煙波縹渺001
煙波縹渺 001
大阪での出来事はある意味貴重な体験であった。四条大橋の付近で起きた、殿内氏殺害の事件も中途半端な立場のまま巻き込まれたのも情けなかったが、大阪の事件はそれ以上にしょっぱなからみっともない事この上なかったのを素直に前述しておく。
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──まず鮮明に記憶に甦るのは二人の叫び声。
「沖田君!!」
「総司さんっ!!」
それはあまりにも唐突な出来事。まさに青天の霹靂であった。
曖昧な意識の中の景色。地面が近い、これはマズイと感じながらそのままうつ伏せに倒れ込む。
次に刀が空気を斬る素早くて重い音……続いて
「ギャアア」
断末魔の叫び。
「斬った、斬りよった!!」
そして男達の喚き声……。
薄れ歪み霞む意識。最後に見たのは、八角棒を持った巨大な男が血飛沫を上げながらくずおれるのと、その向かい合わせで大刀を片手にそれを見つめている男の姿であった……。
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「大丈夫かい?」
私が目を覚ました時傍らにいたのは島田氏だった。
目だけを動かし辺りを見回す。見たことの無い天井……壁……窓……。何がどうなったのかがすぐには思い出せない。だが天井の一点を暫く見つめていると覚醒の進行と同じ速さで、左の前腕と二の腕のあたりがずくずくと痛んできた。こめかみも若干痛い。それと同時に先刻の記憶が凄い速度で思い出されてきた。
そうだ、相撲取りだ。
大阪相撲の力士に二度も遭遇してもめごとになったのだ。そしてかなり手酷く罵った野口氏が力士の持っていた八角棒で頭を殴られた。そのイキオイのまま、力士は私の左則頭部めがけ八角棒で殴りかかってきたのである。
──避けきれないっ……!
そう判断した私はとっさに左の腕で相手の攻撃を防いだ。だが想像以上に威力があって、その強烈さに私はふっとばされ、挙句脳震盪をおこしてしまったのである。
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そもそも何故この時、大阪で我々一行が相撲取りと喧嘩沙汰になっているかと言うと、事の発端は我々の活動の資金繰りにあった。……会津藩預かりになったまでは良いのだが、肝腎の壬生浪士組を動かす資金がどこにも無い。江戸からかき集めてきた軍資金だってとっくのとうに使い切っている。
挙句に噂を聞きつけかけつける者や、先だっての様に桑名藩や会津藩からの“ワケアリ”なども集まり始めていたので徐々に浪士組の人数は増えつつあった。八木、前川家共に郷士で幾ら大きな屋敷を所有しているとは言え、突如大所帯となった訳で彼等の経済状態はかなり逼迫していたのだ。宿泊費用だけでなく、活動の資金もだしてくれなどとは口が避けても言える状態ではない。
そこで芹沢氏が考え出したのが資金調達だった。彼は何件かの豪商に目星をつけたのである。またそこへどんな偶然か、松平様より浪士組へ仕事が舞い込んできたのだ。
「大阪北新地にて不貞を働く勤皇の浪士を取り締まれ」というものだった。芹沢氏はそらきたぞ、と言って身をのりだし言った。大阪にも資金繰りのアテがある、ついでにそこへも話にいってこよう、と。
そんなわけで浪士組として大阪へ向かうことになった。
面子は
近藤先生、芹沢氏を筆頭に、
山南氏、永倉氏、斎藤氏、島田氏平山氏、野口氏、井上のおじさん、そして私の全10名。
役割が決まった時にすぐに土方氏が私を呼び止め、言った。
「そうじよ、イチにもサンナンさんにも島田君にも伝えるが、ジョウさんをつけるから」
「えっそうなのですか?」
「うむ、近藤さんの事もあるが、せの字の一味の動向も気になるでな。お前たちがいるからいいようなものだが、何かが起きた時ジョウさんは絶対に役に立つ。だから安心していってきな」
私を気遣ってくれたのだろうか。正直を言うと、新見氏を残す話になった時に土方氏が居残るのを伝えられた私の心中は穏やかではなかった。
土方氏がいないで近藤先生と前回の事件の様になった場合自分がどうこうできるのだろうか、といった弱気があったのも事実である。ともかく職務上必要のない感情だし、土方氏の配慮もあったのでその気持ちは抑える事にした。
六月の一日に話を貰って、すぐに身支度を整え、その夜には出立した。二日に大阪に入り、紹介に預かった京屋忠兵衛氏の宿に陣をおき、情報を集める。すぐに不貞浪士二名の所在は割れたので三日早朝にはその身柄を確保し大阪東町奉行所へ二人を引き渡すと用事は早々と済んでしまった。私はそのまますぐに帰宅できるだろうと考えていたが、それは甘い考えであった。
芹沢氏がせっかくきたのだから少し遊んで帰ろうといいだしたのである。いつのまにか舟遊びのお膳立てがしてあって、この人はまたどうやって金を工面したんだとあきれ返ったものだ。近藤先生と井上のおじさんは舟遊びを辞退して京屋さんと話があるという。このことからも恐らく京屋さんがお金をだしたのであろう推測はつく。
