黄金の影
黄金の影
私が……その人を初めてみたのは確か十三か十四歳の冬だった。
絶対的な運命論者と言うワケでは無いが、私は確かにこの人の存在によって運命が変わったと想う。
善いか悪いかは別としても。
……この頃に調度、試衛館を移転するかしないかで色々の話が持ち上がっていた。
あいつぐ流行病やら不況で道場生が減り、試衛館の収入もそれに伴って激減したのが主立った理由と記憶している。長年の門人達を招き食客達も交えてその事を相談するはこびになった。
だが実際の所はもう八割がた移転は決まっており、相談というよりは決定事項の説明や説得といった方が正しい言い方かもしれない。
集会は夜半だった。
ひどく冷え込んでいて道場へ続く板張りの廊下が足の裏の感覚を無くすくらい冷たかったのを今でも覚えている。
当時は灯りが蝋燭か燈油だった筈だが蝋燭の値段の方がはるかに高値だった。私はその油が切れるより前に、頃合を見計らって足しにいったのだ。
幼い頃から私は誰かに指図される前にとっとと用事をすませたい子だった。
特に暑い寒いの時に、こうやって揉め事が起きてる時なんぞはまぁ子供相手に八つ当たりなんてのが結構いるもので、そんな下らないことで相手を怒らせるのが面倒だったのだ。
第一言われる前に事を済ませて、えばりくさった相手に肩すかしをくらわせられるし鼻を明かしてやれるのが、ちょっと楽しかったのもある。
無論まともな人には褒められることもあるのだから一石二鳥だ。
大人になってからも十分その性格は尾を引いた。
そんなものだからこの時も、上の人達に文句を言われる前に油の用意をしたのである。
まぁ見る人がみたら、たぶんに嫌な子供だっただろう。
たとえそう思われたにせよ私なりの生き抜く知恵だの工夫だったので良しとしたい。
道場まで来ると話し合いは過熱していた。
今の道場だから通えたのであってこの牛込から遠くなりすぎたのでは通えなくなる、という者が数名出た中に荒っぽいのが一人おり、その人が数名を焚き付けて騒いでいるのだ。
実際は普通の人の足でならそんなに遠くもない場所だが、仕事の云々があるので通えなくなると騒いでいた。焚き付けられた人もなんとなく勢いで頷いてしまっている様子である。
「またあの人か」と、その声だけで解って私はため息をついた。
金を払ってるこっちの身を考えたことがあるのか、と怒鳴っている。金さえ払えばなにを言ってもなにをやっても許されると思ってる輩。
……まぁどこにでもよくいる類のずれた金銭感覚の持ち主だ。
「大体勇さんはどうしたんだい、え!?こんな大事な時に顔も出さないなんてそんなお偉いのかね? 若先生は!」(余談になるがこの頃、近藤先生は周助先生の実家である島崎家の姓を名乗り“島崎勇義武”に改名していた)
この怒号に対して、周助先生は答えをだしあぐね、面倒な時の「うーむうーむ」の唸り声をひねり出している。先生も恐らくあの御仁をもてあましているのだろう。
井上のおじさんらしき声が
「若先生は今度の引っ越しに必要な書類をまとめてるんだよ堪忍してやってくんねえかね」
と助け船を出したが
「じゃあやっぱり移転は確実なんじゃねえか!それじゃあ筋が通らねえだろうよ。俺が言いたいのぁな、
通えなくなる分の詫びってことなんだ」
と相手方も一歩も引かない。
ああ、要するに詫びの金品をよこせというのか、と私はあきれ顔をした。この調子じゃ、いつ誰かが怒り出して刃傷沙汰になりかねないのではと懸念する。
中にいる井上のおじさんは若い割に分別がある人だが血気盛んな一面のある人のため、何をするか解らないところも若干秘めてはいる。周助先生の手前だから手を出したりはしないだろうけれど一触即発の気色は免れない。
これはちょっと心配だぞ、と廊下と道場を遮る木の引き戸を、中の人たちにに気づかれないよう音をたてずに、そぉっと立てつけの悪い扉を本の少しだけ開けて様子をうかがう。
行灯の僅かな黄金色の光が、道場をぼんやり照らしている。
身体がすり抜ける位まで、戸を開けようとしたその時だった。
奥手から一つの影がゆらりと沸き上がる。
……その影の滑らかな雰囲気に私の心臓の音が鳴り響いた。
「……呼んでくれ……」
殆ど黒い影の形にしか見えない周囲の門下生や食客が黄金の影を帯びた『声の主』を見上げている。
それはなんだか奇妙な光景だった。
「勇さん呼んでくれよ……」
穏やかそうな声に聴こえはする。だが、その奥には微かに炎がちらつくような苛立ちが籠もっている。
低く深いのにハッキリした……澄んだ声だ。
……違う。
明らかにこの人は、いままで出逢った・どの人達とも。
子供の本能とでも言うのか、それとも別の何かなのかは解らない。
けれど私の中の何かが、はっきりとそう告げていた。
―このひとはなにかちがう―
頭と胸の中で半鐘が響くような感覚にせきたてられて、私は踵を返して油を廊下の端っこへ置くとそのまま、近藤先生の部屋へ駆けていった
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「なに? 俺を呼んでるぅ?」
