十話目
「ボクに、なにか用?」
『天井の魔女』イチカは、手にした分厚い本から視線をあげる事なく問うてきた。
ラニはポーチから、メロンに渡された一本の矢を取り出して、差し出した。
「俺はラニ。こっちはコリーだ。メロン=セプテンバーから、あんたを紹介されて相談に来た」
イチカは、メロンの名前に反応したのか、顔を上げてこちらを凝視した。
「ふぅん? 成る程。またあの若作りババアのお節介って訳ね」
「いや、ババアって」
「おや? 知らないの。エルフは長命でね。あの子は、ボクが知るだけでも80歳は余裕で超えているよ」
ボクが知るだけでもって、そういうあんたは何歳なんだよ。
思ったことをつい口走りそうになって、ラニは手で口元を押さえた。
今回は、お願い事をしに来た立場だ。
下手に怒らせるのは、よくないだろ。
「それで? ボクに聞きたいことはなに?」
イチカは開いていた本を閉じ、佇まいを正してこちらを向いた。
いや、それはいいんだが、それよりも。
「い、イチカさんは、その、下着は穿いていらっしゃるんでしょうか?!」
そう。それだ。よく言ったコリー。
さっきから白い大きめのジャケットの下、スラッと伸びた艶かしい足が動くたびに。
胸元がはだけて鎖骨のラインが覗くたびに。
その、いろいろと、見えそうになるのだ。
「んー、とねぇ……」
イチカは羽織っていたジャケットを開いた。
「あはっ」
「いや、なんで何も着てねーんだよ!!」
ラニは悔しい気持ちを沸かせながら、視線を逸らした。
クソっ、見ちまった。初めて、女の裸のあれとかそれとか。モロに。
「だって。嫌いなんだよ。束縛されるの」
「いやそういう問題じゃねえだろ!」
「じゃあ、どういう問題?」
「いや、そりゃあ。あるだろ、羞恥心とか」
「今は切らしてる」
「入荷する見込みねえよな?!」
クスクスと、可笑しそうにイチカは笑う。
「キミってなかなか面白いね」
「俺は全然面白くねえ!!」
「あ、あのっ!!」
突然、コリーが声を上げて割って入った。
「コリーは、気分が悪いので外で待っていてもいいですか」
「そりゃあ、別にいいけど。お前、大丈夫か? やっぱりなんか変だぞ」
「……大丈夫ですよ。それでは、失礼します」
そう言って、コリーはさっさと行ってしまった。
どうしたんだ、急に。
「さて、ラニ。そろそろ本題といこうか」
「やっとか。待ちくたびれたぜ」
そうして、俺はこれまでの顛末をイチカに説明した。
誤って魔女の薬を飲んでしまったこと。
瞳の色が変わったこと。
戦闘で、魔法剣を使ったこと。
一通り聞き終えたイチカは、フンフンと頷いて、指を一本立てた。
指先には、ゴゥ、と火球が生まれた。
「その魔法剣、今ここで使える?」
「いや、悪いけど意識してやったわけじゃねーんだ」
「そうか」
イチカが立てた指を折ると、火球は消え失せた。
「なあ。俺は魔法のことは詳しくねえけど、無詠唱で魔法使うって、お前もしかしてスゲェ魔女なのか?」
「さあ。ボクは魔術には興味ないし」
イチカはそういうと、つまらなそうにソファーにごろんと寝転がった。
はだけたジャケットの隙間から、いちいちきめ細かい肌が露わになって目のやり場に困る。
「話を聞く限りだけど、ラニは五次元空間に意識が繋がりやすい状態にあるようね。きっと魔女の資質があったんだよ」
「ご、五次元空間? 魔女って、俺は男だぞ」
「そう。だから魔女にはなれないし、男と女では脳の構造が違うから、魔術を扱えない。だけど、魔女の生み出した魔術を使役することは出来たわけだ」
「すまん。俺にもわかるように言ってくれ」
「うん、そうね」
ガバッと、身体を起こすイチカ。
だから、動くなよ。やめろ。足を組み直すな。
「まず、点。これが零次元。点と点を結んだ、線。これが一次元で、線を結んだ面が二次元。面と面を合わせたものが、この物質世界の三次元。ここまでは、いいね?」
「お、おう」
「三次元同士を結んだのが四次元で、四次元を組み合わせたのが、五次元。時間も空間も超越した魂の領域。死者の魂の還る場所。魔女は皆、五次元に意識を接続させて魔術を使役する。わかる?」
「い、言ってることはわかるが、いまいちピンと来ねえ」
「それはそうだよ。ラニは魔女じゃないし。このレベルを実感できるのは、二つ名持ちの魔女の中でも少数なんじゃないかな」
ラニは少し考えてみせた。
「やっぱりお前って、すげぇ魔女なんじゃねーのか」
「ボクに言わせれば魔女に凄いも凄くないもないけどね。魔女がいて、魔女以外がいる。それだけ」
イチカはラニに向かって指差した。
「それで、魔法剣はもう使わない方がいい」
「……どうしてだ?」
「うん。ボクは、ラニと同様の状態の人を、両手の指の数ほど見たことがある」
イチカが両手の平を広げて見せた。
「その人たちは、一人の例外もなく、精神喪失して廃人状態と化した」
「は、廃人?」
「そう。五次元は途方もなく巨大に、強大に、渦巻いてる。そこに接続する人間の意識なんて、あっという間に飲み込まれる」
イチカはドカッとソファーの背もたれに倒れて、座り直し胡座をかく。
だから、足を開くなっての。
「本来、魔女でも長い年月かけてようやく知覚できる程度なの。ところが、ラニはコリーの薬の影響で無意識のうちに接続できてしまっている。そのままだと、いずれ帰ってこれなくなるよ」
「そうか。あれは危険なんだな」
「薬の効果は、いずれ切れると思う。今しばらくの、我慢だね」
そう締め括ると、イチカはソファーの隣に積まれた本の一冊を取って、また寝転がり本を読み始めた。