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Liar 2  作者: 貴堂水樹
第一章 出立
3/22

2/5 05:33 p.m.

 空港で脅かされた時はうっかり真に受けそうになったけれど、霊感など皆無な俺に幽霊なんて存在が見えるはずもなかった。心の片隅で「マジで出たらどうしよう」とビビっていたことは誰にも話さないでおくことにする。

 そんなこんなで、原爆ドームをはじめとする学習という名の広島観光は、戦争による悲惨な現実を知ってやや気持ちが沈んだものの、終始滞りなく進行した。もちろん、原爆の犠牲となった広島の人たちへの祈りの気持ちも忘れない。


 一泊目の宿は広島市内にある大型観光ホテルだった。修学旅行生を積極的に受け入れている施設とあって、大浴場や大会議室など、大所帯向けの設備が充実しているのだそうだ。

 エントランスを抜けると、フロントの手前に広く作られたロビーがあった。バスに積んでいた着替えなどの大きな荷物を受け取った俺たちは、これから班単位で割り振られた客室へと移動する。


 午後五時三十三分。ロビーの片隅で客室への案内待ちをしている間に、俺はホテルの一階ロビーをぐるりと大きく見回してみた。

 オレンジみの強い照明の光があたたかく、ソファなどの調度品も落ち着いた色で高級感にあふれている。二階部分まで吹き抜けになっている天井からはオシャレなシャンデリアがぶら下がっていて、それだけでもここが旅先であるという非日常感を十分味わうことができた。

 部屋は和室と聞いている。どんな部屋だろう。わくわくが止まらない。


「あら」


 その時、背後で女性の声がした。振り返った瞬間、「あ」と俺は声に出していた。


「やだ、びっくり! 同じホテルだったのね」


 ひらひらと手を振ってきたのは、羽田空港でほんの一瞬すれ違った、真っ赤な口紅が印象的な髪の長い女性だった。そうそう、この人が原爆ドームに幽霊が出るって言い出したんだっけ、と数時間前のことを思い返しながら、俺は「どうも」と小さく頭を下げた。


「どう? 幽霊には会えた?」

「まさか。俺にはそういうの、見えないみたいで」

「そう、残念ね。出会えたらきっと素敵な思い出になったでしょうに」

「好きなんですか? オカルトとか」

「ふふっ、実はね」


 妖艶に微笑みながら、彼女はフロントのほうに目を向ける。カウンターの前には空港で見かけたマスク姿の女性がいて、チェックインの手続きをしているようだ。


「私たち全員美大生で、専攻も学年もバラバラなんだけど、大学内の『心霊スポット愛好会』っていうサークルに所属する仲間なの。今日は定期試験のお疲れ様会兼心霊スポット巡りで広島に来たのよ」


 へぇ、と相槌を打つことで精一杯だった。

 俺は昔から、ホラーやオカルトが大の苦手だ。幽霊やUFOといった奇々怪々なものには一切近寄る気になれない。小学生の頃は本気でオバケの存在を信じていて、自宅のトイレでさえ怖くてひとりじゃ行けない時期があった。そんな俺がオカルト好きな彼女たちとわかり合える日は永遠に来ないだろう。


「広島には多いんですか? その……心霊スポットが」

「そうねぇ、戦争関連でいろいろと噂されている場所は結構あるかも。なに、興味あるの?」

「いや、そういうわけじゃなくて……。なんとなく旅慣れてるように見えたので、よく来るのかなぁと思って」

「あら、わかる? ちょうど一年前の今頃にも遊びに来て、このホテルに泊まったのよ」

「――やぁ、きみはさっきの!」


 彼女が気分よさそうに話を聞かせてくれていたところへ、今度は俺たちが知り合うきっかけを作った長身の男性が現れ、朗らかな声をかけてきた。ハンカチで手を拭きながら歩いてくるけれど、トイレにでも行っていたのだろうか。


「あはは、また会ったね」

「どうも。あれからなにも落としてないですか?」

「うーん、たぶん?」


 のほほんと笑う彼を見て、なるほど、こんな具合じゃなにを落としても気づかないはずだと心底納得した。おそらくは本人も諦めていて、たいていの物を落として無くす前提で生きているのだろう。財布だけは生涯無事であることを心から祈った。

 それじゃあ、とふたりは俺と挨拶を交わし、ロビーのソファで待つ仲間のもとへと戻っていった。ほどなくして、俺もクラスのみんなと一緒に客室へと向かって歩き出した。



 俺たちが泊まる客室は七階にあった。六人が定員のところを五人で使うことになっている。

 エレベーターを降りて右手の通路を行くと男子が泊まる客室、左に進むと女子が泊まる客室が並ぶといった部屋割りになっていて、自販機コーナーなど客室以外の設備はない。部屋も三人から六人用の和室がほとんどらしく、まさに修学旅行生向けのフロアだと言えた。

 もちろん、このフロアのすべての客室を俺たち早坂はやさか高校の生徒で埋め尽くすわけじゃない。空いている部屋には一般のお客さんが通されるようで、エレベーターを降りた時に何人かの宿泊客とすれ違った。ちょうど夕食時だ。二階と十三階にあるというラウンジやレストランで食事をとるために部屋を出たのかもしれない。

