翡翠先駆002
翡翠先駆002
道すがら無言であった。
何故彼が私を誘うのか、ソレを尋ねる隙が全くなかったし解らなかったのである。
ので、どう声をかけたものか思案にくれていると、斎藤氏は一部屋の前で立ち止まり、
ふすまの取手に指を引っかけながら、コチラを振り向き様、突然口を開いた。
「沖田君。あのね、兎に角信用してるから」
今度はどう答えてイイのか思案する間もなく、この部屋に誰がいるのかを急に想い出して ハッとさせられた。
――ああ、此処は土方氏の部屋だ……。
じゃあ私を呼んだのは土方氏か。
なら別に緊張する必要はない。
知り合ってから大分経っていたが、この頃にはようやく土方氏と私は多少の交流をもちはじめていたのである。
経緯を少し話しておく。
近藤先生は二年前の安政7年には妻帯者になっていて娘が一人生まれたばかりだった。
先生の娘はお瓊と名づけられ、先生はそれはそれはもう目の中に入れても痛くないといった可愛がり様だった。
子煩悩となった上に、道場経営で何かと忙しくなった先生の代わりに私が多摩の道場の方へ稽古を付けに行く事が多くなったと言った次第である。
初めの頃こそ指南先の道場を持つ小島家に逗留と言う形がもっぱらだったが、土方氏の姉『 おのぶ 』殿の嫁ぎ先の『佐藤 彦五郎』氏の宅へご厄介になる事も徐々に多くなっていった。
で、佐藤氏の屋敷へ泊りに行くと、結構な割合で、彼……土方氏がいるのだ。
彼はこの頃まだ薬屋が本業だった。
土方家に代々伝わる石田散薬と言う薬の行商をして歩いていたので、品物がなくなると取りに日野村まで帰還していたのである。
しかし薬剤等が置いてあるのは彼の生家……すなわち実家だがソコへは薬を取りに帰るくらいで何故か逗留せず、佐藤家にやって来る。だから必然的に顔を合わせる事になる。
向こうも当然江戸道場で私の事を見知っているし、道場のきりもりだの、近藤先生の小間使いみたいなコトをしているだのと言う認識があったらしく意外にも愛想良く会釈してくれた。
しかし、相変わらず試衛館にも小島道場にも佐藤道場にも稽古にやってこないのだ。
手合せをしたい私としては当然悔しいので、道場へやってこず、日の当たる縁側で寝転がる彼を捕まえて質問攻めにしてみたことがある。
「土方さん」
彼は腕枕のまま顔をこちらへ向けて
「ああ」と喉の奥で言った。
「いらっしゃったんですね。どうして道場へきて稽古に参加してくれねえんです?」
「お前が来て稽古つけてくれてんのに俺が出てったら申し訳ねぇだろう?」
「俺は来てほしいんですけど」
「俺は行きたかあねえなあ」
くくっと喉の奥を鳴らして笑う。
「どうしてですよ」
「行ったらお前さん、俺をぶちのめすだろう」
「ええ、遠慮なく」
「だからいかねえ」
ニヤリ、と笑って
「お前さん、鬼の申し子だからな。あの道場でお前さんの気魄みちまって、そんであの怒号だ。俺ァからきしいくじのねえ小心者だからよぉ、それきいただけでぶるっちまうのさ。ああ、おっかねえおっかねえ」
と付け加える。
このままだと埒があかないと思って、私は鼻息を荒くして質問を変えてみた。
「土方さん、常々疑問に思ってたんだけどさ、何故実家の方へ帰らねぇんですか?」
さすがにこの質問をされれば答えに詰まるだろう、と予想したが、それは間違いで彼は聴かれるのが当たり前と言う様にサラリと返答してくる。
