来る。
その間、ベルナの砲撃も止まらない。
「無理だわ。ベルナ。射撃戦は不利よ」
外殻が同意するように震える。
足元がゆっくりと盛り上がってくる。
「うん。直接やった方がいい」
全体から見て、小さな穴がポツリポツリと空いた姿になったベルナは、突然、野太い触手のような腕を伸ばした。
太さは登賀那緒の慎重よりもある。
ゴンドラ群に向かって幾本もの塊は、神経弾の集中砲火を浴びた。
登賀の小さな姿が、中にあった。
崩れてゆく触手はそのまま落下するが、また新たな腕がベルナの外殻から生えて、ゴンドラに向かう。
登賀は一つ一つに乗り換えながら、ゴンドラに近づいていった。
ただし、ワイヤーに触れないように気を付ける。
鋼鉄の縄は堕天使の意思が入っており、下手に接触すると身体ごと乗っ取られるか一瞬で破壊されかねないのだ。
木偶でできているとはいえ、那緒の身体の動きは軽快だ。
フリルの付いたロングスカートをなびかせて、触手のような腕の上を駆けて行く。
近づくにつれ、ゴンドラの形にも変化があった。
表面が泡立ちながら、ゆっくりと膨張してゆく。
登賀は構わずに巨大なショットガンを出現させて、目の前に迫ったゴンドラに狙いをつける。
明かりの照る中に人影があった。
仙久戯だ。
目が合う。
彼の表情には何の感情も浮かんではいなかったが、登賀はニヤリとした。
彼はわかっているはずだ。
自分には手を出すわけには行かないと。
駅に停まったままのゴンドラに近づいてくる一台があった。
丁度、壱樹が進ませようかと決断する寸前に。
真っ赤に塗ったゴンドラは、彼らのモノと平行に並ぶと停止して、両側にあるドアの接した片方が互いに空いた。
そこには小柄な少女が立っていた。
相変わらず、文字の檻とはまでいかないものの、相当な情報を身の回りに浮かべながら。
「陽慈璃?」
壱樹は思わず声を出していた。
「久々に外に出てみたけども、相変わらず騒がしいね。あたしにはやっぱり向いていないね」
あまり機嫌が良さそうではない様子である。
彼女は三人が乗るゴンドラに入ってくると、中を見渡した。
「君たちは相変わらずみたいだね」
「何事だよ、陽慈璃が炭燈楼からでてくるなんて」
壱樹はさすがに驚いていた。
「好き来たわけじゃないよ。あたしはあの中に居るのが大好きなんだ」
「知ってる」
陽慈璃は、ゴンドラの群れがつくる光に顎をやった。
いかにも仕方がない解いた風な表情を造る。
「堕天使達か」
「あれは仙久戯だね」
「へぇ、仙久戯だったかあ」
壱樹は他人事のように鼻を鳴らした。
「そんなことより、登賀だね」
丁度、最木が話題にだしたところである。
「陽慈璃も登賀を殺せと?」
「も? 何か知らないけども、登賀のソラ・コミュニティが厄介なのは確かなんだよ。堕天使たちの領域を犯したからね。おかげで、仙久戯の挑発に乗ってしまった」
「あれらに堕天使が乗ってるのか?」
「いや、ちょっと力を貸しただけだよ。ただね、登賀ごと殺されるのは困る」
「どうしてだ?」
聞いたのは、最木だった。
「登賀が那緒ごと殺されると、司天と堕天使の全面戦争になるんだ。登賀は自分の娘を人質に取っているからね」
「元はと言ったら、誰のせいだよ?」
責めるというより、茶化すように壱樹が言う。
舐めている飴の棒をクルリと回す。
「あれだろう、仙久戯けしかけたの陽慈璃だろう? で、俺らのところに来たんだろう」
ニヤニヤしながら見つめる。
陽慈璃は苦笑した。
「隠すだけ無駄なようなね。その通りだよ」
「何させる気だよ?」
