テオドラ視点~お嬢様と治癒魔法・後編~
前編の続きです。
お嬢様の謹慎処分も解けて少しずつ日常が戻り、私たちが覚悟を決めた頃。ゼノヴィオス様がいらっしゃった。
私たちが離れに住み始めて、もうすぐ一年だという。
「お嬢様がお願いして、旦那様から許可が出た。魔法を学びたい者がいれば、お嬢様が後見人になってくださる」
全員が集められ、そう言われる。
「ただし、身体強化を既に身に付けている者については、魔法は勧めない。最悪死ぬ可能性があることを念頭に置いて、自分たちで決めるように」
魔法を学びたい者がいれば、一歩前に出てくれ、とゼノヴィオス様に言われ、迷わず一歩前に進み出る。
「……テオドラか。他には?」
兄ちゃんもカリオペも、もう身体強化を学び始めている。死んでしまっては、お嬢様を守ることは叶わない。
私と同じぐらいの年で、まだ身体強化を習っていない子どももいたけれど、彼らも魔法より身体強化を選ぶようだ。私たちに魔法は身近ではない。身体強化の方がよっぽど親しみがあるし、しょうがないのかもしれない。
「テオドラはなんで魔法を学びたい?」
「……治癒魔法を、習得したいです」
試すようにゼノヴィオス様に見つめられ、少しも目を逸らさずにそう返す。
それに満足気に頷くと、お嬢様に伝えておく、とあっさりと去っていった。ゼノヴィオス様は、身体強化が使えない離れの人間にはあまり興味を示さない。
それから少しして、芽吹き式用の衣装を用意され、一人で普通の領民に交じって芽吹きの儀を受けた。
これで私も、魔法を使うことができる。
期待からか不安からか、身体が少し火照っていた。でも嬉しさが勝り、一人で手を開いたり握りしめたり、何ができるだろう、何をしよう、とわくわくしながら帰り道の馬車に揺られた。
離れに帰りつき、さっそく使ってみようとしたけれど、何も起こらない。
というか、何をしていいのかがさっぱりわからない。試してみようにも、何のとっかかりもないのだ。ひたすら突っ立っているだけで数日が過ぎ、困った私は駄目で元々と思いつつ、ゼノヴィオス様に聞いてみることにした。
一瞬の間が開いたけれど、身体強化の検証のついでに少しぐらいなら、と許可をくれた。
少しずつ使える属性を増やしていき、練習も兼ねて日常生活の中でも積極的に使うようにする。想像力と慣れが大事だという、ゼノヴィオス様の助言に従って。
でもおかげで洗濯や洗い物が便利になったし、暖炉の火も付けっ放しにしなくてよくなった。慣れてきた頃には、芽吹き式の衣装も上手に洗濯することができた。芽吹き式の衣装はお仕着せとは素材が全く違っていて、手では洗いにくい衣装なのだ。この衣装は使いまわすからと男女どちらでも着れそうな形をしていて、綺麗に洗って保存しておくように、と言いつけられていた。しかし水瓶の水は共用だし、食事でも使うからあまり多くは使えない。だから魔法を使えるようになったら、真っ先に洗い直したいと思っていたのだ。次に使う子にも、綺麗な衣装を着てほしい。
ゼノヴィオス様は身体強化の検証のために毎日のように来るけれど、私に声を掛けてくれるのは稀だ。そしてその時に経過を聞かれたり、探るような目で魔法の進捗を確認されたりする。恐らくゼノヴィオス様も厚意だけではなく、こっそり私で何かを試しているんだと思う。
でも、それでもいい。
実際に魔法を使えるようになってきているし、教えてくれているという事実は変わらない。
魔法が使えるようになって一年が経つ頃、ほとんどの属性魔法は苦も無く発現できるようになった。そして、魔法を使い過ぎて気分が悪くなることもなくなってきた。
「ゼノヴィオス様……治癒魔法を、教えていただけませんか?」
いつものように身体強化の検証に来たゼノヴィオス様に、意を決してお願いする。
「動物の解体をしたことは?」
少し迷うような素振りを見せた後、そう質問される。
「……鳥なら見たことがあります」
一年に一度、鳥が丸々一羽離れに持ち込まれる日がある。この二年は離れの皆で解体を見て、楽しんでいる。
「うーん……豚とか……できれば猿とか……解体できるといいんだけど」
じっと何かを見定めるように視線を向けられる。解体を想像して血の気が引くが、ゼノヴィオス様から目は逸らさない。
「……まあ、いっか。絶対にお嬢様に見せないって約束できる?」
「はい!」
「じゃあ、明日特別に持ってきてあげる。でも貸せないから、身体強化の検証している間に隣で覚えてね」
笑顔で厳しいことを言われたけれど、ゼノヴィオス様に教えてもらえるだけ幸運なことなのだ。
つい先日、他の使用人が魔法使っているのを見て、少し話を聞くことができた。そして私は使える属性や魔法の量が、とびぬけて多いのだと自覚した。これは恐らく、ゼノヴィオス様が私で何かを試した結果だと思う。
「よろしくお願いします!」
力強く頭を下げて、お願いする。