「あー、生家の方にはなあ、家を継いだ兄夫婦がいるんでなあー。できりゃあ行きたかねえんだよ。それにな俺はおのぶ姉とは仲が良いんだ」
「居心地のいい場所ってこと?」
「人によっちゃあ姉御の嫁ぎ先にいる方が落ち着かんと言ってくるのもいるよ。邪魔だろうから早く出ろってそういうのに限って騒ぐんだが、お前、そりゃあ浪々の身には厳しかろ?」
彼は体を起こし、んっと手を腕に挙げて伸びをすると話を続けた。
「それにな、おのぶ姉さんも旦那の彦五郎さんもはそういう細けえ事を気にする様な料簡の狭ぇ類の人間じゃあねえのさ。そんな人のそばのがどれだけいいかって事だわい」
事実、佐藤氏はとても物腰の柔らかな人だったし、おのぶ殿は芯のシッカリした頼りがいのある姉御肌の人で、赤の他人の私ですら長逗留に成る事もままあったのだから、土方氏がそういって身を寄せていたのもわからなくはない。
多摩の佐藤家でちょくちょく会っていたからと言うだけでなく土方氏はこの頃になると、江戸の道場の方へも足繁く稽古に来るようになっていた。まあ私のいない時が多かったけれど。それもその筈で私に聞かれるとまずかった事があったのだ。
その理由がまた彼らしかった。……土方氏は奉公先の松坂屋と言う所で、女中の一人と恋仲になっていたのが明るみに出てしまい、その娘が妊娠したと騒ぎに発展してしまったのである。
その色々の問題を解決するにあたって、土方氏は近藤先生に相談に来ていたのだ。ちなみに近藤先生の頼みを受けて、井上のおじさんが奔走し、然るべき所にその女中を縁組させて、問題解決に至った次第だ。
で、そんなこんなの騒動の後、身を入れ替えて修行をしたいと土方氏の方からの申し入れがあったのである。
それまでマトモに剣術指南を受けたことのない筈のない彼がアッという間に目録まで辿り着いたのに道場の連中は皆面食らった。
ところがどっこい。指南を受けた事がない訳でなかったのだ。
彼は試衛館へ来ていた時も、この道場でもそっと一人で稽古に励み、周助先生、勇先生、小島鹿之介氏達にこっそり剣術を教わっていたのである。
それだけではない、薬の行商時に相当道場破り的な行為を繰り返し、危険な賭場へも足を運んだりして実戦を幾度も体験してきたらしい。
それもあって近藤先生の襲名披露の折りには他の兄弟子を出し抜いて、私達と共に紅白試合に出たのには実際の所私も正直に驚いたものだ。
人に努力を見せず、涼しい顔をしている色男の生真面目さを視た気がしたものだった。
……話を戻そう。
「連れてきましたよー」
斎藤氏がそういいながら部屋に躰を滑り込ませる。
「失礼します」
と一礼して私もそれにならった。
中に入ると土方氏が、蝋燭の明かりを前にし……瞼を閉じ、まるで息を殺したかのように身動きもせず腕組みにあぐらと言うカッコウで鎮座していた。
「そうじろう・か」
何度聴いても沈み込んだように柔らかく低く深い声だ。名前を呼ばれてやはりドキリとしてしまう。
「えぇ、何か御用ですか?」
「うん…ちょぃとな。お前を見込んで話がある。」
私は「ハッ?」と小さく聞き返すと同時に、背後で座った音がした。
斎藤氏だ。
少し躰を捩ってその音の方向をみると、彼は大小を畳に寝かせた所であった。
「逃げられへんぞォ」
と彼は播州弁丸出しでニッと微笑む。
「ちょっ……何、なんなんです!?」
