白群攻防 001
白群攻防 001
二月二十三日。
大津の宿を出立したのは夜明けと同時。
三条大橋を渡る頃……すなわち京へ到着した時には四ツ時(※1)になっていた。
橋を渡る時、私は一瞬立ち止まって、橋の欄干から身を乗り出すようにして町並みを眺めてみた。
「コレ、なんて川ですか?」
私の背後を通り過ぎながら、原田氏が私のその問いに答える。
「おぅ、鴨川だってよ」
「ふぅん……かもがわ……。川の流れは比較的緩やかなんだなぁー」
道中色々な宿場を渡り歩いてきたが、上洛してみてやはり京は江戸とは趣が大分違うと感じた。
……なんと言ったらいいか上手くはいえないが、流れる空気からして違うのである。
私は欄干のフタツ目の柱に両足をかけ、他の目線よりも一段高い場所から更に周囲を見渡すと、立ち並ぶ家の戸口から人がちらほらと姿を出してこちらの様子を伺っているのがみえる。
「おや……なんの行列か気になってるのかな?」
私がひとりごちていると、今度はそれに低い声が答えを返す。
「まぁ、胡散臭い男だらけの不気味な集団が雁首そろえて列をなしてんのをみりゃ、普通は誰でも奇妙に想うだろうさ」
後ろを振り返り左の肩越しに見下ろすと、声の主の顔があった。
土方氏だ。
「色気もなにもあったもんじゃあねぇ」
無表情で毒を吐く。
「……ま、そらぁそうですね。」
私は欄干からひょいと下りると、手の平をたたいて埃を飛ばした。
「まぁこの集団に色気があったら却って不気味ですけど」
それを聴いて土方氏は、はじめてフッと表情を崩し微笑んだ。
彼は時折反則技みたいなとんでもない魅力的な笑顔をする。
私が目を見開いて、その表情に釘付けになっていると、背中を誰かが肘でこづいた。
あわてて振り向くと、その肘の主は井上のおじさんであった。
「あれ、おじさん先に行ったんじゃなかったっけ?」
「お前は……馬鹿ッ! ガキみてぇな真似するんじゃねぇとあれほどっ……!しかもなあ、俺はずーっと後ろからついてきてただろうがよ!」
小声で吐き捨てる様に言うとおじさんは眉間に皺を寄せ首を小さく振った。
「おめぇは江戸からココへ着くまでの間、俺に何度“馬鹿”っていわせりゃ気がすむんだ!」
訊かれたので私が指を折って記憶を辿り始めると、
「ダァッ!…数えるな!馬鹿ッ!」
と、おじさんはわたしの手をペシッと叩いて土方氏の方を向きなおし、大きく深呼吸をしてから、いった。
「まあぁったく! そーじは始末におえねぇなあっ!ガキの時分からちぃともかわらねぇんだから!」
土方氏は珍しく必死で笑いをこらえているようだ。口を押えて咳払いして漏れそうな笑いを誤魔化した。
井上のおじさんはそれを見て首を横に振ると気を取り直した様に話題を変えた。
「あー、それよりも歳さんよ、宿の割り当てを聞いたかね?」
「む、壬生の新徳寺に本陣を置くとは聴いたが……宿はまだ聞いてねぇ……そういう源さんは?」
「俺はさっき永倉君から聞いたよ。同じく壬生の郷士の八木さんって屋敷だそうだ。俺は新見さんとこの隊だから別の場所だがね」
「ふぅん、新八に、ね」
土方氏はそういって、唇の左上を本の少し吊り上げて、フン、と笑った。
永倉氏はかつて同門であった野口氏と話をして色々情報を得てくる。その御蔭で役職方からたまたま芹沢氏や新見氏だけに言った、近藤先生や我々が知らない幾つかの貴重な情報を、聞き漏らさないで助かることも多い。だが、土方氏としてみれば永倉氏が、芹沢氏の仲間の側に長時間居ることが多くなっているのは、あまり良い気分ではなかったのだろう。
土方氏が少々不機嫌になったのは、宿泊先の情報をコチラへ流さなかった事で、これで芹沢一派が時折故意に情報を流さないと言う事がハッキリしたからと言うのがあるとみてとったようだ。
夢を壊すようで申し訳ないが、男の世界なんて意外とサバけていそうでこれでなかなか陰湿で面倒なことが多いモンだ。
後、芹沢一派が不快に感じて情報を流さなかった理由のもう一つにはどういう因縁か、今度も芹沢氏の一派と最後の最後まで同じ屋根の下になってしまったの事が原因にあるかも知れない。
