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「あっ、祥太朗じゃん!」
「なにすっかりくつろいじゃってんだよ柏木」
「いいっしょ、別に。それより聞いて! 西山さん、大学でこーんなでっかい皿つくってんだって! 皿!」
両手をいっぱいに広げて嬉しそうに説明してくれる柏木だったが、なにが言いたいのかさっぱりわからない。
「皿……?」
「ぼくねぇ」西山さんが頬を掻きながら口を開く。「大学で陶芸を専門に勉強しているんだよ。それで、作るものすべてが大きくなっちゃうって話をしたら、どうも彼にウケちゃったみたいで」
「だってさ、すごくない? 奈良の大仏へのお供え物かってくらいのサイズだぜ? そんなのどうやって作るんだって、超気になるじゃん!」
「柏木……」
気持ちはわからないでもなかったけれど、今はそんな話をしている場合じゃないだろう。俺はまたしても盛大にため息をつく羽目になった。
「他にもな、いろいろ聞いたんだよ」
柏木は誇らしげに続ける。
「理沙子さんは雑貨やアクセサリーのデザイン、沢代さんはウェブデザイン、ゆかりさんはCGやアニメーション、そんで鳥飼さんが舞台芸術のセットや衣装! おれ、美大って絵を描く人ばっかりが集まってるのかと思ってたから、皆さんの専攻を聞いて超びっくりしちゃってさぁ!」
へぇ、と俺も思わず感嘆してしまった。確か瀧田さんも建築を学んでたって言ってたっけ。美大=画家養成所という認識は改めたほうがよさそうだ。
部屋の片隅では、美和さんが布団を敷いて横になっている。目が合ったので口パクで「大丈夫?」と尋ねると、こくりとうなずきが返ってきた。潤んだ瞳はやはりとろんとしていて、早く良くなってほしいと願わずにはいられなかった。
「で?」
気持ちを切り替え、西山さんと理沙子さんの間にちゃっかり居座っている柏木の脇にしゃがみ込み、耳もとに顔を近づける。
「百瀬からの指令はどうなってる? ちゃんと聞き出せたのか?」
「もっちろん。みんなぐっすり眠ってて、物音一つ聞いた覚えはないってさ」
「全員?」
「そう、全員。夢も見ないくらいの熟睡で、気づいたら朝だったんだって」
ね? と柏木が一同をぐるりと見回す。この場にいる大学生たちは、揃って首を縦に振った。
「てことは」俺が確かめるように言う。「部屋を消灯したのは午後十時四十五分……目薬を探しに大浴場へ行った西山さんが戻ってきたあとって話だったから、中井が襲われた午後十一時頃にこの部屋を抜け出した人がいたとしても、誰ひとり気づかなかったってわけか」
「そういうことになるわね」
理沙子さんが腑に落ちないといった顔をした。
「私なんて、照明を落とした時には半分寝かかってたのよ。異様に瞼が重たくって」
「オレもっすよ」沢代さんが言った。「昨日はやたら眠かった」
「珍しく海斗が一番に寝ちゃったのよね。いつもは要と一緒になって夜中まで呑んでるのに」
「なんでっすかねぇ……。正直、あんまり覚えてないんすよね、昨日のこと。特に風呂から上がってからはずっと頭がぼーっとしてて、うまく思い出せないっつーか……」
ぼくもだよ、と西山さんが声を上げる。
「目薬を探しに部屋を出た時なんて、歩きながらあくびが止まらなかったからな」
おかしい、と思ったのは俺だけじゃなかったらしい。柏木も俺を見ながら首を傾げている。
昨日の晩、718号室に集っていた全員が揃って異常なほどの眠気を感じていた。旅先ということもあり、瀧田さんの事件がなければ疲れが出たのだろうという話で片づけても構わないのだろうが、ここは間違いなく、もう少し掘り下げておくべきポイントだ。
俺は小さく手を挙げてから、全員に向かって尋ねた。
「昨日の夜、皆さんが揃って同じように食べたり飲んだりしたものって、なにかありませんでしたか?」
そう。
疑うべきは、誰かが薬を盛った可能性だ。
中井が言うには、殴られて719号室に連れ込まれた直後、犯人によってなんらかの薬を飲まされたらしい。それが睡眠薬だったとしたら、犯人は同じ薬を大学生たちにも飲ませ、深い眠りに落ちるよう細工したという推理は大いに成り立つ余地がある。全員が異常な眠気を訴えたのも、薬による作用だとすれば合点がいくからだ。
「お茶を……」
美和さんが、布団の中からか細い声を上げた。
「ゆかりちゃんが、お茶を出してくれました」
「あぁ、そうだったね」西山さんがあとを引き継ぐ。「風呂上がりに、みんな一杯ずつお茶を飲んだよ。そこに置いてあるやつを」
彼が指さしたのは、客室に備え付けられている電気ポットと湯飲みだ。同じ箇所に置かれている小さな箱には、インスタントの緑茶の袋やお茶請けのお菓子が入れられている。
なるほど、そのタイミングで睡眠薬を摂取したとするなら一応の筋は通るか。大浴場から戻って五人がこの部屋に揃ったのは午後十時頃。眠気を感じ、全員が眠り込んでしまったのは午後十一時少し前。個人差はあるにせよ、時間的にはおおよそ矛盾しないと考えていい。
だとすると、お茶に睡眠薬を混ぜたのはゆかりさん?
