縹渺の出発
縹渺の出発
二月七日。夕刻。
この日、出立の為に上京する門人達が近藤周助先生の家……すなわち試衛館の方へ集合していた。
近藤先生も本宅から泊まっていたのもあってか、明日の旅立ちに向けて、道場内の雰囲気は
人数の数は減ったにも関わらずいつもより別の熱っぽさを帯びていた。
……が、当の私はと言うと旅支度を終えてもまだ、京都へ旅立つ、一旗揚げにいく……という感覚に支配されるにはほど遠い。
それよりも、清河の動向や、昨日目撃した芹沢氏の凄まじさから、今後起こりうる最悪の可能性等の方が数倍気になって居た。
お別れ前の宴会の喧騒を抜け出して渡り廊下から一人、曇り空を見上げながらぼんやり考えていた。
と、そこへ、誰かが「沖田君」と声をかけてくるものがある。
振り向くと、丸みを帯びた大きな影。
その影からキリッとした大きな目がこちらをみつめているのが解った。
「原田さん」
私は腕組みをほどいて会釈した。
原田氏は左手を挙げてそれに答えた。
「考え事だね」
「わかりますか?」
「わかるさ」
原田氏は肩をすくめる。
「君は考え事してるてぇと、いつもココにいるもの。……癖だねぇ」
原田氏は笑顔で言った。が、どうも目の奥が笑っていない。
「まぁ明日で江戸とはオサラバだもんな。旅路の前じゃあ感慨深くなっても仕方ねぇよな」
「まぁ、そんなトコですかね。……そういう原田さんこそ、何故ここに?」
本音は少し違ったが否定はせず、私は柱に寄りかかりながら逆に原田氏に尋ねる。
「出立前とはいえ、皆さん今も道場で豪勢に飲んでらっしゃる。なのに一等お酒の好きな原田さんから酒の匂いが殆どしてやせんぜ?……厠ってワケでもなさそうだし、俺にはそっちのが妙な話だけどなぁ」
「敵わねぇな、沖田君の千里眼。なんでも見透かされっちまわぁ」
「大袈裟だなぁ」
私は苦笑した。釣られて原田氏も笑い出す。
どうやら今度は本当に笑っているようだった。少しホッとした。
と、原田氏はフと笑いを止め、急に
「だるまさんの絵」
と真面目な顔で言った。
「御指南役のハナシ…、蹴っちまったそうじゃないか」
「あれ」
私はまた苦笑した。
「知ってらっしたんですか?」
御指南役の話し、と言うのは上京する少し前……もう名前も忘れたが、その藩で指南役を仰せつかっている某氏が、かなりの高齢に達したので後釜を探していた。が、これがなかなかみつからない。で、周り巡って試衛館にもその話が舞い込んできたのだ。そこで長年仕えられそうな年若い私にどうかと、白羽の矢が立ったのだが、私はハナから行く気がなかったので辞退した次第だった。
「うん、小耳に挟んだ程度だがね。断るのにさ、だるまの絵を描いて渡したって?まったくお前さん変わってるよなぁ」
私は彼の横顔をみつめたまま答える。
「井上のおじさんは〝職が安定してる方がいいだろうに勿体ねぇ、お前はどうも変わってていけねぇ″とぼやいてましたよ」
「井上さんにしてみりゃあそうだろうけどなそれにお前さんならこの道場を継いでも良かったんじゃねえか?経営だののやりくりだってお前さん得意なんだしよう」
原田氏は腕を胸の前で組んで空を見上げた。私は頭の後ろで手を組んで彼と同じように空を見上げる。
「原田さんと前に話したことあったじゃない?ま、このご時勢じゃ、どんな職に就こうが一寸先は闇だ、って。何事も順風満帆なんて有り得ないと考えてた方が妥当でしょ?」
「うん。基盤…柱がぐらぐらしてるみてぇな感じがするもんな。……俺には解る。君はどうだぃ?」
