鉄色の始動002
鉄色の始動002
……どうも周囲の浪人たちとは何かが違う。
男達は5人いた。
その中でも一際目立つ男に土方氏の視線は注がれている。
土方氏よりも近藤先生よりも身長が高く、恰幅が良い。何よりも、眼光鋭かった。
もう一つ気付いた事がある。
帯に“鉄扇”をはさんでいるのだ。珍しいと想った。
他の四人も大分派手な雰囲気だったが、土方氏の凝視する男は更に異彩を放っていると言っていい。
いでたちの問題ではない。
何かが違うのだ。
土方氏は、明らかに不機嫌の顔をしている。不機嫌になると、目が据わって必要以上に無表情になる人だった。
「土方さん……?」
声をかけたが微動だにしない。
「土方さん!」
先刻よりも声をひそめ、強く言った。
そこでようやく驚いたような目をして私を見た。
「なんだ、そうじ、大きな声だして」
「ありゃぁ誰ですか?」
目線をそちらに流し、また土方氏をみる。
すると、彼も私のやったように私と男をチラと見比べて、答えた。
「しらん」
「うぇっ」
「何が“うえっ”だ。行儀が悪いぞ。そうじ」
「だって、土方さん、あんなにシッカリみといて、知らないなんて言うから拍子抜けしちまったんですよ。お知り合いだとばっかり思ってやした」
「でも、お前だって解るだろ?」
「何がです?」
「少なくともあの男の腕はなまじっかじゃあなさそうだってさ」
そういってまた男を凝視する。
と、その男の仲間の一人で、ずっと鉄扇の男の傍らに寄り添っていた一番痩せた男が私達の視線に気付いたのか、鉄扇の男に耳打ちをはじめた。
鉄扇の男は目だけ動かしてチラと私達の方を見たが、無関心と言った表情で、すぐに視線を正面に戻した。
やがて、ものの数分もたたない内に一度だけ小さく体をゆすって、くるりと背中を向けると、群集の間をすたすたとすりぬけて去っていった。その後を四人が追う。痩せぎすの男が小さく叫んだ。
「せりざわさん!待ってくださいよォ」
「せりざわ……」
土方氏はそう唸る様に言うと鉄扇の男が消えた群集の波をじっと凝視していた。
その時、近藤先生がその呟きを打ち消すかのように一言いった。
「よぉし、明日再度出直しと行こうか!今日は帰るぞ!!」
……なんでしょ~ね、二人のこの差って。
+++
二月五日。
なんだか落ち着かず早々と目が覚めてしまった。
いつもの通り炊事をはじめたが、既に試衛館の食客の数は半数以下になっていたので、かなり用意は楽が出来た。もっとも、相も変わらず台所へ入り浸っている原田さんには
「いなくなった奴らの分まで俺が食うから飯を炊くのを減らすなよ」
と言われたが。
その時に、
「旅支度はしなくていいのですか?」
と尋ねると、手をあげてひらひらさせた。
どうやら手ぶら同然だから支度もあってないようなモノ、と言いたかったらしい。
彼らしい話だ。
しかし、そうこうしている間に私の中で昨日起こった出来事への不安(又この不安が良く当たるんだ)が
時間の経つごとに増して行くので、私は多少の心細さから斎藤氏の元を訪れる事にした。
最初は原田さんに相談しようと思ったのだけれど、原田さんも余り落ち着かない様子だったので、彼には別の機会に話す事にした。
斎藤さんは、この日…二月五日の昼頃に出立する予定だった。既に道場内の彼の陣地に荷物は無かった。
やはり傳通院へ行くのは夜半だったから、まだ間があるけれど……彼が先に旅立つ前にあって話しておきたかったのだ。
――……予定が早まってなきゃイイケド
