薄花色の饕餮 002
薄花色の饕餮 002
斎藤氏は私を半ば強引に引っ張る様にして、富士乃へ連れ帰った。二階の小部屋に通され、強制的に火鉢の前に座らされる。
慌しく出て行く斎藤氏の背中を見送って、一人ぼんやりとうな垂れていると、暫くして襖が開く。
「少しは落ち着いたか」
深く、澄んだ声。土方氏であった。
壁にもたれ掛かったままだらしなく座っていた私は、顔をあげながら正座をしようとする。と、
「…そのままでいい」
と静止された。
「今、斎藤から聴いたよ。勇さん…斬っちまったんだな? 殿内を」
私は土方氏の目をみつめて唇を噛んだ。
「あんなに…酔わせなくってもッ…、あんなのッ…」
―― 騙まし討ちですよ……。
私はその言葉を飲み込んで、土方氏から目を逸らす。
その瞬間、気がついた。私は再び顔を上げ、
「聴いた…て…土方さん、知らなかったの…!?」
と尋ねた。
彼は無表情のままだ。が、目が酷く怒っている。
「そんな…なんで…?!」
「こっちが勇さんに問いただしてぇ位だよ。俺はこの数日、他の仕事があって、そっちに目鼻つけるんで勇さんの動向に構ってる暇なかった。芹沢にそそのかされてたとは…迂闊だったぜ。」
確かにこの数日、彼は斎藤氏と山崎氏を伴って何かにつけ出かける事が多かった。けれど知らないなんて。私の動揺をみてとったのだろう。土方氏は困惑の声で答えた。
「俺ァ勇さんに言ったんだ。殿内を斬る価値はねぇ、と。あの人ァ、芯の通った人だが…人一倍強い意見に流されやすい性質なのをスッカリ忘れてたぜ。自分も腹に据えかねてるトコに、芹沢みてぇに意見の強い奴が傍にいたんじゃ一たまりもねぇよ。俺が甘かった。死人にゃ申し訳ねぇが、良い勉強になったぜ…。俺も言う機会をいつも考えちゃいるがあの人に伝えないこたぁしねえってのに…。こういう危険な話を一言の相談もねぇってんじゃ俺だって困っちまうからな…」
私は返す言葉が見つからなかった。二人の間を沈んだ空気が支配する。と、斎藤氏がその重さを破る様に入ってきた。
「お、もう平気そうやな」
「ええ、ご心配おかけしました」
「ほんなら歳さん借りるで。ちょう、ええか?」
土方氏は
「ああ」
と答えて立ち上がると、暫く休んでいろと言い残し、斎藤氏と部屋を後にした。
――…静寂。
火鉢の炭がバチッと音を立ててはぜる。
暗闇が急に寒さに変わった気がして、自分を抱くようにして二の腕をさすった。
その時だ。
急に廊下が騒がしくなる。…どうやら誰かが言い争っているらしい。
一人は男…女が三人…?
