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耳を疑うような仮説を紡ぎ出した百瀬に、俺たちはまたしてもなにを言うこともできなくなった。
『特別おかしな話ってわけでもねえだろ』
ゴホゴホと咳をしてから、百瀬はそんな俺たちに構うことなく淡々と続けた。
『なんでもいい、たとえば誰かから借金をしていたが返せそうにないので殺そうと思ったとか、ストーカー被害に遭っているのに警察が対応してくれないから自分でなんとかしようと思ったとか、適当な理由をでっち上げて協力を仰ぐだけの話だ』
「それはいくらなんでも非論理的なんじゃない?」
鶴見さんが反論する。
「殺人への協力依頼でしょ? そう簡単に相手を落とせるとは思えないけど」
『そりゃあ、単なる大学の先輩後輩ってだけの関係なら難しいだろうな』
鶴見さんの眉間にしわが刻まれる。
「どういうこと?」
『なんだよ、寝ぼけてんのか? しっかり前フリしたはずだぜ?』
ややいじわるな言い方をした百瀬だったけれど、鶴見さんはすぐに合点がいったように「そうか」と顔を上げた。
「瀧田さんと鳥飼さん……実は恋人同士だったのね」
「えぇっ!?」
柏木が今日何度目かの素っ頓狂な声を出した。
「マジか! えっ、でもさ……これまで誰も、そんなこと言ってなかったよな……?」
「秘密にしてたんだろ」
中井がすぐに補足説明を加える。
「池月の話じゃ、同じサークルに所属していた真美って女の人の自殺の原因が瀧田さんにあったかもしれないってことだった。今回の殺人事件の動機がそれだったとしたら、犯人――つまり鳥飼さんが瀧田さんとの距離を縮めたのは、真美さんの自殺についての真相を探るためだったと考えるのが自然だ。……いや、もしかしたら、鳥飼さんには最初からわかっていたのかもしれないな……瀧田さんが自殺の原因を作ったというのが紛れもない事実だってことに」
「そうだとしたら、話は見えてくるよね」
鶴見さんが中井の言葉を継いで言った。
「鳥飼さんが瀧田さんとの交際関係を望んだのは、はじめから真美さんを自殺させたことへの復讐が目的だった。だから交際の事実を水面下に押しとどめておきたかったんだね……交際相手が殺されたとなれば、たとえ表面上は仲よく見えていたとしても、真っ先に疑われるのは自分だろうと思ったから」
「けど、やっぱりそれでも苦しい見解だとおれは思うぞ? たとえばおれが杏菜から『復讐したいから手を貸してほしい』なんて話を持ちかけられたら、実際に手伝ってやれるかどうか……」
『いいところに気がついたな、中井』
声を上げてから、百瀬は苦しそうに咳をした。折り返しの電話がかかってきてから、まもなく三十分が経過する。百瀬の体力が心配だ。
『今の話は、さっきのおまえ自身の発言ともつながってくる』
「おれの? ……って、どれだ?」
『だから……っ』
続く言葉は聞こえてくることなく、代わりにひどく重苦しい咳の音だけが響いた。それから、ガンッ、と何か固いものにぶつかったような音が。スマホを取り落としたのか、あるいは百瀬自身が壁に投げつけでもしたか。
「あいつ、大丈夫かなあ」
柏木が心配一色の顔でぽつりと漏らす。「かわいそうにな」と中井も同調するように眉を下げた。
「高熱でうなされるだけならまだしも、あれだけ咳が出れば相当つらいだろう」
「月曜からあんな感じだったもんな……えーっと、今日で四日目?」
「ひょっとしたら、気管支炎かなにかを併発してるのかもなぁ……インフルエンザの診断を受けたあと、症状が改善しなくていつの間にか肺炎になっちまうっていうケースは実際にあるって聞くし」
「肺炎!?」
柏木が目を見開いた。