+++
壬生の八木邸へ着く間中、
試衛館一派と芹沢一派の列には微妙な空気が流れていた。
葬式の行列じゃあねぇんだからと胸の中で呟いて私が溜息をつくと、
「なんかよぅ、上から面倒ゴトを押し付けられてる気がしねぇかぁ?」
と原田氏が鼻に皺を寄せて私に耳打ちしてきた。
流石に私も口をへの字にしたまま頷く以外手立てがなかった。
だが、この宿割りが幸か不幸か、後々の重要な出来事に関わってくるのだから全くもって世の中の理ってのはわからないものである。
そうそう……「宿」と言っても、今までの宿場でもそうだったが、とんでもない数の浪士の群れなので、宿だけでは足らず、民家を借りて泊まる事もままあった。
当然、今度もそうである。
我々の宿泊先の壬生は、一歩踏みいれてみて驚いた。田んぼ道が延々と広がるとんでもない田舎だったのである。
が、御厄介になる家に案内されて今度は別の意味で驚いた。
想像以上に綺麗で大きかったのである。
長旅で風体身形も怪しい汚れ侍達が入り込んでしまっては申し訳ないくらいであった。
屋敷の主人の名前は、“八木源之丞”氏と言う、この土地の郷士だ。
非常に穏やかな人柄の、豪商らしい懐の広い人である。
さて、八木家へ(快くかどうかは解らないが)迎えられて、一息ついていた所で、知らせが届いた。
新徳禅寺本堂で清河が軍議演説するので集合するようにと命が下ったのである。
芹沢氏は既に飲み始めていたので、出掛けるのを渋った。
「演説だぁ? 清河の若造め、何を偉そうに……。そんなモン、勝手にほざかせておけばいいわい」
八木家の一室を与えられた芹沢氏は、大きな体を悠々と畳に横たえ、ぶつぶつと文句を言う。
実はこの時、飲んだ芹沢氏を上手く操れる新見氏は、別の組をまかされていた為、泊まる宿が違った。
故、彼を動かす役は必然的に彼等と同流派の永倉氏と相成った。
「ですが、芹沢先生には色々とご意見頂かねばならない事もございますゆえ……」
その言葉を耳にした芹沢氏はチラ、と永倉氏の顔を横目でみると重い溜息をついてのっそりと起き上がった。
野口氏とも仲が良く、人好きのする永倉氏は、私の想像を越えて芹沢氏と親密になっていたらしい。
その様子をみつめ、
「すげえや、しんぱっつあん。前に江戸の見世物小屋でみたら熊使いみてぇだぜ」
と原田氏が感心したように言うのを聞いて、
「なんて事を!」
と口ではいいつつも、私と藤堂氏は笑いを堪えるのに苦労させられた。
その時、「そうじ」と背後で"あの声"が聞こえた。
振り向くと、土間に近い渡り廊下で土方氏が目だけで私を呼んでいる。
私は二人からそっと離れると、彼の右側に立った。
「どうしました?」
「でかけるぞ」
「何処へです?」
「兎に角外へ、さ」
相も変わらず謎めいた言い方をして、彼はスタスタと外へ向かっていく。
私もすぐその背中についていった。
八木邸の隣には寺がある。
土地の名前そのままの壬生寺という名だ。
静けさの支配する寺の境内の前まで行くと、見慣れた影がたたずんでいる。私はその姿をみて緊張が解け、口元がほころんだ。
「斎藤さん!」
「やぁ、二人共」
私は彼に駆け寄る。私と彼は強く手を握り合った。
背後からやってきた土方氏が微笑みながら斎藤氏に声をかけた。
「無事で何より」
「歳さんもね」
斎藤氏はニッと笑い、私を向き直っていった。
「道中色々とあったそうだね? 近藤先生も思わぬ災難だったな」
どうやらすでに事件のことを聞き及んでいるらしい。私はハッとして土方氏をみた。
「まだまだこれからだ」
土方氏は斎藤氏から視線を離さないまま声を潜める。
「斉藤、オマエも今の宿を引き払って、すぐに俺達と合流して同じ屋根の下にいてくれろ。……これから清河の野郎が大演説会をおっぱじめる事になってる」
「心得た。それなら俺はその会合に紛れ込んで、コチラへ戻ってくる所で皆に合流しよう。こっちで集めた使える連中も明日明後日…早ければ今日の内には紹介したい」