私は下ろしていた刀を自分の手元に引き寄せた。
声はどんどん近づいてくる。
「お客はん…やめとくんなはれ…お姐さんを離しとくんなはれ…!」
「ひつこうッ!はなしてんかッ!!」
「そがんおめんちゃよかたい!せんない事言わんと飲もうやぁ」
「いやや!!」
「そねーないたらん事、気にしちゃいけんっちゃ」
そこでいきなり襖が開いた。
案の定、男が一人、女が三人だ。
男はいかにも浪人といった風情で、女の腕を掴んでいる。
……髭はあたっているらしい。大柄で日に焼けているようだ。
「痛いやないの! 大概にしーや!!」
その言葉にカッとしたのか、男は女を突き飛ばした。拍子に彼女はよろけて私の目の前に倒れこむ。
「お姐はん!!」
と他の二人が彼女を呼び、部屋へ入ってこようとして、ようやく立ち上がった私に気付いて、息を呑む。
人がいないと思っていたので驚いたんだろう。
一方、男の方はと言うと私に目もくれず、女の襟を掴み手酷い行為に及ぼうとしたので、私は頭を掻きながら、
「困ったな……」
と声を出した。 男は、そこでようやく私に気付く。
「先客かい」
と吐き出すように言った後に薄明かりの中で私の姿をみると
「子供か」
と鼻で笑った。その言葉に私はムッとしたが、相手からはかなり酒の匂いがする。強か酔っているらしいから、敢えてその言葉は無視する事にした。
それよりも、あまり耳慣れない訛りが気になる。そうこうしている内に女は部屋の奥へ座ったまま後退りしていった。男は舌打をしてそれを追おうとするので、私は
「おやめになったら如何です?嫌がってるじゃありませんか」
と静止の声をあげる。が、男は
「きなるなや!!」
…そう怒鳴って抜刀した。
廊下にいた女二人が
「ヒッ」
と小さな悲鳴が聞こえて、きびすを返し逃げて行くのが見えた。
酔って逆上する人間をみるのはコレが初めてではない。
揉め事を起こすつもりは毛頭ないんだがと、私は溜息をつきながら
「刀を抜くなんて穏やかじゃないですね。女のひとを怖がらせちゃあいけませんよ。取り合えず落ち着いてもらえませんか?」
と一応訴えてみた。
だが男は完全に頭に血が上っている様子だ。
「ちばけた事抜かすガキじゃ!わしの女じゃぞ!?ああ!? もし、あれと出来んなら、おんし代わりに穴をほがさせてくれるんか!!」
と唸り飛ばされた。
…しかし、訛りが強くてどうも意味が解らない。すると、私の背後にいる…男に突き飛ばされた女がこう言った。
「こんひとはな、あんさんの事、うちの代わりにする、言うてんのや」
「え……」
私は顔を歪めた。それは…“女の代用品になれ”と言う事か。
「そいつぁ…ご勘弁願いたいな。それよりご相談なんですがね……」
私はすり足でゆっくり左側へ移動し始めた。
「表へ出ませんか…?ここじゃお店に迷惑がかかってしまう」
「ひっちゃかましか!」
血走った目を見開いて男はそう答えた。
「まぁ……そう来ると思いましたケドね…」
私は柄に手をやり音のしない様に鯉口を切る。男は正眼の構えを取る。酔っていても天井が低いのを意識している……と言う事は……この男、手練かも知らん。私も仕方なく抜刀し、晴眼の構えを取った。
――……沈黙。
男の目はどんどん酔いが醒めて来ている様を映している。
――バチッ…!
火鉢の炭がはぜた。
男が目を見開き、
「がめんちょろがっ!」
と叫ぶと、畳を勢いよく蹴った。
私の剣先が、フ、と空を切る様に上へと滑り、次に火花が散ってギャリンッと鋼と鋼がぶつかる音がする。反動で男の腕が本の少し上へ跳ね上がった。
……私は相手の切っ先を避ける様に、自分の体重をかけて、そのまま男の正面へ切っ先を向け、ド、ド、ド、と三度突っ込んだ。
それと同時にずぐ、ずぐ、ず、と奇妙な感覚が柄から掌全体に広がる。……後はそのまま無理矢理刀を引き抜いて後ずさった。
「ぶぅ、」
男が呻き、膝を折って前にのめるようにうつ伏せに倒れる。男の体の下からすぅ…と畳に黒い水溜りがゆっくり広がり、二~三度体を痙攣させてその後は動かなくなった。
