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Liar 2  作者: 貴堂水樹
第二章 容疑
7/22

2/6 07:45 a.m.

「まぁまぁ、おふたりとも」


 河畠刑事が苦笑いで仲裁に入る。


「なぜ中井くんが遺体の見つかった部屋で倒れていたのか、彼がこの事件とどう関わっているのか……それもまた、我々が答えを見つけるべき事実のうちの一つです。いずれにせよ、彼が事件の鍵を握っていることは間違いない。重要参考人という言葉を使うと今はまだ大袈裟ですが、治療が済み次第、彼からも直接話を聞く必要があるでしょうな」


 言葉を濁しているつもりだろうが、要するに警察も理沙子さんと同じ、中井のことを疑う姿勢であるらしい。

 避けられないとわかっていても、友達が殺人犯呼ばわりされるのは気分のいいことじゃない。鶴見さんの顔にも、さっきよりも色濃い怒りの表情が浮かんでいた。


「では、話を戻して」


 河畠さんが咳払いを一つ入れてから質問を再開した。


「入浴を終えたあなた方は、午後十時前には五人全員がこの718号室に集まっていた。それ以降、部屋を抜け出した人はいませんでしたか?」

「ぼくは一度」西山さんが手を挙げて答える。「どこかで目薬を落としたみたいで、探しに行きました」


 また落とし物をしたのか、この人!

 思わず突っ込みそうになったけれど、俺が声を上げる前に河畠さんが「ほう、目薬を」と言った。


「見つかったんですか?」

「えぇ、大浴場の脱衣所に落ちていました。あはは、よかった」

「部屋を抜けていた時間は?」

「えーっと、どうだったかな……眠くなってきたなーと思って、いつものように目薬をさそうとしたら手もとになくて……探しに行って戻ってきたら、沢代くんと美和ちゃんはもう寝ちゃってて……」

「十時四十分頃ですよ、修司せんぱい」


 助け船を出したのは、見た目中学生の眼鏡女子・ゆかりさんだった。さっきまで啜り泣いていたけれど、今は落ち着いたみたいだ。


「五分くらいで戻ってきたので、十時四十五分には部屋にいたと思います」

「そうそう、それくらいだったな。それからすぐに明かりを消して、ぼくたちも寝たんだよね」


 理沙子さんとゆかりさんはうなずいて同意する。つまり、午後十一時頃――中井が遺体の見つかった719号室で襲われた時刻には、全員が718号室で眠っていたということだ。


「わかりました」河畠さんは今一度美大生たちの顔を見回した。「消灯後、部屋を出た方は?」


 全員が互いに顔を見合わせながら首を振る。嘘つきがいない限り、五人揃って朝までぐっすり眠り込んでいたということらしい。


「それで?」


 河畠さんの視線が、今度は俺たち三人に注がれる。


「きみたちはどうして、遺体発見時にあの部屋にいたのかな?」


 柏木が縋るような目をして俺を見たので、俺が代表して今朝の出来事を簡潔に伝えた。

 中井と同室だった柏木が、昨晩部屋を出たきり戻らなかった中井を探して俺の部屋に来たこと。その時ちょうど719号室から閉め出されたままだった西山さんと沢代さんに出くわしたこと。ふたりに中井の行方について尋ねたこと。ホテルの人に部屋の鍵を開けてもらったところに立ち会ったこと。


「なるほどね」


 パタン、と河畠さんは手にしていたノートを閉じた。


「わかりました。それじゃあね、今度はおひとりずつ別室でお話を伺いますから、呼ばれるまでこちらの部屋で待機していてください。――きみたちにもまた協力してもらうことがあるだろうから、先生方の指示に従って待機しているように」


 河畠さんに促され、俺、柏木、鶴見さんの三人は一旦718号室をあとにした。

 廊下に出ると、俺のクラス担任である福知ふくち雅子まさこ先生が瞳を揺らして立っていた。ただでさえ顔色の悪い頬が見るに堪えないほど真っ白で、下手な幽霊よりもよっぽどホラーだと思った。

 福知先生の話では、どうやら俺たち宿泊客は、警察の指示で当面の間このホテルから出してもらえないらしい。当然ながら修学旅行の計画は崩れ、ひとまず午前中はホテル内で自習――という名の自由時間――ということで決定したそうだ。生徒は全員、朝食後、ホテルの厚意で開放してもらった大会議室に集められるらしい。

 学校側の決定を聞かされた鶴見さんが、「部屋で休みたい」と福知先生に願い出た。彼女の意図を察した俺は「俺たちが付き添います、落ち着いたら会議室に行きますから」と、エレベーターから一番近い俺が泊まっていた723号室に三人でいることを提案した。「えっ、おれも?」と柏木が声を上げたが、無言で睨んだら黙った。