私はその問いかけに無言で微笑んでみた。
原田氏は真面目な顔をし
「やっぱり同じかァ」
と言った。
「正直言ってな、俺はお前さんが指南役の話しに首を縦に振らなかったのを、感謝してんだ」
私の方を向き、更に真剣な目をした。
「俺はお前さんの腕を信じてる。……これからも宜しくな……」
原田氏は、その後無言で右手を差し出してきた。
「ええ、こちらこそ……!」
とだけ答えると、その手を握る。
グッと強く握られた彼の手は分厚くて、強い熱気を帯びていた。
道場の方から、誰かが原田氏を呼ぶ声が響いてくる。
原田氏はもう一度私の手をグッ強く握ると、それからゆっくり手をほどいて右手を胸の辺りまで挙げて握り拳を作り、最上の微笑みを残して私に背を向け、声をかけた誰かへ
「応!」
と威勢の良い返事をしながら道場へ戻っていった。
その時、私ははじめて、明日の旅立ちに対して、歓喜にも似た胸騒ぎを覚えたのだった。
+++
明けて二月八日。
……この日は生憎、早朝から雨が降っていた。
傳通院を浪士組が出立する事になったのは朝の五ツ半。
だが近藤先生だけは、取り締まり下役の池田徳太郎氏の助手として各宿泊地での宿割りを任された為に私達よりも数刻早く出立した。
近藤先生を見送った後、各班に分れる寸前
「中仙道を通って京都へ向かうんだってよォ」
といつの間にか傍らにいた井上のおじさんから聴かされた。
おじさんは
「いいか、そうじ、真面目にしてるんだからな、真面目に!!」
と私に酸っぱい顔で言う。何の事はない、身内として減らず口の私に念を押しに来たってワケである。
私は頭の後ろで手を組みながら
「どぅもおじさんは心配性でいけねぇなぁ。口うるさいのは歳のせいですかねぇ」
と呟くとおじさんは振り向き様に
「お前は声が大きいんだよッ!全部聞こえてるぞ!」
と目くじらをたて、肩をいからせながら自分の持ち場へ戻っていった。
そのやりとりをみていた周囲は必死に笑いをこらえている様であったが、私はそんな事はお構いなしに、
「一日目は何処へ宿泊でしたっけ?」
と山南氏に尋ねた。山南氏は笑いをかみ殺しつつ、ヒトツ咳払いをすると
「大宮だと聴いたよ」
と答えた。
「美味いモノ、あるかなぁ」
原田氏が呟くと
「あるといいですよねぇ」
と、藤堂氏が答え、
「早く飲みたいやね」
と永倉氏が続けた。
試衛館の一同はこんな風に割と和やかな雰囲気だったが、土方氏だけはニヤニヤ笑っているだけで、殆ど口を開かなかい。
私は彼の様子を伺っていると、そのウチ私の視線に気付いたのか、フと目があった。
土方氏の口端に笑みが消えた。ゆっくりと瞼を一度閉じ、開く。
……そして微かに頷いた。
その時、私達の静寂を破るかの様に、少し高のハリのある声が号令をかける。
「六番隊……出立!!!」
芹沢氏の声だった。
それと同時に一斉に地面を踏みしめ、一歩を踏み出す音が周囲を包む。
「さぁ、行こうか」
山南氏の言葉に皆が頷いた。
私は立ち止まったまま、もう一度雨の降る曇り空と、周囲の木立を見回した。
その時……土方氏が私の肩を掠めるほど近くを通り過ぎながら小さく言う。
「はじまるぞ……」
私はハッとして彼の背中を凝視した。
彼は見かけによらず割と足が速いあっという間に皆に追いついた。私はぼんやりとその場に立ちつくす。
…と、
「沖田君?」
山南氏がいぶかりながら少し先で私を呼んだ。
「あっ…ハイ!!!」
私は慌てて彼等の後を駆け足で追った。




