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時の過ぎ行くまま  作者: 犬神まみや
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白群攻防 003

白群攻防(ビャクグンコウボウ) 003

 

 さて、二月二十三日からそれ以降に起こった話をしておこう。

大層濃密でめまぐるしい変化だらけだった


まず、二十四日。

この日は林太郎義兄さんや井上のおじさんのいる新見班の宿が更雀寺から中村小藤太氏の邸宅へ鞍替えになった。一方の清河は学習院に「上表書」を提出していた。ちなみに学習院とは公家を教育する機関のコトだ。


で、上表書と言うのは簡単に言えば「朝廷への忠誠心を示す書類」である。


その内容は「我々浪士隊は朝廷の先兵であり、朝廷を守る為に無償で働かせて頂きます」と聞いた。

これが受理されれば当初の目的から大いに外れることになる。謂わば清河が先手必勝の心もちで策を労じた代物なのだ。


一方、近藤先生は、当然上様を警護する志をもってして江戸の道場をたたんで来ている芯からの佐幕派だ。幕府と折り合いの悪い尊王派になるのは彼の美学を大いに逸脱しているだろう。


徐々に変化していく浪士隊の内部事情に周囲はとまどいを隠せなかった様子だった。当然その波紋は八木邸と前川邸に仮住まいする我々にも輪を広げて近藤先生と土方氏、芹沢氏の一派等は毎日真剣な面持ちで難しい話をしていた。



ま、私と原田氏と言えば呑気なもので、近所を散歩したり、壬生寺の境内へ出て行ってはいたずらに草をむしってみたり、小石をほじくりかえしたり、虫を探してみたり、近所の子供と友達になったりしていた。


 二十九日。

御所へ見学に昼のうちにでかけたが、夕刻に幕府からの判断が下されたのはこの日だった。夜半、土方氏は斎藤氏を同道し、山崎氏に集会に潜り込む様にする、と私に告げてきた。


例によって新徳寺の境内で

「浪士組は来るべき戦争に備え直ちに関東へ帰還し、警護に当たること」

と命が下された。すなわちこれが俗に言う「江戸帰還命令」と言うヤツである。


これを伝え終わった清河は

「諸君、質問はあるかね?江戸への帰還は三月八日であるから、皆、支度をしておくように」

と涼しい顔で言った。


……それをみてとうとう堪えられなくなったのが近藤先生である。

立ち上がると途端、感情を爆発させた。


「拙者は納得いかん!」


物凄く良く通る轟雷の様な声に、周囲が息を呑んだ。清河は面倒なコトだと言わんばかりの顔で先生を一瞥する。


「近藤氏。心中察するに余りある。だが君達が幾らあがいた所で上からの裁決はもう下されたのだ。これも上様のお考えと君も素直に受け止め、従うべきではないのかね?」

「お言葉を返す様だが、拙者にはそれが正しい選択だとは思えんので」

「ならばどうするつもりだね」

「我々の一派だけでも京へ残り上様をお守りする所存です」


ハッ!と清河が一笑した。


「あまり現実味のない事を仰るな、近藤氏!貴殿、なんのアテもないこの土地でナニをどうする御積もりなんです?」


その時だった。


「やかましい!」

と怒鳴った者がある。これもまた近藤先生に負けず劣らずの威勢の良い張りのある高い声だ。私たちにはその声が誰か解っていた。


芹沢氏である。


ゆぅらり、と空気を舐める様に立ち上がり、

「近藤氏の言うコトは正しい」

ニヤリ、と笑った。とんでもない凄みがある。


その時、土方氏が無言でスッと立ち上がった。

本の少し遅れて新見氏と芹沢一派、私を含めた試衛館の一面がザッと立ち上がった。


「ここにおる14名我々は京残留組だ。これ以上アンタの茶番に付き合う気はナイ」


清河の顔色が見る見るウチに変わり、一歩後ずさる。まさか道中散々もめたとはいえ、本来は同じ志で、腕も立ち頭も切れる芹沢氏がこんな答えを出すとは思わなかったのだろう。暫く言葉を失っていたが

「……勝手にし給え」

そう言い捨てる。

結果、その言葉をかわぎりにしてこの日の集会は解散になった。


帰り際、声をかけて来た者が数名いた。啖呵や度胸を褒める者もいるにはいたが、大抵無謀だ、無茶だ、上の以降に従った方が身の為だ、と言うからっきし意気地のナイ意見だった。


そんな中、我々に同意を唱え、今後行動を共にしたいと言い出した者がいる。


粕谷新五郎(かすやしんごろう)

阿比留鋭三郎(あびるえいざぶろう)

の二名だ。


粕谷氏は上州水戸藩出身で、芹沢氏とも多少の顔見知りで、彼等から勧誘の声がかかっていたようである。


阿比留氏は対馬出身の北辰一刀流の使い手で、素朴な人柄でまだ若かったが、近藤先生の演説に痛く感動したと訴えた。実直な性格が見て取れたが、酷く痩せていて顔色が悪かった。


もう一人芹沢氏から声をかけた人も一人いた。


佐伯又三郎(さえきまたさぶろう)”氏である。


元長州藩士だったが脱藩して浪士隊に加わったのだと言っていた。彼は数日後…三月五日に八木邸を尋ねてきた。京都の残留を決意したと聞いて、芹沢氏は大層喜んでいた。


 話は戻って三十日。

清河は江戸に戻って兵を備える為の文書を提出した。三月三日にそれは、関白の鷹司様から帰還の受理となって、清河や幹部に言い渡されたそうだ。


 明けて四日。家茂公(上様)が上洛。上様を守護する為に我々は来たのだからとこの日は皆で出かけていったが、近寄れる筈もなく、せめて遠くから警護に当たろうと、町中を散策して歩いた。

(この日、井上のおじさんの兄である松五郎氏が千人同心の一人として上様を警護し一緒に上洛した話があるんだけど、それは長くなるから割愛!)


 三月十日

残留組24名が決定し芹沢氏の内々の行動で、会津藩主にして、京都守護職の松平容保様の預かりから、十二日には配下として認定されたのだ。

正直誰もが予想していなかった異例の速度での出世と言っていいだろう。

私もこの状況を当然喜んだ……が、何故か黒々とした不安の様なモノをひしひしと感じて、心の底から単純には喜ぶ事が出来ないでいた。


まるで、それを現すかの様に、身内で人死にが二つ続いた。

阿比留氏と、お世話になっている八木家の少女が亡くなったのだ。どちらも病死。

阿比留氏は、このたった数日の間で病状が悪化して、江戸表へ帰還する途中で亡くなったとの事だった。


どちらも無念だっただろう。


近藤先生と芹沢氏が八木家のなくなった少女の葬儀の手伝いをてきぱきこなしていたのがとても印象に残っている。


 そして……我々を驚かせたもうヒトツの事件……。

それは、清河暗殺。

浪士隊を率いて江戸へ帰還し、間もなくの四月十三日。麻布一之橋の上でそれは起きたという。

下手人主謀者は“佐々木唯三郎ささきたださぶろう”。浪士隊に加盟していた男である。

我々と違う形でけじめをつけたといったところか。


幕府を欺き、実に3百余名もの人々を右往左往させた策士のあっけない最期であった。

まぁ清河のその一連の行動が、結果として新撰組を作るきっかけとなったのだから…なんとも奇妙な因縁としか言いようがない…。






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