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時の過ぎ行くまま  作者: 犬神まみや
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錆色の濫觴 002


 事件が起きたのは文久三年九月十三日(1863年10月25日)の夕刻。

事件が起きたという言い方はもう正しくないかもしれない。悪いが京都に出る事を決め、芹沢一派と出会って以来事件続きなのだ。ほぼ毎日なにかしらある。


事を成すには無理を通す事も致し方ないが筋道や道理があまりに通らなければやはり組織として機能しない。


その日の出来事はまさに内部抗争の完全なる大詰めに至る一手だったといえるだろう。


禁令が決まり気を引きしめねばといった舌の根も乾かぬうちに、新見氏が芹沢氏の名前を使用して金策をしていた事が発覚。田中伊織という新見氏に付き従っていた平隊士がなにやら芹沢氏に怒鳴られているのを耳にし、島田氏がすっ飛んできて近藤先生に旨を伝えた。

その内容たるや越前藩の矢島藤十郎氏より二十両借りた内容の書面だったのだ。

田中伊織も哀れな事に書面を持って行っただけなのに怒鳴られているのだから溜まったものではない。鉄扇で左肩を強か殴られ心が折れたのか、彼はパッと土下座の格好から身を翻して「申し訳ございませんッ」と逃げ出してしまった。

芹沢氏の堪忍袋の緒がそこでブチ切れた。


「禁令だ!奴を斬れ! 奴を追って新見を連れ戻してこいっ!」


昼から酒を飲んでほぼ泥酔状態だったので、疳の虫に思い切り触れてしまったのだ。

田中は完全に間違えた、という訳だ。

近藤先生は顔色を変えて「いやそれは……」と冷静になるのを促そうとした。そこへ足早に滑り込んで来た土方氏が近藤先生の肩をぐっと、掴んで襖の向こうに隠すと、

「御意。 直ぐに立ちます。 沖田君、出動出来る伍長級全員を呼んで来てくれたまえ。 直ぐに出動する」

と無表情でハッキリ命を下した。

はいと答えて私は前川邸にいた、原田氏、永倉氏、藤堂氏に声をかけ、事情を伝える。

無論全員顔色を変えた。


田中はさておき誰も最初にやらかすのが新見氏等と露ほども思わなかったからだ。


「今、田中の後を山崎さんと島田さんが追っています。 恐く新見さんの居場所も程なくして解るでしょうからすぐに身支度して出動しましょう」


全員頷いて即座に支度にかかった。近藤先生と井上のおじさんは残ることとなった。斎藤氏の姿はない。土方氏の命を受けて何処かへ出ているのかもしれない。


私は伍長級の人間にこの事を伝えねばならないので、平山氏、野口氏、平間氏にも伝えに走った。先程八木邸にはいなかったので、近隣にいるのかと周辺を探し回ってみたが見当たらない。

