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時の過ぎ行くまま  作者: 犬神まみや
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常盤柳の呟001

常盤柳の呟001

 そういえば『山南(やまなみ) 敬介(けいすけ)』氏はどちらかと言えば、土方氏とは調度、真反対の性質をもっていた人だと思う。


山南氏は仙台藩の脱藩者で、藤堂氏と同じく北辰一刀流で目録をとっていた。試衛館には私が11歳の頃にはすでに居ついていた人だ。


貧乏道場の食客ではあったが、いつも身なりはきちんとしていて育ちがいいらしく、物腰が柔らかい。

上品で穏やかな雰囲気なので、門下生からも慕われており、剣術だけでなく、文学や絵画にも精通したかなりの博識者で情報通だった。知りたがりの私はこの人に大分世の中の知らないことを色々を教わったのものだ。いわば私の文学の師匠であったといっても過言ではない。


尚かつ近藤先生と年齢が変わらなかったのもあって、先生から絶大な信頼を得ていた人でもある。


……が、その一方で雲や霧の如く掴み所が無い面もあり、気配もなくフ、と道場近辺からその姿を消すことがままあった。ある意味得体の知れない部分ももちあわせていた訳だ。


それは土方氏を調査しはじめて数か月した頃の事。

夏の終わりで秋の入り口だったので、爽やかな風の中にもどこかしら陰鬱な景色をはらんだ日だった。


彼に書を借りに行った折り、どこで聞き及んだものか山南氏がこんな事を尋ねてきたのだ。


「沖田君。……君、土方君の事を調べているんだってねぇ?」


私はあははと笑いながら、ええ、と答える。

山南氏の書棚にくぎ付けで目的の書を探していたので返事は適当だった。


「そうか」

と山南氏は深くため息をつく。

「なぜです?」

と何気なく聞き返した。


すると、キッパリとした口調で


「沖田君、僕は君を本当の弟の様に思っている」

と、予想もしない答えが返ってきた。

書を探すのに没頭して居た事もあって、その声に驚いてパッと顔を上げると、

開け放した障子から巨大な竹薮の深い緑が目に飛び込んできた。


鴉がワーワー声をあげる。

引き越した先の柳町の物件は鴉がやけに多い場所であった。

日が大分西に傾き、最後の強い日差しの為か山南氏の姿が陰陽の色を成してクッキリ浮かんでいる。


山南氏のその日の着物が深緑だったので、なんだか景色に溶け込んでしまいそうだなぁと全く見当違いの事を考えていて、妙な事を言われていたと思い返しハッとして言葉を返した。


「えぇ、私も山南さんを本当の兄の様に想っておりますよ。私の兄が死んでなかったら、調度貴方くらいの年齢だったハズですから」

すると山南氏は物憂げに額に四本指先を当ててハァと溜息をつく。

「いや、私が言いたいのはそうじゃないんだ」

ハッ?と私が眉根をよせると、彼はシッカリ私の目を見据えてこう言った。


「私は……君が……私に兄や友であって欲しいと、そう願ってくれているのであれば…その…幾らでもその役を買って出るよ。でも……彼、土方君は……君が兄として慕うにしても…友人として付き合うにしても…到底相応しい人物だとは思えないのだけどね…」

「それは……」

……益々意味が解らず、私は首を傾げる。

と今度は山南氏の方が急に我に返ったようにハッとした表情を一瞬浮かべた。

が、すぐにいつもの柔和な表情に戻ってそっと肩をすくめ首を横にふってみせると、

「何でもない」と小さく呟いて、くるりと私に背を向け、竹林に視線を投げた。


「ツマラン事を言った」

「……山南さんは」

私は書物に視線を落とし、ボソリと言った。

「土方さんを余りお好きではない、ということ?」


背中を向けたままの山南氏は、肩をすくめた。

「単なる私情さ。いや、なんというか、彼は…君とはまるで正反対の人間だからなと思ったのさ」

「正反対…」

「いや、すまん、清濁併せ呑むというのはそう簡単に出来る業ではないらしいな」

ハハと笑って彼は空を仰ぎ見た。

「晴れて居るなぁ……」


そよ、風が吹いて、さわ、と枝が鳴いた。


「いつまで続くのか……」

もう先程の質問を続けられる空気ではない。私はそう判断して

「多分明日も晴れますよ」

と、サラリと答えた。

彼は振り向いて微笑む。


その顔をみて、先の話の続きをもう少し掘り下げてやろうと、と口に出しかけた途端、門人が入り込んできてその話はソコで中断されてしまった。



……その夜、寝床についてから、山南氏の言った「いつまで続くのか…」は天気の事ではなかったのに気が付いてハッとする。そうして、恐らく土方氏に近づくな、と暗然と訴えていたのだなぁと暗然とした気持ちになった。


山南氏の様に聡明な人が何故そういうのか……その理由はまだこの時には気付けなかったけれど

どんよりとした気持ちが胸に寄せては返していたのもまた事実である。




山南やまなみ 敬介けいすけ


山南敬介が本名であるかどうか不明。敬助とも書く。山南のよみは「やまなみ」・「やまみなみ」・「さんなん」とバラバラ。

天保4年(1832年)生まれ。(1836年説も有)


仙台伊達藩の脱藩者で、北辰一刀流、免許皆伝と伝えられている。

が、新徴組・早川文太郎著「尽忠報国勇士姓名録」には松平陸奥守元家来当時浪人山南敬輔 28歳と記されている。文久3年(西暦1863年)、上洛の折りの資料には31歳と言う話なのでどの年齢や情報が事実なのかも定かでない。


が、江戸の頃、試衛館に出入りしていたのは事実らしく、小野路・小島鹿之助家へ剣術指南の訪問記録が残されていると言う。

近藤等と京都上洛後・土方と共に副長としてその肩を並べていたが芹沢鴨一派暗殺以降、池田屋襲撃等の重要な戦闘等に彼の名は登場しなくなってしまう。参謀としてのスタンスに立ったからと言う説もあるが、実際の所、この頃から土方との確執が大きくなっていたとの説が濃厚である。


元々山南は北辰一刀流の「勤王思想」が強かったコトも関わっているのかもしれないが、水戸学と言う勤王思想を掲げる伊東甲子太郎の入隊以降から、更に土方との間に軋轢ができたとの推測が現在の所有力とされている。


実職のない総長にその役職を変えられた上、丸で追い打ちをかけるかのように、伊東等が入隊したことにより、壬生八木・前川邸から西本願寺へ屯所が手狭になったとの理由から、屯所移転をほぼ強引に決めた土方と衝突、近藤に意見するも聞き入れられず、結果、「土方の奸計に惑わされている」と言う書き置きを残し、元治2年(1865年)2月脱走とされている。沖田が追っ手となり、同月23日大津宿で捕らえられ

同日、沖田の介錯で切腹。(1865年3月20日)


切腹前に格子ごしに恋人の遊女「明里」とのロマンスが一般では良く語られいているが、実はこの話、

事実じゃなく創作である可能性の方が高いと言う……。

取材旅行の際訪れた山南氏の墓のある、光縁寺の住職さんは明里の存在を信じていたけれど。



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