話の流れから多少は予想していたけれど、翌日にゼノヴィオス様が持ってきてくれた資料は見ているだけでも辛いものだった。検証するゼノヴィオス様の隣に立って必死に半日で覚えたけれど、その日の昼食が喉を通らなかったのはしょうがないと思う。
そして遂に、治癒魔法の練習を始めた。
今まで通り、ゼノヴィオス様からの助言はほとんどない。というか、想像力と慣れが大事だよ、と同じことを言われて後は放置だ。
誰かのケガを待つわけにもいかないので、こっそり自分の手の甲を浅く切りつけ、少しずつ練習する。時々お嬢様に手の甲の傷を見咎められ、お嬢様が治癒してくれることもある。
その時は何一つ見逃さないつもりで、お嬢様の治癒魔法を観察する。
少しずつ、少しずつ、他の魔法の習得に比べれば亀の歩みのごとくゆっくりと、治癒魔法が上達していった。治癒魔法をかけている間は若干のかゆみがあるけれど、痕は残さずに治癒できるようになった。
本当はもう少し深い傷も練習したいけれど、何かがあっては困るので練習できずにいる。そういえばゼノヴィオス様は無茶ぶりをしているように見えて、離れの住人に誰一人怪我を負わせたことはない。怪我をしてくれるのを待っていたわけではないけれど、それに気が付いて心底びっくりした。そんな繊細な気遣いをするように見えなかったのだ。
でも、きっとこれからも誰かが怪我をすることはないのだろう。
少しだけ迷ったけれど、結局は自分で練習をすることにする。ただお嬢様に怒られてしまうし、手の甲で練習してはすぐに見つかってしまう。足の甲やふくらはぎで、少しずつ積み重ねていく。歩けなくなるような傷はもちろん作らないけれど、問題がなさそうな範囲で少しずつ深めに傷をつけていって練習をする。
恐らくゼノヴィオス様は気が付いていたけれど、何も言うことはなかった。
それからしばらくして、身体強化の練習中に離れの子どもが転んで擦り傷を作った。
検証中ではなかったからゼノヴィオス様はいなかったし、当然お嬢様が都合良くいるはずもない。普段なら洗っておしまいで、自然に治るのを待つ。しかし、私は治癒魔法を散々練習してきたのだ。治せる自信があった。
そして離れにいる他の誰もできない事だと、私の出番だと意気込んで治癒魔法を試みた。
なのに、なぜだか魔法が弾かれてしまった。
理由が分からず、もしかして自分以外には治癒魔法をかけられないのかと涙目になる。しかしだからといって、怪我をそのままにしておくわけにはいかない。水魔法で洗浄し、その後はいつも通りの手当てを行った。子どもに残念そうな目を向けられたけれど、事実は事実なので唇を噛んで我慢する。
翌日、いつも通りやってきたゼノヴィオス様に聞いてみると、意外な反応が返ってきた。
「あー……そんな気はしてた」
「……え、私の治癒魔法に、何か問題がありますか……!?」
痛い思いをして散々練習してきたのに、と昨日は我慢できた涙腺が、今日は我慢をしてくれない。ゼノヴィオス様は私の涙なんて気にも留めずに、言葉を続ける。
「いやいや、治癒魔法じゃなくてね、芽吹き式を受けていない人の治癒は、おそらく無理だよ」
驚いてゼノヴィオス様の顔をぽかん、と見つめる。涙も止まってしまった。
「弾かれるでしょう?芽吹き式を受けていないから、魔法が通らないんだ」
「でも……お嬢様は、兄ちゃんの傷を治しました……」
そうだ、私が治癒魔法を学びたいと思ったきっかけ。兄ちゃんは当然芽吹き式なんか受けていないし、それでいくのなら、魔法が通るはずがない。
「あれは恐らく、傷口が大きく深く開いていたからだと思うよ。皮膚の表面から治癒したんじゃなくて、内側から治癒したから治せたんだと思う」
内側からなら魔穴は関係ないから、と言われて、よくよく当時のことを思い出してみる。そういえばと、傷口の中に光る何かがあったことを思い出す。なるほど内側から治したのか、と納得すると同時に、お嬢様の規格外さを痛感する。
そして離れの皆を治癒できないとなると、私の存在価値がぐんと低くなってしまったように感じる。緊急時に役に立てないなんて、普段はいたら便利なだけの存在になってしまう。救いがあるとすれば、お嬢様の怪我は治せるだろうことと、大怪我であれば治せる可能性もあるだろうことだろうか。
今までになく落ち込んだ私を見かねたのか、ゼノヴィオス様が苦笑いしながら、お嬢様ならなんとかしちゃうかもしれないけどね、と言って去っていった。
確かにお嬢様なら、芽吹き式を受けていない人でも治してしまいそうだ。
それでも勝手なお嬢様への想像の域を出るものではなく、ゼノヴィオス様なりの励ましだろうと、大きくため息を吐いて離れへと戻った。治癒魔法の練習も普通の魔法の練習も欠かさないけれど、少しだけ自分の無力さに残念な気持ちになる。追加で薬草の知識なんかも覚えれば、もっと人の役に立てるだろうか。