近藤先生はいかつい顔を更にいかつくして眉根を寄せた。
「ハイ、“勇さん呼んでくれよ”って、その方仰ってましたよ?」
息を切らせながら一部始終を話すと、彼は手を止め、筆を置いて首を傾げながらボソリと呟いた。
「…“トシ”かな?」
「 ? 」
「うーん…俺にはそんな奇妙な奴つったら “歳” しか思いつかんぞ」
ちょっと困ったような顔でニヤニヤしながら近藤先生は腰を上げた。
「ワカッタワカッタ。そ~なっちまうと俺が行っても、カタぁつくまでもうど~になるもんじあゃナイだろうが、これ以上騒動起こされても困るしな。お義父さんに迷惑もかけられんし……うん……ヤッパリ俺が行くしかないだろう!! うん、しょうがない。ヨシ、そーじ、お前はコレ、写しておいてくれ」
そう言いながら近藤氏は今まで自分がやっていた書類の写本を私に頼む。
「えぇ? 先生…ッ。またですかぁ…?!」
「いいからやっておけ。 キレイに書いておいてくれよ。お前だって今は浪々の身とは言えども武士の出なんだから…字くらい書けないと恥をかくぞ」
「ちぇっ…先生だって最近読み書き始めたくせに……!」
「おまっ…それは言わない約束だろ! いいからやっとけよ!」
私は口ではこうして文句をたれてはいたが、こんなコトが何回かあった御陰で字だの文だのにも人に後れをとらずに済んだとも思う。
今思えば、自分も子供の頃にやっておかず年齢がいってからの勉強で苦労した近藤先生なりの配慮というか、優しさだったのかも知れない。
話を戻そう……
どっこいしょ、と言いながら近藤先生は腰をあげ、口端に笑みを浮かべたままどかどか音を立てて障子の向こうへ消えていった。その場に残された私は、先生に言い付けられた通り文字を写して
……いられるワケがナイ。
筆をそっと置くと一目散に道場へ走っていった。
後ちょっとで道場と言う廊下の曲がり角で道場からの怒号が聞こえてくる。
私は息を整えつつ、気取られないように戸を少し開けて中を覗く。
ぼそぼそと小声がしたな、と思ったら、“わっ”と歓声があがった。
目の前の影の群れから黒い塊が宙に浮いて、すぐ様視界から消える。
その直後に、ドォンと地鳴りの様な音が冷たい空気を戸の隙間から一瞬圧すようにして響いてきた。
どうやら誰かがブン投げられた様である。
まぁ誰が投げられたのかは大方の想像はつく。
なんだかにやにやと笑みがこぼれて止まらない。
目を凝らしてよく見ると、やはりいわくの門下生が、頭を抑えてぐらぐらしながら何か文句をつけている。それをまぁまぁ、と微笑みを浮かべたままなだめる近藤先生と、その脇でふてぶてしいまでの面構えで、むっつりのだんまりを決め込み何もない中空で一点を見つめたまま、周囲の言葉なぞ丸で耳に入っていないと言った風情で腕を組んだ格好で微動だにもせず『彼』……『トシ』さんはその場に突っ立っていた。
二人の姿は異様なまでに対照的である。
どうもそれからは声を潜めて皆ぼそぼそしゃべるばかりで道場の中の話が掴めなくなった。
私は一端その場を離れ、先生から頼まれた写本に再度取り組んだ。
……事の顛末はその後、他の門下生の噂話や何かから聞いた。
いわくの門下生は、廊下で様子を窺っていた私には聞こえないくらいの声で周助先生や勇さんのコトをその男が口汚く吐き捨てたのだという。
ソレに対して『トシさん』は
「勇さんの前で白黒ハッキリつけてやる」
と言うが早いかその男を片手で胸ぐらを鷲掴むが早いか、そのままひっくりかえしてぶんなげたといいうのだ。
もちろん悪口をたたいた相手に非があるのだから、『トシさん』をそれ以上責めることは不可能だった様だ。
それにしてもその『トシさん』、江戸界隈では知る人ぞ知るひとかどの『問題児』扱いされていたようである。(ってそんな年齢でもなかったけど兎に角そう呼ばれていたのだ)
なにより凄いのは彼に対する周囲の反応である。
大体門下生だの食客だのに話を訊いてみると全体の半分以上が『彼』の悪口を叩くのだ。
これには色んな陰口をそこそこ聞いたことのある私も流石に驚いた。
大体男達の言い分と来たら、
「喧嘩に負けた」だの、「自分の女が野郎に熱をあげた」だの、「普段はむっつり黙ってるくせに口を開いたかと思えば途端にこの世のものとは思われない毒舌をカマされた」だの。そんなものばかりなのだ。
内心で「やりかえせよ!」とは思ってはいたがあの調子で凄まれては確かに並の人では震えあがってしまうかもしれない。
所が女性達は全くその逆で、老若に関わらず彼の美貌や男ぶりを賞賛していた所を見ると……
男たちが散々に言っていた『トシさん』へ悪口は自分が出来ないコトをさらりと簡単にやってのけるただのやっかみだったのかも知れない。
でも悪口を言った連中も最後に必ずヒトコト付け加える事があった。
「あいつはそのうち何かとんでもない事を“しでかす男”だ」と。
…その日以来彼は私の中に、興味と共にシッカリと棲み付いた。
それが 『 土方歳三』
……後の新撰組副長がその『彼』、『トシさん』である。
土方歳三の解説は後程。




