十八話目
溺れる河豚亭の二階の一室。
ラニは、ベッドに横たわるコリーを眺めていた。
イチカが処方してくれた薬は、既に飲ませてある。
赤い瞳は、今はもう閉じられている。
スゥ、という寝息と共に規則正しく薄い胸を上下させて、ただ眠っているようにみえる。
いつ目を覚ますかも知れず、ずっとその寝顔を眺めているうちに、また夕飯にありつき損ねた。
はあー、と溜息をひとつ溢して項垂れると、先程まで聴こえていた規則正しい寝息が止んで、気配がした。
顔を上げると、コリーと目が合った。
「おはようございます、ラニさん」
「よぉ、コリー」
今は夜中だから、おはようじゃねーんだけど、まあいいか。
コリーの赤い瞳は揺れていて、まだ少し眠そうだ。
「気分はどうだ? 前に飲んでた薬とは、ちょっと組成が違っててな。強くない分だけ、慣れないうちは意識が不鮮明になるとかなんとか」
「いえ。はい、身体は少しだるいですけど、大丈夫です」
大丈夫、という言葉に、俺は殊更問い詰める。
「本当か? 本当に大丈夫なんだろな? お前はすぐ大丈夫とか言って誤魔化すからな。それで後になって余計に迷惑かけるんだから正直に言えよ」
「大丈夫、ですよ」
コリーはそう言うと、ベッドの上で居住まいを正して、俺の方に向いた。
「声が、聞こえてました。絶対に見捨てたらしないからって」
「ああ。そう言ったかもな」
「……どうしてですか? 余計な迷惑かけられて、どうして助けてくれるんです? やっぱり、私のこと好きなんですか?」
自嘲気味に笑うコリーに、俺は努めて冷静に返した。
「違う。そんな理由で助けるんじゃない」
「なら、どうして」
「あのな。好きだから助けるってことは、嫌いになったら見捨てるってことだろ。人間の感情なんてコロコロ変わりやがる。そんなもんを、お前は信じられるのか? 俺には無理だ」
他人なんて、どいつもこいつも信用ならねえ。
生まれた時からずっと、金で雇われただけの借り物の両親、使用人たち。実の親だって。
唯一、信じられそうだったノリスは死んじまった。
「俺がお前を助けるのは、俺がそうするって決めたからだ。アルバートのおっさんの時と一緒さ。損得の問題じゃねえ。俺が助けるって決めたからだ」
「……そんな、勝手な」
「勝手さ。何が悪い。お前は女だからわからないだろうがな。男はこうと決めたらな、死んでも曲げねえんだよ。意地があるからな」
「知りませんよ、そんなの……」
「人間はさ、出会っちまったら、もう知らないふりなんて出来ねえんだよ。俺はもう、お前とどうしようもなく出会ったんだろ。だから、助けた」
この旅の中で、コリーと、アルバートと、メロンと、イチカと。
出会ったんだ。
この先もきっとそうだ。
ノリス、お前とも俺は出会った。
やっと、わかった気がした。
出会ったらもう、知らないふりは出来ない。
ノリスもそうだったんだろ。
俺なんかより、ずっと多くの人たちと出会ってしまって、それで自分が死ぬと知っても動けなかった。
覚悟の上で、手紙を残して。
ノリスが守りたかったものがなんなのか、俺にはわからないけれど、俺も。
何も無かった俺にも、守りたくなる縁が出来たんだと思う。
「それに、約束したしな」
「約束ですか?」
「ダンジョン攻略。手伝ってくれるんだろ?」
「それは、はい。あの、ですが、コリーでは手伝うどころか足手まといにしかならないかもしれなくて」
「いいさ、別に。期待してないし。他に信用できる魔女もいねーし」
「信用、していただけるのですか?」
「少なくともお前は俺を陥れようとか、裏切るなんて器用な真似はできねーだろ」
「……魔女さんなら、イチカさんがいるじゃないですか」
「あいつは色々と超越しちゃってるから、ダンジョン攻略とか手伝ってくれなさそうだし……。俺の相棒は、お前くらいが丁度いいんだよ」
「本当、失礼極まりない人ですね。ラニさん」
ようやくコリーが笑って、俺も意地悪な笑みを浮かべる。
人間って面倒だ。
独りでいた頃のほうが、なんでも上手くやれた気がする。
でも、こういうのも含めて、生きてるって感じがした。
そう感じたのは、初めてだ。
死んでいないだけだった俺が。
こういうふうに、生きていくんだ。




