8:"リュウグウ殿"②
サイタテに声をかけたのは、魔術科で防衛魔術学を担当しているリュウグウだった。
10代そこらの少女のような見た目だが、もうかれこれ10年はこの学園にいるらしい。曰く10年前から彼女の見た目はほとんど変わっておらず、年齢も出身地も不明。また、目元を布のようなもので覆い隠しているため、本来どのような顔をしているのかも分からない。
更には魔術科の教師陣の中でも特に魔術の扱いに長けているので、生徒たちの中では「あまりにも魔力が強いため、元の国を追われて"庭"にやってきた」「実は100年ほど生きている魔女なのでは」など、とにかく怖い方面で噂が絶えないのだ。
そんな噂などまったく知らないであろうサイタテは、リュウグウが持っている数冊の本を見て目を輝かせていた。
「あっ、それ今度持ってくる課題でいるやつだ! 忘れるところだった!」
「そうですよ。危うく罰を与えるところでした」
「そりゃ危ない! 先生ありがとう!」
「いえいえ」
恐らく他の生徒であれば、リュウグウから「罰」と聞くなり卒倒しそうなものだが、サイタテは恐怖心など微塵も感じていないようだった。それどころか普通に会話している時点で、やはり彼女は普通とは少し違うのだろうとアヤトは思った。
「それでは失礼しますね」
軽くサイタテに挨拶し、ついでに一緒にいたアヤトにも頭を下げて、リュウグウは通り過ぎていく。しばらくその背中を見つめていたアヤトは、一つ溜息をついてサイタテに向き直った。
「…お前、アイツ見て何も思わねーのか」
「んー…若いなー、とか?」
「そんだけかよ。つか、あれは若いどころの話じゃねぇだろ」
「ええー? あとは…若いにしては教えるの上手!」
「若いことから離れろや単細胞」
こいつに聞いたのが間違いだった、とばかりに再び溜息をついたアヤトだったが、ふと背後から冷たい視線を感じた。バッと後ろを振り返れば、少し離れたところでリュウグウがこちらを見ている。果たして目元を隠している彼女の目が機能しているのかどうかは分からないのだが。
彼女はわざとらしくニコリと口角を上げると、何事も無かったように人混みの中に消えていった。
年齢も出身地も不明。本来どのような顔をしているのかも分からない。
分からないことばかりのリュウグウだが、アヤトには一つだけ分かることがある。それは、彼女があまり自分のことをよく思っていないということだ。例えば、先程の冷たい視線だとか。確証はないが、そう思える点がこれまでにもいくつかあったのだった。
「アヤさん、先生に何かしたの?」
「はっ!?」
思わぬサイタテの問いかけにアヤトは心底驚いた。
「何で…そう思うんだ」
「アヤさんの目がそう言ってる気がして」
「…俺の方かよ」
てっきりリュウグウから何かを感じとったのかと思っていたアヤトは、すっかり気落ちしてしまった。
どうやら、出会って日の浅いサイタテにも読めてしまうほど、自分は顔に出ていたらしい。そうだとしても、あの露骨に怪しさ満点の少女を変だとは思わないのか。コイツこそ変じゃないのか。いや、でも出会った時から変なやつだとは思っていたから、最早今更なのでは?
───などと、一人悶々と考えていたが、アヤトは次第に考えるのが馬鹿らしくなった。
「なあ、本当にアイツのこと変に思わないのか」
「そうだなぁ…何歳なのかは気になるけど」
「そーかよ」
やっぱりただの変なやつだった、と結論付けて、アヤトはくるりと方向を変えた。
城へ戻って護衛をしなければ。思えば、自分はこんなところで道草を食っている場合ではなかったのだと。
そんな彼に焦るでもなく、サイタテは「そういえば、」と彼の背中に声をかけた。
「何か、寂しそうだなとは思ったよ」
あのリュウグウを見て「怖い」「只者ではない」と震える者はいても、「寂しそう」だと形容する人間はいなかった。そんなことを言ってのけるコイツはやっぱり変なやつなんだ。
ついに「…変なやつ」と口から零れたアヤトに対し、彼女は「よく言われるよ」と言いながらへらりと笑うのだった。
ちなみに、今回の防衛魔術学の課題は「防衛魔術において大切なことを初心者にも分かるようにまとめなさい」です。来週提出らしいです。
リュウグウの「忘れたら罰ですよ」を恐れて、生徒たちは忘れ物をまったくしません。だからどんな罰なのかは誰も知らないようです。いいことですね。