……まぁ舟遊びはなかなか楽しかった。
……のだが、川くだりのその真っ最中ナニをどうしたか、斎藤氏が突然腹を抱えて唸りだした。普段ケロリとしているだけにこちらも面喰らったが、ともかくそこで舟遊びを中断するかっこうになったのだ。野口氏は大分ぶつくさいっていたがその時は珍しく飲んでいなかった芹沢氏に咎められて全員で船を降りると、斎藤氏を休ませようということになった。すぐ近場で休む所を探して来いと平山氏と島田氏に芹沢氏が指示を出し、平山氏が探してきたのが住吉楼という遊郭だったのである。
では、そこへしけこもうとなった時に橋の上で一人の力士とかちあうかたちになった。
「すまん、病人だ。道をあけてくれないか?」
だが山南氏の願いは、力士の立ち往生に吸い込まれた様だ。なにせ微動だにしない。
山南氏も力士のその態度に眉根を曇らせる。と、そこで芹沢氏が唸るように言った。
「のけ」
だが、力士はどかない。
一体なんでなんだろう。
私は不思議でならなかった。
明らかに青い顔をして永倉氏に肩を貸してもらっている斎藤氏の姿が力士の目にもうつっているはずだ。なのに何故どかないのだ?みるからに凄みの漂う芹沢氏は兎も角、山南氏は穏やかに頼んでいたというのに。
「おい、どけっていってるだろう?!」
短気な野口氏が力士につかみかかろうとしたのを、芹沢氏がすばやく押しのけた。と、鉄扇を目にも見えない速さで帯から抜いて、地金の部分で力士の左の肩間接めがけて振り下ろす。
「ぎゃっ!」
突然の攻撃に力士は肩を抑えて呻いた。
「のけ!そういったはずだ!!」
恐らく力士も自分の身に何が起こったかわからなかったのだろう。芹沢氏の手に握られた鉄扇と芹沢氏の顔をと自分の肩をみくらべると、力士はぐぅ、と喉の奥をならしそのまま後退りして橋の向こう側へ消えていった。
「そこそこのいい体つきしてやがる癖にいくじのねえことだ。逃げ足がやたらはええったらねえや」
永倉氏が呆れたように肩をすくめる。
「この人数だし芹沢先生の一撃くらったんだ。まぁ懸命な判断かもな。なんにせよ橋は渡れそうだからヨシとして……吉住楼はすぐそこだ。先をいこう」
そういって平山氏が先を歩き始めた。
……が……
ものの数十歩も行かない所でわれわれは又しても足止めされる事になる。先刻の力士が仲間を連れて、六名で道をふさいでしまったのだ。
「おい、さっきから一体何故俺達の行く手を邪魔をするんだ!?」
先頭を歩いていた平山氏が怒鳴る。
「さっきもいったがこっちは病人を抱えてるんだぞ?」
「しらんわ」
力士は顔を歪め吐き捨てた。
「ここいらはワシ等の縄張りや。そうでなくとも昨今は物騒やのに余所モンにウロチョロされたら迷惑や!去ねい!」
「も、もしかして俺たち…不貞浪士と勘違いされているんじゃ?」
私が山南氏に小声で言った時である。
私の目の前に立っていた野口氏が叫んだ。
「平山!」
野口氏はその叫びと同時に平山氏を左側へ突き飛ばす。そこへ力士六人が八角棒をふりまわしながらなだれ込んできたのだ。無防備な状態の野口氏は平山氏の身代わりに右即頭部を八角棒でぶんなぐられた。
そこへ今度は私の左側へもう一人の力士が左即頭部めがけて八角棒を振る。
先の野口氏がやられているのをみていた私はとっさに左の腕でその攻撃から頭部を守った。だが力士の力は想像以上に強く、私はその場に倒れこんでしまったたというわけだ。
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「あの後……どうなりました?島田さん」
島田氏は身を乗り出す様にして私を覗きこみ、視線を合わす。
「ど、どうってなにが?」
「あの角力取り……ですよ。芹沢さん……斬りましたよね?」
ああ、と彼は困りきった表情をする。
「やっちまいましたか……」
「あ、あんな状況で良く覚えてたね……君」
島田氏は頭を掻きながら呟く。
無理もない。
相撲取りに八角棒で殴られて倒れる時に見た景色を普通覚えてること自体奇妙な筈だ。でも不思議なもので昏倒する瞬間とか思いがけない出来事というのは何故か鮮明に覚えているものだ。
「野口君、その後続けざまに沖田君が八角棒で殴られて倒れたじゃないですか。それとほぼ同時に芹沢さん……。いやぁ、あんまり見事な抜き打ちだったんで正直感心もしたけれど、ゾ~ッとしちゃいましたよ。その後、お二人以外の全員で相撲取り達を押さえ込んで二度とするな、と伝えて解放したんですが…」
私は話をききながら暫し思案してから尋ねた。
「ねぇ、島田さん。俺どれくらい気を失ってました?」
「そうですねぇ…」
彼は腕組みする。
「一刻弱ってトコですか」
そう、と私はこめかみに手を当てて起き上がった。
「まだ無理しない方がいいんじゃないかな」
「いや…平気ですよそれよりももうそろそろじゃないかなっておもって…」
「そろそろって?」
「例の相撲取りの一団です。俺はこのままじゃ済まない気がするんですよ」