「ソラ・コミュニティは五星を支配してるんだけどね。その上の魂のパッケージは、堕天使の支配地域なんだよ。まぁ、常識として。登賀と典馬は、五星を介して天の魂にまで手をだそうとしているのさ。で、堕天使に対して二人は登賀の娘、那緒を人質にしている形をとっている」
「那緒が人質になるのか?」
「堕天使としては、魂を保持することがプライドだからね」
「……それだけかな?」
「それだけだよ」
陽慈璃はいたって涼しい顔で断言した。
最木は二人の会話を機嫌悪そうに黙って聞いていた。
「まぁ、俺は典馬をぶちのめせれば、それでいいんだけどね」
「それだけかなぁ?」
「もちろん、それだけ」
ニヤリとすると、陽慈璃も笑んだ。
「壱樹、これを」
彼女は身体と同じ大きさで円の形をした武器を出現させた。
うなずいた壱樹は、久宮にそれを持たせた。
「ロープを開放しておいたよ」
「よし、じゃあちょっと行ってくるかあ」
壱樹は疑似ビールを飲み干して、首の骨を鳴らした。
第八章
ベルナに近づくゴンドラは、それぞれ腕と足を延ばし、背中から巨大な羽を生やした、巨人の姿を取った。
ロープにつるされているだけではなく、そのまま空中に浮かび、口を大きく開いて咆哮する。
一斉の雄たけびに、空気が震える。
木偶にしては、生生しい。筋肉が付くところは太く、筋や骨のところは極端に細くなっていて、血管が皮膚近くを幾本も走っている。
肉の隙間から覗いたという表現がピッタリな目も、爛々と輝いている。
登賀は三十メートルほど離れた所で立って、鼻を鳴らした。
堕天使本体ではないが、彼らが作る生物には他ならない。
巨人の手の上に、一人、刀を持つ青年が彼女を睨んでいた。
まるで投げるように腕をふった巨人から、仙久戯が彼女の立つベルナの触手外殻の上に飛び乗ってきた。
「この前は世話になったからな。礼をしに来た」
刀をかまえ、仙久戯は冷たく言う。
「あたしの身体に指一本でも触れてみてよ。以前みたいに半端な目じゃすまなくしてあげるから」
登賀はショットガンを彼に向ける。
二人は一斉に反対方向の横に跳んだ。
次の瞬間、接近した巨人がもろとも触手を叩き砕いたのだ。
巨人たちは、二人を置いて、真っすぐベルナの本体に進んでいった。
「狂暴過ぎない? あんたのお友達」
「あとで叱っておく」
ショットガンの一発目の弾丸はすでに彼のいないところに撃たれた。
すでに仙久戯は角ばった進路で幾本の触手を経由しつつ、登賀に近づいていたのだ。
狙いづらさに、登賀は舌打ちする。
まだ距離のあるうちに、仙久戯は登賀の後ろに回る。少女が振り返ると、すでに男の姿は横に移動していて、さらにショットガンの腕を向けるときには、再び背後に足を付けていた。
苛立った登賀は、両手を軽く広げて差し出した。
二の腕から先が変化して、本人の頭より遥かに大きな多数現れ、銃身の塊となった。
腕の下部から、濃い蒸気が吹き出して、スカートをはためかす。
片方の腕を仙久戯に狙いをつけると、もう片方が移動するであろう場所に爆発させるような銃弾の嵐を撃ちだす。
一瞬、動きが止まった仙久戯は、登賀のしたにある触手に飛び乗った。
登賀は右手の銃口を降ろし、足元のベルナの外殻ごと、爆音とともに吹き飛ばす。
触手が砕けて、すぐ目の前が断崖になる。
少女の足元に自己の銃弾とは違う衝撃が来た。
見ると、右足の甲が伸びた鋭い刀の刃で貫かれていたのだ。
「……;っそ!!」
痛みはないが、引き抜ける長さではないために、動けなくなった登賀は思わず悪態をつく。
右側に逆手に持った手が、外殻を突き刺していた。
銃口の束になっている腕の先で狙いをつける。
発砲する寸前、ナイフを残して手が消えた。