「有無、頼んだ。宿主の八木さんには取り合えずまだ数名増えると伝えてあるから、問題ねぇだろう」
「しかし、清河もとうとう馬脚を現す時が来たか……。皆どんな反応をすることやらなぁ」
「清河は本当に例の計画の事を言うのでしょうか?」
私が訪ねると二人は同時に頷き、土方氏がハッキリと答えた。
「言う。必ず言うさ」
+++
その夜。
新徳禅寺の本堂で集会が行われた。
清河は堂々とした様子で、今まで長い道中を率いてきた二百四十余名の浪士の群れをみつめている。
清河の本性を知っている私達は、固唾を呑んで見守っていた。
原田氏が私の肩に手をポンとおいて、小さく言った。
「斎藤さん、もぅ来てるのか?」
「ええ、恐らく」
「そうか」
それきり二人は黙った。
近藤先生の方をみると、緊張した面持ちで清河を睨むように見ていた。やはり上に立つ者としての勘が働いているのか、何かがおかしいと感じてる様だ。清河は仁王立ちのまま、本堂中を眺める。これだけの人数を手の内にした気持ちなのだろう。目の奥にはどことなくうっとりした様な色をなしている気がした。
が、清河はその満足げな表情を急に引き締めると、言った。
「諸士!道中ご苦労であった。諸士はまこと、尽忠報国の士である」
清河は一度域を大きく吸うと、灯りの少ない暗い本堂内をぐるりと見渡す。
「その諸士に我等が京へ参じたのは……近く上洛する将軍を警護するためなどではない!」
大勢の浪士たちはなんだか解らないまま清河の言葉を聞いている。
やはり数名はその言葉の奇妙さに気付いたのか仲間同士顔を見合わせたり、上半身を伸ばし、清河の表情を伺い、もっと話を良く聞こうとする者もいた。
近藤先生をみると、すっかり気づいた様で、あの普段からいかつい顔が阿吽の仁王の吽の様になってしまった。清河はお構い無しに続ける。
「今、この動乱の世にあって、我々のまこと成さんとすべきは尊皇攘夷である!朝廷の御為、大義をもってして、天皇を御護りする事だ!」
清河と共に前に座す山岡鉄太郎氏が
「な…!」
と強く呟いて片膝を上げ、驚愕の面で清河を見た。顔の色は完全に失われている。それも当たり前。山岡氏は幕府旗本の出で、比較的和平を重んじる体質だ。
今回の仕事は無理矢理にまかされた様なものだし、面倒ごとは人一倍御免蒙りたかったろうから。
そんな山岡氏の心中など全く意に介さないと言った調子で清河は大演説を続けている。
「確かに我等は将軍護衛の為に傳通院に集った。が、徳川から録を与えられたワケではない。そう……それは表向きの理由だったのだ。ならばしかるべき時に供え、天朝直属の尊皇攘夷軍として先駆けとなろうではないか!」
ここでようやく院内がどよめいた。
歓喜の声ではない。
皆、心底驚いての声だった。
清河の言い分は自分達の目的と丸で逆だったのだから。
だが清河はこうなる事はお見通しだったようで、
「兎も角、今夜はコレにて解散といたそう。後日改めて今後の活動を決めたいと思う」
と、あっけらかんと言い放った。
それに続いて、山岡氏が狼狽の色を隠せない調子で叫ぶ。
「各々方! また詳細は当方より報告致す故、本日はこれにて散会ッ!」
そうして素早く立ち上がった山岡氏が悠々と腰を上げる清河の腕を掴む様にして凄い速さでその場を去っていった。
その場に残された者達はポカンと口を開けたままだったり、ざわめき怒りのぶつけようがなかったりと散々な様子であった。ワケの解らぬ会合の終わった新徳寺の境内を出て行列が散ってまばらになってきた。
芹沢氏の一派は居ない。
どうやらそのまま町へ繰り出した様だ。清河の真意を知ってか知らずか、……どの道豪気な彼等には清河が道化に映っていたのかもしれない。
八木邸へ向かう道々、腕組みしたまま沈痛な面持ちの近藤先生はとうとう絞り出す様な声で
「トシ」
と土方氏の名を呼ぶ。
「なんだい?近藤さん」
「今の話……どう思う」
土方氏はキッパリと言い放った。
「事実だ」
「やはりそうか」
先生から深い溜息が漏れた。
周囲でもずっとそんな言葉が囁かれている。
「一体何が……?」
