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時の過ぎ行くまま  作者: 犬神まみや
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若草の語るを聴く003

若草の語るを聴く003

 土方氏の事を「好きか・嫌いか」で言ったら当然微妙な態度の者もいた。

藤堂とうどう 平助へいすけ』氏などはまさにその一人と言っていい。


道場の食客の中において彼は唯一私よりも年下であった。とは言え、実際は数ヶ月の差でしかなかったので同じ歳と言った方が語弊がないかもしれない。


しかし藤堂氏は他の面子とは大分違う毛色を持っていた。


藤堂氏はかの有名道場、北辰一刀流の目録をとっており、当然腕には相当の自信をもった人物である。

太刀筋は非常にしなやかでなかなかの速度があり相手の興奮したスキを冷静に打つという感じの人であった為、威勢がいいだけの手合いなどは、ことごとく打ちのめされていた。


その上面立ちが整っており、色白の涼しげな顔をした色男、ときている。

痩せ型ですらりとしており、剣道の時も動きが非常に滑らかでその動きに比例するようにして言葉も非常に流暢であった。

江戸弁、と言うものがある。いわゆる「べらんめえ口調」だ。

彼は江戸御府内(※)の生まれなのでそんなべらんめえ口調を使いそうなものだったが、多少の訛りがある程度でそこまで江戸特有の語尾の強さの様なものは使わなかった。(※…亀戸、小名木村、角筈村、代々木、上大崎村、南品川町、上尾久、下板橋村周辺をさす)


まぁ、それもそのはずで、彼はご落胤だとまことしやかにささやかれていた。しかもその落とし主たるや伊勢の津三十二万三千石の藩主藤堂和泉の守だ……というのである。


そもそもその噂、出処は北辰一刀流内部からのものだった。北辰一刀流の玄武館という所はいわゆる縁故で入ることが非常に多い道場で、名のあるところは大抵そうだが、北辰は相当しっかりした

背後関係を持っている事だけでなく推薦人からの選良がなければ入門はまず不可能であった。


それがそんな若造の細面が目録まで取ったとなれば、周囲が色々の情報を根掘り葉掘りして噂にするのも無理はない。


まぁ縁故があろうが、若くして入ろうが、目録までとるとなれば実力がなければ到底無理だったけれども。


それだけでなく、彼はそこそこの遊び人でもあった。いくら色男だろうと当然金がなければ大抵の女はついてこない。その金はどこから出ていたか……そんな推測も彼のご落胤の裏付けみたいなもののひとつになっていた。


そんなこんなで、彼が試衛館へ来たのは

練兵館の渡辺昇という人が

「ここの道場でもぜひ学ばせてみたい」

と言う名目をもってして連れてこられたからだった。


実際には道場に在沖する剣客……いわゆる“助っ人”としての推薦だ。助っ人、というのは道場破りや外部からの指南希望が来た場合、その道場の中で腕の立つものが相手をするのが通常だが

様々な理由でその手合いがいないなら、他の道場から借りて相手をさせるというあれだ。


前にも語ったが、試衛館の指南役たちは余り道場剣術を得意としない。竹刀派より木刀派なのもあり、竹刀片手の道場破りだのなんだのとは余り手合せをしたがらないのだ。


その点藤堂氏は若くとも名門道場で目録まで段階を踏んでいる剣士である。

「道場にの手が足りない時にどうだろうか……?」…という訳なのだ。


まぁわざわざ他道場へ呼びに何分も走らなくても、在沖した剣客を何人も置いておいた方が良い事もあるだろうとかなんとか、近藤先生が言っているのを耳にしたその後日から藤堂氏は頻繁に道場へ顔を出すようになっていた。


その内何度か私とも手合せして行様になり、年が違いこともあってかちょくちょく声をかけて来てくれて、半年もたたないうちに幼馴染の様に私と彼は仲良くなっていた。

それから数週間もしないとある夕刻前。


土方氏が本業の薬の行商を終えたその足で、試衛館へふらりと立ち寄ったのである。

数日滞在していくとの旨を伝えられて私は一度くらい立ち会えないものかとウズウズしていたのだが、彼は余りその気がないらしく、道場へは一向に出入りしない。


人のいない時刻に庭先で周助先生に何かを聞いていたり、廊下の隅の方で井上のおじさんとごそごそ話をしていたり、近藤先生の部屋でぴしゃりと障子を閉めて談義をするくらいなのである。