正面から吹きがるように両足が現れて、腰が折られ、仙久戯の全身が登賀の目の前に現れる。
彼は右の逆手に持った小刀で、こちらに向けられようとした左腕を綺麗に切断する。
勢いで左手の小刀を登賀の右腕を突き刺した。
少女の顔がこわばる。
仙久戯は会心の笑みを浮かべる。
はじめて見たが、身も凍るような冷え冷えとした残忍なものだ
登賀は思わず動けなくなった。
彼が振り上げた小刀に力を込めた瞬間、頭上から鎖が幾本も走り降りてきた。
登賀の小さな体に巻きつくと、そのまま軽々と一瞬で上空に引っ張り上がってゆく。
小刀は空を切っただけだった。
蜘蛛の巣より複雑なワイヤーに、壱樹と久宮が立っていた。
登賀はそのまま、網に放り投げられるように、転がされる。
チェーンは解かれないままだ。
「……さてと、登賀。いい加減、その子から離れてくれないかな?」
壱樹は風刀の柄を握っている。
自分がいる場所に驚きを覚えつつ、少女は睨んできた。
「これはあたしのものなの! もう無理だよ」
「登賀、良いことおしえてやるよ。おまえがその身体に入っている以上、いや、生きている以上は、堕天使が狙い続けることになる。そうなると、一番困るのは、誰だと思う?」
「……誰も困らない。壱樹は勘違いしてるよ」
鼻を鳴らしながら、少女は言う。
「勘違い?」
壱樹は眉をしかめる。
「お父さんは、あっちにいるんだよ!」
少女は巨大な構造物にも見えるベルナを顎で示した。
「……まさか……」
その時、ワイヤーでできた網の間のいたるところからベルナの触手が伸びてきて、十数体の人の姿をとった。
「……よぉ? ウチの娘に何しようとしてるんだ、おまえら?」
「おまえ、登賀……?」
異形といっていい人型の身体に、壱樹は舌打ちした。
「随分、酷い目に合わせてくれたじゃないか。放っておくわけにはかねぇなぁ」
先頭の一人だけが喋べっているが、背後の十数体も同じ相手を見下した表情でうすら笑いらしきものを浮かべている。
「なーんだ。遠慮いらないってことじゃなーい?」
久宮は少女に巻きつけてある鎖を手元で切断して、楽しそうな声を上げた。
円刀を先につけた新たな鎖が現れて、明後日の方向に走るように伸びていく。
「なにをして……」
鎖は途中から曲がり、彼らを囲むようにぐるりと回った。
「ほい!」
久宮は囲みを狭めると、網の下から生えていた彼らが根本から一気に刈られた。
驚愕しつつ、身体が泡立つようにして、解けてゆく。
「あっけねぇ……」
壱樹は呆れた。
だが、次にはさらに呆れた。
二人の目の前で、ベルナがワイヤーの網の目を挟むかのように巨大化していったのだ。
あっという間に、百メートルは超えていった。
ちらりと壱樹が目をやると、久宮は首を振った。
「無理でしょ、あんなデカいの」
「だよなぁ」
足元では、ゴンドラが変化した巨人達も近寄れずに空中でベルナを見上げていた。
どこまでも成長してゆくベルナの外殻が二人の目の前まで来た。
「久宮、ちょっと陽慈璃の貸してくれ」
「ん」
ジャラリと鎖が鳴って、彼のそばに円刀が転がった。
壱樹は両手に風刀を持つと、ベルナに切りつけた。
無機物とも有機物ともとれない表面が割れる。
蠢いて元に戻ろうとする寸前に、鎖で二つの柄を接合させると、強引に中にねじ込んだ。
「よし、いったん戻るぞ」
「あいよー」
久宮は再び少女に鎖をつないで、引きずった。
地上の明かりが、普段の十倍は輝きを増し、せわしなく輝いている。
まるで燃え上がるかのように。
ゴンドラまで戻ると、陽慈璃はテーブルで場違いな優雅さを醸し出しながら、ワインを飲んでいた。
