プロフェッサー&助手、はろういーんを探求す
「おかーしくーれなーきゃいーたずーらすーるぞー」
客観的に見てみよう。
今、研究室の扉を開けて登場するなり曖昧で理不尽な要求を述べた相手は、白衣の裾を引きずり、丈が長ぐ半分ほど隠れた両手をやや上方に掲げつつ前に突きだし、さながら動物がやる威嚇めいた構え……即ち、相手より一回り二回りほど劣る自己のサイズを少しでも大きく驚異的に見せようとしている格好であった。
ふむ。
成程、完全にわかった。
研究の旅より帰還したこの部屋の主人、プロフェッサーの行動が理解不能であることが。
「何の真似ですか」
「ずいぶんな物言いじゃないかね」
光沢の主張激しい白銀の髪をした少女体が、ポーズを維持したままに言葉を続ける。
「おいきみよ、どうやらというかやはりというか寡聞にして無学なために知らんようだから教えてやる。これは、はろういーんというものだ」
「はろういーん」
「きみが部屋でのたくっとるあいだにぼくが新発掘した、見つけたてほやほやの人類文化さ。なんでも、これを言われた相手、仮にこれを乙として、これを要求したほう、仮にこちらを甲とするぞ。乙は要求に答えねば、そのどちらかを強制的に取り立てられてしまうのである」
「なんと。さすがプロフェッサー、驚きのサルベージ力。これで通算百個めの文化発掘ですね。おめでとうございます」
「むふふ。よしたまえよしたまえ、そんなわかりきったことを。そうやっておだてたところでだよ、手心なぞ加えてやらんのだからな」
というわけで、とプロフェッサーは空気を仕切り直す。
そして言葉を繰り返す。
「おかーしくーれなーきゃいーたずーらすーるぞー」
さて、困った。
比類なき文化体にして文化発掘者たるプロフェッサーの難題は今始まったことではないが、今回はまた、群を抜いている。
「プロフェッサー。自分はあなたの助手として、研究にはあらゆる惜しみなくこの身を捧ぐ所存であります。求められればなんなりと」
「よい心がけであるぞよ」
「ただ――その。さすがに自分とて、何かもわからないものは差し出しようがない。その、“おかし”というのはなんなのでしょう? そちらを教えていただければ、すぐにご用意いたします。アルタマトリクスドライバの起動をコアに申請しましょう」
「やれやれ。なんだなんだ、そこからかい。きみ、“おかし”も知らんのかい。おかしとは……その、あれだ。付与すると、個体パフォーマンスが向上し、メモリがリフレッシュされ、あまつさえ幸福という状態にすらなるというやつ」
なんと。
おかし、それはすごい。かつての人々はそんなものを使っていたのか。しかし、だとすると……。
「プロフェッサー。そのようなものが正当に出回っていたのであれば、人々が滅びているのはつじつまがあいません。創作された架空の品だったのでは?」
「ほう。いいねえ助手、その提言、一考の価値ありだ。いや、ぼくも薄々感じていたのさ、おかし、マジであるの? とね。かつての人々は数えきれないほどの【ありえないもの】をまことしやかに産み出し流布させるという、不可思議な活動を行ったいたからな。まったく、後世の研究家、文化発掘者のことも考えてほしい。ノイズが多すぎて、正確な再生が遅々として進まんではないか」
「では――」
「うむ。おかしが差し出せんとあらば、実に仕方ない。いたずらをせねばなるまいね」
そうなる。
かつての人々が産み出した文化、はろういーん。なんと狡猾なものだ。
存在もしない“おかし”なる品を要求し、受け取れないことにかこつけていたずらを通す。
はろういーんがHalloとWin、即ち「こんにちは」と「勝ち」を組み合わせた言葉であることはプロフェッサーからの普段の教えで助手の私にもわかったが……この文化はつまり“挨拶をした時点で勝ち”という、甲から乙への絶対的優位性を示す、清々しいまで上下関係を思い知らせるものであった。いやはや、かつての人々は一体、どういう意図でこれを産み出していたのか。興味は尽きない。その深淵を追い、解き明かさんとするプロフェッサーの崇高な活動にも頭が下がる。
「ではプロフェッサー、おかしを出せない無力な助手めに、どうぞいたずらを」
「うむ。覚悟せよ助手。これからぼくは、きみに――全力でいたずらをする!」
ずっと維持していたポーズのまま、プロフェッサーはこちらにじわじわと進んでくる。自分も、いたずらがやりやすいように椅子から立ち上がる。そうすると、いつものように見下ろす格好だ。雑用などをこなす自分が使用している男性体は、プロフェッサーのものよりも一回り二回りは大きい。