 警察の目もあることから先生も納得して、「あとで食事を届けるわね」と言い残し、一旦俺たちの前から姿を消した。




 みんな朝食バイキングに行っていて、723号室は無人だった。

 ホテルの人に鍵を開けてもらい、部屋へ入った途端、鶴見さんは敷きっぱなしにされている布団の上にバタンッと勢いよく倒れ込んだ。


「ちょっ、鶴見ちゃん!?」

「鶴見さん!」


 柏木と俺が慌てて駆け寄ると、鶴見さんはゴロンと仰向けに体勢を変えて天井を見つめた。


「無理だ」


 鶴見さんは両手で顔を覆った。


「陽太が無実である証拠なんて、どうやって見つけたらいいの……!」


 ああああ、と頭を抱えて唸り始めた鶴見さんに、俺と柏木は思わずキョトン顔を突き合わせた。


「いや、鶴見ちゃん……さっきめちゃくちゃかっこよく大見得切ってたじゃん?」

「つい言っちゃったのよ!」


 ガバッ、と鶴見さんは跳ねるように上体を起こす。


「だってあの人、絶対に陽太が犯人だって決めてかかってたから……その、ムカついて」


 おいおい、考えなしに勢いだけで宣言したっていうのかよ。俺も頭を抱えたくなった。


「でも」


 きゅっと膝を抱えた鶴見さんは、強い光を宿した目をして言った。


「陽太が犯人じゃないことは確かなの」


 俺とも柏木とも目を合わせないまま、鶴見さんは淡々と言葉を吐き出していく。


「わからないのは、どうして陽太が事件に巻き込まれたのかってこと。瀧田さんを殺すだけなら、陽太を現場に引きずり込む必要なんてなかったはずなのに」


 確かに、彼女の言うとおりだ。中井が犯人でない場合、あいつを事件に関わらせたことにはなにか重要な理由がある。そう、たとえば。


「中井に罪を着せるつもりで……とか?」


 俺が言うと、鶴見さんは睨むように俺を見た。


「だとしたら、工作が足りない。池月くんも見たでしょ? 陽太のからだや服には少しも血がついていなかった。瀧田さんの殺害方法は刺殺。ざっと見ただけだけど、少なくとも二箇所は刺されてた。出血量から見て、犯人は間違いなく返り血を浴びているはず。陽太が刺したのなら、陽太はもっと血で汚れていないとおかしい」


「着替えたんじゃないの?」柏木がなぜか中井犯人説に立って意見を述べる。「バカ」と鶴見さんはすごんだ。


「昨日の夜、陽太が部屋に戻っていないってことは、あなたが一番よくわかってるはずでしょ? 柏木くん」


 あ、と柏木はアホ面を晒した。俺はついため息を漏らす。知ってたけど、やっぱり柏木はバカだ。


「それにね」と鶴見さんは続ける。「仮にわたしが犯人で、陽太に罪を着せようとするなら、最低でも陽太の手に刃物を握らせておくことくらいはする」


 確かに。わざとらしさは否定できないけれど、少なくとも警察が中井をマークする理由は作れる。


「まだあるよ」


 鶴見さんは、さらに指摘を積み重ねていく。


「瀧田さんの遺体は、布団の上できちんと寝かされているかのような状態で見つかった。言い換えれば、ちょうど寝込みを襲われたみたいな格好だったってこと。たとえばもみ合いの末の殺害だったとしたら、あんな風にひとり分の布団の上にまっすぐ倒れるなんてことは考えにくい。部屋の中も綺麗だったし、瀧田さんは犯人と争うことなく刺されたんだと思う」

「それって、つまり……」柏木が考えるような仕草を見せながら、「……どういうこと?」

「瀧田さんの意思だったってことだろ」


 俺が言うと、ふたりの視線が集まった。


「瀧田さんは、自らすすんで布団の上に寝転がったってことだよ。もしくは鶴見さんの言うとおり、寝込みを襲われたかのどっちかだ。相手が中井なら、そんなことにはほぼなり得ない。中井を部屋の中へ招き入れられるのは、もともと部屋に閉じこもってた瀧田さんだけ。ほとんど初対面の中井を招き入れておいて、自分は布団に寝転がる……まったくあり得ないシチュエーションじゃないけど、かなりのレアケースだと思う」


 おぉ、と柏木が目をまんまるにして感嘆した。別にそこまで驚くほどのことを言った覚えはないのだが。


「ダメなのよ」


 鶴見さんが言った。


「今の話を含めて、これまで挙げたのはすべて状況証拠。それじゃダメなの。陽太が殺したんじゃないっていう決定的な証拠がない限り、どれだけ希有けうな状況だったとしても、それが真実だと押し切られてしまう可能性を排除することはできない」

「だったら、その証拠ってヤツを探せばいーじゃん」

「だからそれが難しいって言ってるの!」


 柏木の発言を、鶴見さんは一蹴する。


「ドラマや小説とはわけが違う。わたしたちはただの高校生で、犯罪捜査のプロじゃない。証拠なんてものが簡単に見つかるのなら、犯罪検挙率は今より格段に上がるはず」

「でも、鶴見さん」


 現場でのことを思い出し、俺は尋ねてみる。


「さっき、瀧田さんの遺体を調べてたよな? 部屋の中を見回したり、窓を見たり……あんなこと、咄嗟にできるもんじゃないだろ」


 要するに、彼女には経験があるのではないかと俺は思ったのだ。過去に一度、あるいはそれ以上、なんらかの犯罪捜査に関わったことがあるのではないかと。

 しかし、残念なことに俺の予想は外れていた。


「父が法医学者なの。変死の遺体を解剖して、死因を究明するのが父の仕事。わたしも将来医師免許を取って、法医学の道に進みたいと思ってる。だから、遺体を見るのは怖くないの」