その時、道場の外に微かな人の気配を感じて、戸をあけて渡り廊下へ出た。
いた。
斎藤氏だ。
梅が咲く庭でもろ肌を脱ぎ、素振りをしていた。出かける間際まで鍛錬とは実にこの人らしい。吐く息が季節はずれの小さな入道雲をふわりと形作っては消えていく。私は柱に寄り掛かりその様を暫く押し黙ったまま見つめていた。
と、目の端を私の姿が掠めたのだろう。斎藤氏は目を細め、微笑むと素振りの手を止めずに言った。
「おはようさん。ちと一雨来そうだが、旅立つにはまずまずの天気やね」
「おはようございます。それより斎藤さん、朝飯は食ったんですか?旅の前だ、何か腹の中に入れて置いたがいいんじゃねぇんですかね?」
「おう、いつもありがとう。食っていくよ」
「原田さんに食われないウチがいいですぜ。」
斎藤氏はそれを聞くとハハハと笑った。
その様子をみながら私は小さく溜め息をつくと縁側に腰掛けた。
溜息が聞こえたのか、斎藤氏が問うてきた。
「ん?何かあったか?」
「まぁそんなトコです。…なんだか一悶着ありそうな気がしちまいましてね」
「なんで?」
訛りまじりで言葉じりがひっくり返った様に上がる、斎藤氏の口癖だ。
私はそれに親しみを感じていた。それもあって少し気がなごんだ。
「さわりは聴いてるけどね。一人五両とはなあ。長旅に逗留を考えたらどこにも足らんよ。さても幕府の財政の苦しさが伺える話だな。将軍を御守りするのにケチっちまっちゃぁハナシにならん。ま、今日はとりあえず、行く仲間の名前を書いて支度金貰って、役割分担を丁重に承ってくればえぇんやろ?俺かて、出来るで。ナニをそんなに不安がっとるん」
「ま、そうなんですが、」
どうやら「せりざわ某」の事については土方氏から聞いていないようだった。
「実は気になってるのはそれじゃ無いんですよ」
「?」
斎藤氏の素振りの手がピタリ、と止まった。
「斎藤さんは“せりざわ”、と言う男の名前を聞いた事がありますか?」
いや、と彼は首を振り……いや、まてよ、と右手を顎に持っていった。
「せりざわ……面識は無いが、噂のアレじゃぁあるまいな?せりざわなんという?」
さぁ、と私は肩をすくめた。
「その場に居合わせた浪人連中も誰も知らないようでした。私も連れの痩せぎすの男が、“せりざわさん”と叫んだのを聞いただけなんです」
額の汗を手ぬぐいで拭いながら彼は私の方を向く。
「他に特徴は?」
フ、と昨日の事が頭をよぎる。
「恰幅が良くて、体が大きかったですね。あ、背も高かったです。近藤先生や土方さんよりおおきかったですよ。仕立てのいい、割と派手な着物着てたなぁ。で、腕をこう着物の中で組んでました。それから目が細くて…吊り上ってるせいかな、目つきが悪かったなあ。あぁ、眼光が鋭いって言った方が聞こえがいいかな。それと……」
「それと?」
「珍しいもの持ってましたよ。……鉄扇です。」
その時斎藤氏がうわぁ……と顔をくしゃくしゃにし、
「天狗だ」と呟いた。
「天狗?天狗みたいに顔も赤くなかったですよ、却って白かった位でさぁ。鼻もそんなに高くありゃあせんでしたぜ?俺よりは高かったけど」
「そうじくん。解っててボケかましとるやろ。違うわ、水戸天狗党て聞いた事ないか?」
「ええ、でも名前位で詳しいこたぁ知りませんよ?」
「恐らくその男は元水戸天狗党の首領、芹沢鴨だ」
「…どんな男なんです?」