「おや? お帰り二人とも。それと、那緒だね」
少女は壁際に座らせられた。まだ鎖で拘束されて手足の自由がきかないままだ。
「のん気だなぁ」
「陽慈璃、あたしオレンジジュース!」
「久宮もかよ」
壱樹は飴を舐めつつ、疲れを見せて椅子に座った。
「君だって一休みする気満々じゃないか」
陽慈璃は小さく笑って少女を顎でしめした。
「コイツを捕まえてきたんだ。ベルナがどう出るかの様子見だよ」
「んとさぁ、壱樹。あれ、こっちのほうに来てない?」
久宮は窓の外を見ていた。
ベルナの膨張は止まらないでいた。
「コレ、他の地区も巻き込むかもなぁ」
文字列に囲まれている陽慈璃は落ち着いてニュースを眺めている。
ベルナ・コミュニティの変化に、露夢衣の人々が混乱しているらしい。
「それよりもだ。陽慈璃、連れてきたぜ?」
少女を示す。
今や彼には、登賀なのか那緒なのか、正体がわからなくなっている。
「ご苦労さん」
立ち上がった陽慈璃は、少女のそばまで来た。
じっとその瞳を覗き込み、ふぅんと、鼻を鳴らす。
「良い趣味してるね、君」
「あんたにだけは、言われたくなかったよ!」
「おやおやー、あたしのせいにするのかな?」
陽慈璃はおかしそうにニヤケた。
「あんた以外、誰がいるのさ!?」
「……でも実は、嫌がってないだろう、君? むしろ、本望だろう?」
静かに鋭く言うと、少女は何か返そうとしたが、結局、睨んだだけで黙った。
陽慈璃の意味深な言葉に、壱樹も久宮も怪訝そうに、少女に注目した。
「正直なところ、おまえ、中身は誰だ?」
壱樹に、少女は黙った。
わざわざ追及することもなく、目を陽慈璃に向ける。
「……この子はね、登賀本人でもあり、那緒でもあるんだ。正確には、那緒化した登賀、だね」
「どういうこと?」
いまいちよくわからない。
「もうね、問題はベルナなんだよ」
すでに、ベルナは彼らのゴンドラの一方の視界を覆うほどになっていた。
「アレ、典馬が使うただの木偶だったよな? 本人はどこ行った?」
「ん?」
陽慈璃は壱樹に目をやって、微笑んだ。
ゴンドラが揺れた。
「ここにいたか」
ドアの上から、仙久戯が降りて中に降り立った。
一つ、区切りを入れるように、刀を下に向けたまま軽く振る。
「登賀を連れて、逃げるつもりだったか?」
彼は、壱樹を睨んでいた。
「逃げる?」
「ああ。本体を殺し、木偶に成り下がってまでして最後は何食わぬ顔で逃げようとしてたんだろう?」
壱樹は相手が何を言っているのか、まったくわからなかった。
後ろで、久宮が鎖を垂らして身構える。
ベルナが、急に咆哮してワイヤーを揺らした。
その響きが、壱樹の精神を乱した。
飴。
口の中のモノでも足りないぐらいの不安感に襲われる。
仙久戯が刀を振りかぶると、久宮が鎖の束を飛ばした。
広がってくる前に吹き込み、刀で鎖を巻き込むようにしてから、床に叩き落す。
瞬時に、久宮は仙久戯の背後に立っていた。
移動するところが、まったく見えずに。
驚くこともなく、仙久戯は鎖から抜いた刀の柄を後ろに突く。
丁度鎖を振るおうとしていた久宮は、不意を打たれて思わず後ろに飛びのいた。
足の向きを変えただけで振り返った仙久戯は、もう一度、刀の峰に手を起きながら、久宮の身体に切っ先を走らせる。
鎖で横に払おうとして逆に跳ね返された久宮は、寸前で身体を横にして避けた。
仙久戯はそのまま当身を食らわせようとする。
また、久宮は彼の後ろに瞬間移動した。
仙久戯はバランスを崩す。
首に鎖を巻いて、一気に久宮が締め上げる。
肘鉄を繰り出す仙久戯だが、久宮は身体を離して触れられない位置にいた。