 俺の予想の遥か上をいく彼女の告白に、俺はただただ呆気にとられるばかりだった。柏木も心底驚いた目をして鶴見さんを見つめている。


「犯罪捜査に関わった経験はない。でも、現場の状況を見て、他殺以外考えられないってすぐにわかった。だから一応、部屋の様子を確認しておいただけ。それ以上のことはなにもわからないし、どうやって犯人を見つければいいのかも……」


 彼女は小さく首を振り、「所詮はただの高校生だから」と諦めたように笑った。

 そう、彼女の言うとおりだ。俺たち高校生が警察による捜査を上回れる可能性は極めて低い。「中井が犯人だ」という向きに対し「中井は犯人ではない」という反証を挙げなければならないという時点で俺たちが圧倒的に不利で、それを覆すだけの力が俺たちにあるとも思えない。

 だからといって、このまま中井が疑われ続け、挙げ句の果てには犯してもいない罪で逮捕されるなんてことになってはたまらない。それだけは絶対に阻止しなければ。


 犯罪捜査の経験という観点から言えば、俺には百瀬とともに美姫を殺した犯人を追いかけた過去がある。

 あの時、百瀬はどう動いていた?

 自らが警察に疑われているという状況下で、あいつはどうやって真犯人にたどり着いた?


 …………待てよ?


 そうか――百瀬だ。

 俺たちには、百瀬がいる。


 はっと気がついた瞬間、俺はポケットに手を突っ込んでいた。スマホを取り出し、発信履歴から百瀬の電話番号をタップする。


 そうだよ。

 俺たちだけじゃダメなら、あいつの力を借りればいい。

 ただの高校生にして、美姫を殺した犯人を突き止めた男。

 百瀬龍輝――あいつなら、あるいは中井のことを救ってくれるかもしれない。


「おい、祥太朗……?」


 柏木と鶴見さんが何事かという目をして見つめてくる。

 スマホを耳に押し当てながら俺は答えた。


「確かに俺たちだけじゃ心許こころもとない。だから、助っ人を呼ぶ」

「助っ人?」

「百瀬だよ」


 百瀬? と柏木も鶴見さんも少し驚いたような目をした。


「そう。美姫の事件の時、あいつは警察に疑われながら、たったひとりで美姫を殺したヤツを追いかけてた。多少やり方に問題があったけど、それでもあいつは、ほとんど自分の力だけで真実にたどり着いたんだ」


 その勇ましい姿を、俺は誰よりも近くで見ていた。あの時の百瀬の背中の大きさは、今でも色褪せることなく俺の瞼に焼きついている。


「百瀬なら、きっと中井を助けてくれる……あいつに見抜けない真実なんて、この世にはきっと存在しない」


 それほどまでの信頼を、俺は百瀬に寄せている。

 あいつに救われたことを忘れたら、きっと美姫に怒られるから。


「けどさ、祥太朗」


 不安に揺れる目をして柏木が言う。


「百瀬、インフルエンザなんだろ? 大丈夫なの? そんな状態で知恵を借りようとするなんて……」

「言っただろ、そんなの仮病に決まってるって」


 三度目の電話をかけながら、俺はフンと鼻を鳴らした。


「どうせ家でゴロゴロしてるか、熊さんと遊んでるかのどっちかだよ」

「誰だよ、熊さんって」

「いや、こっちの話」


 スカジャンを羽織ったあの巨漢さんの名前を、俺は未だに知らない。美姫の事件以来会っていないので、元気にしてるかなぁ、なんてことをふと思う。


「くそ……出ない」


 五回目の発信を切り、ここで一度メッセージを送ることにした。


【百瀬! 頼む! 電話に出てくれ!】


 これだけじゃ弱いか。もっと具体的な状況を伝えないと。


【このままじゃ中井が殺人犯にされちまうんだよ!】


 これならどうだ。言っていることに嘘はないし、緊急性も十分伝わる文面だろう。


 少し待ったが、既読がつかない。

 電話をかける。出ない。メッセージに既読もつかない。

 もう一度電話する。気持ち長めに待ってみたが、やはり出ない。


「くっそぉおおお百瀬ぇぇえええええ!!!!」


 イライラしながらメッセージを開くと、ようやく既読がついた。


「おっし、既読ついた!」

「折り返しかけてくるんじゃない?」


 鶴見さんに言われ、俺はスマホを握ったまま百瀬からの連絡を待ってみた。

 数秒後、百瀬からの着信が入り、俺は光の速さで電話に出た。

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