そんなことが続いた二日目の昼の事。


藤堂氏が人のいなくなった道場の真ん中で渋い顔をしてしょぼくれているのに気付いた。


「平助さん? どうしたの?」

声をかけるとギョッとしたように二重まぶたのキレイな大きな目を見開いて私を見たが、またすぐうなだれてしまう。


竹刀が一本だけ転がっており、道場がまだ熱気を帯びていて、藤堂氏の額からはつぅと汗が流れている。


ははあ、誰かとやりあったんだな、と察して私は自分の手拭いを袂からとり出すと彼に差し出した。

藤堂氏は私をまじまじと見ながら、手拭いを受け取ってボソリとつぶやく。


「あの人……土方さんは……素晴らしいですね、……絶対認めたくないけど……」

意外な言葉に私はキョトンとして、すっとんきょうな甲高い声で思わず聞き返した。

「平助さん、矛盾してるよ。素晴らしいけど絶対認めたくないって何さ」

藤堂氏は私から視線をそらすと口元に手拭いを当ててため息をついた。

「……全てにおいてです。でも認めてしまうと色んなとこを比較して頭に来るから認めません」


こんなことを言うからには道場でやりあったのは土方氏なのだろう。

その上様子からすれば、こっぴどくやりこめられたらしい。


「へぇ……平助さん程のお人でもそう思う事があるんですねぇ。……えッ、でもそれはまたなんでです? 女でも剣でも平助さんならあの人に遅れをとらないんじゃないですか? どうも解せないねえ」

「沖田君、気づいてるんでしょ」

藤堂氏は口をへの字に曲げる。

それ見て私は肩をすくめてけたけた声を出して笑った。

「だってさあ、ずりぃよ平助さん。俺まだあの人に手合せすらしてもらってないんですよ? 平助さんに先を越されちまったからそれの仕返しですよぅ」

それを聞くと藤堂氏は一瞬ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしたが、ぶっと噴出し

「あーあ、沖田君にゃあ敵わないなあ」と一緒になって笑い出した。


「……じゃあ…やっぱりあの人強いんだ?」

私が覗き込みながら聞くと、藤堂氏はそっぽを向いて、

「ぜっっっったいに認めたくないです!」と口をすぼめた。

「認めたくないってことは実は認めてるって事なのになあ」と私は笑いながら言う。藤堂さんも、へへ、と笑って

「そうですねえ、しくじったなあ」と頭をかいた。


それ以上は彼から聞き出せなかったけれど、土方氏の強さが道場剣術のソレでない事が理解できた事件であった。





藤堂とうどう 平助へいすけ


藤堂平助宜虎。

天保15年・弘化元年(西暦1844年)生まれ。


府内の生まれで御府内浪人。伊勢の津三十二万三千石の藩主藤堂和泉の守の御落胤と言う説がある。


千葉周作の玄武館、北辰一刀流で目録をとっていた。

北辰一刀流には三目録と言われる階級があり、藤堂がその三つのウチの初目録・中目録・大目録のどの段であるかは解らない。ただ、よほどの腕でも最低十年はかかると言う。


藤堂が江戸に居た頃は若干10代であったワケだから例え初目録だったにせよ腕は相当に立ったのだろう。

(ただ、北辰一刀流はかなり上流階級連が幅を利かせてたトコだったらしいからそこまで若くして上にいけるって事は相当何らかのコネクションがねぇと無理ってワケで、まぁ、この辺りからも藤堂和泉守ご落胤説はあながち嘘じゃねぇのかな~とか想ったり)


試衛館に出入りし始めた頃については一切不明。

永倉同様一説に、藤堂が京都へ行く話しを持ってきたとされるが、こちらも確証には至らない。

近藤等と共に上洛。後京都残留。

その残留組24人の中では鈴木長藏と共に最年少の20歳であった。


新撰組成立後は八番隊隊長として、かなりの活躍をしている。

しかし、池田屋・禁門の変等問題が大きくなり、新撰組の隊士を江戸で募集する為元治二年一月(西暦1865年)近藤と共に江戸へ一時帰参した折り、北辰一刀流同門であった伊藤甲子太郎の一派を勧誘。


同じ年の二月、山南敬介(山南も北辰一刀流の同門である)の脱走・切腹事件が引き金となって、新撰組に不信を抱き、慶応三年三月十日(西暦1867年)伊藤甲子太郎等他15名と共に「高台寺党」を名乗り新撰組を離脱。

それから間もない同年の11月18日、新撰組、永倉原田他数名との戦闘の末、絶命。享年24歳。



……俗説にこの刃を切り抜け、大正時代まで生きており背中に刀傷のある老人と銭湯で出会い、藤堂平助であると聞きだした人物がいる……と言う説もあるがこれにも確証は無い。



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