「おい待て、久宮。仙久戯から話を聞きたい」
壱樹が言うと、目だけ向けて一瞬、迷うかのような様子をみせてくる。
「……壱樹、ここで皆を殺してしまおうよ?」
珍しく、真剣な言葉を発する。
「殺すって……おまえ……」
「余計なこと考えないでいいんだよ。もういいから、全て終わりにしよ?」
「おまえまで、訳の分からないことを……教えろよ、おまえら!? 意地でも話してもらうぞ!」
誰に構えるという訳でもなかったが、ヒップバックから拳銃を抜く。
陽慈璃が大きく息を吐いた。
「あたしが、説明するよ」
再び、テーブルでワイングラスに一口つける。
「陽慈璃!」
久宮が抗議の声を上げるが、鼻で笑われた。
「君も都合がいいねぇ、久宮。さてと、わかってないのは壱樹と、勘違いしているのは、那緒だ。ついでに、今、ロープウェイに憑依した堕天使達も困惑している」
彼女は、登賀を那緒と言った。
一同は静まって、陽慈璃の言葉を待つ。
「いいかな? 典馬はね、逃げたんだよ。堕天使に利用される前に」
「逃げた?」
壱樹が聞き返す。
うなづいて、陽慈璃は薄笑いを浮かべつつ、また口を開く。
「堕天使達が、唯一の人間として露夢衣を完全に己達の管理下に置こうとしたんだけど、典馬はそれを拒絶したのさ」
「あいつは、露夢衣の破壊を企ててたんじゃないのか?」
「違う。最終的には、堕天使達からの自己の解放が目的だよ。そのために、最終手段として、自分の魂を殺したんだ」
「自分で殺した!?」
「その結果、どうなったと思う?」
陽慈璃は興味深そうに壱樹を見つめる。
不安が頭のなかで暴れまわる。
「壱樹、君はアマテウの命令でバタフライ・メーカーを追っていたが、あれは君だった。そして、同じく、木偶として動いていた典馬は君だ、壱樹」
驚いたのは、壱樹だけじゃない。
鎖で拘束された少女も、驚愕のために言葉を失っている。
「バカな!? 俺は俺だろう!?」
壱樹は絞り出すかのように声を上げた。
「君はアマテウが造った木偶なんだよ、壱樹」
言われて、壱樹は言葉がでなかった。
久宮は、俯いていた。
「典馬はおまえとして堕天使達の手から逃げたんだよ。けどね、安心しなよ。久宮の依頼は典馬から守ることなんよね? ならもう達成したじゃないか」
「……俺は、俺だ」
足元が崩れてしまいそうな感覚に襲われて、壱樹は必死に自分を保とうと呟いた。
「そう、君は君だ。それでいい」
壱樹は、急に振り向いた。
窓の外には、肥大したベルナの外殻が目の前にあった。
「ざけてんじゃねぇよ……」
遠隔で風刀の柄の両端から制限のない長さの刃を出現させる。
円刀とつなげられた風刀は、回転して縦横に走り出し、ベルナ内部をズタズタに引き裂さく。
ベルナはまた、咆哮した。
悲鳴に近い、絶叫に聞こえる。
「陽慈璃、ロープウェイのワイヤーを元に戻せ」
有無を言わせない口調だ。
彼女はうなづいた。
以前の通り、触れるものを物質的にも精神的にも破壊する堕天使の支配するモノと戻る。
ベルナの身体が丁度ワイヤーを挟んだところからいきなり切断される。
崩れ倒れた上部はワイヤーの網の上に落ち、さらに砕けていった。
残された下方部分は、壱樹の風刀が暴れまわり細切れにしてゆく。
ベルナの巨体は、あっという間に完全に破壊された。
彼らのゴンドラは、そのまま進んだ。
堕天使の姿をとった巨人は、ゆっくりと上空に浮上していた。
すでにワイヤーの網は通り抜けている。
「あいつら、ベルナを破壊したってのに、まだここらに居座る気か」
壱樹は舌打ちする。
「多分、奴らの目的は、五星だろうね」
陽慈璃は冷静に読んでいた。