 かくいう俺たちも、荷物を置いたら六時から食事とレクリエーション、八時から九時までに大浴場で入浴、十時に点呼・消灯というスケジュールだ。バレー部の先輩から聞いた話によると、このホテルの料理はめちゃくちゃうまいらしい。ぐぅ、と腹の鳴る音がした。



 大浴場が思いのほか広く、八時からの一時間はうちの高校の貸し切りだったこともあって、俺たちはたっぷり一時間、風呂場で思う存分騒いだ。まだ一日目で体力もあり、うるさくしすぎて先生に怒られたことは言うまでもない。

 午後八時五十分。着替えて客室に戻る道を、俺は班のメンバーとだけでなく、中井や柏木といった他クラスのやつらとも一緒になって歩いていた。大浴場は一階にあり、俺たちは興奮冷めやらぬまま、エレベーターで七階まで上がる。

 このあと一時間の自由時間を経て、十時には点呼を受けるためにそれぞれの客室へと戻らなければならない。

 他の宿泊客の迷惑になるので、廊下で騒いだり、他のフロアへ立ち寄ったりすることは禁止。ただし、別の部屋へ遊びに行くことについては黙認されているため、自由時間中は中井たちが俺たちの客室まで遊びに来ることで話はまとまっていた。


「なぁ、遅くね? 中井たち」


 部屋で待つこと十数分。時刻は午後九時を回り、ひとりのルームメイトがそんなことを言い出した。確かに、着替えを片づけるだけにしては時間がかかりすぎている。

 いじっていたスマートフォンを丁寧に敷かれた布団の上に投げ出し、俺は廊下を覗いてみることにした。扉を押し開け、ひょこっと部屋の外に顔を出した瞬間、目の前に柏木の顔があって思わずヘンな声が出た。


「びっくりした……!」

「あーもう最悪っ!!」


 驚く俺を押しのけて、柏木は怒りに満ち満ちた表情で俺たちの部屋に上がり込んだ。

 何事かと目を丸くした俺の耳に、今度は別の怒号が聞こえてきた。


「うるせぇ! てめえらの顔すら見たくねぇんだよッ!」


 今いる部屋と同じ並びにある、四つほど離れた客室の前に、数人の男女が困ったように立ち尽くしていた。うちの高校の生徒ではなく、一般の宿泊客のようだ。察するに、どうやら仲間内で喧嘩になり、怒りに声を張り上げた男が部屋にひとりで閉じこもってしまったらしい。


「あれ……?」


 ダウンライトのみの廊下はそれほど明るくなかったが、よくよく目を凝らして見てみると、彼らは例の羽田空港で出会った美大生たちだった。

 廊下で何やらひそひそと話し合っている人の顔と、おぼろげな羽田での記憶をすり合わせる。今あの場にいないのは、目つきが悪くて今にも舌打ちしそうだった男だ。仲間たちに怒号を浴びせ、部屋に閉じこもったのは彼だろう。


「まったく、いい大人が恥ずかしいよな」


 廊下にたたずみ、俺と一緒に美大生たちを見つめていた中井がぼやいた。部屋の中では、怒り狂った柏木がギャーギャー騒ぎ散らしている。


「なにがあったんだ?」


 中井を部屋の中に招き入れて扉を閉めると、俺は早速中井に尋ねた。


「この部屋に向かってる途中で、柏木がさっきのやつらのうちのひとりとぶつかったんだよ」

「ぶつかった?」

「というか、あきらかに向こうからぶつかってきた感じでさ。酔っ払ってたんだろうな……エレベーターのほうからこっちに向かって歩いてくる姿を見た時、フラついてるなと思ったんだ。そんな風だったから、俺たちは相手を避けるために縦並びになって廊下の端に寄った。なのにあの酔っ払い、ふらっと柏木のほうに倒れてきて、そのまま」


 中井は胸の前で両手を握り、コツンとぶつけ合って衝突の意を示した。


「なんだよそれ、完全に向こうが悪いじゃん」

「だろ? わざとやったのかと思ったよ。しかも、先に謝ったのは柏木だったのに、あの野郎……柏木に対してバカみたいに怒鳴り散らしてさ」


 中井の言葉遣いがだんだん荒くなってくる。柏木だけでなく、中井も腹を立てているのだろう。


「柏木も柏木で、キレて応戦し始めるし。向こうのお仲間さんたちが止めに入ってくれてどうにか事なきを得たけど、あぁもう……無駄に冷や汗かいた」

「マジか……そりゃ災難だったな」

「そうだよ! そうなんだよ祥太朗っ!!」


 中井と話していたはずが、いつの間にか柏木が会話に割り込んできた。


「ほんっっっとムカつく! なんだよあいつ!? おれはちゃんと避けてやろうとしただろうがっ!」

「まぁまぁ、落ち着けよ柏木」

「池月の言うとおりだぞ。いつまでも怒ってたって仕方ないだろ」

「だぁぁあもう!! 落ち着いてなんていられるかぁぁあああッ!!!!」


 この日は結局、柏木を落ち着かせるのに時間を取られ、予定していた遊びのほとんどを達成できないまま終わってしまった。

 明晩のリベンジを固く心に誓い、俺たちの修学旅行一日目は無事幕を下ろした。

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