「そうやなぁ…。俺も詳しい事はわからんが、何せその天狗党は勤皇思想を掲げた水戸藩の下士の連中が集まってなにやら活動していたようだ。芹沢はその主格で実に3百余名を束ねていたらしい。確か芹沢の流派は神道無念流で、免許皆伝と何処かで聞いた事がある。道場主もしていたとか」
げぇ、と思わず目を丸くした。
道理でそんじょそこらの食い詰め浪人とは風格が違うと想った。
「しかし、なんでそんなちょぃとした元勤皇方の大物が……」
ここまで自分で言ってハッとした。
「…まさか…」
「うん」
斎藤氏が頷く。
「清河の事と何や関わりがあるやも知れへんな」
「そうか…だから土方さんも気になってたんですかね……」
私は腕組みしながらそう言う、と、斎藤氏が突然素っ頓狂な声を上げた。
「なんだってぇ?」
「えッ…だから最初に土方さんが、その芹沢の鴨だか天狗だか氏をとても気にしてたんですよ。で、たまたま俺がそれを目撃して……気付いたってワケです」
「うわッ…」
斎藤氏がまた呻いて、手で目を覆い、下を向いて首を振った。
「そらぁ、土方君は単に勘で喧嘩強そうな相手見抜いとるだけで、それが何者か言う判別は多分に付いてへんぞォ。アカンナァ…」
「う゛ッ…」
今度は私が呻いた。
言われてみれば確かに「あの男使える」としか言っていない。
「い……幾らあの人でも、まさかそんな場所で、そんな手錬と喧嘩おっぱじめる様なアホな真似はしないだろうが」
斎藤氏はうぅむと一度唸ると、ヨシ、と顔を上げた。
「解った。今夜、旅の前に少し寄り道して傳通院の様子をコッソリ見に行くよ。ただし、俺が寄る事は誰にも言わなくていい。むしろ言わないでくれ」
「解りました……」
と、その時、斎藤氏が大きなくしゃみをした。…二月(*)の朝方に諸肌脱いで外にいるのは、まだかなりキツイものがある。(*…この当時の二月は新暦では三月に当たる。)
「旅の前に風邪はマズイですよ……斎藤さん」
「あ、あぁ…そうだな…」
彼はもそもそと着物に袖を通し、少し震えながら答えた。
+++
二月五日夕刻。
改めて、署名と諸事説明をうける為に傳伝院へ向かった。
この日は近藤先生と土方氏と私以外に、昨日の状況を聞いた永倉氏、原田氏、藤堂氏の三人が同道する事になった。署名を終え、支度金は帰宅前に配布される事を言われてから院内へ入る。
会場になる院内処静院へ通されて、すぐに周囲を見回すと人数はまだ多いが昨日よりは大分減っていた。
開いている場所へ入っていって、その場に座す。
「何人になってるんでしょうね?」
と私が誰にと言うワケではなく尋ねると
「さっき受付で何気なく、どれ位集まりましたか?と訊いたら、ええ、二百四十弱と言ってましたよ。三百以上から考えると大分減ったみたいだけど、それでも多いですよねぇ」
と藤堂氏が答えてきた。
「二百四十人かぁ、そんだけいちゃあ支度金はやっぱり一人五両てぇトコで落ち着きそうだぃなぁ。あ~あ、しまらねぇ!」
永倉氏は肩をすくめ小声で吐き捨てる様に言って首を振った。
それを横目でみなが近藤先生が
「まぁいいじゃないか我々のそもそもの目的は上様をお守りする事だ。お護りさせてもらえるだけでもありがたいんだ。金は二の次。大体な、貰えないよりマシなんだぞ」
と笑いながらなだめる。
確かにそれもそうだ。
このご時勢で五両と言えば独り身なら上手くやりくりさえすれば半年年くらいならどうにかこうにか過ごせる金額だ。ましてや貧乏してる連中からしてみれば五両貰えるなんて降ってわいた幸運である。
私は、そんな事を頭で考えながらも、目は別の人物を探していた。
例の“芹沢 鴨”氏だ。
