カズタカの鮎
鮎釣りの道具は高すぎます。
やっぱ・・・鮎やわよ。釣りと言えば鮎やわよ。
鮒に始まり鮒に終わるてぇ?そりゃ~確かに、鮒釣りの奥深さも認めるわよ。同じ釣り人やけんな。
それでもよぉ、釣り人をよぉ、なんちゅうんやろ・・・ああ、狂気、狂気の領域までに押しやってしまう中毒性、ちゃう、中毒どころやあらへん。
うまく言えんけど・・・まあ、魔性かな。その魔性はよ~、何ちゅ~ても、やっぱ鮎の友釣りやわよ。
知ってるで?昔むかし、そう、江戸時代の話やわよ。
紀州藩、今の和歌山県では、鮎の友釣りが禁止されてた時代があるわよ。
生類憐みの令?いや、そうとちゃうんよ。それよりかもっと後の話やけん。
何でかって?そりゃあ、鮎の友釣りがあんまりに面白いけぇ、農民が田んぼや畑をほっぱなかしで、鮎ばっかり釣りよるさけよ。
でもって、ちょっとした名人なら、鮎を釣って売った方が、阿保ほど年貢取り立てられる米や芋より、遥かに実入りがええ訳やわよ。
でも、それやと幕府としては、ちと具合が良くあらへん。鮎では年貢は取れへんけぇの。幕府としては、農民には農民をしとってもらわんといけんかったんよ。
そやから、当時の紀州藩主が鮎釣りを禁止しよった訳よ。
まったく無粋なことをしよるわなぁ、幕府も。
ここんところワイには不満があるでよぉ。居酒屋で出てくる鮎の塩焼の話よぉ。
み~んな、丸まると太っちょって、長さが25センチもあるわよ。
顔つきも、な~んか優しそうな、情けなそぉ~な顔しちょるわよ。野性味がまるで感じられへん。
何てぇ?大きい方がええやんかって?
阿呆もたいがいにせえよ。鮎ってえのは、ああ見えて、闘争心の塊のような生き物やけん。
自分の縄張りに、他の鮎が入ってきた日にゃ~、傷だらけになってまで追っかけ回す奴らやけん。時には40センチのイワナも追い払うらしいわよぉ。
やつらは武士やわよぉ。武士にデブはおれへん。傷だらけの体は筋肉質でキュッと締まっちう。顔つきも厳めしいわよぉ。眼なんかも吊り上がってるでぇ。
お前ぇらが美味いうまいっつってありがたがっとる鮎は、み~んな養殖もんやけん。
脂が乗って身がホロホロ?ちゃうちゃう、鮎の本当の美味さは、そこちゃうわよ。
締まった筋肉の歯応えと、バリッとした分厚い皮の食感。そんで苔をたらふく喰っとう上品な腸の渋みと苦み。鮎の魅力はなんちゅうてもそこよ。み~んな、鮎って魚の醍醐味を勘違いしちょう。
まあ、天然もんと養殖もんの味の違いも判らんようなやつらにはよぉ、説明するだけ無駄っちゅうもんやけどな。
釣ってもさぁ、奴らはもん凄いわよぉ。
目印が下流に走る・・・ちゅうて友釣りのアタリを説明するやつがおるわな。
違う、違う。目印が消えるんよ。水中に消えるんやないでぇ。下流にすっ飛んで行って、釣り人の視界の外へ一瞬で消えてなくなるんよ。ほんに瞬間移動やさぁ。
あの江戸時代のさぁ、誰も竿を出してない紀の川で、野生の鮎を釣るわよぁ。これに勝る釣りなんて、古今東西ある訳ないわよぉ。
そうなぁ、釣り場は河口から10キロくらい上流がええわなぁ。
川幅がある程度広くて、流れも力強いわよぉ。ちょっと気ぃ抜くと足元から釣り人が流れに持ってかれるわよぉ。
鮎釣りはよぉ、やっぱ激流の中に立ち込まんとよぉ、おもろないわ。
カラカラに晴れた朝さぁ。季節は6月さ。蜜柑の緑葉が目に染むほど鮮やかでなぁ、ほんまに綺麗なんよ。
たっぷり川の水量があるでぇ。初夏の高い空の下ではよぉ、やっぱ鮎師は唐笠を被らんとなぁ。
流心にデンとある一番デカい岩よ。一等ええ岩には、一等強い鮎が付いているけんなぁ。
おとりがそこに入ったら、たぶん一発でぇよぉ。
江戸時代だけどよぉ、道具はなぜか令和の最新モデルよぉ。
竿は9メートル・・・と言ったって江戸時代では通じんかのぉ。長さ3丈さ。
江戸時代のやつら、きっと驚くわよ。3丈の長さで300グラム以下の重さやけんな。
300グラム・・・言うても、これも江戸時代では通じんわなぁ。だいたい80匁くらいやなぁ。
もちろんティップは・・・ちゃうちゃう、穂先や、穂先。これがチタン製だわよ。穂先がチタンやと、3丈あっても全然持ち重りとかせんわさぁ。
感度も申し訳ないくらいにビンビンやでぇ。
糸もエグイでぇ。メタルラインの0.08号をメインラインに使うわさぁ。
こんだけ細いと水の流れなんかも全く抵抗を感じひんでぇ。おとり鮎の操作も楽やよぅ。引っ張る糸がめちゃ軽いから、ぜんぜんおとり鮎が弱れへん。
おお、行きよる行きよる。狙っとぉ大岩に、おとりが一直線に向かって行きよるわよぉ。
