薄花色の饕餮 001
薄花色の饕餮 001
先に簡単に流してしまったが少し話を戻して、文久三年三月に起きた事件の一連の流れ話しておこうと思う。
芹沢氏には兄がいた。
京都詰公用方を務めている水戸藩士の芹沢成幹氏だ。
この人が京都守護職の会津藩方に口利きをしてくれた事もあり会津藩重臣田中土佐様、並びに 横山主税様へ、京への残留と、上様を守護したいと言う旨の嘆願書を無事提出する事が出来たのである。お陰で我々は何とか会津藩松平肥後守預かりの身となった。(芹沢氏に本当にアテがあったのには驚いたんだけどね)
後で聞いた話だが、実は我々が雇われた背景のヒトツにこんな事件があった。
浪士組がまだ大津の宿にいた頃の文久三年二月二十二日。
京都等持院に祀られていた足利氏三代を祀る木像の首を賀茂川の河原に晒し首にした不届き者がいたのだ。普段は温厚な人柄で知られる、京都守護職の松平公は当然激怒した。犯人捜索に力を入れると同時に京都の守護をより強靭なものにする為対策を練る事を決定したのである。そこでたまたま浪士組が帰還した後、京都残留して、嘆願書を持って来たのが我々十三名。松平公はそんな志を持つ我々にすぐ興味を持ってくださったらしい。そう考えるとあの時は実に運が良かったのだろう。
……否、悪かったと言うべきか。
何故こんな言い方をするかといえば……江戸で清河が佐々木に斬られる前だ、武士として立ったからには我々も避けて通れぬ道が幕を開けたかである。
そう、粛清の一波が押し寄せたのだ。
あれは忘れもしない……三月二十四日のこと。
実はこの頃、殿内義雄氏、家里次郎氏と言う人々が、我々の「壬生浪士組」に参加していた。ただ参加していると言っても、清河が滅茶苦茶にしてしまったとはいえ、幕府公認の浪士組に反する形で、京都守護職の会津藩に嘆願書を提出し京残留を決めた我々とは違い、鵜殿鳩翁氏に嘆願書を提出し、京への残留を正式に許された二人であった。殿内氏、家里氏両名とも元々の清河浪士組の募集を任される責任者だったから、幕府側からも篤い信頼がある。鵜殿氏から壬生に残った我々を取りまとめる役も任されてもいた。
反対されて残った者と、
上から任されて残った者の意識の違い……。
それは人間の中の何かを壊すのにもってこいのきっかけだ。
この頃、八木家は我々の為に庭の一部を使って、簡易の道場を作り始めてくれていた。
もう一つ話しておかねばならないのは八木邸だけでは手狭だろうと、道の迎いにある前川家に、試衛館の一同は間借りすることになった。
三月二十三日の昼さがり。
私は原田、藤堂両氏と小春日和に誘われ、その様子を見に前川邸から呑気にひょこひょことやってきた。正直の所、我々若い連中は、将軍警護の名目を持った我々に至極協力的な八木・前川両家が宿舎を提供してくれていることだとか、京へ残れる事がただただ素直に嬉しくてならなかったのだ。まだ四割も出来ていない骨組みばかりの道場をみて、胸を躍らせて他愛のない話に興じていると、八木家の門を出て来る者の姿がある。
……殿内氏であった。
私達がいつもの様に何気なく一礼すると、殿内氏は困ったような表情で頭を下げてきて、こう言った。
「諸君、残念な話で申し訳ないのだが……諸君とも明日でお別れだ」
何の事か解らず
「はっ?」
と聞き返すと、
「詳しくは芹沢さんと近藤さんから聴いてくれ」
と言い残して会釈をするやいなや足早に去っていった。
……明らかに殿内氏の様子がおかしい。
私達は顔を見合すと、頷いて八木邸の門をくぐり玄関へ向かう。 と、ガラリ、と玄関の戸が開き、中から新見氏が姿を現した。
「新見さん……。殿内さんと何かあったんですか?」
私が訪ねると、新見氏は不機嫌そうにこう答えた。
「殿内の野郎……なんでも壬生浪士組と訣別して別の派閥を作るなんぞと抜かしやがったのさ」