「なんかマジでやばそうじゃん百瀬のヤツ!」
「あぁ、インフルも肺炎も死ぬ病気だからな」
「えぇ!? 百瀬死んじゃうの!?」
『おい、勝手に人を殺すんじゃねえ』
ひゃっ、と柏木が虫に驚く女子みたいな声を出した。
「も、百瀬……聞いてたの……」
『ったく……おまえら全員池月かよ』
その小さなぼやきに対し、俺以外の三人がきょとんとした顔で俺を見る。あぁ、穴があったら入りたい。
「……百瀬、その話はいいから」
『あ?』
「とにかく、しゃべれるようならさっきの続きを」
チッ、と百瀬は大きな舌打ちをした。
『オレに命令すんな、池月のくせに』
はいはい、と受け流すと、百瀬は軽く咳払いを入れてから話し始めた。
『さっきの中井の疑問、着眼点としてはバッチリだ。いくら相手が恋人だからって、殺人幇助の依頼を受けてホイホイ手を貸すヤツはそうそういない。叶うとすれば〝お願い〟じゃなくて、弱みを握られて〝強要〟される場合だが、それなら最初から瀧田ひとりに事を実行させることができるわけで、やっぱり今回の場合は手を貸してほしいと〝お願い〟されたんだと考えるべきだ。だとすると、さっき中井が挙げたような疑問が自然と浮かび上がることになり、ここで話がストップしちまう。じゃあ、この状況をどう打開するか……キーアイテムは、睡眠薬だ』
睡眠薬、と鶴見さんが繰り返す。中井の表情がやや曇った。
『この事件には要所要所で睡眠薬が使用されてる。犯人以外の四人を朝までぐっすり眠らせるために。殴って昏倒させた中井の意識をより深く沈めるために。そして、事件現場である719号室……被害者の持ち物の中からも、睡眠薬が見つかった。もちろん、犯人が被害者の持ち物にみせかけるためにわざと鞄に忍ばせた可能性もあるが、オレはそうじゃないと思ってる』
「そうね」鶴見さんが言った。「警察も、瀧田さんが常用しているものだろうって言ってた。ものを直接見たわけじゃないけど、あの言い方だと、お医者さんの出す処方箋が必要な薬だったみたい。そうじゃなければ『常用している』とは判断できないはずだから」
『それならなおのことはっきりしたな』
百瀬の声に自信の色が漲っていく。
『被害者の瀧田は、医者に通わなきゃならないほどひどい不眠の症状に悩まされていた。それはなぜか』
そうか、と中井が顔を上げた。
「例の自殺騒動か!」
『ご明察。瀧田はそのナントカって女が自殺したことについて、とてつもなく大きな自責の念に駆られてたんだよ。睡眠薬に頼らなければろくに眠れないくらいにな』
なるほど、と言ったのは俺だ。
「鳥飼さん、言ってた……瀧田さんは真美さんのことが好きだったって。真美さんの自殺の原因が瀧田さんだったんじゃないかって噂も、恋愛関係のもつれをさして言われてたことだったらしいし」
『まぁ相手が自殺するくらいだから、一口に恋愛関係のもつれっつってもオレらの想像以上にひでえ出来事があったんだろうけどな。いずれにせよ、そう考えればさっきの中井の発言が俄然真実味を帯びてくる』
「だから何なんだよ、さっきのおれの発言って?」
『おいおい、まだ思い出せねえのか? おまえはさっきこう言ったんだ……〝瀧田は最初から殺されるつもりで自ら部屋に閉じこもったのか〟ってな』
はっとしたのは中井だけじゃなかった。俺も、柏木も、鶴見さんも、一様に目を見開いている。
「じゃあ、まさか……?」
『あぁ、おまえの見解どおりだったんだろうぜ』
百瀬は落ち着いた口調で言った。
『被害者の瀧田は、殺人幇助の依頼がダミーだってことに気づいた上で、あえて犯人の目論みに乗っかったんだ……犯人の真の狙いである〝瀧田要の殺害〟という目的を達成させてやるためにな』