……いや、そうとも限らないか。
たとえばチェックインした段階で仕込んでおくことは可能だろうから、もともとこの部屋に泊まる予定だった女性三人なら誰にでもチャンスはあった。
また、若干苦しい見解にはなるけれど、男性ふたりにもチャンスがなかったわけじゃない。理沙子さんとゆかりさんが大浴場から戻る前、この部屋には美和さんひとりだけがいた。四人の目を盗むとなると厳しいけれど、美和さんともうひとりの男性、ふたりの目を欺くだけなら成功する可能性は広がる。やってやれないことはないだろう。
くしゅ、と美和さんが小さなくしゃみをした。続けて二回目が出て、「すみません」と謝りながらぐずぐずと洟を啜る。
「もう九時になるわね」理沙子さんが腕時計に目を落とした。「薬局、開いたかしら」
言いながら、スマホで調べ物を始めた理沙子さん。なるほど、美和さんのために風邪薬を買うつもりか。
「ここから少し距離があるけど、一軒開いているところがあるみたい」
「じゃ、オレが行くっすよ」
さっと腰を上げたのは沢代さんだ。
「場所、どこっすか?」
「ここ。歩いて十五分くらいかしら」
理沙子さんのスマホを覗き込みながら、沢代さんは自らのスマホを操作する。「やべー充電切れそう」と焦っているのは、荷物がすべて719号室に置きっぱなしにされているせいで昨晩充電できなかったためだろう。
「ごめんね、海斗」
熱で瞳を潤ませる美和さんが上ずった声で言った。
「薬、持ってくればよかった……こんなに悪化するなんて」
「気にすんなって。そういうこともあるよ」
「ほんと、ごめん。お金はあとで払うから」
「当たり前だろ? 風邪薬って結構高いんだからな!」
ニシシ、と明るく振る舞って、沢代さんは「じゃ、いってきまーす」と718号室をあとにした。彼の人柄に救われる人はきっと多いのだろうなと、俺はそんなことを思った。
「なぁ、祥太朗?」
柏木が声をひそめて話しかけてくる。
「電話、まだかな? そろそろ十分経つけど」
「あぁ……」
俺はスマホを確認する。百瀬からの着信はまだない。
「俺、さっき電話したんだよ」
「百瀬に?」
「そう。けど、つながらなくてさ」
「トイレにでも行ってたんじゃね?」
「俺もそう思ったんだけど……」
なんとなく、不安になった。最初にかけ直してきた時は、宣言どおりきっちり三十分後に着信があったのに。
俺と柏木に関しては求めていた情報を手に入れたことだし、こちらからかけてみようか。そんなことを思った矢先、ピシャッ、と障子戸が勢いよく開けられる音がした。
「池月くん! 柏木くん!」
現れたのは鶴見さんだった。俺と柏木だけでなく、部屋にいた三人の大学生たちも一斉に彼女を見る。
息を弾ませながら、彼女は言った。
「陽太が戻ってきた!」




