一話目
揺れる馬車の中、ラニは目を閉じていた。
自分の他にも七人、傭兵として雇われて馬車に乗っているが、皆同様に黙ってじっとしている。
その方がいい。
ラニもまた、誰ともコミュニケーションを取るつもりなどないからだ。
グレイシア家を飛び出し、身ひとつで国を出る方法は多くはなく、ラニは積荷の護衛の為に傭兵として馬車に乗り込んだ。
今、この馬車はサイクロプスの住まう一つ目谷を抜けて、もう半刻ほどで迷宮都市メイズに到着するだろう。
ここまで戦闘らしい戦闘は、谷でサイクロプスが現れただけだった。
と言っても、傭兵十数名でニ体のサイクロプスを袋叩きにしただけだ。
これでそれなりの路銀を得て、メイズまでの旅費を浮かせられるのだから、楽な仕事だったと言えるだろう。
迷路都市メイズ。
二百年前、『迷宮の魔女』バーミリオン三姉妹の三女、サンチェ=バーミリオンが作り出した巨大ダンジョンの上に建てられた都市には、多くの冒険者が出入りしているらしい。
何の実績も持たず、剣の腕前に多少自信のあるラニが身ひとつで稼いで生きていくには、ダンジョンで魔物をしばき倒すのが手っ取り早い。
というか、他に思いつかなかった。
ガタンと、大きく揺れて馬車が止まる。
「サイクロプスだ!!戦闘準備!!」
怒号が届き、ラニも他の傭兵たちに続いて馬車を降りる。
サイクロプスだって?
一つ目谷はとっくに越えたはずだが。
外に出て、ラニは面食らった。
大群だ。見えるだけでもサイクロプスが十数体。
先頭馬車の集団は、既に剣戟を振るっていた。
「クソっ、なんだってんだこんな」
悪態を吐きながらラニは抜剣し、腰に下げていた円形盾を構える。
「おい、兄ちゃん。悪いことは言わねえ。こいつは逃げた方がいい」
隣にいた傭兵のおっさんが、声をかけてきた。
見ると、既に先頭集団はサイクロプスの振るう槌に潰されてたり、逃げ回って散り散りになってたりしている。
確かに勝ち目は薄そうだ。数が多すぎる。
「じゃあな。忠告はしたからな。俺は逃げるぞ」
言うが早い。おっさんは、サッサと森の茂みの方へ姿を消していった。
あんなおっさんでも、長年の傭兵稼業で生き残る術は心得ているという事か。
最後に若者の俺に声をかけていく辺り、自分の罪悪感と向き合う術も。
「さて、俺はどうするか」
逃げるにしても、どちらに向かうが正解か。
おっさんを追って、森に入るのがいいのか。
しかし土地勘のない場所。この混乱の中、道を見失えば生死に関わるぞ。
かといって、このままここにいても死ぬだけか。
「ど、どど、どいてくださいっ!!はやく!!逃げ!!だっ、ど、どいてってば!!」
ドドドと地響きと共に若い女の声が聞こえてきて、見ると黒いとんがり帽子に黒いローブをまとった魔女。今時コスプレかってくらい、古風な魔女の格好の女が、こちらに走ってきていた。
背後に数体のサイクロプスを連れて。
「クソっ!!」
今日何度目になるか分からない舌打ちと共に、一番先頭を走るサイクロプスの目を狙って、円形盾を放り投げる。当たった。
「グゥぅぅうっ!!」
頭を抱えて立ち止まるサイクロプス。
ついでに後ろの連中もスピードダウンした隙に、ラニは納刀して、コスプレ魔女に近づいた。
「こっちだ!来い!」
「ほえっ?!」
ラニは決して大柄ではないが、小柄なその少女を抱きかかえるくらいは出来ると思い、腰に腕を回して荷物のように持ち上げ、走り出す。
「ちょ、まっ、離してよ!?」
「うるせえ!黙ってろ暴れんな!」
何やってんだ俺は。アホか。
咄嗟の行動とはいえ、もう後悔しても遅い。
背後に怒りに狂うサイクロプスの怒号と地鳴りが迫っているのを感じながら、逃げる方向を考える間もなく、とにかく走り出した。
「うおっ!?」
茂みに足を取られて転ぶかと思ったが、違った。
崖だ。まずい。
身体が落ちてゆく浮遊感の中、抱えていた少女と目が合った。
ありえない。
そいつは雪みたいな真っ白な髪で、色白の肌の中、血みたいな真っ赤な瞳をしていた。
ラニたちは茂みに隠れていた崖下まで転落し、そのまま川へ叩きつけられた。