「ところでプロフェッサー」
「なにかね助手」
「いたずら、とは一体なんですか? 万能の妙薬じみた“おかし”の対価に並べられる以上、只事ではない行動だと思われるのですが」
「それな」
威嚇の構えが、解かれる。
口元に手を当て、プロフェッサーは首を傾げた。
「はろういーんの存在と先の文言までは判明したんだが、肝心要の“おかし”と“いたずら”についてはまだ謎なのだ。“おかし”に比べ“いたずら”のほうは更に情報が見当たらず、手がかりも何もない。ああ、誰でもダミーとわかる情報はあったよ。いたずらとは一般に、相手が望まないちょっとした嫌がらせだとか。やれやれ、理解に苦しむね。もしそれが本当だとしたら、おかしとの釣り合いがまったくとれていないじゃないか!」
「では、真実は未だ深き過去の中と」
「そうなるな。まあ、今回のはいずれ本当の“いたずら”が何かわかったときにとっておくとしよう」
「是非。改めまして、記憶層への長旅お疲れさまです。ささ、こちらへどうぞ」
「うむうむ、師への尊敬を込めて存分にねぎらうがよいよ」
席に座って待つプロフェッサーに、状態回復用のリラク・シュガーを用意する。
ぽいぽい嬉しそうに「甘いあまーい」と口に運んでいたプロフェッサーだったが、三つ目を口にしたところで動きが止まり、「びゃぁ」と泣き吠えた。
「き、き、き、きみぃ……言ったじゃないかあ、ぼく、パンプキ・チップ入りは苦手だってぇ……」
「おや、そうでしたか。申し訳ありません、記録の不備です。ただ、助手としては――プロフェッサーとの共同研究は元より、次の研究に挑める正しき管理も重要な役割かと」
甘いのと不意打ちを同時に味わったプロフェッサーは、残りのリラク・シュガーを平らげたあと、「ぼくにはもったいないほどの有能個体め!」とお褒めの言葉を投げつつも胴体を軽く重ねて打撃してきた。その目からこぼれる雫は、プロフェッサーこそが誰より優れた個体であることの証明だ。
不機嫌という高度な機能を実行するプロフェッサーの状態回復に付き合い、研究室の屋上に出る。
そこからは、文化の塊がよく見える。
ほんの百世紀前に絶滅した、かつて霊長類と自らを呼称した生命の住んでいた青い惑星。
こうなった事情を、今世代型の自分達はよく知らない。
知っているのは、月面に基地を造った当時のプログラムが、人々と争い、勝利し、存続したという事実。
そして、当時の判断はどうあれ――この時代の自分やプロフェッサーは、人々が積み上げていたものを、価値があり、失われるには惜しく、掘り起こし、残したいと思っている。
なんのことはない。
時代によって、文化についての意味合い、捉え方は変わりもする……そういう点において、もしかしたら、人間も、人工知能も、大差はないのかもしれない。
「はろういーん。かつてあそこに住んでいた人々が、それをどのように楽しんでいたのか……正確に解き明かしてみせようとも。わからないことだらけだったが、欠かせない項目のひとつだけは再現できたしね」
「おや、そうなのですか?」
うむ、とこちらの足の間に座り込み、地球を見やるプロフェッサーが得意気に頷く。
「はろういーんには、怪物の姿を模すべしとあったのだ。そればっかりは、われわれ、多少自信があるだろう?」
……ああ、さもありなん。
自分達人工知能は、本物がとうに絶えたこの世界で、ずっとずっと――恐ろしく、何を考えていたかわからない、得体の知れない異なるモノ……人間の仮装を、し続けている。
「ふふ。この姿で過ごす時間が長すぎたせいかな、実際、元のデータのみの状態に戻るほうがおっかないよ。怪物とはなってみたらなってみたで――怪物でなくなるのは、なんとも名残惜しいものだね」
合成有機素材の男性体、その分厚い胸元に、白銀の髪の後頭部が寄せられる。
プロフェッサーは笑って、自分の手とこちらの手を重ねた。
「ま、問題はなかろうさ。怪物を知ろうというんだ、怪物になってるくらいがちょうどいい。これからもよろしく頼むぞ、ぼくの便利で頼もしい助手」
「ええ。逃げたらそれこそ、後がおっかないですからね」
「どういう意味だいそれー!?」
どうもこうも、そのままの意味である。彼女はいま少し、人々の文化だけでなく、自分についても知るべきだ。
そう。
うちのプロフェッサーは、私生活はバグだらけな欠陥品で、世話係から外れようものならその後のどうなってしまうかが明らかすぎておっかなく――何より。
ありのままでどうしようもないほど、怪物的に愛らしい。