ー……間が悪すぎる。どうしてこんな時に揃いも揃って居ないんだ。

私はガンッと板塀を叩く。

もう時間が無い。

私は覚悟を決めて踵を返すと皆の所へ戻った。


出揃った我々は隊服を纏って我々は祇園にある料亭"山緒"に向かった。新見氏はこの場所をいたく気に入っており暇さえあれば入り浸っているのを大抵の者は知っている。

山崎氏も先乗りをして戻って居ない。その代わりに谷口氏がやって来て新見氏はそこだと伝え置き、すぐ山緒へ戻って行った。それを受けての出立である。

四条の通りを隊服を着た一団が足早に進んでいくのは一種異様であったろう。町の人々は物の怪にでもあったかのように室内へと逃げ込んでいく。

無理もない。

既にこの陣羽織、そして新撰組の名は、大和屋焼き討ち以来、最悪の印象で町人たちの記憶に塗り込められている。


「御用仕る!」

土方氏がパンッと勢いよく店の戸を開け名乗りを上げた。

「此方に新撰組隊士を名乗る侍が来ておるか?」

「アッ」

奥間の方から飛び出してした店の主は玄関先で額に廊下を擦り付ける程の土下座で答える。

「芹沢様で御座いましょうか? お出でございますとも」

ふと土方氏が眉を顰める。

「新見錦も同行しておるか」

「あっ、ヘイ。おられますが」

ムと眉間のシワが深くなる。

原田氏が

「どういうことだぁ?」

と首を傾げ永倉氏をみる。

「……わかんねえ」

そこで山南氏が答えた。

「……田中伊織」

え、と皆が山南氏をみた。表情を曇らせたまま彼は答えた。

「多分、田中伊織が新見錦を名乗っている」

「……エェ?なんでそんな事を……」

藤堂氏が本当に訳の分からないと言った顔をする。

永倉氏が半ば呆れた顔で言う。

「位が上がれば待遇も変わる、てトコじゃねえの?」

土方氏がフンと鼻を鳴らし

「入ってみりゃわかることよ。亭主、"芹沢"の部屋へ案内せい!」

ヘェッと亭主が先を行く。

部屋は良い部屋の様だ。山緒の亭主が声を掛けようとした所で山南先生が

「貴方は責任を負わなくていい、もう下がって良いですよ」

と優しく伝えた。

亭主は頭を下げると様子を見る為に他の部屋から顔を出した店の者や客に御用改めだから皆部屋へ戻りなさいと伝えていた。


良いだけ亭主も距離を取ってから土方氏が声を上げた。


「新見先生、おられるのでしょう。 開けますぞ」

と、襖の取っ手にてをかけた時だ。

左手側の背後でガタガタッと激しい音が響く。私と原田氏と藤堂氏がそちらに顔を向けると、見覚えのある人影が階段を転げ落ちるように逃げていくのか見えた。


田中伊織だ。


間髪入れず原田氏が廊下を蹴って田中を追う。藤堂氏は一瞬同行するか躊躇したが、土方氏の

「追うな、原田達に任せろ」

の声で前を向いた。“達”という言い方をするという事は探索方か斎藤氏たちが控えているのだろう。

「俺らの獲物はこっちだ」

土方氏の唸り声を聞いたのか、

「獲物ォ!?」

と甲高く怒鳴る声が響く。

「そのねとついた声は土方だなァ?」

「その通り、開けますぞ」

土方氏は襖を開ける。

「おい、どういう了見だ芋侍共が芋づる式仲良くよォ。 ご丁寧にお迎えてわけかァ!?」

酔っているのだろうか、やたら興奮気味だ。

「芹沢先生がお呼びで御座る。屯所へお戻り願いたい」

新見氏の喧嘩腰を受け流して土方氏は淡々と伝えた。新見氏の相方の女は震えながらズリズリと窓際の方へ体を寄せた。

「ハァ!? なんでだよ! なんで芹沢先生が俺を」

「藤堂くん、読み上げ給え」

山南氏の声に藤堂氏が一歩前に出て胸元から一枚の書状を取り出し広げると声高らかに読み上げた。

「芹沢氏の名前を利用し、金策をせしめしこと借用書の通知にて明白。 軍中法度においてこれは禁令の一つ故に罪状明らかなり。 申し開きは隊にて聞くこととする」


そこで新見氏はありありと

"やってしまった"