しかし、“かも”の文字が本当にあの“鴨”だった事には驚いた。斎藤氏も名前の由来は知らん、と言っていた。
皆の四方山話に適当に相槌を打ちながらキョロキョロしていたら、フ、と土方氏の横顔が目に映った。
――案の上、土方さんも探してらぁ
なんとなし、くすりとに小さな笑いが一つ漏れる。
それに気付いたのか、土方氏が目だけを動かして無言のまま私をみた。
私はとぼけてそっぽをむく……と、たまたまお目当ての芹沢氏の一団が本堂へ入ってくる所が目に飛び込んできた。土方氏もどうやらそれに気付いたようである。
一気にその場の空気が一団の登場によってガラリと得体の知れないモノに変わった。
「ちょいと道をあけてくんなんしょ」
そういってあの痩せぎすの男が手刀で空を切りながら芹沢氏の為に道を作っていく。彼等は人を威圧しながら、一番前を陣取ると、ドッカリ腰を下ろした。その腰を下ろす音と騒々しい声にあやうく掻き消されそうな小声で、土方氏が言う。
「気にいらねぇな……」
私は振り返って土方氏をみる。土方氏は相変わらず仏頂面のまま、彼等の背中をみつめていた。
説明はそれから半時を過ぎてから始まった。まずは道中の班と班長決め、役割分担等の取り決めを行う事になった。……と、言ってもどうやら人事の八割以上は決定済みのようだった。
近藤先生は池田徳太郎氏を上役として、佐々木如水氏等と先番の宿割り係を任命された。宿割りとはすなわち道中行く先々で、この約二百五十人の宿を取り決め、各自に申し渡さなければならない役目だ。
……まぁ悪く言えば下っ端の仕事である。中には役目を与えられない者も数多くいるから役職を与えられることは道場主だったのを認められた訳だしそれよりはマシと言えなくも無い。
各分担が決まると、今度は班分けだ。一番隊から班長と共に順に発表されていく。
「それでは三番隊組頭、“新見 錦” 殿!」
「はいよ」
呼ばれて立ち上がったのは、例の痩せぎすで色白のあの男だった。
「錦たぁ……まー派手な名前だねぇ。故郷に飾るってかぃ」
と永倉氏。
その三番隊に、試衛館から井上源三郎 沖田林太郎が配置された。
「それでは六番隊組頭に芹沢 鴨殿!」
「おぉ……」
芹沢氏は立ち上がった。やはり大きい。
と、その時私の背後で大きなくしゃみをした者がいる。
原田氏だった。
驚いて原田氏をみると、彼は何事もなかったと言う涼しい顔で口元をもごもごさせている。
「誰だ!?不謹慎な奴!!」
と芹沢氏の身内らしき一人が怒鳴った。
今にも噛み付いてきそうな剣幕である。が、それを芹沢氏が止めた。
「いい、くしゃみ位捨て置け。くだらん事で怒るな。武士の名折れぞ」
私はもう一度原田氏の方を向いた。が、原田氏はニヤッと笑っただけであった。
その芹沢氏の班の者が言い渡された。
しかし、そこで予想外の事が起こる。
土方歳三 山南敬助 永倉新八 原田左之助 そして私、沖田総司。
なんと試衛館から五人も班に配置されたのだ。
それだけではない。
芹沢氏と行動を共にする、“平間重助” “平山五郎” “野口健司”の三人も同じ班であった。
「まさか連中と一緒とはな…よくよく縁があるらしいぜ」
土方氏が据わった目をしてそう言った。
+++
会合が終わり帰路に着く事になったが、近藤先生以下数名は皆、飲みに出かけると言う。
「そうじも来い!」
と言われたが辞退した。