――静寂がまた戻ってきた……
ややあって、口を開いたのは私の背後の女だった。
「…死んだの?」
私はぼんやり彼女の方を振り向く。彼女はと言うと、少し震えてはいたが、私の目をまともに見つめている。肝が据わっているのかナンなのか。
「ね……どうやの?」
「ああ」
私は男を見下ろす。
「う…上手く……肝の臓を…貫けたみたいで…えぇと…」
なんだか上手く呂律が回らない。周りの壁が押し迫って来る様な…なんだ、この奇妙な感じ…。私は左手で口元を押さえる。
その時、階段を駆け上がる足音が聞こえて、
「そうじ!?」
と呼びかけられた。
顔を上げてその声の方を向くと、土方氏と、斎藤氏、それからここの女将らしき年配の女性が立っていた。土方氏は私の目の前に突っ伏している死体を見て目を見開き、男を避ける様に素早く私の方へ来ると、
「大丈夫だ…指をゆっくり広げてみろ」
と、私の右手をそっと握る。
…そこで気が付いた。
私は刀を握り締めたままだったのだ。
情けない話だが、私は
「あ」
と一声出した次の瞬間に、彼の手の暖かさで気が抜けてその場にへなへなとくずおれてしまった。
斎藤氏は、右膝を付き、男の頚動脈に指を二本当て、
「こときれとるな」
とサラりと言って退けた。
……よもや近藤先生が人を斬った直後成行きとは言えど自らも斬り合いする羽目になろうとは……。
もはや先生の事を言えた義理ではない。
落ち込む私をよそに例の…結果私が助ける形となった彼女が女将に促され部屋から出て行くのが目の端に入る。私は動揺を隠せない、情けない姿を悟られまいとして必死に自分を奮い立たせていると、
「なぁ、」
と彼女は私に声をかけてきた。私が顔を上げると、彼女は少し微笑んで
「おおきに」
と頭をぺこりと下げて部屋を後にした。
それを見送った後、斎藤氏が
「歳さん、早速役に立ちそうやな」
と言って、女将に
「頼む」
と合図した。女将は頷くと、一度部屋を出て行き、少ししてから戸板を持った下男二人を連れて戻ってきた。二言三言合図すると男達は戸板に死体を乗せてさっさと運び出して行く。斎藤氏もその後をついて行ってしまった。
「一体…どういう事なんです?」
「そうじ、ここの裏手に川があるだろ?」
鴨川に沿って流れる高瀬川の事だ。私は頷く。
「この店は、今、おめぇが斬った男だがな……勤皇方の不貞浪士なんだよ。こんな輩が大分出入りしている。ここにゃ荷運びや客を送り迎えするんで舟を幾つか所有してんでな隠れ家にするにゃもってこいなのさ。……ま、砕けて言やぁ、女将は俺達の味方って事だ」
…そうか…情報収集や、証拠を隠滅するのには最高の立地条件なんだ……。私がひとりごちていると土方氏は懐から懐紙を取り出して、私の刀の血曇りを丹念に拭い、それを素早く私の鞘へ納めると、
「後で手入れしておかんとな」
と言って微笑む。
なんだかぐらぐらする。
体が熱いのか寒いのか解らない。
頭痛のしない二日酔いの様な感じだ。
……さっき男が倒れていた場所には黒い水溜りが残っている。私の心臓が急に早鐘を打ち、息が荒くなった。その時、ふいに土方氏が私の肩に手を回して、
「もぅ見るんじゃねぇ」
と呟きながら私を子供の様に抱きすくめた。
「な……!」
私は驚いてすぐ様離れようとしたが、
想像以上に彼の腕には力がこもっていて容易には振り解けず、困惑した。上手く体を支えられず完全に土方氏に体重をかける格好になって、更にどうして良いのか解らず面食らう。そんな事を知ってか知らずか、彼は例の透き通る様な深い声で言った。
「そうじ。解ってる。どんな達人でも初めはみんなこうなるんだ。俺もそうだった。だから・いいんだ、これでいいんだよ」
この声を聴いて私の中で完全に緊張の糸が切れ、どっと涙が溢れ出す。
「歳さん」
私は呻く様に言った。
「俺、人を斬りました。初めて、人を」
彼は、丸で子供をあやす様に、無言のまま私の頭を撫でる。
……行灯の明かりはいつの間にか消え、部屋を支配する闇の中で、川のせせらぎと、舟を漕ぐ音だけが幽かに響いていた。