そら、そこの岩の陰がええわのぉ。質のええ苔がいっぱい付いとぉでぇのう~。
おぅ、見えとるでぇよ。岩の壁に、び~~しり苔が付いとんのがよぉ。
そら、そうよ。最新のガラス製偏向グラスでよぉ。今から200年後のな。
晴れた日ぃは、ブラウンのレンズが一等ええ。キラっと水中で光る鮎の腹のきらめきが確認できるくらい、よっく水の中が見えるわよ。
おっ、おとり鮎に落ち着きがなくなったでぇ~。チタンのティップがそれを釣り人にはっきりと伝えるわよ。
おお、おう、追われとぉ~追われとぉ~。
くるで、くるでぇ。もうじき、掛かりよるでぇ~。
ほらっ、きたでぇ~。目印があれへん。どこいきよった。
ああ、あそこか。もん凄いなぁ。一気に8メートルも下流にすっ飛んでいきよった。
糸が空気を切って、ひゅんひゅん鳴りよる。
一番強い流れに乗ってしもたなぁ。3丈の竿がど真ん中から曲がっちょる。
すんげぇ重量感や。
この胴から曲がる調子がええんよ。激流の中、野生の鮎を捌くにゃあ、やっぱこの調子でないといけんよ。いつの時代からからかのぉ、みぃ~んな先調子の竿で、おとり鮎ごと宙に抜きよるけどなぁ。わしに言わせれば、あれは野生の鮎との根比べから逃げとんのんよ。
なに?ようわからんって?まあ、そこはええわ。
要はよぅ、胴調子の竿を使って激流の中、下流に向かって突っ走る鮎を止める。
鮎が元気なうちは、釣り人の方から近寄っていかんと、なかなか距離が詰まってくれへん。
腰まで水に浸かった状態で、糸のテンションを抜かずに魚の動きに付いていくんは、体力とテクニックの見せ所や。
ここで活きてくるんが、最新のスパイクシューズやよ。苔の上に乗っかってもまるで滑れる心配があらへん。
ようやっと、鮎が寄ってきたでぇ。水の流れと魚の向きを考えて、その動きを予想して竿を捌くんや。全てを制して鮎を足元まで寄せるんやよ。
タモに入れるまで全く油断でけへん。友釣りの掛け針には返しがないけんな。
一瞬の油断が命取りよ。
そうやって、やっと手にしてこそ、鮎釣り師の勝利やって。まあ、わからんか。
おおっ、熱中しとる間は分からんかったけど、流れの中立ってたもんやから、いつの間にか膝が笑ろとるわ。この疲労感もええもんや。次の日大変やけどなぁ。
どうよ、たった2時間で11匹やよ。
鮎釣りなんてこのくらいの釣果がちょうどええんよ。
魚籠に入れたのは5匹だけや。持ち帰るのは、自分たちで食べる分だけでええんよ。
魚籠の中でビチビチはねとぉ鮎に、粗塩を振るんやよ。一瞬で締まってエラの動きが止まりよる。
確かにちょっと残酷かも知れへんなぁ。でも残酷な光景を知るからこそ、人は食べ物に対して感謝できるんよ。何かの命を奪って自分の命を繋ぐ。自分とはそんな存在やと釣り人という人種は気づくことができるんよ。だから釣りする人は皆心が優しい。
鮎の一生はたった一年や。稚魚の時に他の魚に喰われようと、釣り人に取っ捕まって塩で締められようと、晩秋まで生き永らえて海まで流されようと。
どんな最後を迎える鮎も、とにかく一生懸命や。
全力で苔を喰ってデカくなって、必死で他の鮎を追い払う。
釣り針に掛かったら死に物狂いで抵抗しよる。その生き方にはどこにも加減があらへん。
秋口によぉ、迫る死を待ちながら川を流され、河口でスズキやヒラメに飲み込まれる最後の最後まで、きっと奴らの生涯には悔いの欠片もないはずなんよ。
人間の抱えとぅ、訳の分からん柵も、野生の生き物からみたら何てことないしょうもない後悔も、奴らには全くあれへん。
鮎の一生を見とるとよぅ、太く短い人生ってのも、案外潔くってええんとちゃうかって思ったりするわよ。それでもやっぱり、わしは長生きしたいけどのぉ。
いかん、話がずれた。鮎や。やっぱ・・・釣りと言えば、鮎の友釣りや。誰がなんと言おうとの。
「江戸時代の禁漁中の紀の川で、現代の最新モデルで鮎釣りねぇ」
「おおよっ、それに勝る釣りなんてあり得んわよ」
「どうでもいいけど、カズタカ、お前、興奮すると和歌山弁が出るんやなぁ」
「えぇっ、出とったでぇ?」
「ほら、今も和歌山弁なっとる」
微妙にイントネーションが異なる関西弁で交わされているカズタカと私の会話を、マスジはこれまで目を細めて黙って聞いていた。
肩書が人を育てるというか、たった2つの年の差なのに、妙にその沈黙には貫禄めいたものがある。
ここでマスジが遂に口を開いた。
「確かに昔の海はよかったな。俺がガキの頃の長崎の海は、黒かったんだよ」
「黒?青じゃなくて黒?」
「そう、長崎の海は黒かったんだよ」
変わらず目を細めたまま、カズタカに次いで、マスジが語り始めたのである。