「ただ、もうワイヤーを伝って、主な能力を潰しておいた。あれはもう、ただの木偶でしかないよ」
「んー、武器がねぇ……」
ヒップバックから、二つに刃の別れた短刀を取り出すが、興味もなさそうに、ゴンドラの住に投げ捨てた。
ベルナを切り刻んだ風刀と円刀は、南西部のどこかに消えていた。
「うん? 同じものぐらい、持ってるよ?」
何気なしに、陽慈璃は、平行して停まっているゴンドラから、両方を取ってきた。
そういえば壱樹の風刀は、彼女が造ったものだった。
「五星を潰されるのはちょっと困る」
「わかってるよ。大体、ウチの久宮も困るだろうしな」
「はーい、ウチの久宮ですー!!」
元気に手を挙げて、壱樹の言葉をマネする。
「うるさいな、黙ってろよ」
壱樹にちょっとした後悔の表情が浮かぶ。
「黙ってるけど、今のは忘れませーん!」
意地の悪い笑みを浮かべる彼女に、壱樹は鼻を鳴らしただけだった。
陽慈璃は円刀とともに、風刀の柄を十個ほどテーブルに置いた。
それぞれが受け取ったとき、仙久戯が苛立ったように、何度かうなづいていた。
「あ、来る?」
久宮はのん気な口調で尋ねる。
「どうやってだよ。空中なんて、飛べるわけないだろう?」
「そうだねぇ、じゃあまぁ、ついてきてよ。てかさあ、アレ、死ぬの?」
素朴な疑問を口にする。
「ベルナみたいなものだ。あれも、木偶だよ。多分どうにかなる。ロープもまた、移動可能にしておくよ」
陽慈璃は最後に無責任な言葉を付け加えた。
「あー、なら何とかなんじゃね?」
もっと適当な男が飴を舐めていた。
「んー、あー、そう」
曖昧に、久宮は返事をする。
鎖が伸びて、一体に巨人の背中に突き刺さった。
もう一方の端はワイヤーに結びつけられている。
ガクリと、バランスを崩した巨人は、向きを変えて、鎖を片手で握る。
だが、すぐに何本もの鎖が絡まり、拘束して自由を奪う。
首元に括りつけられた円刀があるため、引っ張ると切断してしまう可能性があった。
その肩の上に、突然、久宮と壱樹が現れた。
久宮は別な巨人に鎖を次々に飛ばす。
ロープウェイのワイヤ―程ではないが、十分、複雑な網のように張り巡らせる。
駆けて来た仙久戯は鎖の上に乗った。
すぐでに壱樹がは中心辺りにいる巨人近くまで走っている。
振られる腕を跳ねて、その上に上ると、首元まで来て、風刀の刃を両端から出現させて、回転するように、首筋と肩の付け根を斬る。
同時に現れた仙久戯が身体に残った首の一部を一刀のもとに切断する。
拘束されて、動きが取れなくなった巨人たちは、もがくように天上に腕を伸ばして、悲鳴のような呻きを上げた。
何かおかしい。
巨人達は、三人の襲撃者を見ていないのだ。
ただ、天をあおいでいる。
号泣しているかのようにも聴こえた。
堕天使だったかもしれないが、皆、陽慈璃によって木偶にされているのだ。
もしかしたら、五星を狙っているのではなく、魂のパッケージを求めているのかもしれない。
「なんだ、コレ……」
壱樹も仙久戯も、次の一体を斬り刻んだときには、無意識で涙を流していた。
木偶が魂を希求する木偶を破壊している。
壱樹は急に虚しくなった。
風刀をもって、ワイヤーの網の上に降り立つ。
仙久戯と久宮もいつの間にか、近くに寄ってきていた。
巨人はまだ、むせび泣くかのように呻いている。
「……やめよう」
壱樹はぼそりと言った。
「ああ、そうだな」
非情で冷徹な仙久戯でも、同意した。
久宮が、鎖を途中で切断して、全ての巨人を解放した。
彼らは、ただひたすら、ゆっくりと空に昇って行った。
その姿に変化が現れた。