私がにわかに慌てふためいたのをみて、土方氏が瞼をフと開き、口端をあげてニヤリと笑った。
「手っ取り早く話をしよう。 一、‘そうじ’に説明してやってくれ」
斎藤氏の方を肩越しに振り向くと、彼はまたニッと笑って瞬きするカッコウで、瞼で頷いた。
――……斎藤さんて顔全体で笑う人なのだなぁ、と私は全くこれに関係のない事を単純に感じていた。
先ほどの緊張感が続かない。悪い癖だ。
斎藤氏は、ヒトツ咳払いをすると、まず私に尋ねた。
「君はァ……今度の浪士隊の上京の話。どう考えてる?」
ちょっと意外な質問であった。といって、別段何かを予測していたワケではなかったが。
「本音を聴かせては貰えないかな?」
斎藤氏は軽く身を乗り出していた。
土方氏の方をチラと横目でみると彼はやはり堅く目を閉じたまま最初の姿勢を保ち続けていた。
目線を斎藤氏の方へ戻すと、普段は穏やかそうなその瞳の奥が鋭い光りに変化していた。だが、立合の時程厳しくはナイ。
なんと言うか……何処か……楽しそうな気配を帯びている。
その目におされた。嘘を付く必要がナイと感じたのだ。
「驚きはしましたが……実際の所興味はありません。ですが……」
「ですが?」
私の言葉の語尾を真似ながら、斎藤氏は更に身を乗り出していた。
「沖田の家督も既に姉婿の林太郎さんが継いでいますからねえ。母も先だって亡くなりましたし、私はここ以外に身を寄せる宛もありません。近藤先生には恩義がありますから……先生が‘来い’と仰れば……よほどの事がなければ恐らく付いて行くでしょうねえ」
成る程、と、彼は頷く。
「…では…浪士隊が何故招集される事に成ったか…ソレに興味は?」
私はハッとして顔をあげた。
「…あります」
「それならば話は早い。コレからちょっとした話を始めるから良く聴いてくれ。今回の上様御上洛と言うのは 老中暗殺等の相次ぐ勤王方の動きの活発化や、めりけんとの条約云々で威信の落ち始めた幕府がハクをつけたいってのが大方の狙いだって言うのは……大体解ってるな」
私は頷いた。
「で……上様を警護するための浪士隊招集な……ありゃぁ……裏の裏があるで」
斎藤氏はそう言うと またヒドク楽しそうに微笑んだ。
「一にその話の裏は、もぅ とらせてあるのよ」
ソコで初めて土方氏は口を開いた。
感情をあまり込めない風情であったが、その言葉には確信が込められていた。
彼は斎藤氏と私の方にゆっくり体を傾ける。その様子をみつめながら、私は尋ねた。
「裏の裏がある、と言うのは……?」
あぁ、と土方氏が喉の奥で唸るように言って顔を私の方へ向けた。
「簡単な話よ。俺等ァ正直、今回の招集にゃぁ……幕府だけの動きが絡んでいるたぁ みちゃいねぇのサ」
意味が解らず私は眉根を寄せた。
「どういう事かというとな、頭に立って指揮をとっとる“清河八郎”…おるやろ?…あの男、相ッ当クセモンらしぃわ。胡散臭すぎるんや。まだ確証はナイんだけどネ、どうやら」
そこで一度言葉をきると、斎籐氏はいかにも気にくわないと言った風に、首を傾けた。
「奴…清河は……本当の所どうやら幕府に組みする気ァ全く無いようなんだなぁ……」
「なんですって!?」
心臓が口から飛び出るかと思った。マサカ……そんな……!
だって…浪士隊上京の立て役者が…
京都警備をうたいあげていた、その張本人が……?