彼等は深川に繰り出して、女を買うつもりなのだろう。付き合っても良かったのだが、なんとなくその気になれなかったし深川と試衛館は傳通院を挟んで考えると丸で逆方向だ。旅仕度もまだ不十分だったし、色々な意味でそんな余裕はなかった。
結局そのまま傳通院の門前で別れた。
皆の背中を見送ってから、私は一人夜道をブラブラ歩きながら思案に暮れる。
仕組まれているんじゃないかしら、と想える程の調子であの芹沢達の班に入っちまった。
土方氏は、どうあっても連中が鼻に付くらしい。
そう言う感情を、ああいった手錬は敏感に感じ取るモノだ。
芹沢氏は大分知己にも、人脈にも富んでいる様だった。他の連中が興奮した時も冷静にしていられるあの余裕。
ああやって堂々としていられるのは弁論の上でも斬りあいの上でも様々の修羅場を大いに踏んでいると考えていい。だがああ言った類の人間の周囲には、常に騒動がつき物だ。
道中、衝突がナイとは言い難い。
もし、旅中や京で清河と芹沢が結託して私達と合間見える事になったらどうなるのだろう……。
人を斬った事のない私などは勝ち目など、到底ナイに等しいに違いないのではないか……。
そんな思惑に捕らわれながら傳通院の先の曲がり角まで辿りついた時だった。
ふぃに二の腕を掴まれて暗がりに引き込まれた。殺気を全く感じなかった上に、何より気配が殆どなかった。
油断した。
私の心の臓がイキオイよく跳ね上がり一気に血が熱くなる
「誰だ!?」
叫んで脇差に手が伸びた瞬間にその影は
「待て・待て!」
腕を伸ばし両の掌を前にして、静止姿勢で声をかけてきた。
「俺だ、斎藤、だよ!」
影は顔の見える辺りまで近づく。間違いなく見知った顔だった。その途端に熱くなり膨張して爆発寸前だった体中の血が一気に収縮した。道理で殺気等あるはずが無い。
「あぁッ斎藤さん、脅かさないで下さいよッ……もぅっ勘弁して……」
肩を落としたのと同時にほっとして溜息が出た。
「スマンスマン、やっぱり立つ前にどうしても君に伝えておきたくてな。一度行きかけたんだが、戻ってきちまった。ん?君一人かい?」
周囲を見回して誰もいないのを確認すると、彼はウン、と一人納得した様に頷き
「そのようだ、良かった良かったウン」
と軽い調子で首を二~三度縦に振る。
そうか……。
彼は私との約束を守って傳通院まで来てくれたのだ。
いたたまれず
「すみません」
と頭の後ろを掻いた。
「イヤイヤ…謝るには及ばないよ。むしろ今の反応の方が武士として当り前なんだからねぇ。それより…みたよ、アレ。いや、参ったねぇ……どうも」
斎藤氏は額に手を当て溜息を付いた。
「まかり間違いなく腕が立つようだよな“芹沢某”は」
「えぇ……本当に。で、どうなんでしょう?芹沢はやはり清河の息がかかっていると見て良いのでしょうか?」
「そこなんだが」
斎藤氏は私と目を合わせる。
「時間もなかったし、何処まで本当か確証が掴みきれなんだが清河はどうも、直々に芹沢を浪士隊に入隊を勧めに出向いたと言うんだ。挙句ここの傳通院の住職…琳端と言うんだが、かなりの尊皇思想の大家らしい。清河とはそれが元で今日のあの静院を貸し出す話になったんだろう」
「それじゃぁ」
私は一瞬足を止めた。
「やっぱり結託してると考えてた方が無難ですか」
「そうだな」
斎藤氏はうなずく。
「一緒に行けないのが少々不安だよ」
「……ええ」
二人共声が低くなる。
誰かに聞かれるのを恐れてか……それとも単純に不安だったのか。
その時だった。
闇の向こう側で何やら言い争う気配が漂って来た。私と斉藤氏はハッとして互いに顔を見合わせ、目配せだけするとその気配の方に向かって走り出した。