人の形をしていた巨人たちは、身体が膨張して、四肢が吞み込まれて、だんだんと球体を造り始めた。
五星に対応するかのように、九つの星のようになり、輪を一つ作りだした。
何が起こったかよくわからなかったが、壱樹達は、相手が物理的に手の届かないところまでいってしまったため、ただ眺めるしかできなかった。
ゴンドラに戻ると、陽慈璃が満足げに紅茶を飲んでいた。
「ただいまー」
陽気に久宮が声をかける。
「ああ、ご苦労さん」
「あれで良かったのか? 堕天使もどきたちは、どうなった?」
壱樹は疑問を口にした。
陽慈璃は一つ息をついて、表情を改めた。
「ゲートって言えばわかるかな?」
「ゲート?」
「そう。五星への介入を、彼らが管理して司天の自由にできなくした。ということさ」
「なんだそれ? 誰の特になるんだ?」
「堕天使達、そして司天も彼らの管理下に置いたことになるね」
「……陽慈璃、おまえがか?」
壱樹は、複雑な表情を作った。
怒っていいのか、笑えばいいのかよくわからない。
ただ、確実なのは、陽慈璃本人にとって最も都合の良い状態が出来上がったということだ。
「そんな顔しないでよ。初めから考えてたわけじゃない。一番、収まりのいい結果に持って行っただけなんだから」
「どうやら、始末すべきはコイツのようだな」
仙久戯が鞘に納めていた刀の柄に手を添える。
「無駄だよ、止めておきな。陽慈璃には勝てないよ」
「本物の堕天使だから、か?」
壱樹はうなづいた。
当の陽慈璃は涼し気にしている。
「とりあえず、登賀になにをしたのか、知りたいね」
壱樹は、疲労感を隠しもしないで、椅子にどっかりと座った。
久宮は冷蔵庫を漁っている。
「登賀の身体に那緒の魂を入れんだ。もちろん、どうなるかという実験的な好奇心があったのは認めるよ。ただ、司天としての彼の無力化しようと思ってたんだけどね。そしたらどうなったとおもう? まぁ、本人から聞いてみなよ」
陽慈璃はそう言うと自分のゴンドラに乗って炭燈楼に帰っていった。
仙久戯を適当なところで降ろすと、壱樹たちはロープウェイをどこにともなく進ませていた。
テーブルに付く気にもなれない三人は、明るい内部の思い思いの場所で影を造り、しゃがんでいた。
壱樹はダウナーの飴を舐めて、自分を落ち着かせている。
彼は、誰かが何かをするまで待っていた。
小一時間ばかり、一人も言葉を発しない。
時折、飲み物を取りったり、トイレに行くだけだ。
「……なぁ、登賀だか那緒とかよ?」
ようやく、壱樹が口を開いた。
少女は両脚を抱えて座ったまま反応はなかったが、聞いてはいたようだ。
「おまえ、ベルナが父親だとかなんとか言ってたけど、あれはどういう意味だ?」
「……お父さんは、ずっと空ばかり見ていた……」
俯いたまま、那緒が喋り出した。
空に魂があるのなら、地上の我々は何なんだろうと考えてばかりいた。
堕天使の網が無ければ、魂たちは地上に降りるか、天井で解放されていたかもしれない。
人工都市、露夢衣とは何か?
人の意思をここに閉じ込めているのは何故か?
出ない答えから、次第に堕天使への憎しみに変わった。
ソラ・コミュニティで、堕天使から魂の支配権を奪おうという発想に到達した。
最後は己がベルナという木偶になって、空に向かおうとした。
「結局、失敗したんじゃないのか?」
壱樹は、嫌味でも皮肉でもなく口をはさんだ。
那緒は顔をあげた。
彼を見つめる顔には、穏やかな笑みを浮かべていた。
「そんなことないよ?」
ゴンドラが、駅の一つに停まり、ドアが開いた。
那緒は立ち上がって、ホームにでた。
閉まり際に彼女は一言、ありがとう魂をくれて、と言った。
了