「そんな馬鹿なァ…!」
「馬鹿だろう?」
土方氏が美しい黒い瞳をキュッと鋭く細めた。
「とんでもねぇ喰わせモノさ。……まぁ、やっこさん、こないだ島津公が止めに入ったっていう寺田屋の襲撃事件にも絡んでるとまことしやかに噂されてるのさ。絡んでるどころか実際には襲撃者の一人てえ話だ。大体な、清河の野郎…この江戸じゃぁ、あの野郎いまだにお尋ね者に変わりはねぇし、年老いた母親がいるって話しだから、その事もあって うまく幕府から温情を得る様にへつらいながらもしむけて、大方、京都で勤王派と接触をはかる機会を得ようってハラだろう」
「……ソコまでお解りでしたか」
私が感嘆の溜息と共にそういうと、
「ソコまで調べたのサ」
斎籐氏がくすりと嬉しそうに漏らした。
その時、障子の隙間から細い風がひゅるりと音を立てて蝋燭の炎をふらりと揺らした。 炎は風をはらんで一瞬強く輝いた。
その時土方・斎籐両氏の顔がハッキリ照らしだされた。
二人は笑顔であった。
私はその笑顔の為に妙に体中に心地よい緊張を覚えた。
「じゃぁ…御両人は藤堂氏が、その話しを持ってきて永倉氏が奔走し確証したあの時にゃぁもぅとっくに色んな話を知ってらっしたって事ですよねぇ?」
私の声に土方氏は得意げに左の口端をあげていたずらっぽそうに笑って見せた。
そんな私と土方氏のやりとりをみて斎藤氏も楽しそうにうつむき加減で頷いた。
「なぁんだ…それぁヒデェよ。俺も一緒んなって驚いて……あ、じゃぁ、近藤先生もこの件は早々と知ってるんですか?」
「イヤ、勝っちゃ……あいや、勇さんは知らないよ」
土方氏は笑ったまま答える。
近藤先生の幼名のあだ名の“勝っちゃん”と土方氏がいいかけたのが妙に面白かったが顔には出さない様
必死に目をしぱしぱさせて誤魔化した。
そんな事は気にせず土方氏はフと息を漏らし
「あの人ァ、動かねぇ方がいいだろう…堂々と構えててくれないと・困る。」と言う。
確かに体力勝負にモノを言わせがちで、人が良く、煽てられると弱い先生のコトだ。
この話しを聞いたらウッカリ清河には従わない……などと言い出してテコでも動かなくなるだろう。
「言うからにはそれなりの‘お膳立て’をしてあの人が発言できる場所をたててからでねぇと周りが混乱しちまうよ。何せ意外と感情で動きやすいんだからお前だってよーく知ってるだろう?」
土方氏はフンと鼻を鳴らして素敵な笑みを漏らした。
成る程……伊達に幼馴染みをしてるワケじゃないんだなぁ。先生をちゃんと読んでいるんだ。 流石と言おうか。私は感嘆の溜息を一つ漏らした。
「兎に角、この話は…俺と・一と・左之助と・お前…が知ってるだけでイイ。これだけで十分身動きがとれる。いざって時にやぁ…ま、一つ宜しく頼まぁ。」
そうか…原田氏の握り拳の意味はそういう意味だったか…はぁ、と私は微妙な返事をした。ソレを聞いて、斎籐氏が言う。
「何か疑問でもあるのかな?」
はぁ、もう一度私は怪訝そうに答えると、土方氏が顔を少し反らせ気味にしながら眉根を寄せた。
「なんだぃ? 言ってみな?」
「じゃぁ遠慮無く聞きますがね、どうして俺なんです?」
両氏は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして私の顔をまじまじとみつめた。
「他にも沢山居たでしょ?俺なんかより十分使える方が……」
とココまで言い終わるか終わらないかで斎籐氏が堰を切ったように笑い出した。
「こりゃえぇわ!この坊や、なんで声をかけられたのか、丸で解ってへん!!」
「な、なんなんですか!斎籐さん!! し、失礼ですよッッ」
振り向き様に叫ぶように言うと、土方氏は間髪入れずに真顔でこういった。
「だって・お前、俺の事、好きだろう?」
私の顔はひきつった。
「はぁッ!?」
そう答えるのが精一杯だった。
私はあっけに取られて 正直それ以上 声もだせないでいる
私のそんな引きつったままの顔を見て、斎籐氏がまた腹を抱えて大笑いしていたのを一瞬本気でどうしてくれようかと朧気に思いながら混乱したままの頭で
「失礼します!」
と吐き捨てるように言って、その部屋を逃げるように後にした。
その夜は、妙にイライラというかモヤモヤした気分
いや、本音をいえばワクワクした気持ちが湧き上がって来て眠れなかった。
京都。
清河。
試衛館。
浪士隊。
上京。
斎籐氏。
原田氏。
土方氏。
私のこれから……。
その他諸々の…これから起こるであろう出来事の数々を想い描いていたら……
夜が明けていた。