「えっ?」
青天の霹靂である。
「まさかそんな」
「そのマサカだよ、芹沢さんもあんた等ンとこの先生も酷く御立腹だぜ。ったく、家茂公の帰東が延期になったあの日も、協力し合うと誓い合ったばっかりだってのによぉ。一体何を考えていやがるんだ」
「理由は解らないんですか?」
「ハッキリした理由が解ってりゃウチの親方もあんたらんとこの親方も怒りゃあしねえだろ?」
彼はしかめっつらをしてぶつくさいいながらそのまま八木邸を出て行ってしまった。
だが先生や芹沢氏の立腹も私には多少なり理解は出来た。
殿内氏たちがいなくなれば我々側も彼等を失う事はある意味一つの幕府からの許容を失う事になる。彼等が別の派閥を作るとなれば益々我々の存在意義も二分割されてしまう。近藤先生や芹沢氏が憂慮、激昂するには十分たる理由だ。
その夜。
前川邸で試衛館の仲間を集めると、思いつめた様な表情で近藤先生が、
「急な話だが、明日、殿内さんが我々と分離して隊士招集の旅周りを始める事になった。それで明日別れの酒宴を開こうと思う」
とだけ言うと、さっさと布団を敷いて寝てしまったのだ。
山南さんがそれをみて怪訝な表情で私に何かあったのか尋ねてきたが、状況の読めない私も昼に合ったことを説明する程度でキチンとした返答ができずに終わった。
今想ってみれば、近藤先生の奇妙な行動は自分の胸の内を皆に探られたくなかったのだろう。
本当は土方氏とこの事について話し合いたかったが、彼は生憎不在だった……。
明けて三月二十四日、辺りが薄い闇に包まれ始めた頃。
四条大橋に近い木屋町通りにある富士乃と言う店で酒宴が催された。土方氏と芹沢氏が連れ立って探してきたと言う。芹沢氏はもとより、近藤先生も殿内氏も異様な盛り上がり方で酒を浴びる様に飲んだ。
――何かがおかしい…。
私はそんな不安にかられて状況を土方氏と話し合いたかったが、当の土方氏は用事があるらしく、席を空けて直ぐに消えてしまったので結局話しあう事もできないままになった。
山南氏だけが私と同じ様に何かを感じているらしく目が会う度に彼は首を傾げている。
……夜も深くなり、仲間の殆どは酔い潰れた。
しかしそれにしても、余りに奇妙な光景だ。幾ら袂をわかつ人がいるとはいえ、こんなになるまで何故皆深酒を?
……今までにない事態に不安が増す。
覚醒しているのは、杯を抱えたまま飲み続ける芹沢氏、 基本的に乱れた飲み方をしない山南氏と下戸の私、近藤先生と旅立つ殿内氏だけである。
土方氏と斎藤氏の姿は相変わらず、ない。
「それじゃあ、私はもう行きます」
ふらふらと殿内氏が立ち上がり、ぐらりとよろけた。……やはり彼も強か酔っている。私と山南氏がそれを慌てて支えた。
「殿内さん、今夜は無理ですよ。歩けないじゃありませんか!お泊りになって明日御たちになったらどうです?」
山南さんがそう叱ると、殿内氏は微笑んで
「平気ですよ」
と、言う。
その様子を黙ってみていた芹沢氏がニヤッと笑って、言った。
「それじゃ、外へ送って差し上げたらどうかね、近藤君」
「そうですな。参りましょうか……殿内さん」
「ああ、参ろう」
「それでは私も」
と立ったのは山南氏だった。が、
「アンタは俺と飲め。沖田は下戸で飲めないからつまらん。付き合え。変わりに沖田、お前が殿内どのをお送りしろ」
と顎で私に指示すると、杯を山南氏に突きつけた。山南氏は一瞬迷惑そうな顔を私に向けたが、仕方ないと言った風に、
「お付き合いします」
と杯を受けた。
「……そうじ、行こう」
近藤先生が呼ぶ。私は
「あ……はい」
と返答し、先生達と共に店を出た。
外は寒かった。
四条大橋の手前に来ると殿内氏が私達を手で制す。
「お見送りはここまで結構」
「いえ、折角ですから」
近藤先生が低い声で言った。
私はこの時、奇妙な感じを受けた。