傳通院から少し行った先に水戸藩邸と松平豊後守の屋敷があり、その周辺は小石川仲町と呼ばれ、町家が建ち並んでいる。
その辺りで異変は起こっていた。
……芹沢の一味と3名の浪人が言い争いをしていたのだ。
闇にまぎれて大分近くまで行ったが斎藤氏に
「こっちへ!」
と合図をされ、家屋と家屋の隙間の更に深い闇へ身を隠した。
「調度イイ、と言うのもオカシイが、お手並み拝見と行こうじゃないか」
斎藤氏の早口に私は小さく頷き、そっと通りへ目を遣った。
顔は見えないし、話の内容もボソボソと喋っているので、イマイチ解らないが、その浪人達が既に抜刀しているのは確かだった。何れも手錬の様だ。が、次の瞬間なにやら嫌な感じのする鈍い音が闇夜に響き渡り、
「ごッ!」
と何かを吐き出す様な呻き声を立てて、浪人のウチの一人が地面に倒れ伏した。
私はそれをみて危うく声が出そうに成るのを堪えた。芹沢は抜刀していない。芹沢一派のモノもだ。芹沢の一派は皆、芹沢の背後に控えている。位置的に言っても当然その浪人の正面にいる芹沢が手を下した事になるのだが、何で倒したのか私にはさっぱりワケが解らなかった。
そこで斉藤氏が唸る様に呟いた。
「まさか…鉄扇か…ッ!?」
私もそれでハッとした。“鉄扇”…!!
「芹沢さぁん、もうその辺でカンベンしてヤッチャぁどうですかねぇ」
あの痩せぎすの男…新見が言う。その言葉を聞いた途端、倒れた浪人の仲間の残りの二人が素早く後退りをし、そのまま方向転換すると、モノも言わずに暗闇の深みへ走り出した。
それを追おうとした芹沢一派の内二人を、かの芹沢が
「捨て置けい」
と静止した。
「どうせ、奴等もぅワシ等の前には現れまいよ」
「だ、そうだ。なら、もぅ行こうや!江戸とも今日明日でお別れだし、早く女の所へ行ってゆっくり飲みたい気分だよ!」
新見はそぅ言って、笑いながらフワフワとした足取りで皆の先頭を歩き始めた。
刀の鯉口を切っていた二人も、刀を鞘に納め、その後を追う。
その時だ。
芹沢が、フッと私達の方を振り向いたのである。
表情は全く読めない。
が、その大柄な影は、異様なまでの威圧感を放っている。
私は身動きが取れなかった。
斎藤氏は冷静な面持ちを変化させる事はなかった。
が、カチリ……とゆっくり刀の鯉口を切る音がした。
自らも自然と柄に手が伸びた。
――芹沢……俺達に気付いているのだろうか……?
私のそんな考えを裂く様に、新見が叫んだ。
「芹沢さぁん、早く行きやしょうぜぇ!」
「あぁ……」
芹沢はそれに喉の奥で何かを転がす様な声で返答し、踵を返すと、闇の奥へ消えて行った。
暫くして斎藤氏がホゥッと溜息をつき、…チン、とかすかな音を立てて刀を鞘へ納めた。
私もホッと一息つく。
「もう少し先へ行くと、同心町があるってのに、ある意味いい度胸だよ、奴等」
と斎藤氏は吐き棄てる様に言いながら、彼等の気配が完全に消えたのを確かめ、街道に出て倒れている浪人の傍らへ寄り、身を屈める。私もその後を追い、浪人を見下ろした。……すると斎藤氏が私を見上げ、苦い表情で一言だけ呟く。
「……こときれてる…」
浪人は鉄扇で頭を割られ、既に絶命していた……。
芹沢氏の持つ鉄扇の重さは約2kgあったそうで、言うたら2ℓのペットボトルを片手で振り回せていたと思っていただければ宜しいかと。
日本刀の平均的な重さが約1kgとされているのを考えると空恐ろしいっすね…膂力がハンパナイ…