という表情を浮かべた。…が、少しも経たぬうちに目を右手で覆いのけぞりながら

「あーあ!そうかいそうかいっ、そういうことですかー! 面白くなってきたとこだったのによォ! まァなーんかこうなる気はしてたんだよなァー!」

と彼はひとしきりゲラゲラと笑うと、すっくと立ち上がり、隅で震えていた相方の女に小判を幾枚か渡して

「今まで楽しかったぜ、ありがとうよ」

と伝えると、我々の方へ向き直り

「じゃあ行こうやあ。流石にここじゃあ切腹できねえからなあ」

先陣を切って店を出た。店先で頭を下げていた亭主に、いくら入っているのかは知らないが銭入れを渡すとアバヨと笑った。


明けて次の日。

八木邸の一室で芹沢氏本人から新見氏の切腹が申し渡されることとなる。

芹沢氏の怒りとも後悔ともつかない気配が静かな室内に重く充満していた。

他の芹沢派は皆青ざめ、こぶしを握り締めて歯噛みをしていた。こうなる事は極力止めたかっただろうから無理もない。

一方の新見氏は飽きれるほど穏やかと言うか、すべてを悟りきった顔で

「謹んでお受けいたします」

と言うとニッと笑って何故かこういった。

「あのぉ、最期の頼みと言っちゃあなんですが……俺の介錯のことなんですがねえ…そうさな、どうだろう。斎藤君か永倉君か藤堂君か沖田君に頼みたいんだが」

芹沢氏の眉が幽かに動いた。

「いいですよねえ?」

私を含めその場にいた者達は言葉の意図が解らずに困惑の表情だ。介錯するなら芹沢の一派の誰かかと思っていたのだから。試されているのかと私が思案していると、ずっと下を向いていた永倉氏が顔を上げて「俺が」と言いかけたところで斎藤氏がさえぎって言った。

「いいですよ。俺がやりまひょ」

「助かるよ。あんたなら躊躇しねえもんな」

彼はそういって立ち上がり、いつもと変わらぬ足取りで一度自室へ引っ込んだ。作法に則って湯あみをして身を清めた後に裃に着替え、八木氏に用意して貰った湯漬けを食した後、切腹をするために整えられた庭先に裸足のまま降り立った。一刻も経っていなかったと記憶する。皮肉にも彼の裃は見事な浅葱色であった。着物の袷を左右逆にしている。これは右肩から脱ぐためだ。

斎藤氏もしっかりと作法通り裃で現れて、検視人は平山氏が務めることとなった。

白い旗幕で背後を覆い畳が一畳敷かれている。その手前には三宝(この場合は神仏に供え物をするための台を示す)。辞世の句を詠むために硯と筆と短冊がある。短冊をとり、さっと辞世の句を書くと、伏せ置いた。それを見届けてから真っ青な顔の平間氏が酒の盃を持ってやってくる。新見氏は彼から盃を受け四度で飲み切りその盃を平間氏に戻したのち、肩をポンと叩いてありがとよと伝える。辞世の句と空の盃を片付ける為に室内に戻ろうとする平間氏は声を殺して号泣しているようだった。

その後、斎藤氏と平山氏に会釈し、面前の渡り廊下に正座する芹沢氏、その奥の室内にいる我々へ向かってにっと笑うと啖呵を切った。

「いいかァ、俺がお前らに本物の武士の切腹作法ッてもんの手本を見せてやるぜ……。よぉくその目かっぴらいて見とけよぉ、なぁー土方さんよぉ」

私は隣に座している土方氏を見る。無表情の彼の目の奥が暗い。吸い込まれそうな闇の色を帯びている。

斎藤氏は水で刀を清め、八双に構えた。

「それでは一足お先にあの世でお待ち申し上げますよ。芹沢先生」

そういってニヤッと笑い、三宝を背後に回し腰に当てると裃を跳ね上げ、もろ肌を脱ぎ目の前に置かれた切腹用の白鞘の短刀を握ると、腹に突き立て

「新見錦、参る!」

と叫んで一文字に引いた。

刹那、斎藤氏の刀身が彼の首を斬りぬく。首の皮一枚繋がっていて刀を握る手の上あたりでだらりと揺れ、その直ぐ後にぐらりと体が前にのめって倒れ伏した。首から赤黒い液体がどばどばと流れ出て土に吸い込まれていく。


「……見事」


と芹沢氏が小さくつぶやく。その手に握られていた鉄扇から汗が滴り落ちる。鉄扇は酷く濡れていた。


その後、新見氏の遺体を芹沢派と平隊士で片付けることになったが、何故か芹沢氏はその遺体をどこの墓に入れたのか一切話さなかった。


そういえば、山緒で新見氏の名前を使用していた田中伊織だが、こちらもまた斎藤氏の手勢に早々に片付けられたのだと原田氏から聞き及んだ。そして彼の遺体も結局どこにいったのか不明のままである。


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