慌てて出たとはいえ…何故提灯を持ってでなかったんだろう。私は何気なく自分の両の手の平を暗闇で見つめた。そこも黒い影が支配している。
その時鴨川から一羽の大きな影が「ギャァ」と鳴いてバサリ、と飛び立った。鷺である。
…刹那…ヒュッと微かな空を斬る音がして、何かが近藤先生の目の前の暗闇で、奇妙な光りを放った。
…一瞬強い風が北から南へ向かって吹いて
……その本の少し後、私の顔に何か冷たいモノが飛んできて付着した。
「え……?」
呟いた自身の声が掠れている。
私の顔のそれは水滴の様だった。でも雨とは違う。近藤先生の後姿。その右肩越しに殿内氏の姿……
「あ、」
と一言呟くのが聴こえて…殿内氏がよろめいて、こちらを振り向く。大きく見開いた目がかすかに光を放つ。近藤先生の肩越しに殿内氏の目が見えた。そのまま近藤先生は抜刀している。無言のまま容赦なく殿内氏へ向かって突きを入れる。
反射的に殿内氏は自らを庇おうとして腕を上げた為、先生の切っ先がずれて、彼の左肘を傷つけた。
が、先生は間髪いれずもう一度殿内氏の喉を狙って突きを入れた。
それを最期に殿内氏の体はそのまま地面へドサリと倒れ伏す。
私はまばたきをしないままぐっと顔を拭う。手の甲に黒い…嫌、赤い筋が二本引いた。私の歯が、無意識にガチガチッと3度音を立てて鳴る。
「先生……?」
私の心臓は奇妙に早鐘を打った。
近藤先生は答えない。
「先生!!」
私は声を荒げる。
それを静かに激しく
「静まれッ!沖田ッ!」
と彼は制した。
私はそれを聞いて首を左右に振り、言った。
「何故斬ったんです……ッ」
私は先生の右袖を掴む。
「殿内さんを何故斬ったんです……ッ!? こんな……騙まし討ちじゃないですか!?」
先生は振り向かない。ただ何かを押し殺すように肩で息をして、喘ぐ様に言った。
「いずれ……殿内は我々の障害になる……」
「なにをいってるんですか!?彼等とはしょ……将軍を守護すると言う大元の目的は同じなんですよッ?!……それならッ、殺す必要はッないでしょうっ……!!」
その言葉に先生が、ようやく私の方を振り向いた。
……その向けられたまなざしに私の背筋が凍る。
先生の目は、冷たかった。
……明らかに私の知っている、あの人の良いおおらかな道場主の目ではない。
その時ハッとして先生が目を逸らす。
私の表情を読み取ったのだろう。
大きな溜息を吐くと
「総司」
と呼んだ。
「殿内は我々を潰す気だったのだ。……その上、奴がこのまま壬生浪士組を名乗り主導権を握れば将来必ず我等の大きな妨げとなる。会津藩の召抱えとなり、本当に上様を警護出来る立場となった今……それだけは避けねばならん。会津公を失望させる訳にはいかんのだ」
その言い方は私の意見など針の穴程も通らぬ余裕のない強固なものであった。
私の手が先生の袖からだらりと落ちる。先生は私に目をやらない様にそのまま殿内氏の体を避け、
「別行動を取る。お前はそのまま別の道を通って前川家でも店でも好きな場所へ帰れ。今日の事は他言するな」
と言い放つと、四条の橋を渡って進んで行った。
先生の後ろ姿が橋の向こうへ側へと消えて行くのが見える。
さっきまで話をしていた殿内さんが少し離れた場所にうつ伏せで倒れている。
……あんなに……酔わせて。
……騙まし討ちもいい所だ……。
私は震える手を彼に向かって合わせる。
頭では解っていた。
すぐこの場を離れなければ私が彼を斬った事にされる。
いや、止められなかったんだから斬ったも同然か。
私は空を見上げる。
星だ。満天の星だ。
寒い。
吐く息だけじゃなく芯から冷える。
もうどうでもいいような気持ちになりかけたその時だった。
誰かが私の腕を掴み唸る様に言った。
「沖田君、ここにいたらアカンッ!!行くぞ!」
「斎藤さん……」
私はそう呟くのが精一杯だった。