「なぁ、どういう事なんだ?」
「ワケが解らん」
するとその中の一人が突然立ち止まり、フッと鼻で笑って、冷たく吐き出す様に言った。
「よーするに清河に一杯喰わされたって事よ」
その場にいた皆の動きが止まった。一様にその一言の主を見る。そこにいたのは全くみた事のナイ男だった。眼光が鋭い。大分喧嘩慣れしていそうな面持ち。色白で頭に手拭を巻いている。着物の裾をからげており、パッと見た所、とび職と見紛う風情なのだが、彼の醸し出す雰囲気がそれを打ち消していた。
男はその場に居合わせた数名の浪人の動揺を全く動じず言葉を続けた。
「解らねぇか? そんなら教えてやろう。早ぇ話があの野郎は勤皇方に転んだって事だ」
「そんなバカな!」
「馬鹿もクソもあるか。あれ聴いてりゃわからねぇハズねぇだろうが」
男は鼻に皺を寄せると更に吐き出す。
「新徳寺でその話をしてたのをてめぇらのお耳は全く聞きとれちゃなかったのかい?それとも野郎の講釈が小難しくておめぇらこおつむにゃサッパリ理解できなかったのか?」
「なんだとぉ!?」
私達一行以外の周りが気色ばむ。中には柄に手を掛けるものも居た。
が、男は平然とそれを一瞥すると、続ける。
「丸腰の俺に手ェかけよってか?ったく。武士ってのァどうしてこうすぐ斬ろうとするかねぇ」
男は懐に入れていた両手を出し、その手を上げる。
「まぁそれも構わねぇが、アンタ等俺をブッた斬るより他にする事があるんじゃぁねぇの?……そ、アンタ方がそれよりもこれからせにゃならんこたぁ、今後の身の振り方だ」
「さっきから聞いてりゃ! 一体ナニが起こるってんだ!! 言って見やぁがれ!」
「ちぇ、本当に説明しねぇとわからねぇのかよコイツら。あのな、だから清河の野郎はアンタ達を全て勤皇方に突っ込む算段なんだよぅ。そうなりゃアンタ達ゃ将軍を警護するなんざ出来なくなっちまうってこった」
怒りを露にした一行の顔色が変わった。その中の頭を取っている男が唸る様に尋ねる。
「事実か?」
「あの話しで大体解るだろ?あと数日でもっとあからさまな答えが出るだろうけどサ」
手拭の男は首を傾げる格好で答えた。
うぅ、と喉を鳴らし、男達は顔を見合わせ
「今日は見逃してやる」
と吐き捨てる様に言い放って去っていく。
後に私達と、手拭の男が残った。私達の足元を一陣の冷たい冬の風がひゅるりと走り去る。
「あんな野郎、道中一度でもみかけたか?」
私の背後に立っていた原田氏が小声で発したその問いに、彼の右脇に立っていた藤堂氏が
「いいえ」
と首を振りながら答えた。
「人数は多かったですが…彼を見かけた記憶は…ナイですねぇ…」
「お主……」
近藤先生が細い目を斜に構える。
「何者だ?」
近藤先生の問い掛けに、手拭の男は顔を上げると、丸でそっぽを向く様に自分の左側に目を向けた。
「やぁ、皆」
夜半の薄暗がりの中から見覚えのある影が話しかけてきた。それは昼間も見た影である。
「斉藤さん!?」
私の声に彼は微笑み頷きで答えると、手拭の男の肩に手を置き、土方氏をみてもう一度頷いてから、近藤先生の方へ向き直り、一礼した。
「近藤先生。お久しゅう……長の道中大変お疲れ様でございました」
それに続いて手拭の男も同じ様に頭を下げる。
「有無、お心遣い感謝致す。しかし……斉藤君、一体全体?」
「ハイ」
斉藤氏と男は同時に顔をあげる。
「早速ですが単刀直入に申し上げます。この男が、まず先駆けて先生にご紹介したいこちらでの協力者。……いわば同志の一人です」
手拭いの男は近藤先生に向かって軽く会釈し、斉藤氏の後を続けた。
「山崎蒸、と申します。以後お見知りおきを」
試衛館一同、意外な事の展開と、その男の存在にただ呆然とするばかりだった。
しかし、驚いてはいたのだろうが流石と言おうか、近藤先生は状況に動じないらしい。
「トシ、これからどうする?」
そう土方氏に問いかけると、土方氏は
「皆、詳しい話は八木邸でするとしようか」
そう言い放ち先頭を切って歩き始めた。
※…四つ時は現在の時刻でAM10:00近く。